「噛む犬、噛む馬」 保健所に行く直前で、救われた犬「チロ」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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頭を撫でちゃダメ!

昨日は、残念ながら保健所に連れて行かれて
しまった犬
のお話でしたが、今日は反対に
保健所に連れて行かれる直前に助けられて
幸せな生を全うした犬のお話です。

 

これは私の知り合い(T林さん、仮名)が
高校生の時のお話。
ある日、彼が学校から家に帰ると見知らぬ犬がいました。
茶系というよりは少し淡い色のコッカスパニエル。

 

彼は幼い頃からさまざまな動物を飼ってて
生来、動物好きの彼は、すぐにその犬の頭を
撫でようとすると……、

 

母親があわてて言ったのです。
「だめよ、頭を撫でちゃっ!
その犬、噛む犬なのよ」と。

 

 

wanwanmonogatariディズニーの「わんわん物語」右がコッカスパニエル

 

 

 

大親友になったチロ

彼の話によりますと、人を噛むので犬を保健所に
連れて行くと聞いた彼の母親が、後先かまわず
連れて帰ってきたとのことでした。

 

チロ(実名)と名づけられたその犬は
それから、彼の大親友となったそうです。

 

もちろん、誰かを噛むことは一度もありませんでした。
それどころか、性格も頭もとても良い犬だったのです。

 

 

 

 

 

賢いイヌ

玄関で人の気配がする時に、「チロ、吠えてこい」
と言われるとチロは、玄関に行ってワンワンと
吠え、正しい(?)犬の役割を果たしたり、

 

「テーブルの上の本を持って来て」
と頼むと本をくわえて持って来て
くれたりするほどの賢さ。

 

「でも『週刊朝日』か『週刊新潮』かの
区別はつかないんだけどね」
とは彼の言葉。

 

 

 

 

また、彼が学校から帰ってくると
「母親とチロが、部屋に並んで
一緒に昼寝をしているんだよ」

 

ということもあるほど、チロは
家族中から愛されていました。

 

その後、彼は東京の大学に行くために
家を離れましたが、彼の中では今でも
チロは特別の位置を占めているようです。

 

 

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一度も人を噛むことはありませんでした

彼の実家は九州なのですが、その地方では
「尾の身」と呼ばれる、クジラのしっぽに
近い部分を食べる習慣があるといいます。

 

チロは高価な「尾の身」が大好物でした。
具合の悪い時など、彼の母親がチロに
一生懸命「尾の身」を与えていたのだそう。

 

色々な動物と暮らした経験のある彼の中で
今でも、一番というほどの存在になっているチロ。
そのチロが人を噛む犬だったなどとは
信じられない思いです。

 

本当はどの犬も、何かの原因がなければ
噛む犬にはならないのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

動物が人を噛む理由

まさに昨夜、こんなツイッターがありました。
つぶやいていたのは鈴木博喜さんという方です。

 

「かつて日大馬術部を訪れた時、馬房で不用意に
手を出した私に激しく噛み付いた馬がいた。

 

前に所属していた乗馬クラブで、何度も叩かれ
ていたらしいと部員が後で教えてくれた。

 

人間に対する不信感や恐怖心は
相当なものだったのだろう。

噛まれた歯の跡は何カ月も消えなかった」
            (鈴木博喜)

 

 

 

 

「この国のネコは俺たちのネコさ」

こちらは少し前のツイッターからの御紹介。
「中川こうじ」さんという方のつぶやきです。

 

 

nekodansei(写真/「中川こうじ」さん)

 

 

「男性に『あなたの猫ですか?』
男性『この国の猫は俺たちの猫さ』

 

 

 

noranekoniesawoagerujosei同上

 

 

女性に『御飯をあげたら怒られないのですか?』
女性『食べないとおなかがへるでしょ。
*  あなたの国は怒られるの?

*  変な国ねぇ……』

 

って、情けなかった」(中川こうじ)

 

 

 

 

人に甘える犬

やはり少し前にツイッターに出ていた
「弱虫」さんの写真の御紹介をして
終わることにしましょう。

 

保健所で職員の人に甘えている、殺処分前の犬です。

 

 

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「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」 保健所に連れて行かれた犬

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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「殺処分ゼロ」をめざして!

2月12日、「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員
連盟」の設立総会が衆議院会館で開催されました。

 

この連盟が立ち上がるまでの勉強会の
模様や、設立準備会については、昨年
「あぷりのお茶会」でお知らせしましたね。

 

「イギリスの動物保護の取り組み
(We Never destroy a healthy dog)」

「ドイツ・アメリカの動物保護の取り組み
『No Kill(殺さない)』」

「日本も犬猫殺処分ゼロを!」

 

本来は、昨年の11月20日に設立の予定
だったそうですが、突然の解散、選挙で
今年の2月12日になったようです。

 

 

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 イヌのお散歩係

去年の「犬猫殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」
設立準備会の御報告では、参加者のお話を少し紹介し
ましたが、今日は私のお話をちょっと聞いて下さいね。

 

それは、私が幼稚園に通っていた時のことでした。

 

わが家にはペリという犬がいました。
一昨年のお盆に書きました(「死後にお別れを
いいに来た犬 ペリ」
)犬のことです。

 

私がペリのお散歩係でしたので、幼稚園に
行く前と帰ってきてからは、ペリを連れて
近所をお散歩するのが私の毎日の日課でした。

 

 

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人を噛む犬

そんなお散歩コースの近くに、同じ幼稚園に
通っている女の子の家がありました。

 

互いの家を行き来して遊ぶ、というほどでは
なかったものの顔は知っているという間柄。

 

ある時、その女の子の家で飼っている犬が
保健所に連れて行かれる、と聞きました。
人をかむ狂犬病の犬だから、という理由です。

 

私はその女の子とも、保健所に連れて行かれる犬
とも親しくはなかったのですが、その話を
聞いてすぐその女の子の家に行きました。

 

 

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 穏やかな優しい目

色は忘れてしまったのですが、私の
イメージの中では、茶色っぽい中型犬の犬が
おすわりをしていたような記憶があります。

 

私はその犬の前に座り込み、向かい合って目を見ました
が凶暴で、人にすぐ噛みつく犬にはとても見えません。
私はしばらくの間、そのまま犬と見つめ合っていました。

 

幼稚園児だった私は、この犬を保健所に
連れて行かせない方法はないかと考えていたのです。

 

私は、その犬の頭に手を乗せて撫で始めました。
もしこの犬が私の手を噛まなければ、保健所に連れて
行かれずにすむ、と浅はかな私は思ったのです。

 

 

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静かにおもむろに

犬は、穏やかな目をしていましたが
パクッ、と私の手を噛みました。

 

私は狂犬病云々などということには頭がまわらない
子でしたので、恐怖も痛みも全く感じませんでした。

 

やっぱり保健所に連れて行かれてしまう……、
とただただ、悲しかったのを覚えています。

 

スピート間のある(?)衝撃的な噛み方では
なく静かに、パクッという感じでしたので
血がたくさん出たわけではありません。

 

手の甲に、犬の歯形がくっきりと
赤くくぼんでつきました。

 

 

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足どり重く

私は痛みは全くどうでも良かったのですが、
家に帰ったら、母に叱られるのではないかと思い
ぐだぐだとゆっくり歩いて家に向かいました。

 

ですがどんなにゆっくり歩いても、犬のいた家と
うちとは、3分くらいしか離れていないので
すぐについてしまいます。

 

すると、噛んだ犬のうちのお母さんが、すでに
私の家にきて母にお詫びを言っているようでした。

 

仕方なく、足取りも重くそちらに向かって
歩いていると、噛んだ犬のお母さんの話を
聞いている母が、一瞬だけ私を見ました。
私のしそうなことだと思ったのでしょう。

 

 

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 何故、噛むようになったのか?

子どもの時は噛まなかった犬が、大人に
なって何年も経った頃に人を噛むように
なった理由は、何なのでしょう?

 

その犬自体に何らかの問題があったのか
あるいは、その犬を取り巻く環境によって
そのような犬になってしまったのか……。

 

後日、残念ながらその犬は
保健所に連れて行かれてしまったそうです。

 

これで終わってしまうと悲しいので
明日は保健所に連れていかれずに
すんだ犬のお話をしましょうね。

 

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「ノー」が伝わらない(?)日本人

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

「No!」

「日本人はNoが言えない」とはよくいわれる
言葉ですね。
ある意味ではそうなのかもしれません。

 

ですが私自身は、「Noが言えない」というよりは
「No」が伝わらずに困ることが多いような気もします。
外国の人とのコミュニケーション
ではなく、日本人同士のことです。

 

日本人が「No」を言えない理由としては
柔らかい表現を好む日本人には
「No」は強すぎるからとか、

 

「考えておきます」という、一見前向きにとらえ
かねない返事であっても、表情や口調から「No」
だと察することができるので、あえて「No」を言う
必要がない等々、色々な説明がされているようです。

 

 

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特別な意味のない贈物のやりとり

また他の国と比べて多くの贈物のやりとりがあり
日本に来た外国の人は驚くともいわれますが、
私が「No」が伝わらないと困惑しているのは
まさにこれに関すること。

 

私はモノを頂くのがとても苦手です。
自分が頂いて困ることが多いので、当然
人に差し上げることも躊躇してしまいます。

 

苦手な理由は、まず基本的に
モノを持つのが好きではないこと。
シンプルに暮らしたいので
モノが増えることは苦痛です。

 

 

141026nuigurumipianoこれは処分したぬいぐるみの最後の記念撮影

 

 

以前「映画『365日シンプルライフ』」でも
書きましたが小物、アクセサリー、
ぬいぐるみ等を処分しました。

 

また「忘れられないお茶碗」に書きましたように
引っ越し後は2つあった食器棚が0になった為、
好きで集めた漆器、古伊万里の食器、
ウェッジウッドのセット等も処分。

 

wedgwood1引っ越時に処分したウェッジウッド
「フロレンティーンターコズ」

 

 

 

消えモノも難しい

それではなくなってしまう食品はどうか、
といえばこれも本当のことを言えば
頂きたくないというのが正直なところです。

 

相手の好みを充分知り尽くしているのならば
別ですが、本当に喜ばれるものを差し上げる
ことは至難の業という気もします。

 

以前、◯◯が好きな方だからと思って
お届けしたら、その時はもう飽きていたと知り
難しいものだと思ったこともありました。

 

 

 

 

 

手作りクッキー

またもう1つの失敗は、当時私がハマっていた
お菓子を作って差し上げた時のことです。

 

上にアーモンドスライスを散らした
ラングドシャを焼いて、ちょうどそれが入る
缶に、20枚程を入れて差し上げました。

 

しばらく経った後、その方が
言いにくそうに言いました。
「悪いんだけど、あれ返してもいいかしら?」と。

 

 

 

 

その方が、ラングドシャが好きで欲しい
と仰ったわけでもなく、私が勝手に
押し売りをしたに過ぎないのです。

 

ましてや「手作り」という言葉には、せっかく心を
込めて作ってくれたのにと、相手の方にある種の
プレッシャーを与える作用もあるわけで、その方は
持て余していたのを、言い出せずにいたのでしょう。

 

私もその方の好きなステーキは苦手ですし
それどころか現在では私自身、ラングドシャは
あまり食べたいとは思っていませんし。

 

喜ばれるものを差し上げることは
難しいと教えて頂いた良い経験でした。

 

 

 

 

 

夫と妻のささいな食い違い

以前、離婚をした女性に
こんな話を聞いたことがありました。
夫が仕事で地方に行った後に、その地から名産品が
送られてきたので、妻はお礼状を出しました。

 

するとそれは、毎年送られてくるようになったのです。
実はその食品は家族中が好きではなかったので
何年か経った時に妻は夫に「もうお断りをしたい」
と言いましたが夫は許しませんでした。

 

仕方なく彼女は、毎年決まった時期に送られて
くるその食品を、外に持っていきホームレスの
人に貰ってもらったということです。

 

 

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些細なこと?

もちろん、それだけが理由で離婚をしたのでは
ないのでしょうが、ことは年に一度送られてくる
食品の問題にとどまらず、これはかなり大きな
考え方の違いではないかと私は思いました。

 

楽しみに待っていてくれると思い、毎年気遣って
贈って下さるものを断る、などという失礼な
ことは出来ない、と夫は思ったのでしょう。

 

妻は、家族が誰も手をつけないものを「みんな大喜び
で楽しみにしている」と偽りを書き続けて、毎年
贈ってもらうのは心が痛む、今までのお礼を申し上げ、
柔らかくお断りをする方が誠実だと思っています。

 

 

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どちらが本当に誠実なのか?

夫も妻も、共に送って下さる方を
思い遣っているのです。
関係があるの否かはわかりませんが
妻の父親は外国の人でした。

 

夫と妻、どちらが正しいというものでは
ありませんが、このような考え方の違いという
のは案外、重要なことなのかもしれません。

 

私はこの妻と同じ考え方をするタイプです。

 

 

 

 

 

異邦人になったような気が

私自身は友人と、旅行のお土産の授受もしません
ので、特別な意味もなく贈物をやりとりしている
日本人を見ると不思議な気がします。

 

お祝い、お見舞い等でしたらともかく、そうでは
ない贈物が何度も続き、これからも続くであろう
と思われる方には、モノを頂くのが苦手という
ことを伝えるようにしています。

 

私よりお年上の方に、それを何度か
お伝えしたことがありました。

 

 

 

 

しかし、一向に私の願いは伝わらなかったため
次の贈物の時に、私は受け取らないという方法
をとらざるを得ませんでした。

 

ここまでしないと、私の意思が伝わらない
のは本当に残念ではありましたが、もう
これしか方法はないように思えたからです。

 

 

 

激怒や縁切り

一人の方は男性でしたが、かなり立腹されました。
「嫌だったら、捨てるなり、人にあげるなり
すればいいんだよ」と。

 

 

 

 

もう一人は女性だったのですが、何度お伝え
してもプレゼントを下さるので、それを
受け取る時に、私は彼女にこうお願いしました。

 

「プレゼントを頂くのが苦手と何度も
申し上げましたがどうか、これを最後の
プレゼントにして頂けませんか?」と。

 

彼女は、私の言葉を縁切りの意味と勘違いされた
ようで、少々顔色が変わったのがわかりました。
そしてそれ以降、仕事の話はなくなりました。

 

 

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物をあげる=喜ぶ?

一般的には、人にモノをあげるのは好意の
現れであり、頂いた方は喜ぶに違いない、
と思われているのでしょう。

 

吉田兼好の『徒然草』にも、よいお友達として
「知恵のある人」、「お医者さん」と
「物をくれる人」をあげているますからね。

 

(ちなみに、この部分を高校の授業で習った
時に、私は違うな〜、と思ったものでしたが)

 

 

 

私の数少ない経験に過ぎないのですが
外国の人の方が、イエス、ノーを真剣に(?)
聞いてくれるような気もします。

 

細やかな気遣いをするといわれつつも「No」が
伝わらないのは、日本人は案外、相手の言うこと
より、自分の意思を優先しているのでは?、とも。

 

それ故、「Yes」「No」を言ってもあまり
意味がないので言わなくなったのかもしれない、
などと思ってしまうほどです。

 

何故、「No」が伝わらないのかなぁ……!

 

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