ベルガモ「ジャン=ポール・エヴァン」 チョコレートのお話 2

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

130315karakasu

 

 

スペインに渡っていったカカオ豆
〜最初はコロンブスが〜

一時は貨幣のかわりとしても使われたカカオ豆。
このカカオ豆はやがてスペインに渡っていくことになります。

 

1502年、コロンブスがホンジュラス付近を
航海している時のことでした。

 

コロンブスはマヤ人の交易商人と出会います。
この交易品の中に、カカオ豆もあったのです。

 

 

Unknown_20131113010105f08

クリストファー・コロンブス
(写真/「Christopher Columbus」)

 

 

そのカカオ豆をコロンブスはスペイン、アラゴンの王様、
フェルディナンド2世に献上しました。

 

しかし驚くべきことに、なんとコロンブスをはじめ
誰もがカカオ豆に興味を示さなかったのだそうです。

 

 

170px-FerdinandCatholic

カカオ豆に興味を示さなかった
アラゴン王・フェルディナンド2世
(写真/「Wikipedia」

 

 

 

〜次にエルナン・コルテスが〜

それから約20年後の1519年、
スペイン人のエルナン・コルテスは、

 

数百人の兵隊とともにアステカに上陸し
国王のモンテスマに会います。

 

 

cmcf25855_master_20131114001330580

「Moctezuma AZTEC RULER」
(写真/「大英博物館」)

 

 

その時、コルテスは
「金の杯で冷たいチョコレートの飲物をふるまわれた」
と記述しています。

 

これは、スペインの旧1000ペスタ紙幣に
印刷されたエルナン・コルテス。

 

 

erunankorutesusihei

エルナン・コルテス(Hernan Cortes)スペイン旧1000ペスタ紙幣
裏面はインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロ
(写真/「マヤ・アステカ」

 

 

 

 金の杯のチョコレートの飲物

金の杯に入っていたチョコレートの飲物である
「ショコラトル」ですが、これは現在のチョコレートの飲物とは
かなり違っていた飲物ようです。

 

まず、カカオ豆を発酵させた後に乾燥させ
煎ったものをすり潰してペースト状にします。

 

それに、バニラやコショウなどのスパイス、薬草、
時には飲み口をマイルドにするために、トウモロコシの粉も加え
冷やして固めたものを保存しておきます。

 

これを細かく削ったり、砕いたりして
お湯や水に溶かした後に激しくかき混ぜて泡立てたもの
が「ショコラトル」だったのです。

 

お砂糖は一切使用していませんので
甘味は全くありませんでした。

 

その「ショコラトル」の原料であるカカオを
コルテスはスペインに持ち帰りました。
そして1528年に、国王カルロス1世に献上しています。

 

 

img_1035918_42909382_1

スペイン国王・カルロス1世
(写真/「歴代のスペイン国王」)

 

 

ここで初めて、カカオの飲物に
お砂糖やバニラ、シナモンなども加えて作った甘い飲物
「チョコレート」が誕生します。

 

とはいっても、この「チョコレート」も
一般の人が飲めるものではなく、一部の上層階級の
人が飲むことができるだけだったようです。

 

 

 
130421berugamotto4

 

 

 

スペインからオランダやベルギー、フランス宮廷へ

スペインの一部の階級の特別なものだったチョコレートは
のちにスペイン領であった、現在のオランダ南部や
ベルギー西部にあたるフランドル地方に広まっていきます。

 

1609年には、フランスへもチョコレートは伝わっていきました。
その頃スペインの王女アンヌ・ドートリッシュは1615年、
フランス国王ルイ13世と結婚しました。

 

 

250px-MariaAnnaofSpain06

「アンヌ王妃」
ピーテル・パウル・ルーベンス画
( Peter Paul Rubens)(写真/「Wikipedia」

 

 

アンヌ・ドートリッシュはチョコレートが大好きだったようで
チョコレートコックを連れてフランスに嫁いだほどだったといいます。

 

そしてチョコレートはたちまち
フランス宮廷貴族の間で評判になりました。

 

 

images

「鏡の間」ヴェルサイユ宮殿
(写真/「ヴェルサイユ宮殿」)

 

 

ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの間に
次の国王である、ルイ14世が生まれたのは
二人が結婚してから23年目のことでした。

 

 

 

4歳で国王になったルイ14世

ルイ13世が1643年に亡くなった時、ルイ14世はまだわずかに4歳。
4歳のルイ14世が国王になります。

 

しかし、当然のことながら実際の政務をとったのは
母親のアンヌ・ドートリッシュと
彼女に絶対的な信頼を得ていたマザラン枢機卿でした。

 

マザラン枢機卿はイタリア人であり
国民から愛されているとはいいがたく
彼がルイ14世の実際の父親ではないかとの噂さえあったほど。

 

 

130421berugamotto2

 

 

4歳の国王、ルイ14世は名ばかりの国王。

 

スペイン人のアンヌ・ドートリッシュと
イタリア人のマザラン枢機卿が政権をとっていたことに
フランス国民は少なからず不満を抱いていたともいいます。

 

しかしマザラン枢機卿は、ルイ13世の遺志を引き継いで
ルイ14世に、絶対王政主義を貫いた政治教育をしています。

 

その結果ともいえるルイ14世の有名な言葉に
「朕は国家なり」がありますね。

 

 

 

ルイ14世の妃もチョコレート好きなスペイン王女

そのルイ14世もまた、スペイン王女を妃にしました。
マリー・テレーズ・ドートリッシュです。
この絵はベラスケスの描いたマリー・テレーズ・ドートリッシュ。

 

 

20100315_1123597_t

マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
ディエゴ・ベラスケス (Diego Velazquez)画
(写真/「ハプスプルグ家」

 

 

1660年にフランス国王ルイ14世に嫁いだ
マリー・テレーズ・ドートリッシュも
チョコレートにはめがなかったといわれています。

 

1682年のベルサイユ宮殿の園遊会で
カカオの飲みものが供された記録も残っているとか。

 

 

 

ルイ13世の妃の姪が、ルイ14世の妃

このマリー・テレーズ・ドートリッシュは
ルイ13世の妃となったアンヌ・ドートリッシュの姪にあたります。

 

アンヌ・ドートリッシュはルイ13世の妃で、ルイ14世の母。
そのルイ14世の妃が、マリー・テレーズ・ドートリッシュ。

 

つまりルイ14世から見ますと
自分の「母の姪」が自分の「妃」ということですね。

 

この絵は「アンヌ・ドートリッシュ」と
「マリー・テレーズ・ドートリッシュ」の二人を描いたもの。

 

 

20100316_1124791_t

「アンヌ・ドートリッシュと
マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
(写真/「Life Style」

 

 

 

孤独な妃、マリー・テレーズ・ドートリッシュ

フランスに嫁いだものの、マリー・テレーズ・ドートリッシュは
フランス語が上手に話すことができずに
スペイン語訛りのフランス語を話していたといいます。

 

私は長い間、外国に行って暮らせば、その国の言葉は
あたりまえのように話せるものだと思っていたのですが
そういうものでもないのですね。

 

マリー・テレーズ・ドートリッシュ、かわいそう……。
語学が超苦手な私、日本で一生を終えて(?)よかったです。

 

それもあってかどうかマリー・テレーズ・ドートリッシュは
政治や文学に興味をもたずに、ルイ14世の母、夫の母である
アンヌ・ドートリッシュと仲が良かったそうです。

 

二人で心おきなくスペイン語での会話を楽しんだのでしょうね。

 

またマリー・テレーズ・ドートリッシュは
夫であるルイ14世との間も親密ではなく
ルイ14世には愛人が多くいたといいます。

 

1666年にアンヌ・ドートリッシュが亡くなった後の
宮廷での孤独感は如何ばかりかと察せられます。

 

 

 

チョコレートは世界へ

思わず、ルイ14世夫妻のお話が続いてしまいましたが
ここでまたチョコレートのお話に戻りましょうね。

 

マリー・テレーズ・ドートリッシュと
ルイ14世の結婚にさかのぼること20年、

 

1640年にはチョコレートはイタリアや、オーストリアへ、
翌1641年には、ドイツへも広まっていきました。

 

 

130421berugamotto

 

 

その後、1656年チョコレートはイギリスへ伝わります。

 

1728年頃から、スイス、イギリス、ドイツ、オランダ、
スペインなどに次々とチョコレート工場ができていきます。
(スイスへ伝わったのは1750年という説も)

 

それからチョコレートは、アメリカへも渡っていきました。

 

と、ここのあたりはかなりの駆け足の説明になってしまいましたが
こうして現在は、どこでもチョコレートが
食べられるようになったのです。

 

でも、最初に書きましたがが本当のチョコレートかな?
という気も私はするのですが……。

 

 

130715tyokosakuranbo

 

 

 

ココアの語源はアステカの「カカウ」から

ちなみにココアの語源ですが、
これはスペインがアステカを征服した頃に、原住民が
「カカウ」と呼んでいたことによるのだそうです。

 

これがヨーロッパに伝わって
カカオ、ココアになったといいます。

 

130715janporuebantyoko

 

 

 

「ショコラトル」→「チョコレート」へ

また、前に出てきた、カカウから作った飲みのもは
「ショコラトル(chocolati)」という名前でしたね。

 

この「ショコラトル(chocolati)」という言葉が
「チョコレート(chocolate)」になったそうですよ。

 

チョコレートについての小さいお話でした。
チョコレートのほんの一かけらにも満たないものなのですけれど。

 

長くなってしまいましたので、ここで一旦終わりにしましょうね。
読んでくださって、ありがとうございました!

 




スポンサードリンク



2 thoughts on “ベルガモ「ジャン=ポール・エヴァン」 チョコレートのお話 2

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    はわわわ!
    随分お久しぶりになってしまいました!!
    フランス王朝講座、素晴らしい〜
    受験では世界史を選択したものの、受験の世界史ではここまで細かく出ないのでまるで知らない事ばかりでした。
    勉強になりました!
    同じドートリッシュ家からお妃を迎えるとは…同じ趣味?
    チョコレートの起源ってスペインから始まってたんですね。
    今は瞬時に世界に伝わるけど、当時の伝播方法、面白いですね。時間をかけてジワジワと広がって行く。
    そして、チョコレートコックがいたなんて!私も欲しいです!(笑)
    ケーキ、とても美味しそうです…ゴクリ…

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    ふわわわ!
    こちらこそ、なんやかやとバタバタしておりまして
    御無沙汰をしておりまする。
    (来年になったら、終わると思うけど、というか終わってほしい)
    受験で世界史を選択したの〜?
    あれ〜、でござりまするね、私,自慢じゃないが地理歴史まったくダメ。
    歴史はダメなのですが、絵の説明に聞くともなく聞いていることをつなぎ合わせると歴史っぽくなっていたりするんですよね。
    「同じ趣味」などという悠長なものではなく、政略結婚そのものみたい。
    だって結婚自体が「ピレネー条約」で決まって、持参金をつけて云々、しかも持参金が用意出来なくて云々、とまあ、なんともおきのどくとしかいいようがない。
    でも、チョコレートコックは羨ましいけどね。
    2、3日前にね、ネットの名前で通知表の点数が示される遊びをしていたら、私は「語学が1」で「日本の外には出ないようにしましょう」といわれて、吹き出したよ!
    ホントに、そうだもの!

コメントを残す