「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
紫いものおまんじゅう
昨日、御紹介した「紫いも」の
お仲間(?)で作ったお菓子ですね。
「紫いも」のあの鮮やかな色が、おまんじゅう
にうつって、といいますか蘇っていますね。
種子島で栽培されている「紫いも」や「安納芋」
は、甘くておいしいことから、ここ数年の間に
栽培量が飛躍的に多くなったそうです。
今では、種子島を代表するような作物だとか。
そういえば、私が子どもの頃は「紫いも」も
「安納芋」も聞いたことがなかったように記憶
していますがこの頃は、よく聞きますね。
「安納紅」と「安納こがね」
ここのところ大人気の「安納芋」ですが
「安納芋」には二種類のものがあるそう。
一つは表皮の色が薄紫糸の「安納紅」で
下の写真でいいますと右側にある「安寧芋」。
「安納こがね」 「安納紅」
(写真/「鹿児島県」)
そしてもう一つは、表皮が白っぽい
「安納こがね」と呼ばれるもので
写真の左の「安寧芋」になります。
どちらも鹿児島県の農業試験場が
開発、育種登録したサツマイモで
種子島地区に限定許諾された品種です。
戦後、品種改良が行われて、よりアントシア
ニンの多い品種もできてきたということです。
「紫いものチーズ仕立てケーキ」
草月会館のレストラン『薔薇』
メキシコでは紀元前3000年以上前から栽培
サツマイモの原産地は、はっきりとはわかって
いないようですが、メキシコの中央部から
グアテマラにかけてという説が有力なようです。
メキシコでは、すでに紀元前3000年以上
前から栽培されていたといいます。
それが紀元前2000年頃に南アメリカに
伝わって、コロンブスによりヨーロッパ
にまで広まりました。(「わかさの秘密」)
日本へは17世紀初頭に
サツマイモが日本へ伝わったのは17世紀
の始めで、中国から沖縄に伝わっていた
サツマイが薩摩に伝わりました。
そもそも「サツマイモ」という名前は
「薩摩」からきているのですよね。
サツマイモは琉球から種子島へ
時は元禄、今から300年と少し前のこと。
当時、沖縄は琉球王国と呼ばれていました。
かの地には、夢のような作物があるという
噂が種子島でささやかれていました。
日照りに強く、収穫量も期待出来る上
に味がいいという作物です。
その当時の種子島は、台風や日照りによる
農地の荒廃により作物がとれなかったといいます。
種子島の島主であった種子島久基が、琉球の
王様にその植物の苗をわけてほしいとの手紙を
送った一年後、琉球から一かごの苗が届きました。
その苗の栽培を任された大瀬休左衛門の苦労により
種子島でもサツマイモが出来るようになりました。
江戸幕府もサツマイモの栽培に取り組む
1732年、西国で起こった大飢饉により
十万人以上の人が餓死しました。
こちらは「紫いも」の花。上の「安納芋」と似ていますね。
葉っぱは「紫いも」と「安納芋」は形が違っていましたが
お花は何となく似ていますね。
(写真/「左衛門ファーム」)
しかし、鹿児島の島津藩ではサツマイモの
おかげで飢えをしのぐことができたのです。
その事実を知った江戸幕府は
サツマイモを全国に広めようと考えます。
大岡越前の部下であった青木昆陽
にその任を命じます。
青木昆陽は1735年、小石川薬園で試作栽培
をし、江戸でのサツマイモ栽培に成功。
東日本方面でもサツマイモの栽培が
始まるようになりました。
種子島で大瀬休左衛門が成功した37年後
のことといいますから、サツマイモは
あっというまに日本に広まったのですね。
こちらはサツマイモのお花。
紫いもと似ていますが、葉の形は違うよう
葉の形はむしろ安納芋に似ている?
安納芋、紫いも、サツマイモの花と葉の
関係を表にしてみたらおもしろそうですね。
(写真/「話のコレクション」)
種子島といえば,鉄砲伝来ですが……
種子島でのサツマイモ栽培に成功したこと
については「カライモ(サツマイモ)伝説」
に詳しいのですがその中で、これだけは御紹介
したい、という文章がありました。
「サツマイモの苗を輸入した種子島久基と、
切腹を覚悟した休左衛門の功績は、島民は
もちろんのこと、後に全国の食糧難を救う
ことになるわけで、鉄砲伝来よりも、後に
語り継がれるべき歴史上の出来事といえる
のではないだろうか」
(「カライモ(サツマイモ)伝説」)
というものです。
私は激しく同感です。