「本物」「ニセモノ」7  四十七士の手紙「赤垣源蔵」

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四十七士のニセモノ手紙

今日は、忠臣蔵の討入りの日なので
赤穂義士に因んだ「本物」「ニセモノ」
をご紹介しましょう。

 

私は最近まで見たことがなかったのですが
四十七士の書いた手紙、それもニセモノが
かなり世間にはびこっており、高額で
取引されているそうです。

 

それらを実際に見たとしても、私には
本物か否かなどの判断はとてもできません。

 

それ以前に、日本語で書いてあると
いうのに残念ながら読むことすら
できませんし……(涙)。

 

 

 

 

 

署名が「赤垣源蔵」

ですが先日、ニセモノの手紙の写真を
見せていただいた中に、一つだけ明らかに
ニセモノとわかるものがありました。

 

わかった理由は、書いた人の名前にあります。
「赤垣源蔵」と署名がしてあったからです。

 

四十七士の中で、彼は有名な方に入ると
思いますが、その理由は講談
「赤垣源蔵徳利の別れ」が有名だからですね。

 

講談で語られた彼の名前が「赤垣源蔵」
だったので、その名前が人口に膾炙して
しまいました。

 

もちろん私はその講談を聞いたことは
ないのですが、いつの間にか「赤垣源蔵」
という名前は覚えてしまっていますから。

 

でも、本当の名前は「赤垣源蔵」ではなくて
「赤埴源蔵(あかばね  げんぞう)」なのです。

 

 

四十七士の一人「赤垣源蔵」
の手紙(ニセモノ)

 

 

 

「赤埴源蔵」が「赤垣源蔵」と間違われた理由

「赤埴源蔵」が「赤垣源蔵」と
間違われるようになった理由としては、

 

「あかばね(赤埴)」の「埴」という字が
珍しいことと、崩し字で書いてある「埴」
の字を「垣」と間違えてしまったことに
よるのではないだろうか、

 

と中央義士会の中島理事長は
おっしゃっています。

 

ねっ?
だから「ニセモノ」!

 




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