「目の見えない友だちを助ける犬」「子猫を育む犬」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

inu(写真/「THE HUFFINGTON POST」)

 

 

今回は「他者を守るイヌ」

前回は「戦争中に供出させられたネコの話」
「そんなことになるのは絶対にいやだ
とおっしゃるタマの飼い主さん」、
そして、「室生犀星と一緒に火鉢の
火にあたるネコ」のお話でした。

 

今日は、自分より弱いものを
全力で守るイヌたちのお話です。
まず最初はこの2匹の犬たちですが、これは
6月17日に、BBCなどで報じられました。

 

 

inu

 

 

左の白い色の犬は、グレンという名前の
ジャック・ラッセル・テリア。
何事もないように元気に歩いて
いますが、グレンは盲目です。

 

お隣の茶色の犬はタッフォードシャー
・ブル・テリアのバス。
バズが目の見えないグレンを
サポートして歩いているのです。

 

 

 

2匹とも捨て犬……(涙)+(怒!)

2匹はイギリスのハートプールで捨てられていた犬でした。
彼らを救助した動物愛護センター
「ストレイ・エイド」によりますとグレンは10歳、
バズは9歳位だろうということです。

 

グレンが歩く時には、いつもバズが先導します。
グレンとバスは2匹ともオスですが、バズは
いつもグレンの世話を焼き、グレンがそばに
いるかをしょっちゅう確認しているそう。

 

2匹が離されると、「すぐに鳴き始めます」とのこと。
「ストレイ・エイド」センターのスタッフ、
ダイアン・ハンフリーさんは、
「2匹は長い間一緒にいたようだ」と言っています。

 

ですが、なぜこんなに仲が良いのかについては
「確かなことはわからない」。

 

 

gurentobazu寝るときも一緒(写真/同上)

 

 

よくじゃれ合って遊んでいるという2匹を、一緒に
引き取ってくれる飼い主を「ストレイ・エイド」
では探しているということでしたが、
もう2匹の飼い主さんは見つかったのでしょうか?

 

「ストレイ・エイド」のグレンと
バスのページはこちらです。

 

 

 

こちらはアメリカ

さて次に、御紹介するのはアメリカは
サウスカロライナ州での出来事。
土手の茂みでイヌの叫び声が聞こえる
との通報電話が、保護施設にきました。

 

保護施設の職員が様子を見に行きますと
そこにいたのは、傷ついた小さなシーズー犬の雑種。

 

ですが、どうも様子がおかしかったので
よく見てみますと……、そのシーズー犬は
生後5週間の子ネコを守っていたのです。

 

 

inutokoneko  (写真/「らばQ」)

 

 

 

「大変なショックを受けた」

「2匹を見つけたときは大変なショックを受けた」
と語るのは保護施設の職員であるスミスさん。

 

どのようないきさつでシーズー犬が子ネコを
保護するようになったのかはわかりません。

 

ですが、自力では生きていけない小さな子ネコを
シーズー犬が助け、育てようとしていたことは確かです。

 

 

inutokoneko(写真/同上)

 

 

この2匹も、最初のイギリスのイヌ達と同じ
ように、片時も離れることはないのだそう。

 

そしてこちらもイギリスの2匹同様、一緒に飼って
くれる里親を探し始めますと、幸いなことに
2匹の存在を知った人々が殺到し、既に2匹は
一緒に引き取られたということです。
本当によかったですね。

 

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ネコやイヌまでをも供出させる戦争「おれは絶対いややで」

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nekotama

 

 

 

「氏家法雄 ‏@ujikenorio」6月7日のツイートから

「昭和17年の夏、役場から突然『猫を供出せよ』
とのお達し…

『アッツ島を守っとる兵隊さんのコートの裏毛に
なるんじゃ』。

『女の気持ち:私の猫』『毎日新聞』2012年8月3日付。
煙草吸いにリビング横切ったらタマが起きた。
おれは絶対いややで。」

 

この文に冒頭のネコの写真と「女の気持ち  私の猫」
という毎日新聞の記事が添えられていました。
毎日新聞の記事は以下のものです。

 

 

130617gekkabijin

 

 

 

「 私の猫

昭和17(1942)年の夏、岡山に住んでいた。
役場から突然『猫を供出せよ』とのお達しがあった。
うちの飼い猫は、私が物心ついた頃から我が家にいた。
名前はタマという。

 

学校から帰り、『タマ』と呼ぶと、『ニヤッ』と
答えるだけで、
いつもかまどのそばで丸くなり
寝ている老いた猫だった。

 

「猫をどねーするん?」。
役場の人に尋ねると、
『アッツ島を守っとる兵隊さんのコートの
裏毛になるんじゃ。

アッツ島は寒うてのう。零下40度にもなるんじゃ。
お国の役に立つんじゃ、めでたい』と言った。
そして次の日の昼までに役場に連れてくるように
指示して、帰った。

 

私は母に言った。
『山に隠そうや。お墓の裏なら、誰にも
見つからんで……』。

しかし、母は首を横に振った。
『そねーなことをして見つかったら大事じゃ。
憲兵に連れて行かれる。軍のお達しじゃ、聞かないけん』
と言い返してきた。

 

私は泣きながら、近所の神社へ走った。
神社には大きな杉が6、7本あり、南側は川だった。
そこはどこからも見えないので、大声で泣いた。

 

『タマは殺されるんじゃ。
毛皮にされるんじゃ。可哀そうじゃ』。
升で量りたいほど涙が出た。
顔が腫れていた。

 

夕方、家に帰ると、タマはもういなくなっていた。
私のいない間に父が連れて行ったようだった。

 

アッツ島で日本軍は玉砕している。
私の猫はどうなったのだろう。
夏休みの時期になると思い出す。
   大阪府八尾市 主婦 79歳」

 

 

140420honzan

 

 

 

ネコもイヌも

私は以前、歯医者さんで同様の話
を聞いたことがあります。
こちらはネコではなくイヌで
「ミラー」という名のシェパード。

 

この話をしてくれた歯医者さんの父親も歯科医で
したので診察に使う、口の中に入れて歯を見る鏡
(ミラー)から名前をつけたということでした。

 

当時、私の歯医者さんはまだ
5歳になったか、ならないかという年頃。
毎日新聞に投稿していた女性より少し年下
でしたが、彼女と同じように、今でもミラーの
ことが心に大きな傷として残っているようです。

 

私は憤りや悲しみはもちろんのこと、初めて
聞いた時には、このようなことがあるとは
思ってもいなかったもので呆然としました。

 

戦争中はお寺の鐘さえ供出させられた等の
金属類の話に関しては知っていたものの
イヌが連れて行かれるなんて信じがたい思い。

 

コートの裏毛のために、ネコやイヌを
必要としていたなんて……本当?と。
確かに戦争中は物資が不足するのでしょうが
そこまでして戦争なんてしなければいいやん。

 

 

140222koke470

 

 

 

「いやや」と言っているのは誰?

と、ここで氏家法雄さんのツイートの最後の文、
「煙草吸いにリビング横切ったらタマが起きた。
おれは絶対いややで」
の部分なのですが私は最初、誤解をしていました。

 

「おれは絶対いややで」は、氏家法雄さんの
気持ちであり言葉なのだと思われますが
私は最初、タマの言葉かと思ったのです。
タマが自分は行きたくない、と言ったのだと。

 

 

nekotama

 

 

このタマの写真は、単に可愛いというだけではなく
いかにも何かを言いたげな様子で、氏家法雄さんの
思いを汲んだタマの気持ちが写しだされているようです。

 

 

 

室生犀星と火鉢にあたるネコ

こちらの写真もやはりツイッターの
今年の2月の「かふか ‏@_kafukafuka_」さんのもの。

 

 

 

 

室生犀星とネコちゃんなのですが
このネコ、両手(?)をちゃんと火鉢の
ふちにかけて火にあたっています!

 

タマもミラーも、みんなみんな
連れて行かれるなんて「絶対にいややで!」

 

衆院憲法審査会で参考人の憲法学者全員が
「違憲」と主張した安全保障法制関連法案が
7月16日、衆議院を通過しました。

 

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「マキシム・ド・パリ」「ドミニク・サブロン赤坂本店」閉店!

「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

140824dominikusaburon

 

 

三店舗とも閉店!

前回、「相模屋」のくず餅の御紹介の時に
「相模屋のある場所は、赤坂サカスの
赤坂Bizタワー別館にある『ドミニク・サブロン』
の斜め前あたりです」などと書いてしまいました。

 

まあ、それは事実で間違いではなかったのですが
今日「ドミニク・サブロン」の前を通った時に
見てみますと、ガラスというガラス全部に
白い紙のようなものが張られています。

 

「ドミニク・サブロン」はガラスを多用した店舗
なのですが、その全てに白いものが張られ、中が
見えないようになっていたので改装工事かな?
とも思ったのですが、まさかの「閉店」でした!

 

 

140820rosenthalmateki「アナナスココ」ドミニク・サブロン赤坂本店

 

 

 

銀座「マキシム・ド・パリ」も閉店

しかも「ドミニク・サブロン」のみならず、
フランス料理店
「ヴィエイユ・ヴィーニュ マキシム・ド・パリ」
「コート・ド・ルージュ赤坂」
と三店舗すべてが閉店。

 

赤坂サカスだけではなく
「マキシム・ド・パリ銀座店」も
6月30日に閉店していました。

 

銀座の「マキシム・ド・パリ」は、日本初の
本格的フランス料理店ともいわれたお店で
高校生の私には、あの深いワイン色のお店の
感じが大人っぽく見えたものでしたが。

 

確かに先日の「NYCB(ニューヨークシティ
ベーカリー)」
のある場所も、次々とお店が
変わったり、また「六本木クローバー」を初めと
して、麻布十番の数々の閉店もお知らせしています。

 

ですが「あのマキシム・ド・パリ」が
閉店するなんてあり得ない、と私は勝手に
思い込んでいたのかもしれません。

 

 

12 10 5 kurowasan「クロワッサン」ドミニク・サブロン麻布十番店

 

 

 

赤坂サカスの東側の「顔」

赤坂Bizタワーにある「ドミニク・サブロン」を含む
三店舗は、赤坂サカスがオープンした2008年3月6日
から、一ツ木通りに面した場所で営業を始めました。

 

私はすぐ近くにある赤坂の「ドミニク・サブロン」
より、麻布十番店に行く方が多かったのですが
赤坂サカスの「ドミニク・サブロン」が、日本
初上陸の第1号店であり、赤坂が本店だったのです。

 

麻布十番の「ドミニク・サブロン」が閉店したことは
2013年4月24日にこのブログでお知らせしました。

 

その時に、他のお店もなくなっていることも
知りましたが、この度、全てのお店がなくなり
日本撤退ということになったのは本当に残念。

 

赤坂の三店舗の閉店の理由は「経営上の判断」、
経営不振によるものと見られています。

 

パリのサブロン氏も、「今までご愛顧いただいた
ことを感謝すると共に、いつかまた日本で店を
オープンさせたいという気持ちでいる」
と言っていらっしゃるとか。
(「倒産・解散・リストラ情報局@5050」)

 

 

140820rosenthalmagicflute

 

 

 

幻の「ドンベリかき氷」

実は私は、「コート・ド・ルージュ赤坂」を
ブログでまだ紹介していないこともあり
今月中にランチに行くつもりでした。

 

こちらのランチは1000円(か1500円位)でしたので
結構リーズナブル、もっと行っておけば良かったなぁ。

 

同じ「コート・ド・ルージュ赤坂」では
シャンパンのドンペリのかき氷、というものも
あったのですが、そちらも未挑戦でした。

 

 

champagne140703

 

 

 

いつまでもあると思うな……

そんな後悔を書いていて、思い出しました。
今の家の引っ越しの時に、オークの木だけは
自分で運び、オークを椅子の側に置いて一人で
引っ越し祝いのランチをしたことがありました。

 

今はなくなってしまった
「コート・ド・ルージュ赤坂」で。

 

赤坂にくる途中の霞ヶ関の駅で、落合恵子さん
とすれ違い、ほんの一言だけ言葉を交わした、
本当に暑い日でした。

 

今日、7月17日の落合恵子さんの
ブログにはこんなことが……。
(「落合恵子*Journal of Silent Spring」)

 

 

12 10 5 surizu「スリーズノア」ドミニク・サブロン麻布十番店

 

 

仕事で帰りが遅くなり、クレヨンハウスの
レストランで遅い夕食をとっていた落合恵子さんは
他の席の人から声をかけられたそうです。

 

声をかけたのは3人の30代の大学教師の男性。
彼らは台風11号の激しい風雨の中、安全保障法制
関連法案への国会での抗議行動に参加した帰りでした。

 

「奨学金制度を利用している学生たちがそれをたてに、
戦争に駆り立てられる可能性があるのではないか……、
そう思うと、居ても立ってもいられなくなって」

 

「実は昨夜も学生たちと来たんです」
等々の言葉を口々にしたそうです。
落合恵子さんは、次のように続けています。

 

「このところ毎晩のように
抗議行動に参加されているという。
わたしも明日は国会周辺の抗議デモに参加する。
デモをしてどうなるの? そんな冷めた声も
あるが、『どうなるか』わかった時だけ、
抗議するのか?
そんなケチな生きかたしたくねーよ。」と。

 

いつまでもあると思うな親と金、ではありませんが
いつまでもあると思うな「ドミニク・サブロン」
と「憲法9条」。

 

少なくとも後者は絶対になくしては
いけませんね、絶対に。

 

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