「新坂」カナダ大使館から瑶泉院の実家まで 赤坂の坂9

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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新しくできたから「新坂」なのですが…

これまで「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」では
8つの赤坂の坂を御紹介してきました。

 

次の地図では、右上の方に赤坂見附駅があり
そこから左下に向かってある道が青山通りです。

 

 

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この青山通りから南(地図ですと下)に向かう
3つの坂は既に御紹介した坂です。
Aは「牛鳴坂」Bは「弾正坂」、そしてCが「薬研坂」でした。

 

今日、御紹介するDの「新坂」は、右側の3つの坂と違い
直接に青山通りとは接してはいません。

 

青山通りに面しているカナダ大使館の西側の道を行きますと
カナダ大使館の敷地の途中から「新坂」が始まります。

 

 

 

始まりはカナダ大使館の隣り

この写真で左に写っているのはカナダ大使館です。
ここから緩やかな下り坂になります。

 

 

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写真を撮った日は生憎の雨だったのですが、こうしてみますと
「新坂」に雨は似合うような気もしないではありませんね。

 

写真の左側、カナダ大使館のある方が赤坂7丁目で
右側は8丁目です。

 

 

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カナダから江戸へ?

さてこの「新坂」、今まで御紹介した坂の命名とはちょっと異なり
名前に「新」とついていますが一体、いつできたのかといいますと

 

これがなんと、元禄12(1699)年。
300年以上も前の江戸時代のことなのです。

 

「なんだ、ちっとも『新』じゃないじゃない」とお思いでしょうが
できた当時はそれがいつであれ「新」ですものね、当たり前ですが。
と変に納得してしまった「新坂」ではありました。

 

なお、標識にも書いてありますが、「新坂」は「しんざか」
あるいは「しんさか」ともいうようです。

 

 

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終点は瑶泉院の実家の上屋敷があった場所

上の写真は「新坂」を下ってきた場所で、この辺りで坂は終わります。
ここから「新坂」とは直角に、写真でいいますと
手前側の左右に道が延びています。

 

このあたりは、いわゆる忠臣蔵といわれる元禄赤穂事件で有名な
浅野内匠頭の妻であった瑶泉院の実家があった場所。

 

瑶泉院の父親・長治は、浅野本家の長晟(ながあきら)の長子
でしたが、母親が正室ではなかったため弟の光晟が本家を継ぎ
長治は備後・三次(みよし)の城主となりました。

 

 

130421aguri20134      三次浅野家(瑶泉院の実家)の上屋敷跡付近

 

 

元禄赤穂事件(忠臣蔵)直前にできた坂

その三次浅野家の上屋敷のあった場所が
「新坂」の突き当たりの場所一帯なのです。

 

「新坂」の標識によりますと元禄12(1699)年に
新しくできた坂ということです。

 

元禄赤穂事件(忠臣蔵)は元禄14(1701)年の3月14日に起こりました。
これは旧暦ですので、現在の暦でいいますと4月21日。

 

そして義士達の討ち入りは翌、元禄15年12月14日。
これも現在ですと1月30日ということですので
1702年ではなく1703年ということになります。

 

あの討ち入りから今年で三百十余年の年月が流れました。
「新坂」は元禄赤穂事件(忠臣蔵)直前にできた坂だったのですね。

 

瑶泉院もこの「新坂」を歩いたのでしょうか。
まだ「あぐり」という名前で呼ばれていた頃に。

 




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