ナイラ証言 「本物」「ニセモノ」25

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

ウソの証言が戦争を後押し

イラク攻撃への一つのきっかけともなった
「ナイラ証言」を覚えていらっしゃいますか?

 

1990年の10月10日に、米国議会下院の公聴会
で、非政府組織トム・ラントス人権委員会で
行われた証言です。

 

私でも覚えているほど有名な証言でしたので
きっと多くの方の記憶にも残っていることと
思われますが、当時、15歳の少女が涙ながら
に語った話は実はウソだったのです。

 

 

 

 

 

涙ながらに「本当に怖かった」

クウェートから奇跡の生還をした15歳の
少女、ナイラは、イラクによるクウェート
侵攻後の様子をこう語りました。

 

「私は12人の女性と共にアッ=ラダン
でボランティアをしていました。
私が最年少のボランティアで、他の女性
たちは20〜30歳でした。
イラク兵士が銃を持って、病院内に
押し入るのを目にしました。
イラク兵士たちは、生まれたばかりの
赤ちゃんを入れた保育器が並ぶ部屋を
見つけると、赤ちゃんを一人ずつ
取り出し床に投げ捨てました。
冷たい床の上で赤ちゃんは息を引き
取っていったのです。
(泣きながら)本当に怖かった……」

 

 

 

 

 

全米で放映された「証言」

集会の共同議長であるジョン・ポーター
下院議員は、8年間にわたる自らの職務
の中でこのように「惨たらしく非人間的
で残酷な仕打ち」は聞いたことがないと
述べました。

 

この証言の様子は、全米に約700のテレビ局
を擁するメディアリンクへ配給され、証言の
一部がABC、およびNBCのニュース番組で
放映され、数千万人のアメリカ国民が視聴。

 

7名の上院議員が、武力行使を支持する演説
の中でナイラ証言を引用し、ブッシュ大統領
やマケイン上院議員なども何度も取り上げた
といいます。

 

ジョン・マケイン(John McCain)上院議員
は、昨年、2018年8月25日に亡くなりました
が、数日前の10月27日に自殺したとされる
ISISのアブ・バクル・アル・バグダディと
一緒に写った写真も有名ですね。

 

 

 

 

 

アメリカ、ISIS誕生へ関与

IRIB通信によりますと、ケリー・ワード
元上院議員は、

 

「オバマ政権時代、尾花大統領自らを始め、
クリントン国務長官、マケイン上院議員と、
別の当時の上院議員が、ISISの誕生と武装に
関与した。

2011年、マケイン議員は、カダフィ大佐を
退陣されるために、リビアの民兵を武装させ
ようとした議員の一人だった。
その翌年、アメリカ大使をはじめとするアメ
リカ人4人が、この勢力によって殺害された。

その後、マケイン議員、オバマ大統領、クリン
トン長官がリビアをテロリストの拠点にした。
そして彼らの注目は、シリアの反体制派の
武装化に移っていった。

2013年5月、マケイン議員がシリアを訪問し、
シリアのテロリストと写真を撮ったが、彼ら
は後にISISと呼ばれた組織の中心人物に
なった人々だった。

マケイン議員は、シリアのテロリストの
武装化と国境に置ける彼らの安全確保の
ために、13億ドルを要請した」

 

と語っています。

 

 

ケリー・ワード元上院議員
(写真/「Pars Today」)

 

 

 

戦争反対8割 → 戦争賛成8割へ

それ以前は約8割のアメリカ人は戦争に
反対でしたが、いつの間にか数字は逆転、
8割の国民が戦争を支持するようになって
いました。

 

そしてその後、アメリカはイラクへ派兵し
湾岸戦争と呼ばれる戦いに突入したのです。

 

大義名分とされた大量破壊兵器の話も、
その情報を提供したイラク人科学者が
ウソをついていたことを認めています。

 

 

 

 

 

利用された「感情に訴えかける議論」

ナイラの証言は裏付けの取れたものと
国際的に認識されていたようですが、
解放後のクウェートで取材したマスコミ
により、証言が虚偽であったことが発覚。

 

ナイラ・アッ=サバーハ(Nayirah al-Ṣabaḥ)
は、在米クウェート大使の娘で、アメリカ
で贅沢な暮らしをしていました。

 

フランス・H・ファン・エーメレンは
『議論における戦略的操作』のなかで、
「議論に伴う身体的メッセージはあまりに
強烈なため、理性的な議論はほぼ不可能
になる」とし、ナイラ証言を「感情に訴え
かける議論」に過ぎないとしています。

 

 

 

 

 

「証言」と異なる内容

クウェート政府は、危機管理会社・クロール
社に保育器の件について調査を依頼しました。
9週間にも及ぶ調査のなかで、ナイラが話した
ことは「証言」とは大きく異なりました。

 

病院でボランティアをしたことすらなく、
実際には数分間立ち寄っただけで、新生児が
保育器の外にいるのを目撃したのは、たった
1人だけ、それも「ほんの一瞬」だったと。

 

1992年に人権擁護団体・ミドルイースト
ウォッチが調査結果を公表しました。

 

 

 

 

「イラク軍が病院を標的にしたのは確かだが、
保育器を奪い新生児を床に放置し死なせたのは
事実ではなく、戦争プロパガンダに過ぎない。
話自体は国外の人間が捏造したものであった」

 

ナイラが目撃したと主張する病院の医師への
インタビューは、次のようなものです。

 

「数十台の保育器はあるけれども、イラク軍が
奪った保育器はないし、新生児が取り出され
てもいない」

 

 

 

 

 

今の、そしてこれからのナイラを待ち受けるもの

2002年には、
『ライブ・フロム・バグダッド 湾岸戦争最前線』
という映画まで上演されるに至りましたが、
ナイラが証言をするように大人から言われた時、
それにノーを言う権利はあったのでしょうか?

 

彼女がウソの証言をしたという事実は消える
ことはありませんが、一方、ナイラは
被害者でもあるように思えます。

 

あれから30年ほどの月日が流れました。
その間、彼女に精神的な問題が、まったく
生じなかったということはあり得るでしょうか。

 

 

 

 

今までというよりは、歳を重ねていけばいく
ほど、むしろこれからの方が、精神的に
きつい状態になるような気がします。

 

15歳という年齢は、まるっきり子どもとは
いえないまでも、大人ではないでしょう。
現在、ナイラは40代半ば。

 

彼女を使った大人たちは、そろそろ鬼籍に
入りつつある時期を迎えています。

 

スポンサードリンク