モンタボープレーヌ(新発売の「満月型のミニクロワッサン」)「モンタボー麻布十番本店」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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満月型のミニクロワッサン

今日も、前回と同じモンタボー麻布十番本店のパン
「モンタボープレーヌ」を御紹介しましょう。
ちょっとコロコロとした形をしていますが、ミニクロワッサンです。

 

「モンタボー(Mont-Thabor)東京麻布十番本店」
〒106-0045 東京都港区麻布十番2丁目3−3 Tel.03-3455-7298
営業時間 8:30〜21:00  年中無休 1月1日休み)

 

前回のサフジュは、クロワッサンのような形をしていましたが
そうではなくて、今日の「モンタボープレーヌ」は丸々として
いますがクロワッサンということなのですね、ややこしいですが。

 

大きさは普通のクロワッサンの半分ほどの長さでしょうか。
今月の初め、2016年3月1日に発売されたばかりのニューフェースです。

 

 

 

クロワッサン・オ・ブール

以前「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」では
「フランスではバターを使うか否かによってクロワッサンの形が違う」
と書いたことがありましたね。

 

バターを使ってあるクロワッサンは
「クロワッサン・オ・ブール(croissant au beurre)」といい
こんな風に両端がまっすぐの菱形をしています。

 

 

12 10 5 kurowasan「クロワッサン・オ・ブール」まっすぐ(菱形)のクロワッサン
(ドミニク・サブロン麻布十番店)

 

 

「クロワッサン・オ・ブール」の「ブール( beurre)」とは
バターの意味ですので、バターで作ったクロワッサン、そのまんま。

 

 

160329kurowassan「クロワッサン・オ・ブール」三日月形のクロワッサン
(成城石井)

 

 

 

クロワッサン・オルディネール

一方、バター以外の油脂で作ったものは
「クロワッサン・オルディネール(croissant ordinaire))」といい
両端が曲がった、いわゆる三日月形をしています。

 

「クロワッサン・オルディネール」の「オルディネール(ordinaire)」
というのは日常の、普通のという意味だそう。

 

ということは、フランスではバター以外の油脂で作られた
クロワッサンが一般的ということなのでしょうか。

 

 

 

「モンタボープレーヌ」はどちらでしょう?

今日のモンタボー麻布十番本店の「モンタボープレーヌ」は
四角っぽいといいますか、コロコロ丸いといいましょうか。

 

クロワッサンとはフランス語で三日月を意味する言葉でしたね。
「『三日月』『半月』『満月』を英語で言うと」

 

この「モンタボープレーヌ(Mont – Thabor  Pleine  lune)」は
「満たす(Pleine)」や「満月((Pleine  Lune)」という言葉から
「モンタボープレーヌ」と名づけられましたようです。

 

 

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それではこのミニクロワッサンは、
「クロワッサン・オ・ブール(バター使用)」なのか
「クロワッサン・オルディネール(バター以外の油脂使用)」か
といいますと……。

 

こちらもまた、前回のサフジュと同様
「スイス産発酵バターとマーガリンを折り込ん」であるそうです。

 

ということは、バターのみではないので
「クロワッサン・オルディネール」でしょうか。

 

 

 

モンタボープレーヌは4種類

このお皿の上には4種類の「モンタボープレーヌ」がのっています。
一番手前にある、プレーンが1つ、その後ろにあるショコラが2つ。
一番後ろの2つがシリアル、そしてブドウの右上の1つがスイート。

 

 

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プレーン(一番手前の1つ) 79キロカロリー
スイス産発酵バター入りマーガリンが折り込んであります。

 

ショコラ(真ん中に2つ並んだチョコレート色) 75キロカロリー
ビターなカカオが特徴。

 

シリアル(一番奥に2つ並んだ) 80キロカロリー
穀物が入っています。

 

スイート(ブドウの右上の1つ) 87キロカロリー
ほのかにオレンジが香ります。

 

 

 

塩、小麦粉へのこだわり(油脂は?)

モンタボーのサイトには、素材へのこだわりとして塩と小麦について
書かれていますがそれによりますと、お塩はきれいな海水として
有名な長崎五島灘の海水からできた、ミネラル分豊富な塩を使用し、

 

小麦粉は、国内産やフランス産の数種類の最高級厳選小麦
を吟味して使用しているとのことでした。

 

「モンタボープレーヌ」も「サフジュ」と同様、「スイス産発酵バター
入りマーガリン」を使用しているとのことですが、素材のこだわりの
欄にはバターやその他の油脂の記載はありませんでした。

 

 

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「サフジュ」と「モンタボープレーヌ」以外のパンも調べてみた
のですが、バターやその他の油脂、マーガリンに関する記述は
見つからないようです。(2016年3月30日現在)

 

私が「サフジュ」に感じた味の意外感、期待と違っていた
理由は、この油脂に関する部分が大きいような気もします。

 

私はバターが特に好きというわけではないのですが
マーガリンの風味がかなり苦手なので、残念ながら
モンタボーの味は向いてないのかもしれませんね。

 

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サフジュ「モンタボー麻布十番本店」

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おいしくて行列ができる?

去年だったか一昨年だったか忘れてしまったのですが、知り合いから
「モンタボーの『サフジュ』がすっごくおいしい」と聞きました。

 

「今日、買ってきた『サフジュ』はもう食べちゃったけど
もっと食べた〜い」などと言うのです。

 

「サフジュ」ってそんなにおいしいの?
モンタボーというパン屋さんなら麻布十番にも
あるのですが、私はいつも前を素通りするだけでした。

 

ネットで調べてみましたら、この「サフジュ」は人気商品で
お店の前に「サフジュ」を求める人の行列もできるほどとか。

 

う〜ん、私は行列は見たことありませんが
そういうことでしたら一度試してみましょうか。

 

 

150408shabondama           麻布十番のパティオ

 

 

 

麻布十番にもあるではなく、麻布十番が本店

知り合いから聞いた時に、モンタボーなら麻布十番にもあるから
などと言っていたのですが、麻布十番が本店だったのですね。

 

「モンタボー(Mont-Thabor)東京麻布十番本店」
〒106-0045 東京都港区麻布十番2丁目3−3 Tel.03-3455-7298
営業時間 8:30〜21:00  年中無休 1月1日休み)

 

1977年の創業で、モンタボーのサイトによりますと、現在は
北は北海道から南は近畿地方まで、全国で76店舗もあるそうです。
私は麻布十番本店に限らずモンタボーは実は今回が初めて。

 

 

140416dogokazabu       麻布十番にあるワンチャンも歓迎のカフェ

 

 

 

「サクッ」「フワッ」「ジュワ」

「サフジュ(Safuju)」という名前は
「サクッ」「フワッ」「ジュワ」という食感からの命名。

 

「サクッ」という歯触りを感じられるように
パンの外側はモンタボー独自の配合・製法で徹底的に追及し、

 

「フワッ」は、パンの中にある空洞がおいしさの秘密。
この空洞があることでふんわり感がいっそう増します。

 

 

160324sahuju       サフジュ「モンタボー東京麻布十番本店」

 

 

「ジュワ」は、中に包まれている「スイス産発酵バター配合
マーガリン」がパンに染みだすことにより、底の部分が
焼きギョウザの皮のような状態になっていることをいうのだとか。

 

 

 

想像とは違いました

そして気になる「サフジュ」のお味の感想ですが、とても
言いにくいのですが私の感想は、期待はずれかなぁ。

 

といってもおいしくなかったというわけではなく、あくまでも
私が勝手に想像、妄想していたものとは違ったという意味。

 

知人から「サフジュ」のサクッ、フワッ、ジュワを聞いて
私の「サフジュ」が出来上がってしまっていたのでしょう。

 

 

160324safuju        サフジュ「モンタボー麻布十番本店」

 

 

 

かたちはクロワッサンですが

まず「サクッ」が思っていたものと違いました。
「サフジュ」は御覧の通りクロワッサンのようなかたちをしています。

 

私はクロワッサンが大好きなので、「サフジュ」も当然のことながら
クロワッサンの「サクッ」という感じなのだろうと想像したのですが
この写真でもおわかりのように、全く違う生地。

 

バターを練り込んであるクロワッサンの、あの食感とは完全に別物。
「サクッ」は「サクッ」でもクロワッサンとは異なる「サクッ」でした。
「フワッ」はまあ想像通り、というか普通のパンのふわっですね。

 

カロリーは、今日の「サフジュ」ですと1つあたり212キロカロリー。
「サフジュ オリーブオイル」は227キロカロリーで
「サフジュ チーズ」が286lキロカロリーです。

 

 

12 10 5 kurowasan以前、「モンタボー麻布十番本店」の近くにあった
「ドミニク・サブロン麻布十番店」のクロワッサン

 

 

 

「ジュワ」は全く感じられず(私には)

そして一番驚いたのが「ジュワ」です。
最初に「ジュワ」と聞いた時は、揚げパンのような油を想像しました。

 

ですが、いくらなんでも揚げパンとはちがうだろうと。
それでは、中がフレンチトーストのような感じなの?、なんてね。

 

もちろん、実際の「サフジュ」はそうではありませんでした。
ただ、私には「ジュワ」の「ジ」も感じられなかったのですが。

 

 

 

スイス産発酵バター配合マーガリン……

それともう一つ気になることがありました。
「ジュワ」の説明には、中に包まれている「スイス産発酵バター
配合マーガリン」がパンに染みだすことにより云々とありました。

 

 

130801sakurisutanyamazakiこちらも麻布十番のマーケットピーコック
で買ったサクリスタン「ヤマザキ」

 

 

 

以前、麻布十番ピーコック店で買ったヤマザキの「サクリスタン」
(こちらはスイスではなくベルギーでしたが)、やはり
「ベルギー産発酵バター入りのマーガリン」が入っていました。

 

スイス産発酵バターであろうと、はたまたベルギー産発酵バター
であろうと、それが配合されている「マーガリン」と
いうのは、少々いただけないかな。

 

マーガリンが体によくないことはもとより風味が独特で
何か変な味が混ざってしまうようにも感じられます。

 

ちょっと意地悪な言い方ですが、「スイス産発酵バター」により
「マーガリン」がグレードアップするというよりは、折角の「スイス産
発酵バター」が「マーガリン」によってダウンしてしまうみたいな。

 

まあこれは、閉店近い時間に行ったこともあり、私が購入した
「サフジュ」がたまたま、ちょっとはずれだったのかもしれませんが。

 

私には、「サフジュ」と一緒に買った別のパンの方がおいしく
感じられましたので、そちらは次回に御覧いただきましょう。

 

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建礼門院(平徳子) 六道の巷に迷いしなり

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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母も、わが子も

平時忠の「平家にあらずんば人にあらず」という言葉がでるほどの
権勢を誇る平家も、その後それほどの年月を経ることもなく「驕る
平家は久しからず」(『平家物語』)と謳われる如くに滅びました。

 

前回(「平家の人々の言葉」)に登場した人の中で
壇ノ浦の戦い後まで生き残っていた人は、建礼門院(徳子)と
後白河上皇、そして能登国に配流された平時忠の三人だけです。

 

(1185年4月時点での生存者

  1181年没
  平清盛
   |
   |———————————平徳子・建礼門院
   |             |
  1185年没           |
  平時子            |
                 |  1178〜1185年
  平時忠 流罪         |————安徳天皇
                 |
  1176年没           |
  平滋子・建春門院       |
     |           |
     |———————————高倉天皇
     |          1181年没
   後白河上皇        

 

 

 

どちらにせよ

建礼門院(徳子)が生き残ったことについては、母の時子が
安徳帝を抱いて入水したあとを追い、身を投げたものの
助けられてしまったと『平家物語』は記しています。

 

一方、同じ『平家物語』の別の章「大原御幸」には、壇ノ浦で
安徳帝を抱いて入水する時に、母の時子が建礼門院(徳子)に
生き残って平家一門の菩提を弔うよう命じたとの記述もあります。

 

どちらが事実なのかはわかりませんが、いずれにせよ自分の母
(平時子)が、まだ幼い我が子・安徳帝を抱いて入水する時に
一緒に死にたいと思わなかったはずはないでしょう。

 

 

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見忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿

1185年3月24日の壇ノ浦の戦いの後、京に連れ戻された建礼門院
(徳子)は5月に吉田の地で出家をしましたが、2カ月後の大地震で
建物が倒壊したため、9月には大原寂光院に入ることになります。

 

今までの国母としての華やかな境涯から一転して、寂れた住まいで
「見忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿して(見忘れるほどに
衰えた尼姿で)」(『平家物語』)3.4人のお付の者と暮らす日々。

 

そんな大原に後白河法皇が訪れてきた出来事を、お能では
『大原御幸(または小原御幸)』という演目にしています。

 

 

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後白河法皇の養女として入内

壇ノ浦の戦い後、生存していた3人のうち平時忠は能登に配流され
4年後に亡くなりましたが、残った二人、建礼門院(徳子)と
後白河法皇は、複雑な縁で絡み合った間柄ともいえるでしょう。

 

(1190年時点での生存者

  1181年没
  平清盛
   |
   |———————————平徳子・建礼門院
   |             |
  平時子            |
  1185年没           |
                 |  1178〜1185年
  平時忠 1189年没       |————安徳天皇
                 |
  1176年没           |
  平滋子・建春門院       |
     |           |
     |———————————高倉天皇
     |          1181年没
   後白河上皇

 

 

徳子が17歳で高倉天皇のもとに入内する時に、父の平清盛が武士
だったため、後白河法皇の養女というかたちをとって入内しました。

 

まだ12歳だった高倉天皇との間には、1178年に憲仁親王(安徳天皇)
が生まれすが、その時には実父の清盛と、形式上の父であり
舅でもあった後白河法皇の間には暗雲が垂れ込めていたようです。

 

清盛は、高倉天皇を上皇にして院政を始めるようにと
わずか3歳の憲仁親王を安徳天皇にしましたが
それからほどなく高倉天皇は亡くなってしまいます。

 

 

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後白河法皇の妃に

高倉天皇の崩御のすぐあとで清盛も亡くなっていますので、その
わずかな間、ということは高倉天皇が亡くなった直後のことでしょう、
建礼門院(時子)を後白河法皇の妃に、という話が持ち上がります。

 

険悪な仲となっていた清盛と後白河法皇の間を取り持つ策として
考え出されたものとはいえ、高倉天皇の死後、その父親である
後白河法皇の妃になるなど、建礼門院(徳子)にはあり得ないこと。

 

大人しい建礼門院(徳子)は、この時は色をなして怒り拒否しました
が清盛と時子、後白河法皇もこの話には乗り気だったそうです。

 

 

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大原御幸

そして平家が滅亡した後に後白河法皇は、大原に
わび住まいをしている建礼門院(徳子)の元を訪れます。

 

建礼門院(徳子)にとって後白河法皇は
自分の実家一門と我が子を亡き者にした張本人。
時代が時代とはいえ、胸には複雑な思いがよぎったことでしょう。

 

後白河法皇に問われて語った建礼門院の言葉に、彼は涙して言います。
「あなたは六道を見たのですね」

 

 

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十界

六道とは、六道輪廻という言葉もありますが仏教用語です。
この世の全てのものはその境涯に従い十界に分類することができ
十界の中の人間界である私達の内にもまた十界が存在するということ。

 

1 仏界 2 菩薩界 3 縁覚界 4 声聞界
5 天上界 6 人間界 7 修羅界 8 畜生界 9 餓鬼界 10 地獄界
|___________ 六道 _____________|

 

仏界からはほど遠い人間界の私たちは、5の天上界から
10の地獄界までを輪廻しているというのが「六道輪廻」です。

 

建礼門院(徳子)はこの六道を全て体験するが
如くの壮絶な経験をしたと後白河法皇に語ります。

 

 

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「六道の巷に迷ひしなり」

「まず一門、西海の波に浮き沈み、よるべも知らぬ舟の上、
海に臨めども、潮(うしお)なれば飲水せず、餓鬼道のごとくなり。
汀の波の荒磯に、うち返すかの心地して、舟こぞりつつ泣き叫ぶ、
声は叫喚(きょうかん)の、罪人もかくやあさましや。(地獄界)

 

陸(くが)の争ひある時は、これぞまことに目の前の修羅道の戦、
あら恐ろしや数数の、駒の蹄(ひずめ)の音聞けば、畜生道の有様を、
見聞くも同じ人道の、苦しみとなり果つる、憂き身の果ぞ悲しき。

 

少し前は雲上人として「天上界」の暮らしを続けていた我が身は
たちまちのうちに「六道の巷(ちまた)に、迷ひしなり」と。

 

 

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壇ノ浦の戦いから30年間

建礼門院(徳子)の没年は正確にはわからないようですが、1213年と
する説が多く、そうなりますと60歳位まで生存したことになります。

 

6歳4カ月の安徳帝と死に別れてからの30年間は
建礼門院にとってどのような日々だったのでしょう。
上の系図から3年後、生き残っているのは建礼門院(徳子)ただ一人。

 

(1193年当時の生存者

  1181年没
  平清盛
   |
   |———————————平徳子・建礼門院
   |             |
  1185年没           |
  平時子            |
                 |
  1189年没           |   1178〜1185年
  平時忠            |————安徳天皇
                 |
  1176年没           |
  平滋子・建春門院       |
     |           |
     |———————————高倉天皇
     |          1181年没
   1192年没
   後白河法皇
*:*白河法皇 

 

 

 

子方の足袋

そんな事を考えていましたら、安徳帝が亡くなった年と
同じ位の年齢で亡くなった男の子を思い出しました。
20年以上も前になりますが、お能を観に行った時のことです。

 

お能は、お芝居でいう「子役」のことを「子方(こかた)」と
いいますが、お能の興味深いところは、子どもの役だから
子どもが演じるとは限らないことです。

 

例えば、成人している源義経をあえて子方が演じたりもするのですが
今日はそれが主ではありませんのでこれ位にして話を戻しましょう。

 

 

omotyadukusiayawanounokai370             能の装束(写真

 

 

その日は可愛い子方が舞台に登場していました。
演目は何だったか忘れてしまったのですが、舞台に子方が
登場した時に、私の隣りに座っていた女性が言いました。

 

私の隣りの席には二人ずれの60代前後と思われる女性。
私のすぐ隣りの人が、連れの人に小声で囁いたのです。
「見て! 小ちゃな足袋」

 

 

 

美しく愛らしい小さな足袋

小声とはいえ聞こえていた私は、条件反射的に
思わずその子方の足袋に目をやっていました。

 

それは本当に清らかで、美しく可愛いらしい足もとでした。
足と一体になったかに見える足袋は、まるで木目込み人形の足のよう。
丁寧に誂えられた小ちゃな足袋がその主の小さな足を包んでいました。

 

 

130215hina

 

 

ただそれだけのことなのですが、私はお隣の女性が感に堪えた
ように言い放った言葉に、心の中で激しく同意したものです。
小ちゃくて、本当に可愛らしい足袋でした。

 

勿論、体に比べて突出して足が小さいわけではなく全てが小さい
のに、どうして足袋がそれほど可愛く見えるのでしょう。

 

 

 

「ありがとうございました」

能舞台は客席から見て左側に、歌舞伎でいう花道のような
細長い通路があり、それを「橋懸かり(はしがかり)」と呼びます。

 

 

kitaroppeitanogakudo   舞台左が橋懸かり「喜多六平太記念能楽堂」(東京都品川区)

 

 

そこから登場し、そして退場して行った子方は
幕の内側で正座をして待っていたのでしょう。

 

主役(シテ方)が橋懸かりから幕の内側に
消えた瞬間、男の子の声が響きました。
「ありがとうございました」という元気な可愛い声でした。

 

このような声が客席にまで聞こえた経験は私にはこの時、一度きり。
「ありがとうございました」という声に、また客席が
あたたかな微笑みに包まれたことはいうまでもありません。

 

 

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絶句

それからしばらく後、私はお稽古友だちのS子ちゃんから
子方を務めていた男の子が亡くなったことを知らされました。
しかも母親が運転する車がバックをした時に轢かれたとのこと。

 

言葉がないというのはこのことです。
いつ思い出しても、私は言葉を失います。

 

今、グーグルでお能を検索してみましたら、何百枚という
写真が並んでいたので、いくつかをクリックしてみると
偶然にも、それは全て同じサイト。

 

 

130617youseninsimoyasiki370

 

 

そのサイトで主に文章を書いていると思われる方は
亡くなった子方の父親である能楽師でした。

 

生きていたならとっくに成人して、ひょっとしたら結婚を
していてもおかしくないほどの年月が過ぎました。
私はその男の子の名前は、もう覚えていません。

 

それでもあの小ちゃな可愛らしい足袋と「ありがとうございました」の
声、亡くなったことを聞いた瞬間、それらを忘れることはないでしょう。

 

 

130312monkou

 

 

 

一睡の夢

それだけではありませんでした。
その男の子を思い出して何とはなく
本当に何となく私は宗家の名前を検索してみました。

 

驚きました。
ちょうど一カ月前の2月21日、喜多流の
十六世・喜多六平太宗家がお亡くなりになっていたのです。

 

六平太先生の弟子でもあり、現在はイギリスにいる
S子ちゃんに思わず私はメールをしていました。

 

もう既に知っているかもと思いつつも書かずにはいられませんでした。
今年の1月に、彼女と六平太先生の話をしたばかりだったのですが……。

 

「とても此の身は徒(いたずら)に山野の土となるべし。
惜しむとも惜しみとぐべからず。
人久しといえども百年には過ぎず。
其の間の事は但一睡の夢ぞかし」
(「松野殿御返事」『日蓮大聖人御書全集』)

 

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