渋谷区では「渋谷川」 天現寺橋から先の港区では「古川」 古川の橋3

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160729tengenjibasi

 

 

ニュー山王ホテルの前の「狸橋」

前回は、麻布には大使館に限らず各国の施設が多く存在している
ことの一つの例としてニュー山王ホテルを御覧いただきました。
といってももちろん外見だけですが、中には入れませんので。

 

160602thenewsanno            ニュー山王ホテル

 

 

ニュー山王ホテルは明治通りに面している建物ですが
その明治通り沿いには、港区唯一の川である古川が流れています。

 

古川に架かっている橋の一つがニュー山王ホテルの
すぐ前にあるのですが、その橋の名前は「狸橋」。

 

 

160729tanukibasi      ニュー山王ホテルの前に架かっている「狸橋」

 

 

この写真の手前側、ニュー山王ホテルや明治通りがあるのは
港区南麻布4丁目13番で、「狸橋」を渡った先は港区白金5丁目1番、

 

長さは17,1メートルで、幅は4,7メートルです。
白金の方には、北里大学や北里大学研究所病院などがあります。

 

 

 

「天現橋」

そのあたりの地図を拡大してみました。
(未だに地図に日本を書き込むことができないので、アルフェベット
でごめんなさい。全く自己流でGIMPを使っているもので……)

 

 

hurukawanohasi    Aが「天現寺箸」、Bが「狸橋」(地図/googlemapに加筆)

 

 

中央に「THE NEW SANNO」と書いてあるのがニュー山王ホテル、
その右に「FRENCH EMBASSY」というのがフランス大使館。
そしてニュー山王ホテルの前に見える(B)が「狸橋」です。

 

 

160602huransutaisikan            フランス大使館

 

 

「狸橋」のある場所から、明治通りをもう少し西(地図では左)に
行きますと、上下(北南)に走っている外苑西通りと交差します。

 

そこで古川に架かっている橋(A)は「天現橋」
という名前で、交差点は天現寺交差点と呼ばれています。

 

 

 

「天現寺橋」から西(左)は渋谷区広尾

古川に架かっている橋としては以前、ヒュースケンが
暗殺された「中の橋」と、東京タワーのそばにある
「赤羽橋」の御紹介をしたことがありましたね。

 

 

160602nakanohashi            東麻布にある「中の橋」

 

 

「中の橋’(r)」や「赤羽橋(s)」は麻布の東端で住所は東麻布。
古川はそこから港区芝に入り、芝公園や浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう
おんしていえん)の側を通り浜松町で東京湾に注いでいます。

 

 

hurukawanikakaruhasi渋谷|〜〜〜〜〜〜 ↑ 南麻布 〜〜〜〜〜↑ 古川から上のみ東麻布

 

 

今日の「天現寺橋」や「狸橋」は、それらとは反対側の端、
南麻布にある橋ですが、天現寺交差点から先(左)は広尾です。

 

「赤羽橋」の隣りの芝は同じ港区でしたが、今日の「天現寺橋」
のお隣は渋谷区広尾ですので、区の端でもあるのですね。

 

 

160602akabanebasi         麻布の東のはじにある「赤羽橋」

 

 

 

「渋谷川(渋谷区)」→「古川(港区)」

「天現寺橋」を越すと住所は港区南麻布4丁目から
渋谷区広尾5丁目へと移ります。

 

ただし正確にいいますと、「天現寺橋」を境にというのは
間違っていて、「天現寺橋」があるのは渋谷区。
「天現寺橋」と「狸橋」の間に渋谷区と港区の境界があるからです。

 

住所が変わるとともに「古川」という川の名前自体も変わり
「天現寺橋」から上流では「渋谷川」と呼ばれています。

 

渋谷川は東京都渋谷区の宮益橋から「天現寺橋」までの
2.6キロメートル、古川は「天現寺橋」から浜崎橋先の河口
までの4.4キロメートルを流れる川で、共に二級河川。

 

 

160729tengenjikousaten      天現寺交差点 港区側から渋谷区を見たところ

 

 

 

1653年、玉川上水が完成

古くからあったので古川という名前で呼ばれ、水源は新宿御苑の
湧水でしたが、さほど水量の多い川ではなかったといいます。

 

1653年に玉川上水が完成し、現在の新宿御苑を経て渋谷川へ流れるよう
になると、水量が増えて水車を掛けることができるようになりました。
その様子を描いたのが葛飾北斎の富岳三十六景『隠田の水車』。

 

「隠田」とは現在の渋谷区神宮前付近の古い地名のことだそうです。
今から150年ほど前に描かれたということですが、200年足らずで
風景というのはこんなにも変わってしまうものなのですね。

 

そういえば、これより少し地代は後になりますが
福沢諭吉も「狸橋」の近くに水車をもっていたとか。

 

 

sibu-hokusai-e_thumb   葛飾北斎 富岳三十六景『隠田の水車』(「写真が語る沿線」
 

童謡『森の水車』の舞台

北斎の絵は『隠田の水車』ですが『森の水車』という童謡がありますね。
♬「コトコトコットン コトコトコットン」という水車の廻る音が
特徴的にリズミカルに使われているあの歌です。

 

緑の森の 彼方から  陽気な唄が 聞こえましょう
あれは水車の 廻る音  耳を澄まして お聞きなさい
コトコトコットン コトコトコットン ファミレドシドレミファ
コトコトコットン コトコトコットン 仕事に励みましょう
コトコトコットン コトコトコットン
いつの日か 楽しい春がやってくる
*            (作詞 清水みのる  作曲 米山正夫)

 

この童謡は、1941(昭和16)年につくられましたが
この童謡の舞台となったのが渋谷川の水車だったそうです。

 

 

140420honzan

 

小学校唱歌『春の小川』も?

それだけではなく有名な小学校唱歌『春の小川』の舞台も
渋谷川と宇田川が合流する地点の代々木だといわれています。
一方、作詞をした高野辰之の故郷である長野県説もあるようですので
「故郷の長野を想いながら代々木で作った」というのはどうでしょう?

 

こちらは1912年に発表され、作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一
ということですが、発表当時は作者の名は伏せられていました。

 

どこが舞台かは別として驚いたのは、私たちの知っている
歌詞が、発表された当時とは違っていたこと。

 

 

141015ringoshuyou

 

 

 

『春の小川』の歌詞は3パターンあった!

上の段が発表当時の1912年の歌詞で、真ん中は1942年度版、
そして下の段は1947年版ですが、異なる部分をピンク色で表示。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

春の小川はさらさら流る  岸のすみれやれんげの花に
春の小川はさらさら行くよ 岸のすみれやれんげの花に
春の小川はさらさら行くよ 岸のすみれやれんげの花に

 

にほひめでたく色うつくしく 咲けよ咲けよとささやく如く(1912)
すがたやさしく色うつくしく 咲いてゐるねとささやきながら(1942)
すがたやさしく色うつくしく 咲けよ咲けよとささやきながら(1947)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

最初の歌詞は当時では普通の言葉だったのかもしれませんが
現代から見ますと格調高く感じられて素敵ですね。

 

渋谷川の名前が港区に入ると古川に変わるように
『春の小川』の歌詞も変わっているようです。

 

 

 

麻布七不思議の一つから命名?

渋谷川でちょっと寄り道をしてしまいましたので古川に戻りましょう。
「狸橋」(B)は、1978(昭和53)年9月に出来た橋
ということなのですが、かなり新しく感じられます。

 

色も形も古川に架かっている他の橋に比べてシンプルで
モダン、そして一番新しく出来たような気もするほどですが。

 

 

160729tanukibasi渋谷川(渋谷区)から古川(港区)
になって最初の橋が「狸橋」

 

 

「狸橋」という名前の由来が、橋のたもとの碑に書いてありました。

 

「むかし、橋の東西にそば屋があって子どもを背負い
手ぬぐいをかぶったおかみさんにそばを売ると、
そのお金が、
翌朝は木の葉になったといいます。
麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、
地名から橋の名になりました。

ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。」

 

 

160629nagasakasarasina      現在は狸蕎麦はありませんので、イメージね

 

 

 

たぬきも福沢諭吉も大好き「狸蕎麦」

明治になりますと、この狸蕎麦にしばしば顔を見せるようになったのが
福沢諭吉で、彼はこの地を愛で「狸橋」の南側一帯の土地を購入。
それが現在の北里研究所や慶応義塾幼稚舎に繋がっています。

 

ところで先ほどの「狸橋」の名前の由来ですが
「子どもを背負い手ぬぐいをかぶったおかみさん」
というあたりが、私には何ともおもしろく感じられます。

 

もし現代にたぬきが「子どもを背負って手ぬぐいをかぶった
おかみさん」に化けてきたら、かなり目だってしまうでしょう。

 

その当時はそれが、子どもを育てている女の人の普通の姿
だったということが、何ともやさしく美しく感じられます。
今だったらたぬきは、どんな格好で現れるのかな?

 

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麻布に大使館が多い理由

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160602thenewsanno

 

 

大使館の多い街

前々回に「ドイツ大使館」「フランス大使館」「ヨーロッパハウス」
を御紹介しましたが、これらは全て南麻布4丁目にある建物です。

 

東京には全部で120以上の大使館がありますが、そのうち半数の
68カ国の大使館は港区にあり、南麻布一帯には40以上もあるとか。
当然、外国人居住者も多く住民の10パーセント近くを占めています。

 

特に麻布台、元麻布、六本木などは20パーセントを超えるそうで
国籍は多い順に、アメリカ、中国、オーストラリア、イギリス、
フィリピンとなっています。

 

ということから「ナショナル麻布スーパーマーケット」
「日進ワールドデリカテッセン」の需要があるというわけですね。

 

 

160602nationalazabu   ナショナル麻布スーパーマーケット(南麻布4丁目5ー2)

 

 

 

麻布近辺の大使館

そこで、麻布周辺の大使館マップを作ってみました。
地図の左から右上に向かっている線が「首都高速3号渋谷線」で
ほぼ中央に上から下へ走る線は「首都高速都心環状線」です。
地図を大体、四区分して地図の上下に大使館名を書いて
みたのですが、とても見づらいですね、ごめんなさい。

 

 

 ◉ガーナ大使館
 ◉エクアドル大使館
 ◉ギリシャ大使館               スペイン大使館
 ◉ラオス大使館              スウェーデン大使館
 ◉ルーマニア大使館           サウジアラビア大使館
 ◉ウクライナ大使館             ナイジェリア大館 
 ◉リトアニア共和国大使館           オランダ大使館
 ◉サンマリノ大使館         カザフスタン共和国大使館
 ◉中華人民共和国大使館領事部        ロシア連邦大使館
 ◉フィリピンフィリピン共和国大使館      フィジー大使館
 ◉シンガポール大使館          アフガニスタン大使館
 ◉オーストリア大使館          キューバ共和国大使館

taisikanmap
 ◉スイス大使館                  チリ大使館
 ◉ノルウェー王国大使館         オーストラリア大使館
 ◉中華人民共和国大使館商務部         イタリア大使館
 ◉カタール大使館              ハンガリー大使館
 ◉スロバキア共和国大使館
 ◉マダガスカル共和国大使館
 ◉アルゼンチン大使館
 ◉韓国大使館
 ◉ドイツ連邦共和国大使館
 ◉中華人民共和国大使館別館
 ◉パキスタン・イスラム共和国大使館
 ◉フィンランド大使館
 ◉フランス大使館
 ◉イランイスラム共和国大使館

 

 

いや〜、労多くして益少なしとなってしまったのが悲しいです。
何となく「色付きのポチポチが全部大使館なんだな〜」
「いっぱいあるな〜」と思って頂けたら嬉しいです。

 

 

160602europahouse   駐日欧州連合代表部・ヨーロッパハウス(南麻布4丁目6-28)

 

 

 

大使館以外の外国関連施設

今数えてみましたら、ちょうど40ですね。
ただ、書き落としたものもありますし、中華人民共和国大使館
などは1つではなく複数ありました。

 

大使館マップには載っていませんが、ヨーロッパハウスと呼ばれる
駐日欧州連合代表部(南麻布4丁目6-28)も南麻布にはありますし、
アルジェリア民主人民共和国大使館大使公邸(港区南麻布4丁目6-15)
もアルジェリアの雰囲気を漂わせながら建っていたりします。

 

アルジェリア大使館は港区ではなく、目黒区の三田にあるのですが
大使公邸が南麻布にあり、フィンランド大使館と道路を挟んだ向かい側、
パキスタン・イスラム共和国大使館のお隣にあたる場所にあります。

 

 

160712algeria    アルジェリア人民共和国大使館大使公邸(南麻布4丁目6-15)

 

 

 

日本の法律は適応されないニュー山王ホテル

マップの左下角の部分はフランス大使館(南麻布4丁目6-28)です。
マップには載っていませんが、その左側には「ニュー山王ホテル
(THE  NEW  SANNO)」(南麻布4丁目12)があります。

 

 

taisikanmap        このあたりが「ニュー山王ホテル」

 

 

この場所は日本初のテレビジョン放送機を制作していたアンリツ株式会社
(当時は安立電気)の本社があったところです(現在は神奈川県厚木)。

 

今は、在日アメリカ海軍が管轄している宿泊施設で、他の米軍施設と同様
施設内では日本法は適応されず、米連邦法と管轄する部隊の本部がある
州の法律が適応され、原則として民間人は立ち入ることは出来ない場所。

 

軍関係者の招待で入った方によりますと、入るにはI.D.が必要で、英語と
米ドルが使われますがレストランは驚くほどリーズナブルだったとか。
外見に比べて中はとってもきれいで「完全にアメリカ」とのことでした。

 

 

160602thenewsanno   日本の中の「アメリカ」ニュー山王ホテル(南麻布4丁目12)

 

 

 

1859年、麻布に赤羽説遇所ができる

港区に大使館や関連施設が多い理由としては、幕末に日本に来た外国人
の滞在施設として、港区の大きな寺院が使われたことがあげられます。

 

1859年7月7日(安政6年6月8日)、元麻布の善福寺(元麻布1丁目6-21)
にアメリカ公使館が置かれたのをはじめとして、由緒ある寺社に
各国の使節団の宿泊所が作られるようになります。

 

ほぼ時を同じくして、現在は飯倉公園となっている場所に外国人の
宿泊施設である赤羽接遇所(東麻布1丁目21-8)も完成しました。

 

 

160524iigurakoen   現在は飯倉公園となっている赤羽接遇所(東麻布1丁目21-8)

 

 

 

1859年、麻布にアメリカ公使館ができる

アメリカの初代駐日領事であったタウンゼント・ハリスは
1856年8月21日(安政3年7月21日)に通訳のヒュースケンと
ともに下田に入港し、下田の玉泉寺に領事館を構えます。

 

1858(安政5)年、日米修好通商条約が締結され
初代駐日公使となったハリスは、1859年7月7日
(安政6年6月8日)下田の玉泉寺から江戸に移りました。

 

1862年5月10日(文久2年2年4月12日)に日本を去るまで、ハリスは
最初のアメリカ公使館となった元麻布の善福寺で過しています。
「外務省 ハリス信任状」

 

 

140416hinokityouseisuitei

 

 

 

幕末期-——大名家は提供者がない

アメリカ以外でも、イギリス、プロシア、ポルトガル、
オランダ、スイス等の外交代表団の宿泊所や
公使館にもこの辺りのお寺が用いられました。

 

なぜお寺なのかといえば、当時日本で広い場所といえば
神社仏閣に大名屋敷位しかなかったからです。

 

ですが大名屋敷は攘夷の風潮が盛んなこともあって提供者がなく
また神社も同様に避けられ、結局、寺院にということに。

 

 

140416hinokityoukouen

 

 

 

明治維新後——大名屋敷の跡地を利用

そして明治になりますと、麻布や赤坂に多くできた大名屋敷の
跡地を、明治政府は大使館として活用するようになったのです。

 

日本に滞在することになった各国の人々にとっても
港区は母国と行き来をする横浜に近くて好都合でした。

 

また政府としても、大使館がまとまっているほうが
警備上や監視の面でも都合が良かったともいわれています。

 

 

141005hinokityokoen

 

 

現在、大使館は高台に建っているものも多いのですが
これは欧米人が日本特有の湿気を避けるため、日当りがよく
眺めの良い山手の高台を好んだからということ。

 

それに対して当時の日本人は、水の便が良くない高台ではなく
低い土地を好む傾向があった、というのもおもしろいですね。

 

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加賀千代女は江戸に来ていなかった! 赤羽橋の朝顔の謎

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

160602suidoukyokuminato

 

 

「アサガオォー!」

前回、ドイツ大使館居候ネコさんのお話をアップした朝、
またネコさんのツイートが目に飛び込んできました。
そこには下の「朝顔」と「ゴジラ」の写真に、こんな言葉が……。

 

 

ぐーてんもの元気ですかぁー!  アサガオォー  =^_^=
gojiraasagao

 

無粋な私は一瞬わからなかったのですが、そうか、アサガオォー、
ガオォーなのね、ごめん、すぐわからなくって。
一緒に、こんなリツイートも添えられていましたよ。

 

 

 

ドイツ語でアサガオは「豪華なツル草」

英名morning glory、ドイツ語名はPrunkwinde
(豪華なツル草?とでも訳せるかな?)
ドイツの街中では日本ほどには見かけないですが朝顔。
これ見かけると、夏!夏休み!って気がしますね〜。
皆様よい週末&夏休みを!」(kawachi_berlin‏@berlinbau

 

ドイツ語でアサガオは「Prunkwinde(プルンクヴィンデ)」と
いい女性名詞だということですが、「豪華なツル草」なんですね。
ちなみにフランス語では「volubilis(ヴォリュビリス)」、
「belle-de-jour(ベルドゥジュール)」というそう。

 

豪華なツル草といえば、先日驚いたことがありました。
まさに豪華なツル草のようなアサガオに赤羽橋のそばで
遭遇したのですが、それがこちら。

 

 

160602suidoukyokuminato       アサガオ(東京都水道局港営業所ビル)

 

 

 

アサガオの不思議1(壁面を覆うのは?)

この写真では全体の一部しか写っていませんが、東京都水道局港営業所
ビルの下から上まで、ぐわ〜っとアサガオが覆っていたのです。

 

ここは以前、御紹介した古川に架かる中の橋赤羽橋
そして久留米藩有馬家の上屋敷のあった場所。

 

地図でいいますと、緑色の大きな四角形が久留米藩有馬家の上屋敷。
その上の方に「赤羽橋」と書かれた地下鉄の駅のマークがありますが
ちょうどそのあたりが東京都水道局港営業所のビルが建っている所です。

 

 

nakanohashi     中の橋赤羽橋の中間あたりが「東京都水道局港営業所」

 

 

最初はツタの葉が壁面を覆っているのかと思ったのですが
よく見るとお花も見えるでしょ?、アサガオですよね、これ。
何カ月でこんなに壁面一帯を覆ってしまうほど成長するものなのか
わかりませんが、写真を撮ったのは6月の夕方だったと思います。

 

でも夕方まで咲いているということはアサガオではなく
ヒルガオ、あるいはユウガオなのでしょうか?

 

 

160602suidoukyokuminato        ピンク色の花もたくさん見えます

 

 

 

アサガオの不思議2(加賀千代女の井戸)

アサガオといえば、もう一つこの付近で不思議なことがあります。
先ほどの地図で緑色の部分が久留米藩有馬家の上屋敷で
現在の住所でいうと港区三田1丁目。

 

それをもっと下の方にいきますと、三田2丁目に慶応大学があり
もう少し下に4丁目8に「薬王寺」というお寺があるのですが
そこには、「加賀千代女の井戸」と呼ばれるものがあるそうです。

 

あの有名な「朝顔や  釣瓶とられて  もらい水」という
超有名な俳句が詠まれたという井戸なのですが
「加賀千代女って港区の三田で暮らしていたの?」とびっくり。

 

 

 

kaganotiyojonoido     加賀千代女が朝顔の句を詠んだ井戸??(東京都港区)

 

 

 

「起きて見つ…」も別人の句

加賀千代女は1703(元禄16)年、加賀国松任、現在の石川県白山市
八日市町に、表具師・福増屋六兵衛の娘として生まれました。

 

12歳から白山市美川町の各務支考(かがみしこう)門下の
潟屋半睡(大睡)のもとで俳人として修行をはじめます。
17歳の時には松尾芭蕉門下の支考から「あたまから不思議の名人」
と賞賛され全国に知られるようになります。

 

「起きて見つ  寝て見つ蚊帳の  広さ哉」という句からの発想なのか千代女
は18歳で金沢に嫁いだ後、夫と死別したともいわれますが、そもそも結婚
をしていない説もあったりで正確なことはわかっていないそうです。

 

ちなみに「起きて見つ  寝て見つ蚊帳の  広さ哉」は千代所の句ではなく
元禄7年に刊行された『其使』に載っている遊女・浮橋の句だそうです。
また一茶が引用したという「とんぼつり  今日はどこまで  いったやら」
も千代女の作ではないとのこと。(「千代女の里俳句館」

 

1754(宝暦4)年、52歳の時に剃髪し、1775(安永4)年に73歳で没。
生涯で1700句あまりを詠んだといわれています。

 

 

 

kaganotiyojo2003(平成15)10月3日、発行のふるさと(石川)2種連刷
『あさがおや  つるべとられて  もらい水 』の切手です。
右の文字は加賀千代女直筆の文字ということ
「あさがお」は最初「あさがお」だったそうですが
千代女35歳の時に「に」を「や」に改めたそうです

 

 

 

加賀千代女は江戸には来ていなかった!

という加賀千代女ですが、いつ江戸にでてきて、現在の港区
三田の井戸で、あの有名なアサガオの句を詠んだのでしょうか?

 

千代所の出身地である白山市の「千代女の里俳句館」では
「朝顔の句は、こちらの調べでは大坂か伊勢で詠まれたもの
だと解釈しています」と言っていらっしゃいます。

 

江戸に行ったことについては、
「それは、あり得ないでしょうね。
年表を見る限り、千代女が江戸に行くだけの時間はないですね」
とのこと。(「徒然想」)

 

……、そうだったのですね。
今のように新幹線や飛行機で日帰りということも出来ないのですし。
でもそうであるならば、なぜ三田にある井戸が
千代女の朝顔の井戸だということに、なってしまったのでしょう?

 

しかし明らかなウソを平然とついているお寺ってどうなの?
という気もしないでもありませんが。

 

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