ブログのアクセス数が減った理由は?

「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

* 〜〜今日の記事は、ブログの閲覧数に関しての私の覚書です〜〜

 

 

ブログのアクセス数が激減

昨年の11月の終わり頃のことでしたが、このブログの閲覧数
(アクセス数)が急激に減ってきたのを見て驚きました。
ブログを始めて5年半が経ちましたが、このようなことは初めて。

 

現在、ブログはワードプレスでお世話になり、ダッシュボード
には閲覧者数が「日」「週」「月」別にグラフで表示されます。
その月別のグラフを下につけてみました。

 

期間は、左端の2015年5月から始まって
右端が今月、2017年3月までの約2年間。

 

 

 

   ワードプレス ダッシュボードの「サイト統計情報(月別)」
                      2015年5月〜2017年3月

       ↑                                        ↑
     2015年5月                         2016年11月   2017年3月

 

 

 

「日」別で見た場合、アクセス数のグラフは必ずしも右肩上がりに
増えるわけではなくでこぼこですが、それが「週」単位、「月」単位
になりますと、なめらからに右に向けて上昇しているのが普通です。

 

ですが、昨年の11月下旬から、ガクン、ガクンと音がする
かのように、右下がりにアクセス数が減ってきたのです。

 

右から5本目の一番高い線が、2016年11月です。
以後、12月、2017年の1月、2月と続き、一番右が今月、3月。
日々積み上げてきたものが、ここ数ヶ月で崩れてしまったかのよう。

 

 

「スターバックス  コンプレックススタジオ店」 東京ミッドタウン
こちらのお店は閉店してしまいました

 

 

 

5〜11月までが平らな理由(多分)

私がブログを始めたのは2011年のことで、最初は無料ブログでしたが
3年前にドメインをとりワードプレスに引っ越してきました。
その時は日本語ドメインだったのですが、2年前にローマ字に変更。

 

現在の「ドメイン」「サーバー」「ワードプレス」の状態に
なったのが「サイト統計情報」の左端にあたる、2015年5月でした。

 

グラフの最初の半年ほどは、上昇が少なく平に見えますが、これは
かなりの数の投稿を削除したことが原因ではないかと思っています。
といっても本当のことはわかりませんが。

 

 

                |←この期間 →|

 

 

更新は定期的にしていましたが、ぽつぽつと気がついた時に
削除したエントリーがかなりあったと思います。

 

ブログ記事全体数でいうと、更新と削除の割合はほぼ同じか
あるいは、少しマイナスといったところだったでしょうか。

 

そんなこともあって、2015年の5月から11月までの記事の全体数は
更新していない状態と同じという扱いで、この期間のアクセス数が
上昇していないのではないかと推測しています。

 

 

「ザ・リッツカールトン カフェ&デリ」東京ミッドタウン

 

 

 

原因が全く思いあたらず

そこで今回のことですが、こちらは原因が全くわかりません。
自分では気づかないうちに、グーグルからペナルティを
受けるような何かをしてしまったのでしょうか?

 

リンクを自作自演でつけることや、まして業者に依頼をして
大量のリンクを購入するなどということは一切していません。

 

また、もしそのようなことをしている場合は、グーグルから
警告(注意)がくるようですが、通知はありません。
もっとも、ペナルティの全てが通知されるわけでもないようです。

 

 

「タリーズコーヒー」赤坂店

 

 

 

3か月以内に解決することが多いようですが

調べてみますと、アクセス数の減少という経験をした人は
かなりいらっしゃるようで、そのような記事も多々見受けます。

 

グーグルからのペナルティという心当たりのある人は、直すことで
解決していますし、また原因がわからないうちに、1か月間後に
あるいは90日で以前の状態に戻った等々と書かれていました。

 

私のように原因が全く思い当たらずに、5か月近くも減り続けて
いるというのは、調べた限りでは見当たりません。
これが11月に1度ガクンと減ったというだけならば理解できるのです。

 

 

「カフェ  246」赤坂図書館のそばにあったこのお店も閉店
現在はビル自体が建て代わりタリーズコーヒーになっています

 

 

例えばグーグルの基準が変わって、記事の評価が下がったとか。
でもそれでしたら毎月減るのは、記事の評価が毎月、毎月
下がり続けるということですので少々、不自然に感じます。

 

Googleanalytics  を使って流入経路を調べて云々という情報も
ネットで見つけて、みようみまねで試してみたものの
よくわからないというのが正直なところ。

 

ちなみに私は、一時的に話題になったもの等は扱っていませんので
旬が過ぎたので減少したという時期的な理由でもないと思います。
更新は今までと変わらず定期的にしています。

 

 

「スターバックス」赤坂Bizタワー店

 

 

 

昨年11月から起こったこと
1 「注」の文字(2016年11月)

本当はアクセス数減少ついて「ウエブマスター  ヘルプフォーラム」
に質問をしてみたいのですが、パソコンの知識のない私には
回答の意味すら理解できないことが多いため躊躇っています。

 

その程度のパソコンの知識しかありませんので
今回のアクセス数のことと関係があるのか否かは
わからないのですが一応、最近起きたことを書いてみます。

 

SearchConsole  のインデックスステータスにアクセス数の
減少が始まった昨年の11月に「注」という字がありました。
ただこれは、他のブログにもありますので関係ないかと。

 

 

        SearchConsole  インデックスステータス

 

 

 

2 「更新のおすすめ」(2月6日)

今年の2月6日の日付で、SearchConsole に新しい重要メッセージとして
「Wordpress の http://ochakai-akasaka.com/ を更新されることを
おすすめします 」と表示されました。

 

その表示は現在も続いているのですが、ワードプレスの
ダッシュボードを確かめても、最新版に更新されているのです。
にもかかわらず、なぜ更新のおすすめが表示され続けるのでしょうか?

 

 

「マクドナルド」赤坂駅前店

 

 

 

3 サイトマプがエラー扱いに(2月11日)

今年、2017年2月11日に「サイトマップのエラー」
ということで、インデックス数が表示されなくなりました。
ただし、インデックスはされているようです。

 

私は毎日チェックしていますので、前日までの約2年間
問題なく生きていたサイトマップが、急にエラー扱いに
なったのも不思議な気がします。

 

翌日、新しいサイトマップを送信しましたが(これは私の責任だと思い
ますが)エラーになってしまい、現在はサイトマップはありません。

 

エラーになった理由をどのように書いてあったか
正確には覚えていないのですが、HTML式なのでダメ
というものだったと思います。

 

 

                 この上の方に「ロボットによるブロック済み」の文字

 

 

 

4 ロボットによるブロック済み(3月5日)

また、先ほどのSearchConsole のインデックス
ステータスの、インデックス数「1324」の右側には
「ロボットによるブロック済み  1」と記されています。

 

「0 」から「1 」に変更しているのは3月5日。
「ロボットによるブロック済み」という意味がわかりませんが、これは
私がインデックスしないでくださいと依頼したとの意味でしょうか?

 

私自身はそれをしていませんが
「ブロックされたリソース」を見てみると
「ブロックされたリソースは見つかりませんでした」とあります。

 

 

閉店した「スターバックス  コンプレックススタジオ店」
正面の左のほうに見えるのは「ザ・リッツカールトン  カフェ&デリ」

 

 

これ以外にももう少しあるのですが、長くなって
しまいましたので、続きは次回にしたいと思います。

 

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「中村錦平」「中村卓夫」「中村康平」  梅の庭に咲き誇る三兄弟

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

中村錦平

中村錦平、中村卓夫、中村康平三兄弟の祖父である初代・中村梅山
は大正初期に趣味が嵩じて陶芸家の道に入った人でした。
その子どもが2代目・中村梅山です。

 

2代目・中村梅山の子として1935(昭和10)年に
生まれの錦平は、1956年に金沢市美術工芸大学の
彫塑科に入学したものの才能に疑問を感じ中退。

 

やきものを「作る側」ではなく、「使う側」にたとうと
考えて銀座にある日本料理の中島で板前修行に入ります。
そこで彼は、北大路魯山人の存在に行き当たりました。

 

 

 

北大路魯山人「伊賀釉四方平鉢」

 

 

 

再び、やきものを志す

彼は父の手伝いをしながら、やきものの修行を始めます。
そして、1960年に現代日本陶芸展(朝日新聞社主催)に初入選、
翌1961年は、日展と日本現代美術工芸展に入選を果たします。

 

1964年には、三菱銀行金沢支店での建築に関する初仕事後、
1966年にソニービルで、1998年は北陸放送会館に陶壁を作りました。

 

1969年にロックフェラー財団に招聘されて、1年間欧米に滞在。
以後、活躍は世界的に広まっていきました。

 

 

 

中村錦平「粉引風白釉徳利」

 

 

 

「東京焼」

中村錦平は、御自身のやきものを「東京焼」と呼んでいます。
やきものは普通、作る場所で採れた土を使いますが、彼は電話一本で
手に入る、ビニール入りの粘土を使って作品を作っているのだそう。

 

やきものの土台ともいうべき土がそうであるのみならず
顔料や釉薬も特別なものではなく、誰でもカタログを見て
簡単に取り寄せることのできる市販品を使っているといいます。

 

このこだわりのなさには驚くばかりですが、一方
その無頓着さは自信の裏返しであるようにも思えます。

 

 

中村錦平(写真/「21世紀美術館」

 

 

 

「余計な遊びに徹して」

「東京焼・中村錦平展 1993〜94年」のカタログには
「東京ほど多種のテーマ、多様な素材の掘り出せる場は他にない。
伝承なし、様式なし、愛陶家なしの地が意欲を盛りあげる。」と。

 

また陶壁作品についてはこのように語っていらっしゃいます。
「余計な遊びに徹して、空間を飾り、埋める事に
関心を持って、作品を作りたいと思っています」

 

「余計な遊びに徹して」という言葉が、何とも魅力的な
中村錦平は、赤坂のお隣にある東京・青山に窯を構えています。
現在、多摩美術大学名誉教授。

 

 

 

 

 

中村卓夫(3代目・中村梅山)

中村錦平が誕生した10年後の1945年に生まれたのが、中村卓夫です。
1978年、会社員を経た後の33歳になってから
父・中村梅山の元で陶芸を始めました。

 

1982年 名古屋工業試験場瀬戸分室で釉の研究
1984年 イタリア・国立ファエンツァ陶芸美術学校で学ぶ
1990年 和光 アートサロンにて個展を開催
2004年 WEDGWOOD「ジャパネスク」シリーズ製作
2013年 中村卓夫展 和光ホール「陶・もうひとつの琳派 」等々

 

作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館、シカゴ美術館、
金沢21世紀美術館等に、オブジェ、花器等が所蔵されています。

 

 

中村卓夫(写真/「西福ギャラリーブログ」

 

 

 

自分の道は「壊すこと」

卓夫が長年の製作の中で見つけた「自分の道」、それは「壊すこと」。
やきものの材料である粘土を、投げ、きり、ちぎるという動作を重ね
「作るのではなく、壊すこと」から数々の作品が生まれてゆきます。

 

他人と同じことをしても意味がないという彼の制作は
轆轤(ろくろ)を使わずに、タタラという伝統的な技法を用いるもの。

 

「粘土に自然に起こることを、見つけるのが私の仕事です。
自然に動く表情、おもしろい瞬間を掴むんです」と説明します。
                 (「REVALUE NIPPON」

 

「ぎりぎり器」「すりぬける器」「浮遊する器」と自由な器の個展を
開催し、花器にも香炉にも、自由自在に遊ぶことのできる「うつわ」を
考えていたという彼は、ついに全く新しい形の「うつわ」を見つけます。

 

 

中村卓夫「器になるコトをやめたうつわ」

 

 

 

「器になるコトをやめたうつわ」

それが「器になるコトをやめたうつわ」シリーズや
「箱になるのをやめたハコ」シリーズです。

 

「用」を離れ、作者の意図からも離れ、「場」との関係を結んで
表現することで「うつわ」になる、新しい「うつわ」の世界。

 

「うつわはうつろに通じ、茶碗にせよ花器や皿類にせよ、何かを保持する
空隙を抱えたモノとして作られるが、用途が一義的になるうちに、
うつろは見えなくなり姿形や意匠ばかり意識されがちになる。
器に埋められたうつろを、器を鉈で割るように断ち切ることで、
発火させた作品。平らな皿が、下から逆転した軸物のようにじかに
たれ上がる「SUIHATSU」。
常に過去に引き摺られ、歩調を緩めがちな伝統に、鞭を入れ、
現在に跳躍させようとする。中村の俯き加減の目の鋭角は、伝統の
愛好層にも、現代美術を好む人々にも、共に刺激的だろう。」
                       大倉宏 美術評論家

 

 

中村卓夫
光琳を思わせる九谷様式の絵付けが美しい「花器」

 

 

 

3代目・中村梅山

祖父である初代・中村梅山や父、2代目梅山の住居でもあった
梅山窯には、現在「ギャラリー梅山」があり、中村卓夫と
中村康平、それぞれの住まいとアトリエとなっているそうです。

 

「キャラリー梅山」
石川県金沢市尾張町2-16-22  Tel. 076-222-0779
営業時間は朝の10時から夕方6時までで、お休みはないようですが
訪れる際は事前に電話で予約が必要とのことです。

 

「ギャラリー梅山」の地図を見て、これまた驚き。
何と数日前に御紹介した、版画家のクリフトン・カーフの
「かーふコレクション」のすぐそばではありませんか。

 

 

金沢の地図
「ギャラリー梅山」と「かーふコレクション」はこんなに近く

 

 

同じ金沢市ということは知っていましたが、かーふコレクション
(「『日本を愛し、日本人より日本人らしく生きた青い目の版画家』
クリフトン・カーフ」)
が金沢市主計町で、

 

ギャラリー梅山は金沢市尾張町ということでしたので、まさか
こんなに近くとは、地図を見るまでは思ってもいませんでした。
主計街と尾張町の端に、それぞれが位置しているのでしょうか?

 

ともあれ金沢に行った折には是非、両方を尋ねてみたいものです。
ちなみに、この地図の左上の方が金沢駅で、ここの少し下(南)
の方に行きますと兼六園があります。

 

赤坂の料亭「赤坂金龍」からクリフトン・カーフに辿り着き、
同じく赤坂の料亭「浅田屋」つながりで中村梅山からギャラリー梅山へ
そして両者は金沢で隣町のギャラリーとは、本当におもしろいですね。

 

 

赤坂の地図
「金龍」- – – -「かーふコレクション」
「浅田屋」- – – – 「ギャラリー梅山」

 

 

 

中村康平

中村卓夫の3年後、1948年に生まれたのが中村康平。
1973年に多摩美術大学彫刻科を卒業後は
陶芸による前衛的なオブジェを次々に発表します。

 

ニューヨークのメトロポリタン美術館のコレクションに
なるなど、彼の作品は国内外で高い評価を受けました。

 

しかしその後、彼は製作の軸足を茶碗作りに移します。
茶碗づくりは古い器の「写し」から始め、先人たちの
心を汲み、茶碗の本質に迫るための精進を重ねました。

 

 

 

中村康平「赤楽茶碗」

 

 

 

「王道を歩いてみようと思った」

そこから生まれてきた茶碗の数々は、とても魅力的ではありますが
茶陶となると、俄然お値段が張ってしまうのが常のこと。
私には手の届かないものになってしまったのは残念です。

 

前衛陶芸の八木一夫は「茶盌もオブジェでっせ」という
言葉を残しているそうですが、いわれて見ればその通り。

 

2008年に行われた「明日をつくる建築家のために」
と題するセミナーの中で、中村康平は
「王道を歩いてみようと思った」との言葉を聴衆に伝えています。

 

 

中村康平

 

 

 

「もし文化のない街に育っていたら」

つい1カ月前の2017年の2月に出版された松任谷由実の本
『ユーミンとフランスの秘密の関係』(Cccメディアハウス)
には中村康平のこんな言葉が載っています。

 

「僕は長らく現代美術をやっていました。
が、真なるアヴァンギャルドとは、インターナショナルであるため
には、と考えたとき、伝統あるものに立ち返る必然性に迫られました。
それでこの街に戻り、茶の湯の茶碗をつくり始めたのです」

 

また、父である中村梅山からは何も受け継がなかったが、
もし文化のない街に育っていたら、ものをつくることはしてなかった
ともおっしゃっていらしたそうです。

 

 

中村康平「赤楽茶碗」

 

 

 

「父からは何も受け継がなかった」

父親から陶芸を学ぶことはもちろん、大人になるまで
父の仕事にはあまり興味もなかったのかもしれませんし
何より彼の作品は、父親の模倣ではありません。

 

中村康平の「父である中村梅山からは何も受け継がなかった」
という言葉は確かに事実には違いないでしょう。

 

ではありますが、親の顔も知らずに育ったというような事情が
あれば別ですが、一つの家で家族として暮らしていた時の中で
何らかの影響は受けていたのではないだろうかという気もします。

 

 

 

 

それは遺伝子ということではありません。
手先の器用さや性格は遺伝すると思っていますが、残念ながら
才能は遺伝しないのではないかと私は考えています。

 

そういえば、父親も祖父も陶芸家という友達がいるのですが
彼女は「親子だからといって才能が伝わるものではない」
という言葉をよく口にしていました。

 

遺伝ではないけれど、環境という言葉ともちょっと違うような。
もっと軽くもあり、同時に決定的でもある空気のように存在しているもの
の中で彼らは育ったのではないかと思うのは穿ち過ぎているでしょうか。

 

 

 

 

 

親子なの?

おそらく10年以上前のことだったと思うのですが、友人が
「先週、中村卓夫の展覧会を見て来た」と言ったことがありました。
(実は中村卓夫だったかちょっと自信がないのですが、多分)

 

私が「中村卓夫のお父さんが作った器がこれよ、中村梅山」というと
彼女はかなり驚いた顔をしながら、私が手にした器を凝視。
その器と展覧会で見た作品が彼女の中であまり結びつかないようでした。

 

その時に見た中村卓夫の作品が、少なくとも父・中村梅山の個性を
なぞったようなものではなかったことは、彼女の表情から明らかでした。

 

 

 

 

 

梅の庭

祖父も父も、三人兄弟の全てが陶芸家。
門外漢の私にはよくわからないことではありますが、恵まれた環境
といえる一方、かなり厳しい状況ともいえるような気もします。

 

梅の木のたくさんある庭に作られた梅山窯。
そこで初代・梅山が生まれ、2代目・梅山が育ってゆき、そして今、
枝分かれした梅山の子息が、それぞれの個性で思う存分咲き誇っている。

 

「売り家と唐様で書く三代目」などと揶揄されたりするほど三代目と
いうのは難しいようですが、梅山家の三代目である三兄弟はそれぞれが
ご自分の道を見つけて極めていらっしゃる様は驚くばかりです。

 

馥郁とした香りを放ちつつ、気品のある清楚な佇まいの梅の花。
梅の庭で育まれた「中村錦平」「中村卓夫」「中村康平」は
21世紀の初め、三者三様の作品を花開かせています。

 

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2代目・中村梅山

「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木へようこそ!

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」

前回、赤坂にある金沢料理の料亭「浅田屋」の御紹介を
した際に、金沢の料亭旅館「浅田屋」について調べていると
1枚の写真が目に入りました。

 

金沢市旅館ホテル協同組合の「金沢 おもてなしの宿」という
サイトに載っていた「浅田屋」で供されるお料理を紹介した写真。

 

手前が「治部煮」で、向こう側が「ゴリ」との説明があります。
治部煮は頂いたことがあるのですが、「ゴリ」は初耳。
調べてみましたら、こちらも治部煮と同様、金沢の郷土料理だとか。

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」のお料理
手前が「治部煮」で、向こう側が「ゴリ」
(写真/「金沢おもてなしの宿」)

 

 

 

「ゴリ」とは魚(鰍、カジカ)のこと

「ゴリ」というのは魚の名前で、「鰍(カジカ)」のことだ
そうで、ゴリで作ったお料理をゴリ料理、ゴリと呼ぶのだそう。

 

金沢を流れる犀川や、先日、御紹介したクリフトン・カーフ
ギャラリーのそばを流れる浅野川の上流の、川底に
へばりつくように生息している魚だということです。

 

ちなみに「ゴリ」という名前は、とる時に川底を削るようにしないと
捕獲できないため、その様子を「ゴリ押し」といい、そこから
「ゴリ押しをする」などと使われるようになったそうですよ。

 

 

こちらは我が家の中村梅山のお皿
乗っているのは「塩瀬」の薯蕷饅頭

 

 

ゴリが載っている金沢の料亭旅館「浅田屋」の写真を見て
驚いたのは、使われていたお皿がうちのものと同じだったからです。
同じ中村梅山のものというだけではなく、お皿の形そのものも一緒。

 

そういえばこのお皿の作家・中村梅山は金沢の陶芸家でした。
うちにある梅山の器も、金沢に行った時に買い求めてきたものです。

 

手前の治部煮が入っているのは、輪島塗だと思われますので
二つとも石川県の器を使用しているのでしょう。
このお椀も、とっても素敵ですね。

 

お皿の作者である2代目・中村梅山は、1907(明治40)年
生まれの昭和を代表する金沢の陶芸家で
1997(平成9)年に90歳で亡くなっています。

 

 

 

 

 

初代・中村梅山

初代・梅山は大正の初期に、道楽が嵩じて陶芸家に
なってしまったというユニークな経歴を持っている方。

 

陶芸一筋にひたすら修行を重ねた人生、というのももちろん
素晴らしいものではありますが、他のお仕事で成功しているにも
かかわらず、止むに止まれぬ作陶への思いを、遂に実現してしまう、

 

そんな一生もまた、勝るとも劣らない魅力的な生き方ですね。
骨董品などを見るにつけ、自分ならばこんな風に表現したい、
などと思っていらしたのでしょうか。

 

彼は京都から京焼きの職方を招き、屋敷の庭に登窯を築きます。
庭にたくさんの梅の木があったことから「梅山窯」と呼ばれる
ようになり、梅山を名乗るようになりました。

 

 

 

 

 

2代目・中村梅山

自らの夢を実現させた初代梅山の子が、2代目、中村梅山です。
彼は、梅山窯があった屋敷の庭の梅の花が咲く情景や、熟れた梅の
実の味と香りについての鮮やかな記憶を、晩年近くに語っています。

 

2代目・梅山は、独創性と技術を思う存分展開した作家で
作風は、仁清風・南蛮手・象嵌と多岐にわたります。
「浅田屋」と我が家のお揃いの長方形のお皿は、象嵌の作品です。

 

「象嵌(ぞうがん)」とは、工芸技法の一つで、
「象」は「象(かたどる)る」、「嵌」は「嵌(は)める」の意味。
ある素材に、別の素材を嵌め込んだものを指します。

 

 

 

 

 

陶器と磁器が奏でるハーモニィ

黒い漆に光る貝殻をはめ込んだものなどは、よく見かけますが
中村梅山の象嵌のように、陶器(茶色い部分)に、
磁器(模様のある部分)を嵌め込んだ器は、初めて見るものでした。

 

既成観念にとらわれることのない、何という自由な作陶なのでしょう。
対照的とも思われる、土ものの荒々しいまでの力強さに
繊細で嫋やかな模様と色使いの磁器を合わせた匠さ。

 

しかも、実験的過ぎる専門家向けの難解な作品ではなく
私のような素人にもわかる、この上ない美しさ。

 

 

中村梅山の器 象嵌の部分をアップしたもの

 

 

梅山自身は、
「火は魔物 土は曲者なり」とおっしゃったようですが
私には、その両者を巧みに操る猛獣の使い手のようにも見えます。

 

また「兎にも角にも土を練り、技を練り、心を練って火心に
挑んだ果てに、たまたまの品が自分の予想の埒をこえて、
しかも情熱との融合を見つけた時の醍醐味は無上です」

 

との言葉には、作陶をしない私でさえ思わず共感し
その感動が伝わってくるような気がするほど。

 

 

2代目・中村梅山「ぐい呑」

 

 

本当は、茶陶の名手といわれた中村梅山のお抹茶茶碗が欲しかった
のですが、それは桁が一つ上なのではなから諦め、お皿とぐい呑を
金沢から連れて帰ったのは、もうかれこれ20年以上前のことでした。

 

2代目・中村梅山には錦平・廉平・卓夫と3人の御子息がおありで
3人とも陶芸家としてそれぞれ大活躍をしていらっしゃいます。

 

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