空襲で焼け落ちた虎屋の工場の跡からただよう香り 夜の梅「虎屋」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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「虎屋」といえば「夜の梅」

前回は、500年にも及ぶ赤坂「虎屋」の長い歴史
ほんの一部を御紹介させて頂きました。

 

「御代の春」という梅の花のかたちの小ぶりの最中を
御覧いただきましたが、今日は梅つながりで「夜の梅」。

 

私にとっての「虎屋」は、やはり
何といっても羊羹の「夜の梅」です。

 

今日の写真の「夜の梅」は、手のひらに
いくつも乗ってしまいそうな、7.9 × 2.8 × 2.0cm
の小型サイズで、55g、148kcal。

 

材料はこれまたシンプルに、砂糖、
小豆、寒天のみの嬉しさです。

 

 

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写真は、左から「新緑」「紅茶」「夜の梅」。
この他には黒砂糖を使った「面影」や
「はちみつ」があります。

 

また空港限定の「空の旅」、京都限定の
「白味噌」「黒豆黄粉」も。

 

この大きさはちょっと頂くにはとっても便利ですが
私としては「夜の梅」は、あのどっしりと
持ち重りのする一竿の羊羹が嬉しいです。

 

最近はどなたからも頂いていないので
あのどっしり感が懐かしい……、
なんて言っていないで、自分で買おうよね。

 

 

 

 

 

 

 

河端淑子『赤坂物語』

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」では
高橋是清翁記念公園を以前とりあげましたが
虎屋と高橋是清翁記念公園はすぐ近く。

 

ともに青山通りに面していて歩いて
ほんの数分で行くことができます。

 

高橋是清翁記念公園の御紹介の時に、高橋是清が
暗殺された2.26事件について、河端淑子の
『赤坂物語』の一節を紹介したことがありました。

 

 

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実はその河端淑子の『赤坂物語』には、今日御紹介の
「虎屋」の戦時中のお話も載っていたのです。

 

 

 

ザルまで供出!?

戦時中の「虎屋」の状態については現在の虎屋の
当主・黒川光博著の『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』
にはこのように記されています。

 

「皇室からの注文に必要の原材料もいただけた
虎屋は恵まれた方で、
なんとか菓子を作り続ける
ことができました。

しかし一般的には菓子屋の状況は厳しいもので、
鍋、釜などの
金属類はもちろん、ザル、菓子型、
のし板なども軍需用に供出させられ、

木型は燃料に使われてしまうのです。
こうして多くの菓子屋が旧廃業に追い込まれたのは
とても残念なことでした。」
(『虎屋 和菓子と歩んだ5百年』P.95)

 

少し前にこのブログにイヌやネコまでが
戦争に供出させられた
ということを書きましたが
お鍋や釜も供出させられるのですね。
その上、ザル、菓子型、のし板までもとは……。

 

「木型は燃料に使われてしまうのです」
(同上)と書いてありました。

 

燃料に使われた、というより燃料のためにザルまでが
必要な状態とは、一体、どういう状況なのでしょうか。

 

どう考えても戦争をしている場合ではありませんよね、
ってどんな場合でも戦争はダメですが。

 

 

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空襲に焼け落ちた工場から

と驚いて(呆れて)ばかりいないで
河端淑子の『赤坂物語』に戻りましょう。

 

昭和⒇年5月24日の夜から翌明け方にかけてのB29の
空襲で、赤坂一帯は焼き払われてしまいます。
虎屋のお店は残ったものの、工場と家は全焼。

 

戦時中、虎屋は陸軍から羊羹等の注文を受けていて
その時も工場の倉庫には、納めるばかりになって
いた寓用の羊羹が入っていたそうですが
全て溶けて流れてしまいました。

 

あたり一面の焦土の臭いとともに
羊羹の甘い香りが漂います。

 

その甘い香りに引き寄せられる
ように、人々が集まりました。
その時に、虎屋の製菓工員の一人が言います。

 

 

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「前線へ送るお菓子ですが、もう、輸送も出来ません。
自由に召し上がって下さい!」と。

 

着のみ着のままの飢えた人々は、瓦礫の中から厚い銀紙
に包まれた湯気がたつ熱い羊羹をむさぼり食べました。

 

お砂糖の配給が途絶えてから、早2年ほどの月日がすぎて
久しぶりに口にする甘みに泣き笑いをしながら……。
(河端淑子『赤坂物語』)

 




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