節子・クロソフスカ・ド・ローラ伯爵夫人 「お人形ではなく」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

cf092086バルテュス夫妻(写真/「SENZA FINE」)

 

 

柔らかで、毅然として

数年前のことですが、私は画家のバルテュスと
結婚した節子・クロソフスカ・ド・ローラさんの
お話しになったことや書いた本を
読んだことがありました。

 

節子さんは正確にいいますと、
20世紀最後の巨匠といわれた画家
バルタザール・ミシェル・クロソフスカ
・ド・ローラ伯爵(Le Comte Balthazar Michel
Klossowski de Rola)の妻である
(La Comtesse Setsuko Klossowski de Rola)
のことです。

 

 

setsuko

 

 

夫であるバルテュスに
「日本人なのに、なぜ着物を着ないのか?」
といわれてから着物を着るようになったという
節子クロソフスカ・ド・ローラさん。

 

私は節子クロソフスカ・ド・ローラさんの、和服に
ついての考え方に深く感動したことがあります。

 

 

 

 

 

文庫結びについて

その一つは、文庫結びをするのに年齢制限と
いうものを考えていらっしゃらないことです。

 

昨日のブログでも触れましたが、日本では
ある程度以上の年齢になって文庫結びを
するのは、オーバーな言い方ですが
ちょっとした「勇気」がいるものです。

 

それは、
「着物についての決まりごとを知らない人と思われる」、
あるいは「知っていながら若作りをしている」
と見られることへの不安ががあるからです。

 

昨日も書きましたように、現在はそれがあたかも
決まりごとであるかのように言っている着付け教室や、
TVで活躍している着物の専門家もいらっしゃる
にはいらっしゃいます。

 

しかし本来は、文庫結びは
年齢を問わずに結ばれていた帯結びです。

 

 

002_1

蛇籠桜樹模様小袖 18世紀
(写真/「女子美染色小レックション」)

 

 

 

飛行機では文庫を前にまわして

節子クロソフスカ・ド・ローラさんも
そのような本来の文庫結びの考え方を
踏襲していらっしゃるようです。

 

飛行機に乗る時は、後ろの文庫結びを
くるっと前に持ってきて椅子に座っている、
と書いてあるものを読んだことがあります。

 

確かに、そうしますと後ろの文庫結びが
邪魔になりませんからね。
次の写真は節子さんが書かれた
御本に掲載されていた写真です。

 

 

文庫結びをしている節子さん
節子・クロソフスカ・ド・ローラ著
「ド・ローラ節子の和ごころのもてなし」新潮社

 

 

なかには、文庫結びは椅子に腰掛けると
崩れてしまうのでお太鼓結びをする、
という方もいらっしゃいます。

 

ですが、椅子に深く座っていて崩れる
のは、お太鼓結びでも同じこと。

 

ましてや飛行機という長時間すわっている
乗物で、しかも睡眠をとったりもしますので
お太鼓結びであっても崩れてしまうのは
当然のことでしょう。

 

節子クロソフスカ・ド・ローラさんは、単なる型に
とらわれることはなく、また多くの人が言っているから
従う、という方ではないのだ知り、私は深くひかれました。

 

 

f0012154_15343696(写真/「インディアンとウチナーンチュ」)

 

 

 

動きとともに着崩れたとしても……

そして節子クロソフスカ・ド・ローラさんの
和服に関しての考え方で、私が感動したもう一つ
のことは、着物の着崩れについてのことです。

 

こちらは朝日新聞の「暮らしの風」に書いてあったもの。
もう7、8年前のことかもしれません。

 

「暮らしの風」というのは、新聞屋さんが
毎月持ってきてくれる小冊子のことです。

 

 

 

 

言葉自体は、節子クロソフスカ・ド・ローラさん
がおっしゃったそのままではありませんが、

 

「着物を着て生活をしていて着付けが乱れたり、
気崩れたとしても、それはそれで美しいと
思います」という意味のことでした。

 

私は、節子クロソフスカ・ド・ローラさんの
この言葉にわが意を得たりという思い。
といいますかこの言葉自体が美しいですね。

 

 

001_1

桜樹詠文字模様小袖 江戸時代 18世紀
(写真/「女子美染色コレクション」)

 

 

 

「本当に美しい着物姿」とは

私は常々、現在の着付けの本から抜け出したような
美しいといえば美しいけれど、しかし作りすぎた
ようにも見える、不自然な着物の着方に
違和感を感じていました。

 

現代は、着物が日常着ではなくなっており
着物を着て記念撮影をすることも多くなりました。

 

そのため、より美しく、より美しく、と
見た目の美しさを重視するようになって
いったのかもしれません。

 

 

 

 

しかし、それは写真撮影の美ではありますが
日常に着て生活している本来の着物の美とは
少し異なっているようにも思えるのです。

 

着物を着て生活をしていれば
着崩れるのは当然のこと。

 

 

 

着物に着られる、ではなく着ましょう

それを「それはそれで美しいと思います」と
おっしゃった節子クロソフスカ・ド・ローラさん。

 

 

f0012154_16301929(写真/「インディアンとウチナーンチュ」)

 

 

この写真などもそうですね。

 

まるで鎧でも着たかのようなつくられ過ぎた
また、着物に着られてしまっているような
「美しい(?)」着付けの本の写真はと違います。

 

お着物が、節子クロソフスカ・ド・ローラさん
にそって息づいているかのような
本当に美しい写真だと思います。

 

 

 

 

 

「しきたりをあえて崩す」 

着物の着方の約束事も、あらゆるマナーも最初は
いろいろな方に教えて頂くことが必要でしょう。

 

しかし、いったん自分のものとしたあとは
自分で考えて選ぶものなのではないか
と私は思っています。

 

「しきたりをあえて崩すところに美が生まれます」と
『めぐり合う花、四季。そして暮らし』
(白鳳社 2010)のなかで、節子クロソフスカ
・ド・ローラさんはおっしゃっています。

 

 

 

 

 

「ベートーヴェンの『美しいものを作るのに
破れない規則はない』の
言葉も、思い出し
ながら……
規則はすべての物事がスムーズに正しく
実行
されるための補佐の存在であるのが、今は
どうも諸々の主に
なっているところがある
ような気がします。」(P.42)

 

「(着物の)着方に関しての約束事は知識
として大切にする一方、
気候の変化、環境の
変化に準じて身につけて気持ちのよいのが
一番よい着方だと思います。

 

個性の表現は、磨かれた感覚を
もっているかいなかということ。

 

その感覚を持つには美しいものに接して、
絶えず学ぶこと、でも最初は
自分の心を美しく
磨くことが第一の課題かもしれません。」(P.76)

 

 

 

01_01「グラン・シャレ」(写真/「Cressive」)

 

 

 

「お人形」ではなく

この建物は現在、節子クロソフスカ・ド
・ローラさんの住んでいるスイスのロシェニール
(Rossinie)の「グラン・シャレ」です。

 

 

1754年に建てられたという、
スイスで一番大きな木造建造物。

 

節子クロソフスカ・ド・ローラさんの本に、以前は
ホテルだったとも書いてあった記憶があります。
40ものお部屋があるそうですよ。

 

このグラン・シャレ山荘で、晩年の
バルテュスと、節子クロソフスカ・ド・
ローラさんは暮らしていました。

 

2001年2月18日、バルテュスが93歳の
お誕生日を迎える直前に亡くなるまで。
それは、二人が日本で出会った
1962年から39年後のことでした。

 

 

 

 

 

バルテュスの愛した美しい人 

節子クロソウスキーさんの著書である
『見る美 聞く美 思う美』(祥伝社刊)の前書き
には、バルテュスのこんな言葉が書かれています。

 

「節子をひと目見たとき、私が憧れていた
日本の形が、その姿のうちに秘められて
いるのがわかった」と。

 

画家バルテュスは、日本を訪れて節子さんと
出会い、日本人形のように美しい節子さんの
姿形を愛でました。

 

しかし彼が愛したのは、自分というものを
持たずに従順に尽くす、ただ美しいだけの
お人形さんではありませんでした。

 

御自分の考えをきちんと持ち、それを表現する
女性である節子さんを、バルテュスは終生愛した
のだという事実は私にとって、なにより
嬉しいことでもありました。

 




スポンサードリンク



2 thoughts on “節子・クロソフスカ・ド・ローラ伯爵夫人 「お人形ではなく」

    • 岡部様

      コメントをありがとうございます!
      節子さんは、本当に素敵。
      多くのファンがいらっしゃることも当然,と思われるほどの方ですね。
      岡部様は、節子さんのどのようなところに
      惹かれていらっしゃるのでしょうか?

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください