寺山修司 「駈けてきて ふいにとまれば……」 麻布十番

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

130501terayamashuji          (写真/三沢市寺山修司記念館

 

 

寺山修司展 

少し前に世田谷文学館で「帰ってきた寺山修司」展を
開催していると知って行こうと思っていたのですが
既に3月31日に終わっていました。

 

いつものことですが、時は駆足で過ぎてしまいますね。

 

なんとなく寺山修司の命日である5月4日までは開催しているような
気がしていて、あまり焦っていなかったせいもあるのですが。

 

 

 

早熟の天才

寺山修司は、中学生から俳句を始め、17歳の青森高校の時には
全国高校生俳句大会を主催し、18歳の早稲田大学一年生の時に
「短歌研究新人賞」を受賞します。

 

早稲田大学での先輩、大橋巨泉が、寺山修司の句、

「流すべき 流灯(とうろう)われの 胸照らす」

を知って、俳句をやめたというのは有名なエピソード。

 

しかしその溢れるような才能を手にしながらも
寺山修司は早々に「歌との別れ」をします。

 

 

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職業は「寺山修司」

放送詩劇「山姥」、イタリア賞グランプリ受賞。
映画「田園に死す」で、文化庁芸術祭奨励新人賞、芸
術選薦新人賞を受賞。

 

映画「書を捨てよ、町に出よう」では、サンレモ映画祭グランプリ受賞。
ベオグラード国際演劇祭での「邪宗門」でグランプリ受賞、等々。

 

詩人、歌人、劇作家、映画監督etc…、寺山修司を表すには
何が一番相応しいのでしょうか。

 

ちなみに職業を問われた時の寺山修司の答えは

「職業は寺山修司です」

だったそうです。

 

 

130815kamagaya

 

 

 

「世界の涯てまで連れてって」

麻布時代の「天井桟敷」の、最後の方の公演に
『レミング 〜世界の涯てまで連れてって
Take me to the end of world』という演劇がありました。

 

寺山修司の劇団「天井桟敷」は
その頃は渋谷から麻布に移っていました。

 

『レミング』の中で歌われる、
「みんなが行ってしまったら……」で
始まる劇中歌が私は好きでした。

 

「一番最後でいいからさ  世界の涯てまで連れてって
一番最後でいいからさ  世界の涯てまで連れてって」

 

 

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「駈けてきて ふいにとまれば……」

寺山修司が亡くなった5月4日の夜、私は一睡もしませんでした。
そして夜があけて明るくなった瞬間、私はびっくりしたのです。

 

こんな時にでも、朝はくるものなのだ、と。
あまりに陳腐で笑われてしまうでしょうが、本当のこと。

 

そして5月9日に、葬儀が青山斎場で行われました。
よく晴れた日でした。

 

寺山修司の葬儀の「会葬御礼」に記されていたのは、次の歌です。
葬儀委員長である詩人の谷川俊太郎さんが選ばれたということでした。

 

駈けてきて ふいにとまれば 我をこえて ゆく風たちの 時を呼ぶこえ
修司

 

 

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5月の喪失

その葬儀の後、私は別の場所に向かっていました。
少し早足で歩いている私の耳元を、五月の爽やかな風が通り過ぎました。

 

その時、私は初めて「ゆく風たちのこえ」を聞きました。

 

多分それ以前にも、その音を聞いたことはあったでしょう。
しかしその時に、それは私の中に生まれたのです。

 

寺山修司の死の数ヶ月前、それがそこまで迫っていると
知らなかった私は「人に死なれたくない」という意味のことを
彼に言ったことがあります。

 

その直前に私は母と恩師を亡くしていたからです。
すると彼は、微笑みを浮かべて言ったのです。
「死んでからの楽しみが増えるじゃないか」と。

 

私が寺山修司を知ったのは、彼の死のわずか前のことでした。
一日に一冊の割合で、彼の本を私は貪り読みました。

 

47歳で亡くなった天才、寺山修司。
私の好きな歌集の名は「われに五月を」です。

 

その五月に、人生を足早に駆け抜けていった
寺山修司の姿を私は見失いました。

 




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