死後にお別れを言いにきた犬「ペリ」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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私の最初の犬「ペリ」

言葉を介して話すことができない
生き物たちは言葉以外の、他のかたちで
私達に様々なことを伝えようとします。

 

その必死な思いが、強く迫ってくることも
ありますが、残念ながら理解出来ないこと
の方が多いのかもしれません。
少なくとも私はそうでした。

 

うちには、私がまだ本当に小さい頃に犬が
いましたが、私の記憶には残っていません。

 

 

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私が幼稚園の時に、母と一諸にデパート
のペット売り場で出会った犬が
私の記憶に残っている最初の犬です。

 

一諸に生まれたきょうだいたちの中で
一匹だけ片すみにいた犬でした。

 

私が「この子がいい!」というと、
母は「元気に遊んでいる子にしたら?」と
一応は言ったものの、私が選んだ子に
決めてくれました。

 

 

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名前の「ペリ」はディスニー映画から

うちに一諸に帰ると、その犬は
さっきまで片すみにしょぼんとして
いたとは思えないほどの元気さです。

 

名前は「ペリ」に決定。
「小リスのペリ」というディズニーの映画を
見たことがあるという母の言葉で決まりました。

 

ディズニーの「小リスのペリ」なんて
アニメーションは見たことも聞いたこと
もありません。

 

 

 

 

本当にそんな映画があったの?、
他のものと勘違いをしていたりして……、
と私は当時から現在に至るまで半信半疑。

 

ですが、今、ググってみましたらありました!
ごめん、おかあさん。

 

そのペリと名づけられた犬の散歩を
幼稚園に行く前と、帰ってきてから
連れて行くのが私の役目となりました。

 

 

 

 

朝、私がなかなか起きないとペリは、私の
髪の毛を引っ張って、といっても全く痛く
ないようにですが「一諸に散歩に行こうよ!」
と私を起こすのです。

 

小学校の3年か4年生の夏休みのことでした。
私は電車で一時間ほどの場所に
ある親類の家に行きました。

 

普通はそんなに長くいることは
ないのですがその夏は、何故か
かなり長い間、滞在してしまいました。

 

そして8月も半ばに近い頃、その家族
と一諸に、私は家に帰って来たのです。

 

 

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帰ってこない「ペリ」 

そこに、ペリはいませんでした。
私がうちにいる間は、元気に見えたのですが
急に肝臓が悪くなったということです。

 

白い毛の色も、目の白い部分も黄色くなって
しまうほど、容態が急変したそうでした。

 

獣医さんに診察をしてもらった後
そんな心配な状態の時に、母が急に
出かけなければならないことに……。

 

 

 

 

そこで留守のものに「ペリを外に出さないように」
と強く頼んで出かけたのだそうですが、母が
帰って来た時には、ペリの姿はありませんでした。

 

その後、私も家に帰りましたが
ペリが帰ってくる気配は一向にありません。

 

ネコが死ぬときは姿を隠す、とよくいわれます。
野生では、死が近づいたゾウなどが
決まった場所に行くとも聞きます。

 

母と私は、ペリがそれを選んだのでは
ないか、と気が気ではありません。

 

 

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探しに行っても見つからない……

その当時の私の家は、小学校と中学校の間に
位置する、ちょっと変わった場所にありました。

 

二つの学校の玄関は、数百メートルも離れている
のですが校庭がつながっていて、真中のプールは
二つの学校で共用するというかたちでした。

 

私の家は二つの学校に挟まれた丁度、中間。
家の数は全部で二、三十軒はあったでしょうか。
うちから真っすぐ行った先
にはプールがありました。

 

 

 

 

私のうちは少し高くなっている場所に建って
いて、うちの両隣は同じ高さの敷地ですが
道路を挟んで前に建っている家々は、うちの
1階が、その家の2階の高さという具合です。

 

ちょっと高い場所ということもあり、双方の
校庭で鳴いている犬の声がよく聞こえます。

 

鳴き声がペリに少しでも似ているように
思えると母と私は、夜でも懐中電灯を
持ってペリを探しに行きました。
しかし、ペリは見つかりませんでした。

 

 

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姿をあらわした「ペリ」!

そんなことを続けていた夏休みも終わりに
近づいた夜のこと、ペリの声かな?、と
思われる犬の小さな鳴き声が聞こえました。

 

母と私は探しに行く前に
庭から外を見てみました。
うちの庭から二人並んで
校庭のプールの方向を見下ろしますと、

 

……そこに、ペリの姿が現われました!

 

 

 

 

母と私は興奮し、母は
「ペリ! いたんじゃない!」
とか何とか言ったと思います。

 

私はといえば、「あぁ」とか「ペリ」とか
わけがわからないことを口走っていたので
しょうがその時、私達の左手の方から
ご近所の方が坂を下ってきました。

 

その方が、
「まあ、こんな夜にどうしたんですか?」
と、これはまあ、当然の質問をなさいました。

 

 

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母は、微笑みながら
「実は、いなくなった犬が……」
と言いかけて、また正面のペリの方を見ました。

 

その間、私は母と同じ方向に
視線を動かしています。
「いなくなった犬が帰ってきたんですよ」
という言葉の「帰ってきたんですよ」の
直前に正面のペリに目をやると、その時
すでにペリの姿は消えていたのです。

 

長々と書きましたが、ペリを見たその瞬間
から、歩いていらしたご近所の方に、母が
返事をしながら再びベリの方を見るまで
わずか数秒のことに過ぎません。

 

 

 

 

 

そうだったんだね……

その時、私は10歳位でしたが
ペリの姿が消えていたのを見た瞬間に……。

 

母と私は息を飲むようにして顔を見合わせ
一言も話さずに頷きあいました。

 

母と私は瞬時に悟ったのです。
ペリはもうこの世にはいないのだということを。

 

 

 

 

あきらめずに何度も探しに行っている
母と私にそのことを知らせるために
ペリは姿を現したのだということを。

 

そして、これがペリとの
お別れなのだということも……。

 

 

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昨年のお彼岸に書いた「誘惑」
「人は人らしく、この目で見えない
ものは見えない方が幸せなのだ」
という、三田富子さんの言葉を紹介しました。

 

私が、すでにこの世に生きてはいないものの
姿を見たのは、これが最初で最後でした。

 

庭のソメイヨシノの黄緑色に生い茂った
葉が、夜の灯りに浮かんでいたのを
今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

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