寺坂吉右衛門の討ち入りが終わった日 「三の橋」麻布山内家 古川の橋8

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「三の橋」=「肥後殿橋」

「古川橋  ( j )  」(古川橋交差点))で、大きく
流れの方向を変えた古川に架かっている
次の橋は「三の橋(k)」です。

 

 

  古川に架かる橋(麻布)hurukawanikakaruhasi天現寺橋(a)・狸橋(b)・亀屋橋(c)・養老橋(d)・青山橋(e)・五の橋(f)・
白金公園橋(g)・四の橋(h)・新古川橋(i)・古川橋(j)・三の橋(k)
南麻布一丁目公園橋(l)・二の橋(m)・小山橋(n)・一の橋(o)・
一の橋公園橋(p)・新堀橋(q)・中の橋(r)・赤羽橋(s)

 

 

南麻布2丁目6番から、三田5丁目1番に架かっている
橋で,長さ22.3メートル、幅11.2メートル。
2007(平成19)年1月に架け替えられたものです。

 

江戸時代、「三の橋」の三田側には、松平肥後守
(会津藩保科家)の下屋敷があったことから
「肥後殿橋」とも呼ばれていました。

 

 

 

反対側には「麻布山内家」の上屋敷

松平肥後守の屋敷と川を挟んで反対側には
土佐藩の支藩である土佐新田藩(とさしんでんはん)
山内家の上屋敷がありました。

 

「三の橋」から山内家のあった方に向けて
撮った写真が下のもの。
山内家の屋敷があったのは、歩道橋の
後ろあたり一帯でしょうか。

 

 

160729yamautikesannohasi「三の橋」から山内家があった方に向かって撮ったもの

 

 

当時は、麻布古川町と呼ばれていたこの辺りに上屋敷
のあった土佐新田藩は、参勤交代を行わずに、江戸に
定住している定府(じょうふ)大名であったため
藩主の山内家は「麻布山内家」とも呼ばれていました。

 

 

 

山内一豊(やまうちかつとよ)

この地図で 緑色の矢印「   」のある所が
「三の橋」で緑色の線で囲った「山内遠近守」
と書いてある場所が山内家の上屋敷。

 

 

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緑色の矢印「  ↓  」が「三の橋」
緑色の線で囲ったの場所が「麻布山内家」
左下のが寺坂吉右衛門のお墓

 

 

こちらの山内家は土佐藩の支藩、分家ですが
本家は、関ヶ原の合戦の功により
土佐を拝領した山内一豊の山内家です。

 

006年のNHKの大河ドラマ『功名が辻』
も山内一豊夫妻のお話でした。

 

事実が否かは定かではないようですが、一豊の妻・千代
は、お嫁入りの持参金(orへそくり)で、いざという時
に夫に馬を用意したという、内助の功として有名な女性。

 

その山内一豊の名前の読み方ですが、私は「山内」は
今まで「やまのうち」だと思っていたのですが
「やまうち」と読むそうです。

 

本家は「やまうち」と読み、
分家は「やまのうち」と読むのだとか。

 

しかも名前の方も「かずとよ」ではなく「かつとよ」
だそうで、これは『土佐山内家宝物資料館』に
記載されていますので、正しいと思います。

 

 

tosakashiwa山内家の家紋「丸に土佐柏」

 

 

 

元禄赤穂事件の寺坂吉右衛門

前々回に書きましたように、麻布御殿はわずか数年
で焼失してしまったため、第5代将軍・徳川綱吉は
折角造営したものの麻布御殿へは2度しか
訪れることがなかったということでした。

 

2度目に訪れたのは、浅野内匠頭と吉良上野介
の元禄赤穂事件の疲れを癒すためといわれて
いるようですが、今日の麻布山内家も
実はこの事件に関係があります。

 

それは、いわゆる「忠臣蔵」といわれる元禄赤穂事件
の四十七士の一人、寺坂吉右衛門(1665〜1747)が
事件の後、麻布山内家に召し抱えられていたからです。

 

 

140510oakオークで山内家の家紋「丸に土佐柏」
(上の写真)をまねっこしてみました

 

 

 

濡れ衣を着せられた一生

赤穂浪士といえば四十七士、というのは
あまりにも有名ですが、1703(元禄15)年の
事件後に、切腹を命ぜられたのは46人です。

 

討ち入りは47人でしたが
切腹は寺坂吉右衛門を除く46人。

 

討ち入り後、義士たちが吉良邸から
浅野内匠頭のお墓のある泉岳寺に着く直前に
寺坂吉右衛門は姿を消します。

 

逃亡したのか、はたまた大石内蔵助の命令だったのか
いまでも議論がかまびすしいところではあります。

 

しかし元禄赤穂事件の研究に、学生時代から
半世紀以上の生涯をかけている、中央義士会の
中島康夫さんによりますと、逃亡ではなく
大石内蔵助の命によるものということです。

 

 

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逃亡ではない根拠

寺坂吉右衛門はもともと、四十七士のうちの
吉田忠左衛門の足軽を務めていた人であり
足軽で唯一、討ち入りに参加した人でした。

 

逃亡でなかった理由を書くと長くなってしまうので
ほんの少しだけにとどめますが、寺坂吉右衛門が
四十七士の隊列から離れる際に、逃亡でない旨、
大石内蔵助の口上書を貰い受けていること。

 

また、大石内蔵助の命を果たした寺坂吉右衛門は
大目付・仙石伯耆守に自訴(自首)していること。
(受け入れられなかったのは仙石伯耆守
の温情だといわれています)

 

 

terasaka寺坂家の家紋「丸に二つ割菊」

 

 

一人生き残ることになった寺坂吉右衛門は
吉田忠左衛門の娘婿の伊藤家に養われた後、
麻布の山内家に召し抱えられました。

 

逃亡をした裏切り者だったならば、吉田忠左衛門の
縁者の元に居ることは考えられない等々の説明を
中島康夫さんはしていらっしゃいます。
(中央義士会監修『忠臣蔵四十七義全名鑑』
駿台曜曜社1998年)

 

四十七士とともに行動するつもりで途中で逃げた
人たちはその後、名前を変えたそうですが、
寺坂吉右衛門は隠れもせず、名も変えず、「信行」
という名の如く、信念の通りの行動を貫きました。

 

 

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緑色の矢印「 ↓ 」が「三の橋」
緑色の線で囲ったのが「麻布山内家」
緑色の◉が、寺坂吉右衛門のお墓のある場所

 

 

 

有り難いこと

これらの説明には大きく頷くばかりですが
それ以前の問題として、私が逃亡ではないと
確信する理由が一つあります。

 

それは、逃亡するような人ならば、そもそも
討ち入りの場にいないということです。

 

何人もの人々が篩(ふるい)にかけられる
ように落ちていきました。
しかし、その人たちを責めることはできないでしょう。
むしろ残った人の方が、希有な人なのですから。

 

様々なしがらみに絡めとられて討ち入りをすることが
できずに、討ち入り以前に自害をした人さえいました。
あの場に辿りつけた人は全員が、想像を
絶するようなことを乗り越えてきた人です。

 

討入り後に、それぞれのお屋敷にお預けとなって
いた時には、愛する者を置き去りにして、一人
逝くわが身を思わなかったはずはありません。

 

ですが、目的を果たし高揚していたに違いない
あの瞬間に、逃げ去ることなど到底考えられない、
あり得ないことだと私は思います。

 

 

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「独り」残る

麻布山内家で召し抱えられていた寺坂吉右衛門は
病いを得て、山内家の北側にある曹渓寺に寄寓し、
1747(延享4)年10月6日に亡くなります。

 

1665(寛文5)年、巳年、赤穂若狭野に、浅野家家来
船方役人の父・吉佐衛門と、川端与右衛門の娘の母
との間に生まれた吉右衛門は、8歳の時から吉田
忠左衛門の家で子守の手伝いをしていたといいます。

 

1691(元禄4)年、吉田忠左衛門が加東郡代となって
穂積に移る時に、27歳になっていた吉右衛門は
五石二人扶持で足軽組にに編入。

 

そして38歳の時に討ち入りをし、後に『寺坂筆記』を
書き残した寺坂吉右衛門信行(のぶゆき)が
亡くなったのは83歳。

 

長い独りの時を生きなければならなかった
彼の胸の内はいかばかりか。

 

大石内蔵助は、寺坂吉右衛門に、いくつかの場所に
密使として行くことの他に、生き残って全てを見届ける
役目を託した、と中島康夫さんは書いていらっしゃいます。

 

 

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足軽というさして重い身分でもなく、元は吉田
忠左衛門の家臣であるにも関わらず、最後まで
思いを一つにし、行動を共にした寺坂吉右衛門。

 

そんな寺坂吉右衛門を切腹から免れさせることは
情けなのか、あるいは残酷な宣言なのか、という
答えのない問いはさておき、その役目を
寺坂吉右衛門に与えたのは大石内蔵助の慧眼です。

 

仙石伯耆守が寺坂吉右衛門の自訴を
受け入れなかったことも、まさに大石内蔵助
の胸の内を仙石伯耆守が忖度したのでしょう。

 

寺坂吉右衛門は、元禄赤穂事件後の数十年間を
生き続けたことにより、大石内蔵助の命令を
完璧に成し遂げたといえるのかもしれません。

 

1703(元禄15)年の元禄赤穂事件から44年が経過した
1747(延享4)年10月6日、寺坂吉右衛門の
長い一生が終わった日に、彼の討ち入りが
ようやく終わりを告げたのです。

 




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