コンビニ誕生のきっかけは氷屋さんの長時間営業から スウィートドライとまと「山栄食品」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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ローソンバージョンなのでしょうか?

原産国は中国、販売は日本の
「山栄(やまえい)食品」という会社です。

 

この「ドライとまと」はローソンで買った
ものですが、「山栄食品」のサイトには
出てきません。

山栄食品のローソンバージョン
ということなのでしょうか?

 

「ドライとまと」いっても、お料理に使う
ような「ドライとまと」とも違い、甘味も
たっぷりのおやつの「ドライとまと」ですね。

 

 

 

コンビニって、いつ出来たの?

ローソンを始め、コンビニは現代の日本では
欠かせない存在のようになってきましたが
コンビニってどこで、いつ頃できたと思いますか?

 

「どこで?」の方は、何となくわかりますよね。
そうです、アメリカです。

 

「いつ頃」の方はといいますと
なんと1927年。
アメリカのテキサス州、
オークリフという町でだそうです。

 

 

1247904221_photo壁、カウンター、テーブルに至るまで
全て氷でできた「アイスバー」
西麻布から銀座に引っ越してしまったそうです、残念。
涼しいというより、寒そうかも(写真)

 

 

 

 最初は氷を販売するお店でした

テキサス州オークリフという町に
氷を販売する小さなお店ができました。

 

現在のように、冷蔵庫が全ての家庭に
あるというわけではありませんでした
ので、氷が必要な時には、お店に
買いにいくという生活でした。

 

サウスランド・アイス社の氷のお店を
任されていたのはジョン・ジェファーソン
・グリーンという男性。

 

 

 

夏の間は休みを取らずに営業

彼は、夏の間に限っては休みを取ることなく
なんと、毎日16時間もお店を開けていて、その
長時間営業は町の人々から大変喜ばれました。

 

そしてそのうちに,町の人のこんな声が
サウスランド・アイス社に寄せられる
ようになったのです。

 

「氷とともに卵や牛乳にパンなどを扱って
くれると、もっと便利なのだけど……」

 

 

 

コンビニエンスストアーの誕生

サウスランド・アイス社はこの声
に応えることにしました。

 

サウスランド・アイス社、そう、この
会社、現在のセブンイレブンのことです。

 

コンビニの誕生は、夏場の氷の販売
から始まったのですね。
(参考/「Wikipedia セブンイレブン米国」)

 




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4 thoughts on “コンビニ誕生のきっかけは氷屋さんの長時間営業から スウィートドライとまと「山栄食品」

  1. SECRET: 0
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    おやつのドライトマトとは、美味しそうですねぇ!
    プルーンとかそういうののトマト版を想像すればいいのかな。
    料理用のドライトマト、料理直前に使おうと思うと中々戻らなくて大変ですよね(笑)
    コンビニ、アメリカはテキサス生まれだったんですか!
    しかも氷屋さん!?
    そして、それが現在のセブンイレブン?凄い凄い!
    氷屋さんといえば、中学2年の時かな…学展(全国学生油絵コンクールというコンクールに毎年出品してました)の為の題材に近所の氷屋さんを描いた事があったんです。
    そのお店の前でスケッチしてたので、私が油絵にしたのを知ったお店の老夫婦からある日話しかけられて
    「今度お店を閉めるから、その絵を譲って欲しい(見合った金額を支払うと!)」と。
    でも、うちのカーチャン、断っちゃった!
    さらに、ウチは物置が外にあって、そこに適当に私の作品を入れてたからもうその作品ボロボロ…今思うと、あの老夫婦に譲れば良かったです…(泪目)

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    アメリカ在住のみぎぃさんに、そんなふうに言って頂けて嬉しいです。
    社員Sさま(?)って、テキサスに住んでいらしたんじゃなかった?
    ってそんなことより,その絵って、もしかしたら全国学生油絵コンクールで第一位、優勝した絵のこと?
    優勝したときの絵は、さすがに別格という感じで飾ってあるのでしょうから、それ以前のコンクールに出品した作品のことなのでしょうね。
    それにしても、お母様が譲れない、というお気持ちは充分わかりますし、私だったらと考えてもそうしたと思います。
    ですが、ですが、その氷屋さんの老夫婦のもうしでは、それはそれはまた特別なもので、なんといいましょうか……。
    まるで小説のようなお話です。
    暑い夏の日に小さな氷屋の前で、麦わら帽子をかぶりながら、とはいっても日射しを受ける方向へも全く頓着しないですわり、健気に一生懸命、絵を描き続ける可愛い少女。
    それを見るともなく、微笑みながら見ている氷屋の老夫婦。
    そしてその暑い夏が終わりに近づく頃、老夫婦が危惧していたことは現実となってしまった。
    彼等が長い間、慈しみ育ててきた、彼等の子どものようなといっても過言ではない店を閉めなければならなくなってしまったからだ。
    とそんな時、夏の暑さもいとわず一心不乱に絵を描いていたあの少女の絵が、全国学生油絵コンクールで優勝したとの知らせを新聞で知ることになる。
    夫婦は、わがことのように喜んだ。
    そして、できることならば彼等のお店を描いた、その絵を譲ってもらうことはできないだろうか、という望みが芽生えてくるのを押さえることはできなかった。
    彼等のなくなってしまうお店を、心をこめて描いてくれたあの絵と共に、これから先も暮らしていくことができるのなら……、それは彼等にとって思いもよらない幸せだった。
    氷屋さんの絵が優勝した絵でとは違うとはわかっているのですが、勝手に作ってしまいました。
    ごめんなさい。

  3. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    ぐはーー!!!!
    小説になってた(笑)
    なんかもう、この小説を読んだらあげなかった事を後悔してます(笑)
    そうなんですよ、残念ながら受賞したのは横浜の赤煉瓦の倉庫を描いたもので、氷屋さんは受賞した翌年なので佳作だか単なる入賞でした…(泪目)
    いやぁ〜それが受賞作品も相当へぼへぼになってダメになってます。
    ムンクは自分の作品を我が子と呼びながらも雨ざらしにしてほとんどの作品をダメにしてしまったと言いますが、まさにそれです(笑)
    芸術は終わりがあるからこそ美しい!のか?
    そして、赤煉瓦の倉庫、今では凄く綺麗に開発されてお店が入っていますが、当時は赤煉瓦の倉庫がある新港埠頭(一角?)はゲートで閉ざされてて、中に入るにはゲートの警備員さんの許可が必要だったんです。
    赤煉瓦の倉庫の周囲には近年建てられた倉庫も建ち並び、それらの新しい倉庫の隙間から覗き見た赤煉瓦の倉庫を描いたものでした。
    今は赤煉瓦以外の倉庫を潰して綺麗になっちゃいましたね〜。

  4. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    そう、ごめん、病気なの。
    横浜の赤煉瓦を描いたものが受賞作品だったわけね!
    氷屋さんの絵は「単なる入賞」という言葉がスゴイ!
    みなさん入賞を目指しているんだと思いますが、ぷろちゃまはレベルが違うのですね、さすがぷろちゃま!
    それでは氷屋さん御夫妻は、「受賞」という飾りがなくても(って、昨年度の受賞者ではあるが)、欲しいということだったんですね……。
    ムンクのこと知らなかった!
    雨ざらしにしてって……、あり得んでしょ?
    それに、ムンクのお住まいの場所はあちらの方なんだから、こちらの気候とは格段の差があると思うので、傷み方も半端じゃなかったのではないかと。
    まあ、そうかもね、芸術に限らず何でもね。
    赤煉瓦の倉庫って行ったことないけど、TVで1,2度見たことがあります。
    すっごく横浜って感じがした〜。
    でも、赤煉瓦だの氷屋さん(しかも、かなりいい雰囲気のだと思う)だのって、かなり渋いよね、その年で。
    そういえば、去年の今頃に絵のこと聞いたんだよね、百年ぶりに絵(社長の!♡,ってその時は知らなかったけど)を描くって。
    その時に「オリーブグリーンとカーキ色があれば……」って子どもの頃思っていたって聞いて、「シブイッ!」って思ったんだけど、色の選択だけではなかったのだね。
    それって「父ヒロシ」お父様の御指示ではなく、みぎぃさんが決めたとしたらただものじゃないですな。

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