「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
♬「きれいだね」って言われなくても
今からず〜っと前のことです。
NHKで「小さなスプーンおばさん」
というアニメを放送していました。
子ども向けだったようで、夕方に
放映されていたアニメでした。
原作はノルウェーの児童文学者アルプ・
プリョイセンで絵本にもなっているようです。
絵本「小さなスプーンおばさん」
(写真/「絵本ナビ」)
私が好きだったテーマソング
「夢色のスプーン」は
松本隆の作詞で、作曲は筒美京平。
「夢色のスプーン」の歌詞をここに
書くことは著作権の問題で出来ません
ので歌詞の意味を書いてみます。
大体こんな風な感じでした。
「『きれい』って人から言われなくても、
全然平気だし、いつも泣きながら生きて
いるほど弱虫でも、強い人間でもないけど
どこかに、『夢色のスプーン』がないかなぁ…..
幸福と不幸をかき混ぜる、スプーン
あの人に『夢色の小さなスプーン』をあげたいな」
歌詞を、別の言葉で置き換えるっていうのも
はなはだ奇妙なことですが……(汗)。
私はこの「夢色のスプーン」の歌が好きでした。
特に、ここでいいますと2行目のところ。
そこだけならば著作権も大丈夫
だと思うので書いてみますと、
「いつも涙で生きてるほど
弱くもないし強くもないの」
となるのです。
さすが作詞家ですね!
アニメーション「小さなスプーンおばさん」
(写真/「ピクシブ百科事典」)
ちっちゃなお友達
このアニメ―ション「小さなスプーンおば
さん」をNHKが放映していた頃のことです。
私には、年下の女の子のお友だちがいました。
当時、彼女は小学校の
2,3年生だったでしょうか。
「夢色のスプーン」の歌を、完全に
覚えていなかった私は「小さなスプーン
おばさん」の出だしの部分が思い
浮かばなかったことがありました。
私は彼女に聞きました。
「ねえ、『小さなスプーンおばさん』
の最初のところどうだっけ?」
すると彼女は、私よりはるかに正確な音程で
「♪ きれいだね、っていわれなくても〜 ♫」
と歌ってくれたので、それにあわせて
私も歌い出しました。
絵本「小さなスプーンおばさん」
(写真/「原寸画像」)
ちっちゃなお友達も大学生に
その彼女も中学、高校と進学して
麻布の近くのK大に入学しました。
ここは彼女の母親も、そして後には
彼女の妹も進学することになる大学です。
ごく普通の日本人で、この大学の名前を
知らない人はいないというほど有名な大学。
大学生になった彼女と、私はほとんど
会うこともありませんでした。
大学に入学してからの様子を1、2度
聞いたことがあるくらいだったでしょうか。
彼女に会うこともなく月日が過ぎてゆき
そろそろ卒業という頃だったと思います。
彼女が事故で亡くなった
という知らせを受けました。
睡眠薬を飲み過ぎたということでした。
絵本「小さなスプーンおばさん」
(写真/「原寸画像」)
フォーションで受けた突然の電話
しかし私は、それ以前に
彼女の死を知っていました。
彼女が亡くなった当日の午後に、彼女の
叔父さんから電話をもらっていたのです。
その日私は、人に誘われて
日本橋の高島屋に行っていました。
その人は海外旅行のために
このあとすぐに成田に向かう予定。
その前に「フォション」で
お茶でも飲もうかということに。
おやつ時ということもあってか満席です。
お店の外にも何人かの人が
椅子に座って待っていました。
「フォション(FAUCHON」)日本橋 高島屋
(写真/「食べログ東京」)
私達もその椅子に腰をかけ、話を
しはじめましたが、すぐに彼女が
洗面所に行くために、席を立ちました。
あたかも彼女が席を立つのを
待っていたかのように、その直後に
私の携帯が鳴ったのです。
携帯で話すのは一年に一度あるか
ないかというほどの人からの電話です。
しかも彼が電話をかけて
くるのは、たいてい夜でした。
こんな時間にめずらしい、と
思いながら電話に出てみると……。
彼が沈んだ声で言いました。
「◯◯が自殺した」
絵本「小さなスプーンおばさん」
(写真/「原寸画像」)
夢色のスプーンは……
彼女の死が事故によるもの
だったのか自死だったのか、
どちらだったのかはわかりません。
それに今となってはどちらであっても
もう取返しはつきません。
ただ、事故であっても不幸なことですが
万が一自分の意志で死を選んだのだとしたら
と考えますと……、言葉がなくなります。
彼女は「夢色のスプーン」を
持っていると、私は思っていました。
いつ、彼女はそれをなくして
しまったのでしょうか。
もし、なくしてしまったのならば
一諸に「夢色のスプーン」を
探すことは出来なかったのかな……。
「♪ きれいだね、っていわれなくても
私ちっともさびしくないし〜 ♫」
と歌い出してくれた彼女の声が
今でも私の耳にはっきりと残っています。
そのきれいな歌声を聞いたのは
もう20年以上も前のことなのに。
残念でなりません。