「妙夢」安田侃 東京ミッドタウン

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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「意心帰」の上にある「妙夢」

東京ミッドタウンにある安田侃作「妙夢」。
昨日(昨年!)、御紹介した同じ
安田侃作の「意心帰」の上にあたる
場所に設置されています。

 

「妙夢」の左の奥に、柵のようなものが
御覧になれるでしょうか?
これが、昨日の「意心帰」の上に
開いていた開口部です。

 

「妙夢」の下にある「意心帰」↓

 

 

「意心帰」安田侃 東京ミッドタウン

 

 

「妙夢」はブロンズで出来ている大きな作品です。
大きさは幅4m34㎝、奥行きが1m19㎝、
高さは2m93㎝。

 

作られたのは、昨日の「意心帰」と同じ2006年。
東京ミッドタウンは外苑東通りに面して立って
いますが、その中間あたりにこの彫刻があります。

 

「真中に開いた何もない円環に一人一人の
夢を描き、
刻々と移りゆく太陽の光と影を映し、
人々の一日一日の思いを包みます。
『妙夢』と、地下の『意心帰』が共鳴し、
空間全体が優しいヒューマンな場に
なることを願っています」
(「東京ミッドタウン  デザイン&アート」)

 

 

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「意心帰」安田侃 北海道立近代美術館
2003.6〜7  『天むすび、地をつなぐ』展
(写真/「KAN YASUDA」)

 

 

 

 安田侃

作者の安田侃は、1945年北海道美唄生まれ。
東京芸術大学大学院彫刻家を終了後、イタリア
政府招聘留学生として渡伊したのが1970年。

 

ローマ・アカデミア美術学校でベリクレ・
ファッツィーニ氏に師事の後、イタリアの
ピエトラサンタのアトリエで制作を続けています。

 

ピエトラサンタとは、大理石の産地
として有名な北イタリアの都市です。

 

 

 

旭川駅の「天秘(てんぴ)」

こちらはJR旭川駅にある安田侃の
彫刻「天秘(てんぴ)」。

 

 

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「天秘」安田侃 旭川駅
(写真/「KAN YASUDA」

 

 

 

ローマの「天秘」

次の写真は同じ「天秘」ですが
大理石で作られているものです。

 

2007年の9月から翌年の3月まで
ローマで開催された展覧会「
時に触れる」展での展示から。

 

 

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「天秘」安田侃 ローマ
2007.9〜2008.3 『時に触れる』展
(写真/「KAN  YASUDA」)

 

 

 

札幌の「妙夢」

2011年9月から11月にかけて
札幌の街中を舞台に繰り広げられた
展覧会、Sapporo「街に触れる」展。

 

 

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「妙夢」安田侃
札幌 2011.9〜11『街に触れる』展
(写真/「KAN  YASUDA」)

 

 

そしてこちらは、安田侃の彫刻に
雪が美のヴェールをかけているかのような……。

 

 

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「天聖」安田侃
札幌 2011.9〜11「街に触れる」展
(写真/「KAN  YASUDA」)

 

 

 

トリノでの「妙夢」 

2011年5月から9月までトリノで開催
された「時に触れる」展の「妙夢」。

 

 

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「妙夢」安田侃
トリノ 2011.5〜11 「時に触れる」展
(写真/「KAN  YASUDA」)

 

 

 

ローマの「妙夢」

2007年9月から、翌2008年3月にわたった
ローマでの「時に触れる」展での「妙夢」。
「妙夢」の向うに見える建物は
バチカン大聖堂でしょうか?

 

 

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「妙夢」安田侃
ローマ 2007.9〜2008.3 『時に触れる』展
(写真/「KAN  YASUDA」)

 

 

 

赤坂の…私の「妙夢」

北海道での安田侃の彫刻の数々、
そしてローマやトリノの「妙夢」たち……。

 

背景が異なると、東京ミッドタウンの
「妙夢」とは、別物のようにおしゃれで
美しく見えてしまいますね。

 

そして今、改めて東京ミッドタウンの
「妙夢」を見てみますと……、

 

 

「妙夢」東京ミッドタウン
同じ方向から撮ったもの昼(上)、夜(下)

 

 

確かに、北海道やヨーロッパの街の
持っている雰囲気には、少々及ばない
ところがあるのは否めません。

 

ですがやはり東京ミッドタウンの「妙夢」
こそ、今という時に、共にこの地で息づい
ている、まぎれもない私の「妙夢」。

 

 

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「檜町公園」東京ミッドタウン

 

 

 

 「妙夢」の向こうに見えるもの

一つ前の写真のローマの「妙夢」を通して
バチカン大聖堂が見えていたように、「妙夢」は
見る場所によってその景色が異なります。

 

様々な場所でそれぞれの夢を垣間見させてくれる
「妙夢」ですが、東京ミッドタウンの「妙夢」を
透して私が見る「夢」は……。

 

最寄り駅としては六本木、住所としては赤坂、
リッツカールトンホテルを21世紀の近代的な
東京の風景でしょうか。

 

 

妙夢のある入り口とは反対側、檜町公園の石垣
この石垣の手前は、外苑東通りとは対照的な細い道の「檜坂」

 

 

 

300年前のこの地で

実は私にとって、この場所
は江戸への入口なのです。
「妙夢」を透して私が見る夢
は、300年と少し前の江戸。

 

東京ミッドタウンの地は、今をさかのぼること
300年、江戸時代は毛利家の下屋敷でした。

 

わが家にはTVがないので、最近は見ていま
せんが、報道ステーションの天気予報はいつも
六本木ヒルズの毛利庭園で撮っていますね。

 

 

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「毛利庭園」六本木ヒルズ
同じ場所から撮ったもの昼(上)、夜(下)
夜は2012年のイルミネーション

 

 

テレビ朝日のある六本木ヒルズの毛利庭園は
東京ミッドタウンの毛利家の分家にあたる毛利家、
「長府藩」毛利邸上屋敷の庭園を作りかえたお庭。

 

1849(嘉永12)年には、この長府藩毛利家
上屋敷では、明治時代の陸軍大将となった
乃木希典が出生しています。

 

乃木稀次の三男として生まれた希典は
「日ケ窪屋敷」と呼ばれたこの場所で
九歳になるまで過ごしました。

 

 

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江戸麻布邸望遠図 谷文二筆 毛利博物館蔵
(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

現在は「檜町公園」

一方、東京ミッドタウンの地にあった
毛利家は、「長州藩」の毛利家。

 

現在、東京ミッドタウンになっている
長州藩毛利家のお屋敷は、江戸中が
見晴らせる高い場所にありました。
優雅なお月見の宴も催されていたことでしょう。

 

六本木ヒルズは今でも「毛利庭園」と呼んで
いますが、東京ミッドタウンの毛利家の庭園
だったお庭は、現在は「檜町公園」という
名前で親しまれています。

 

 

140416hinokityoukouen「檜町公園」東京ミッドタウン

 

 

昨年、満月と重なった2013年の中秋の名月には
ここからのお月様を見ることも出来ました。

 

そして2014年の今年は……、
「妙夢」を透して垣間見えた妙なる夢の中に
あなたを探しに行きたいと思っています。

 

 

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