米州作「東風(菅原道真)」

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のっけからなんですが、私はお人形に限らず、
部屋に物を置くのが嫌いです。

 

必要なものさえ置きたくないくらいで、
何もない部屋が好きです。

 

(私の理想の部屋は、みぎぃさん曰く
「それじゃ、仙人だよ」です)

 

ですから普段は、部屋にお人形を飾ることはありません。
ただ、おひな様の時期に小さなものと、
それと重なる時期にこのお人形を出します。

 

このお人形は菅原道真で、手にしているのは梅の花。
そうです、これは道真が讒言で太宰府に左遷される時に
庭の梅に別れを告げたあの有名な歌のシーンです。

 

「こちふかば 匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ」

 

「こち」を東風と書くので、このお人形の名前は
「東風(とうふう)」といいます。
昔の米洲作です。

 

梅の花ですから、今の時期のものですね。
そして、このお人形が好きだった母は、
今日2月29日が命日ですので、一年のうち2月だけは
このお人形を出してあげるようにしています。

 

と書きますと、ちょっとは孝行娘のようにも
思われるかもしれません。

 

しかし実態は、このお人形さえ処分しようと
した(!)のですが、結局いまだにあるというだけに
すぎないのです……。

 

「梅見月 『うぐいす豆餅』」で始まった2月も、
今日で終わります。

 

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赤飯大福 赤坂「青野」

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2月は一度も赤坂「青野」に行っていなかったので、
今日行ってみました。

 

以前から気になっていた「赤飯大福」というものをゲット。
粒あんをお赤飯で包んであります。

 

お赤飯の厚みが、というか量が結構多めでした。
でも考えてみれば、そうですよね。

 

薄く伸ばしてしまったら、普通のお餅に近くなってしまうの
ですから、ここは「お赤飯!」という米粒感がなくては
いけません。

 

このブログを書くために名前が本当に「赤飯大福」だったかを
確かめようと、赤坂「青野」のHPを見てみました。

 

そうしたら、かわいいお菓子が出ていました!
上生菓子「春告鳥」と、みどりも鮮やかに……。

 

2月のHPの表紙ですから、すぐ変わってしまうのでしょう。
でも、これ好きです!
うぐいす色ののり方も、形も。

 

そういえば、お正月の「鶴」もそうでした。
ちょっと見ると、丸をちょっと楕円にしただけ、
というようにも見えてしまいかねないのですが、
本当に完成された美しいフォルムです。

 

このうぐいす、シッポが、ぴっ!と愛らしくて……。
金沢の石川美術館にある野々村仁清の「きじ香炉」も
シッポがぴっ!、ですが、鳥はしっぽが命です。
( ↑ ホントか?)

 

そんなことより、いつも少ししか買わなくて
「青野」さん、ごめんなさい。

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赤坂「高橋是清翁記念公園」

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以前は高橋是清邸

これは「高橋是清翁記念公園」にある高橋是清の像です。

 

現在、プルデンシャルタワーの建っている場所にあった
「幸楽」は「二・二六事件」の時に一躍注目を集めた建物だ
ということは、以前お話ししましたね。

 

その「二・二六事件」で暗殺された人
のうちの一人が高橋是清です。

 

この公園は当時、高橋是清の自宅でした。
76年前の今日、高橋是清は自宅の2階で暗殺されました。

 

 

blog_import_515360a235e8d        正面の白い建物がプルデンシャルタワー

 

 

 

想像のできないほどの貧困の中で

たとえ何があろうと暴力、暗殺などは
許されることではありません。

 

しかし、この事件の背景には、現在の私たちでは
とても想像できないようなことが起こっていたのも事実です。

 

大凶作や天候等の影響で、農村は
筆舌に尽くし難い貧困に喘いでいました。

 

稗(ひえ)や粟(あわ)さえもなく、鶏のエサである小麦の皮の
ふすまや稗のぬか食べるしかない状態で、子どもを売る人も数知れず。
田舎からの手紙を深夜に読み、泣いている多数の下士官……。

 

 

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年少の兵士によせる吉川英治の思い

高橋是清邸の近くに、当時の花形小説家である
吉川英治の家もあったそうです。

 

『赤坂物語』のなかで河端淑子はこんなことを書いています。

 

「吉川氏は暗殺された高橋氏に深く同情するとともに、
何もわからないまま決起部隊に動員されて、
叛乱軍の烙印を押されつつある年少の兵士を不憫に思われ、
首相官邸に閉じこもった決起部隊にキャラメルを慰問品
として幾箱も送り届けた」と。

 

 

 

現在は、江戸東京たてもの園に移築

この写真は、高橋是清翁公園の一部です。
高橋邸の敷地は、2千坪近くあったそうです。

 

 

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現在はその敷地の一部が、公園になっていて
「二・二六事件」後に、高橋家から東京市に寄贈されました。

 

建物の一部は現在、江戸東京たてもの園
(東京都小金井市)に移築されて公開されています。

 

 

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波瀾万丈の人生

私が高橋是清を意識するようになったのは、
2009年4月18日の朝日新聞に載った小さな記事がきっかけです。
磯田道史さんが書かれたものでした。

 

幕府の御用絵師、川村庄右衛門の家に行儀見習いの
奉公に行き、その主人に妊娠させられた15歳の少女。
彼女が高橋是清の実母でした。

 

彼は生まれてすぐ仙台藩の足軽・高橋家の養子になり
サンフランシスコに行くも、わからない英語でしてしまった
サインにより、高橋是清は奴隷に売られてしまいます。

 

その後いろいろなことを経て彼は、日銀総裁、
大蔵大臣、総理大臣に就任するまでになりました。
波瀾万丈を絵に描いたような一生だったようです。

 

 

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生涯実母に会うことのなかった高橋是清

高橋是清は恰幅が良い人でした。
毎朝体重計に乗り、体重が少しでも増えていると
御機嫌だったといいます。

 

生後3、4日で実母と別れた高橋是清は
2歳の時に一度、母に会ったきりだそうです。

 

彼が9歳で母親を探し当てた時には、
既に母親は24歳で他界したあとでした。

 

 

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この写真の旧高橋邸のお庭の木々を通して
向こうの敷地にある、白い建物が御覧になれるでしょうか?

 

カナダ大使館です。
そのうちにそちらも紹介しましょうね。

 

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