15代・酒井田柿右衛門

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15代・酒井田柿右衛門

かなり前のことになりますが私は佐賀県の
柿右衛門窯を訪れたことがあります。
その時はまだ先代の14代の柿右衛門さんの時でした。

 

14代は、2013年6月にお亡くなりになり
1968年生まれの酒井田浩さんが45歳という
若さで2014年2月4日に、15代を襲名。

 

生まれた日には職人さんたちから「15代」と
呼ばれていたという浩さんは、代々そうであるように
襲名とともに本名も柿右衛門に変更しています。

 

 

 

酒井田柿右衛門窯(写真/「プレミスト」)

 

 

 

家族揃って食事をするのはお正月くらい

生まれた日から「15代」と呼ばれていた浩さん、さぞや父・
14代の厳しい教育の中で子ども時代を過ごされたのかと思い
きや、何と父親と話をすることさえあまりなかったのだとか。

 

御両親は浩さんに、家を継ぐようにと言わないばかりか
父親はほとんど家にいなかったので顔をあわせることもなく
家族が揃って食事をするのはお正月くらいだったそうです。

 

好きな時に家に帰って食事をし、またどこかへ
行ってしまうという小説に出てくるような不思議な方。

 

ですがもっと不思議だと思うことは、それが
「普通」だと浩さんが思っていらしたことです。
考えてみればあたりまえではありますが。

 

 

「色絵花鳥文皿」柿右衛門様式

 

 

 

椎の実を拾い、魚を捕る陸上少年

浩さんは、放課後は山で椎の実を拾ったり、
川で魚を捕ったりというように都会育ちのものから
みると理想的な子ども時代を過ごされたようです。

 

また中学、高校時代は陸上で国体に出場
するなど、恵まれた環境のなかで自由な
日々を謳歌していらしたことが伺えます。

 

そんな陸上少年だった浩さんに、将来のことを考える
時がやってきたのは高校2年生の進路相談でした、
父・14代が初めてこんなことを言ったのです。

 

 

15代・柿右衛門のぐい呑
椎の実ではありませんが、どんぐりの模様です

 

 

 

父との初めてのちゃんとした会話

「多摩美術大学で日本画を学んだことが
仕事に役立ったから、お前もどうだ?」と。

 

父・14代のすすめにしたがって
浩さんは多摩美術大学に入学し、初めて
日本画の勉強に取り組むことになります。

 

ちなみにこれが14代・柿右衛門である父との
初めてのちゃんとした会話」だったといいます。
スケールが違うといいますか……絶句。

 

 

 

「濁手 松文 水指」15代・柿右衛門
径25.4cm×高18.7cm(写真/「柿右衛門」)

 

 

 

有田での修行

大学で初めて日本画を学んだ浩さんは
絵を描く面白さにのめり込んでいきますが
画家になろうとは思わなかったといいます。

 

その後、大学を中退して25歳も過ぎた頃、
「そろそろ」という空気の中で、浩さんは東京を
から有田へ戻り職人の仕事の修行に入りました。

 

ろくろを4年間回して、絵付けを1年間しつつ
スケッチの練習、窯の仕事と覚えていきます。
そして、いよいよデザインの勉強を始める時がきました。

 

 

 

 

 

14代の名で世に出る作品

描いたデザインを見せると父・14代から出る言葉は
「絵が小さい」「情けない」という文句ばかり。
しかし浩さんは決して言い争うことはありませんでした。

 

なぜなら、これは14代の名前で世の中に
出ていくやきもののデザインだったからです。
それについて浩さんはこのようにおっしゃっています。

 

「自己表現を志して画家や陶芸家作家
になる人とは違うでしょう。
彼らは『つくるのが好き』『人に見せたい』
という気持ちから始まっていますが、
私は家の仕事を継ぐために始めたのですから」
 (「PREMIST SALON  ブレミストサロン」

 

 

 

 

 

大きな幹の一枝

初代の柿右衛門は天才的な陶工
だったと思うという14代と15代。
14代が柿右衛門を襲名した時に人から
「先代に負けないように」と言われてこう答えました。

 

「各代の当主は、柿右衛門という
大きな幹から伸びている枝です。
枝が伸び、葉が茂ることで、幹が太る。
幹が残れば無駄にはならない。
当主が頑張った結果として、
幹が大きくなればそれでいいんです」

 

15代は、この話を聞いて少し気が楽になったといいます。
大きな幹の一枝になることが「継ぐ人」であること。

 

 

「どんぐり(オーク)」と「ティーポット(ローゼンタール〈魔笛〉)

 

 

 

初めての個展は赤を使わない作品

2014年の襲名後に、15代は初めての個展を開きます。
個展で披露したのは、全て赤を使わない作品でした。

 

柿右衛門の「赤」をあえて使わなかったなどと
メディアに書かれたりもしたそうですが、実際の
ところは意図したものではなかったといいます。

 

御自身では、なるべく赤を使おうと思って
いらしたそうですが、結果的に今回の作品は
赤を使っていなかったということでした。

 

 

15代・柿右衛門(写真/「ななつ星」

 

 

 

団栗(どんぐり)文

実は私が今まで以上に柿右衛門に注目するようになった
のは、15代の襲名時に発表された「どんぐり文」から。
柿右衛門のどんぐり!

 

「団栗文は陶芸家として公募展に初めて出品した時の
モチーフで、自分の原点といえる文様なんです。
幼い頃から庭先で慣れ親しんだどんぐりを自分流に表現
したい、という思いがあり、柿右衛門の基調色である
赤の世界観は保ちつつ、デザイン化してみました」
                 (「ななつ星」)

 

と15代は語っています。
次の写真はJR九州を走る「ななつ星」という
クルーズトレインで使用されている、15代作の
「濁手団栗文   チョコレートカップ」(2015年)。

 

 

「団栗文  チョコレートカップ」15代・柿右衛門
(写真/「ななつ星」

 

 

 

このどんぐりの色は赤みを帯びた茶色で
今までの柿右衛門の赤にはなかった新しい赤。

 

1982年に襲名、2001年には「重要無形文化財
『色絵磁器』の保持者」(人間国宝)に認定された14代は
歴代の中で最も鮮やかな赤を生み出したといわれています。

 

「赤」にもそれぞれ個性があるようですが、どんぐり
フリークの私としては、やはり15代の「赤」に魅かれます。
というよりはその赤と組み合わされている色調でしょうか。

 

 

 

「錦梅鳥文香爐」13代・柿右衛門

 

 

 

「柿右衛門様式以上にやりたいものは
見つからないと思います」

御自分の性格を、歴代の中では13代に
近いものを感じるとおっしゃる15代。

 

13代は、おおらかな性格で新しいものを取り入れる気質
にあふれ、大胆な絵付けでも知られた方だそうです。

 

確かに今までの私の柿右衛門のイメージの中
には、どんぐりはありませんでした。

 

 


「杜鵑草文(ほととぎすもん)皿」15代・柿右衛
径40.6cm×高8.7cm(写真/「柿右衛門」
どんぐりの次に欲しいのがこのお皿!

 

 

「幅を広げるといっても、柿右衛門様式とは
全く違うことをやってみたいとは思いません。
私は柿右衛門様式が大好きなんです」 (「ななつ星」)

 

15代・柿右衛門は、試行錯誤を楽しんだ後に、自分の
作風として一つにまとめていきたいとおっしゃいます。

 

上の写真「杜鵑草文(ほととぎすもん)皿」に
描かれた「ホトトギス」の写真がこちら。

 

ホトトギス
(写真/「Maybe… someday somewhere」)

 

 

ホトトギスも何種類かあり花の色も様々なよう
ですので15代・柿右衛門さんが御覧になったのは
このホトトギスかはわかりませんが。

 

この一見、地味な小さな野草が繊細に上品に、そして
華麗に生まれ変わっていることに改めて驚かされます。

 

しかしそうでありながら、そこに描き出されて
いるのは、まごうことなきホトトギスそのもの。
色と形とバランスで奏でられる美しいハーモニィ。

 

素材としてどんぐりを取り上げる新しさに、色の美しさ
色合わせの巧みさは、まさに現代に生きる15代・柿右衛門。
これからの作品も本当に楽しみですね。

 




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