山田屋まんじゅう

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金沢ではなく愛媛のお菓子

ちょっと小ぶりの可愛いおまんじゅうは、愛媛の「山田屋まんじゅう」。
ご覧の通りに包んである紙に梅鉢紋がついていたので、てっきり加賀の
お菓子かと思っていたのですが、今見たら愛媛のものでした。

 

(「山田屋まんじゅう」 本店
〒797-0015 愛媛県西予市宇和町卯之町3-288
Tel./Fax.  0894-62-0030    サイト yamadayamanju.jp
営業時間 9:00〜18:00 年中無休 お休みは1月1日だけだそう)

 

直営店は愛媛県に5店舗と、2015年8月には東京の恵比寿にも
お店をオープンしたほかは、高島屋でも扱っているようです。

 

 

 

 

この「山田屋まんじゅう」はいただきもので、私は初めて
頂くお菓子でしたが、とても美味しくて驚きました。

 

その味を説明するのは、私の貧困なボキャブラリーでは
ちょっと難しいのですが、強く前面でアピールする美味しさではなく
控えめな慎ましやかな美味しさとでもいったらよいでしょうか。

 

縦二つに切ったものがこちら。
いってみれば、おまんじゅうの全体が「皮」であり「餡」
でもあるような感じで、境目が優しく溶け合っています。

 

 

「山田屋まんじゅう」を縦二つに切ったところ

 

 

おまんじゅうの全体の構成員(?)が皮のようなさっぱり感と
あんこのようなまったり感を持ち合わせて絶妙なバランス。
(と言っていることが、だんだん意味不明になってきましたが)。

 

全体が餡のような感じというと、いかにも甘すぎると思いがち
ですがさにあらず、ほのかな甘さはくどくなくて、もうホント
幾つでも食べられてしまうという感じのおまんじゅうでした。

 

 

 

宿のお礼に教えてくれたレシピ

小ぶりの丸っとしたかわいい「山田屋まんじゅう」が生まれたのは
1867年、慶応3年のことといいますから、今からちょうど150年前。
かわいいけど誕生したのは結構、昔なのですね。

 

商いをしていた高辻源蔵はある日、旅人に一夜の宿を提供します。
そのお礼にと、旅人が作り方を教えてくれたのがこのおまんじゅう。
作ってみると大評判で、源蔵はそのおまんじゅうを商うことになりました。

 

以来、親から子へ、子から孫へと受け継がれ。一子相伝の製法として
高辻家当主に伝わったおまんじゅう作りも現在は、5代目を数えます。

 

 

 

 

 

1つ22グラム

現在は、名水しるこ「きら」という製品もあるようですが、山田屋は
ただ一種類のこのおまんじゅう作りにこだわり続けてきたといいます。

 

わずか22グラムの小さなおまんじゅうに、入手しうる最良の小豆と砂糖
を選んで作り続け、「これでいい」という到達点はないと言い切る姿勢に
誇りと自負と、飽くなき精進を心に秘めた作り手の姿勢を感じます。

 

そして贅沢な材料を使って丹念に作られた「山田屋まんじゅう」は
控えめなのに美味しい、というよりは控えめだからこそ美味しい
のでしょうね。

 

 

 

 

 

十勝産の選りすぐり小豆を使用

小豆は北海道の十勝産のものだけを使用していますが、同じ
十勝産でも場所により、またその年によって作柄は異なります。

 

そこで山田屋は毎年、北海道の十勝産小豆の上質なものを
数種類選んだ後に、実際に食べる食味実験をした後
最も良いものを選ぶといったこだわりよう。

 

使用する「二等級」と呼ばれる小豆は、味だけではなく形も揃っていて
主に高級粒あん、また和菓子や洋菓子のトッピング用に使うものです。

 

つまり味だけではなく、本来は大きく美しい形を
要求されるお菓子に使用するランクの小豆なのです。
それを全て潰して、こしあんにしてしまうという贅沢さ。

 

 

西予市のお隣、宇和島市吉田町で作られる柑橘類「宇和ゴールド」

 

 

 

天野祐吉「贅沢な時間に出会う」

この「山田屋のおまんじゅう」に添えられていた天野祐吉の
エッセイがとても素敵で全部を書きたいくらいなのですが
そうもいきませんので、一部分だけご紹介しましょう。

 

「むかし、友人に連れられてここを訪ねたとき、家並みのはずれに
お茶ふうの店があった。ガラスのケースのなかに、小さなまんじゅうが
並んでいる。赤い毛氈を引いたその店の床几(しょうぎ)に腰掛けて
ぼくらはそのまんじゅうを食べた。あまりにおいしかったので、ぼくは
三つ食べた。
 そのまんじゅうは、ひと口で食べてしまえるような小さな形(なり)を
していたが、その小さな形(なり)のなかには、家並みと同じように
たっぷりの時間がつまっていて、口に入れてそっと噛むと、その時間が
口のなかいっぱいに、ゆったりひろがっていく。
 たしか店のどこかに、「一子相伝」「慶応三年創業」と書いてあったが、
時間がたっぷり詰まっているというのは、そんな歴史の長さだけではない。
薄い皮につつまれた漉し餡のちょっと例を見ない洗練と品位のなかに、
このまんじゅうを黙々とつくりつづけてきた人たちの時間が、ぎっしりと
つまっている感じがしたのだ。
 山田屋のまんじゅうのなかには、二十一世紀のいまも、そんな豊かな
時間が息づいている。たぶん、本当のぜいたくというのは、こんな
さりげないところに、ひっそり隠れているものなんだろう。」

 

 

四国の左端、赤い線で囲んだ部分が宇和島市
その上に隣接するのが「西予市」

 

 

 

西予市(せいよし)

エッセイのこの部分の前には「山田屋まんじゅう」の創業の地で
ある伊予・卯之町(うのまち)の家並みの様子が描写されていて
卯之町のこじんまりとしながらも美しい様子が伺えます。

 

四国の愛媛県西南部に位置する伊予・卯之町は現在、西予市
といいますが、実は私「西予市」が読めませんでした(!)。
「さいよし」?「にしよし」?と、思ったら「せいよし」だそうです。

 

西予市は、以前ブログでご紹介した柑橘類の「宇和ゴールド」
が算出される宇和島市のお隣の市のようですね。
赤い線で囲ってあるのが宇和島市で、西予市はその上に隣接しています。

 

 

卯之町にある西日本最古の小学校「開明学校」

 

 

 

西日本最古の開明学校

西予市は宇和島藩の宿場町として栄え、江戸時代中期から昭和初期
までに造られた商家が現在も並んでいる、白壁、うだつ、出格子
といった伝統的な美しい街並みが続いている町で有名だとか。

 

残念ながら行ったことはありませんが、1882(明治15)年に
造られた、西日本最古の小学校である「開明学校」は有名ですね。
アーチ状の窓枠やドイツ製のガラスを使用している「擬洋風建築」です。

 

開明小学校は現在、重要伝統的建造物保存地区として
指定されている宇和文化の里の施設の一つとなり
1997年5月には、国の重要文化財に指定されています。

 

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お饅頭はいつ日本に来たの? 初めてお饅頭を作った「虎屋」と「塩瀬」

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中国からきた「おまんじゅう」

いつも私たちが美味しくいただいているおまんじゅう。
「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木」でも「和菓子」のカテゴリー
に入れていますが、おまんじゅうは中国からきたものです。

 

おまんじゅうは中国生まれの「饅頭(マントウ)」が、日本で
お菓子として変身したのですが、「饅頭」が日本に入って
きた時期については現在のところ、2つの説があるようです。

 

1241年説と1349年説の二つですが、その1349年説の方が
現在の「塩瀬総本家」の初代が、日本で初めて
おまんじゅうを作ったといわれるものです。

 

 

     青山通りに面していた虎屋ビル(2015年10月まで)

 

 

 

日本におまんじゅうが入ってきた年
その1 1241年説「虎屋」

鎌倉時代の僧の円爾(えんに、1202年11月1日〜1280年11月10日)が
南宋から日本に帰ってきた後に、おまんじゅうの作り方を日本人に伝えた
というのが、日本におまんじゅうが入ってきたとされる一番古い説。

 

1235(嘉禎元)年に宋に渡った円爾(聖一国師)は、
1241(仁治2)年に帰国した際、福岡の博多に上陸しました。

 

現在の博多駅前にあたる辻堂付近で、円爾はいつも
お世話になっているお礼として、茶屋の主人・
栗波吉右衛門におまんじゅうの作り方を伝授します。

 

 

虎屋に伝わっている「御饅頭所」と
書かれた看板(写真/「虎屋」

 

 

 

赤坂「虎屋」に伝わる看板

この時に円爾が、茶屋の主人に書いて与えたという「御饅頭所」
という看板が現在、赤坂にある「虎屋」に伝わっています。

 

「虎屋」
本店は建て替え工事のため、2015年10月7日から休業中
2018年にリニューアルオーオープンの予定
〒107-0052 東京都港区赤坂4丁目9-22

 

「東京ミッドタウン店」
〒107-0052 港区赤坂9丁目7-4  D-B 117
東京ミッドタウン  ガレリア地下1階  Tel.03-7544-6101

 

「東急プラザ赤坂店」
千代田区永田町2丁目14-3 東急ブラザ赤坂2階  Tel.050-6457-9784)

 

 

      2015年10月まで営業していた「虎屋」の本店

 

 

この時のおまんじゅうは米麹を使った酒饅頭だったそうですが
吉右衛門の茶店の屋号から「虎屋饅頭」とも呼ばれていました。

 

とはいえ吉右衛門の茶店の屋号が「虎屋」だった
ことが現在、赤坂にある「虎屋」の名前につながった
のかといえば、そうではないよう。

 

「虎屋」のサイトには
「吉右衛門の店と当社との関係は不明」と記されています。

 

 

         赤坂「虎屋」の最中「御代の春」

 

 

 

「虎屋」独自の「虎屋饅頭(酒饅頭)」

円爾からつくり方を伝授されたというおまんじゅうについては
現在「虎屋」のサイトでは「酒饅頭  虎屋饅頭  御膳餡入」、
「初出年代  明治39年(1906)」となっています。

 

風味のある独特の酒の香りが楽しめる「虎屋饅頭」の元種は、
長い時間をかけてもち米と麹(こうじ)を使って作られたもので
生地作りは、前の夜から始まるのだとか。

 

ひとつひとつを丹精込め、手間暇かけて作られている「虎屋饅頭」は、
工夫を加え「虎屋」独自の酒饅頭として代々受け継がれてきたものです。
本店(休業中)の他は一部の店舗でしか手に入れることができません。

 

 

赤坂「虎屋」の「虎屋饅頭(酒饅頭)」
(写真/「虎屋」)

 

 

なお「虎屋饅頭」の皮が硬くなってしまった時は
蒸し直して頂くのもよいようです。
ちょっと意外ですが、焼いてもまた美味しいのだとか。

 

子どもの頃、大福餅が硬くなった時には母が焼いてくれたことも
ありましたが、このようなふわふわおまんじゅうを焼くと
どのような味になるのでしょう?、ちょっと試してみたいですね。

 

 

           虎屋「ルーブルの光・白」

 

 

 

日本におまんじゅうが入ってきた年 
その2 1349年説「塩瀬」

そしてもう一つの説といわれるのは、最初の説から1世紀ほど後のこと。
1349(南朝ー正平4、北朝ー貞和5)年に、中国から来朝した林浄因
(りんじょういん)が奈良に住居を定めおまんじゅうを作った
という説です。

 

この林浄因が現在の「塩瀬総本家」の初代となった人です。
「塩瀬総本家」 本店
〒104-0044 東京都中央区明石町7-14 Tel.03-3541-0776)

 

浄因は、中国の「饅頭(マントウ)」の中身を肉のかわりに、小豆を
煮詰めて、甘葛の甘味と塩味を加えた餡を入れることを考え出しました。

 

 

 

 

 

小豆餡入りのおまんじゅう誕生

その頃の日本にあった甘いもの、お菓子といえばクルミや栗、干し柿、
お餅に小豆の呉汁をつけるお汁粉の元祖のようなもの位。

 

小麦粉をこねて蒸し、十字に切れ込みを入れた「十字」や
中身のない菜饅頭(なまんじゅう)のようなものはあったようですが
現在にある小豆餡入りのおまんじゅうはありませんでした。

 

浄因の作ったおまんじゅうは、日本人の評判を呼びます。
発酵した皮の香りとふわふわの歯ごたえに、ほのかな甘みの小豆あん。
豆類を多く食し、小豆好きの日本人にとっては画期的なものでした。

 

 

「塩瀬」の元祖 林浄因(りんじょういん)
(肖像図/「塩瀬総本家」

 

 

 

お祝い事に紅白饅頭

浄因は、おまんじゅうを後村上天皇(1328〜1368)に献上します。
天皇は大変喜ばれ、浄因に官女を賜ったといいます。

 

当時は一商人が官女を下賜(!)されるということは特別な栄誉
だそうで、結婚に際し浄因は、紅白饅頭を諸方に配りました。
これが現在のお祝い事に際し、紅白饅頭を配る習慣の始まりだそうです。

 

浄因はその後、中国に戻ったということですが
子孫は残り、幾代か経たあとの店主・紹絆の時代のこと。
紹絆は中国の宮廷菓子を学ぶために中国に渡ります。

 

帰国した紹絆は、山芋をこねて作るおまんじゅうを売り出しました。
これが今も「塩瀬総本家」の看板商品の一つである「薯蕷饅頭
(じょうよまんじゅう)」の元となったおまんじゅうです。

 

 

           一口薯蕷饅頭「塩瀬総本家」

 

 

 

「塩瀬」の屋号は三河塩瀬村から

以来、その子孫は饅頭屋と称し京都に移りましたが、応仁の乱
(1467〜1478年)の戦火を逃れて、三河国設楽郡塩瀬村(現在の
愛知県新城市)に行き、後に城主の娘を妻に迎えることになります。

 

その折、塩瀬姓を受けて「塩瀬」を屋号とすることになりました。
東山文化が栄え始めた頃、再び京都に戻った「塩瀬」は引きも切らぬ
ほどの賑わいで、お店の所在地は「饅頭屋町」と呼ばれるほどの大繁盛。

 

室町幕府の8代将軍・足利義政(1435〜1490)からは
「日本   第一番   本饅頭所   塩瀬」との看板を授かったり、
時の帝・後土御門天皇からは「五七桐」の家紋も拝領しています。

 

「塩瀬」はその後も天皇や、豊臣秀吉、徳川家康などの権力者の
寵愛を受け、塩瀬宗味が千利休の孫娘を妻としたこともあり
おまんじゅうは、茶菓子として洗練を増してゆきました。

 

 

「塩瀬総本家」の看板(写真/「塩瀬総本家」)
桐の紋と共に「日本   第一番   本饅頭所   塩瀬」の文字

 

 

 

京都から江戸へ

徳川家康が関ヶ原の戦いを制し、江戸に築城するにあたり
京都の「塩瀬」は家康に従い、江戸に移ることになります。

 

皮が薄くて柔らかい「塩瀬」のおまんじゅうは、江戸っ子にも大評判。
江戸での繁盛ぶりは『紫の一本』(1674年)、『元禄江戸名物』
(1688年)、『江戸名物詩選』(1836 年)などに記されています。

 

そして明治初年、「塩瀬総本家」は宮内庁御用達となりました。
創業660年を誇る「塩瀬」の35代目の現在の店主は川島一世さん。

 

35代店主の母親である川島英子さんは、34代目の店主だった方で
90歳を過ぎた今も、元気でお仕事をしていらっしゃるそうです。

 

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薯蕷饅頭 「薯蕷」か「上用」か? 「じょうよ」か「じょうよう」か?  

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「薯蕷饅頭」の名前の由来

「塩瀬」の「一口薯蕷饅頭」です。
原材料名の表記が見つからないのですが、サイトの「製造工程」には
国内産のやまといも、上新粉、砂糖、小豆などと書いてあります。

 

実は驚いたのは「薯蕷饅頭」の読み方なのですが、私は今までずっと
「じょうまんじゅう」だと思っていたのですが、今回調べていて
「じょうようまんじゅう」という言い方もあることを知りました。

 

「じょうよまんじゅう」の名前については、次のような説明があります。

 

A 「『薯蕷饅頭』を当て字である『上用饅頭』と書くこともあり、現在
 では『上用饅頭』と書くことの方が多いかもしれません」という説。

 

B 「この和菓子は、薯蕷饅頭と難しい漢字ですが上用饅頭と書き
 直すことで名前の由来がわかります。
 大昔、和菓子は一般庶民にはとても口にすることが出来ないくらい
 高価なものでした。
 貴族など位が上の者しか食べることが出来なかったのです。
 そのため上に用いる饅頭ということで上用饅頭とつけられたる
 歴史がある上品な和菓子の代表です。」   (「くり屋南陽軒」

 

C 「山芋(ヤマノイモ)を「しょよ」といい、
 これが転じて「じょうよ」となった。
 すりおろした山芋を用いてつくる料理に薯蕷の名をつける。」
                        (「手前板前」

 

 

(B)の、上つ方が用いるという意味の「上用」だった場合の読み方は
「じょうよ」ではなく「じょうよう」という方が妥当でしょうか。

 

 

        ヤマノイモの花(写真/「きーさんち」)

 

 

 

「薯蕷」とはヤマノイモのこと

「薯蕷(じょうよ)饅頭」の特徴といえば皮に「薯蕷」が
入ってあるお饅頭で、「薯蕷」とは山芋のこと。
ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草の根の部分を指しています。

 

古くは「薯蕷」と書いて「ヤマノイモ」と読んだそうです。
日本原産で、学名は「Dioscorea japonica」。
すりおろしたものを「トロロ」といい、粘りが高いお芋ですね。

 

トロロが口の周りなどにつくと、痒くてかぶれてしまう
こともありますが、ってこれは私のこと。
「自然生(ジネンジョウ)」、「自然薯(ジネンジョ)」ともいいます。

 

「ジネンジョ」や「ジネンジョウ」という音だけ聞きますと何のことやら
とも思いますが、漢字を見ると「自然に生えてきた」「自然にある薯蕷
(ヤマノイモ)」という意味ですので、漢字の方が理解しやすいかも。

 

なお「薯蕷」に似ているものに「ナガイモ」があり
こちらもヤマノイモ科ヤマノイモ属ではありますが
日本原産ではないという説もあり、染色体の数も異なるそうです。

 

 

     ヤマノイモの花のアップ(写真/「さらさらきらきら」)

 

 

 

皮に「薯蕷」を入れるのが薯蕷饅頭

薯蕷饅頭を作るに際して、京都地方では「つくね芋」、
中部地方では「伊勢芋」、関東では「大和芋」などとと
いうように、それぞれの土地でとれるものが使われています。

 

これらのお芋をすりおろして上新粉、砂糖を
練り合わせた皮であんこを包み、蒸したものが薯蕷饅頭。

 

薯蕷(じょうよ)は蒸すと膨らむ性質を持っていますので
蒸しあがったお饅頭の皮は、ふわふわとした優しさとともに
しっとりとしたキメの細かい上質な食感になるのが特徴です。

 

 

              ヤマトイモ

 

 

 

「山芋(しょよ)」→「じょうよ」

「薯蕷(じょうよ)」については
和食用語集では次のように説明しています。

 

「山芋(ヤマノイモ)を「しょよ」といい、
これが転じて「じょうよ」となった。
すりおろした山芋を用いて作る料理に『薯蕷』の名をつける。

 

料理で最も一般的なのは白身魚の『薯蕷蒸し』であり、
和菓子の『薯蕷饅頭』もよく知られるところ。」(「手前板前」

 

 

 

「白身魚の薯蕷蒸し」

薯蕷(じょうよ)を使った「白身魚の薯蕷蒸し」とは、昆布を敷いた
蒸し鉢に、薄塩を振った白身魚の切り身を乗せて鉢ごと蒸したお料理。
6〜7分火が通った時点でトロロ(卵白を加えても可)をかけ
完全に蒸しあがったところで、銀あんをかけて頂くというものです。

 

 

       金目鯛の薯蕷蒸し(写真/箱根「知客茶家」)

 

 

紅葉の型に抜いたニンジンやギンナン、シメジなどが乗っていて
ちょっとわかりづらいですが、全体に白っぽく見えるのが
すりおろした山芋(薯蕷)です。

 

こちらは卵白はなしのようですが、下に敷いてるある昆布が見えますね。
昆布と薯蕷の間に金目鯛があります。

 

 

 

職人の技の見せどころ

このふわふわを皮に使用しているのが薯蕷饅頭です。
これを作るのは高度な技を必要とするため、薯蕷饅頭
を見るとそのお店の職人の技術がわかるといわれるほど。

 

粘りの強いすりおろした薯蕷と、粉を混ぜ合わせる生地作りは
空気を抱かせるように混ぜて、蒸した時に破れる寸前まで
ふっくらと膨らむように調整するのが難しいそうです

 

その日の薯蕷の状態と、気温や湿度といった
毎回異なる条件の中で、最善の生地を作り出す見極めは
長年の勘と腕がなくては叶わないこと。

 

 

         一口薯蕷饅頭「塩瀬総本家」

 

 

 

「薯蕷饅頭」? 「上用饅頭」?

ところで私は「薯蕷饅頭」の読み方が気になのですが
今まで見てきた限りでは、「薯蕷」は「じょうよう」ではなく
「じょう」と読む方が自然なように思われます。

 

「薯蕷饅頭」を「上用饅頭」とも書くようになったことから
「じょうよう」とも読むようになったのでしょうか?

 

いくつかの和菓子屋さんで、このお饅頭を
どちらの字で表記し、何と呼んでいるか調べてみました。

 

 

 

和菓子屋さんでは?

   所在地・店名          表記       読み方
  ______________________________

(1) 東京都港区赤坂「青野」      上用   (振り仮名なし)

(2)   〃  赤坂「虎屋」      薯蕷      じょうよ

(3) 東京都新宿区「五十鈴(いすゞ)  薯蕷      じょうよ

(4) 埼玉県戸田市「季乃杜 」        薯蕷      じょうよ
      (ときのもり)

(5) 福島県会津若松市「やまでら茶屋」 薯蕷      じょうよ

(6) 静岡県浜松市「梅月」       上用      じょうよう

(7) 岐阜県岐阜市「おきなや総本店」  上用   (振り仮名なし)

(8) 岐阜県中津川市「くり屋南陽軒」  薯蕷      じょうよ

(9) 石川県金沢市「森八」       薯蕷      じょうよ

(10) 京都府京都市「鶴屋吉信」     薯蕷      じょうよ

(11) 京都府京都市「京華堂利保」    薯蕷   (振り仮名なし)
    (きょうかどうとしやす)

(12) 京都府京都市「末富」       薯蕷      じょうよ

(13) 京都府京都市「塩治軒」      薯蕷      じょうよう
     (しおじけん)

(14) 滋賀県近江八幡市「たねや」    薯蕷      じょうよ

(15) 山口県山口市「茶蔵庵」      薯蕷      じょうよ
4      (さくらあん)

(16) 福岡県太宰府市「梅園」      薯蕷      じょうよ

(17) 北九州市小倉北区赤坂海岸     薯蕷      じょうよう
         「湖月堂」

 

    (17)だけ住所が詳しく書いてある理由は、住所に「赤坂」が
    ついていたので「赤坂」で始まり「赤坂」で終わりたいという
    単に私のどうでもいい好みであって、他意はありませんので。

 

 

 

「薯蕷」と「じょうよ」が優勢?

というような感じでした。
わずか20足らずという少ないものですので、これだけでは何とも
いえませんが「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」が一番多いですね。

 

(6)の「梅月」と、(7)の「おきなや総本店」は、
「上用」と表記して、読み方は(6)が「じょうよう」で、
(7)は振り仮名の記載がなかったのでわかりません。

 

ただここには載せませんでしたが、「上用」と書いた場合は
「じょうよう」と読ませることが多いようです。

 

ですが(13)の「塩自軒」ように、「薯蕷」と書いても
「じょうよう」と読ませるお店もありますので、これは色々のよう。

 

こうして見てみますと地域性もあまり関係がないようですし
あくまでも、それぞれのお店の好みなのかもしれません。

 

 

こちらも「薯蕷饅頭」だそうです。京都「京華堂利保」
「松茸」(左)と「京鏑」(右)(写真/「婦人画報.com」

 

 

ただ興味深く思ったのは、「コトバンク」「英語例文Weblio」
「日本の食べ物用語辞典」という辞典系(?)のサイトが
共に「上用饅頭(じょうようまんじゅう)」を使っていたこと。

 

また「漢字書き方・筆順調べ無料辞典」では、筆順を示す漢字として
表示しているのは「薯蕷饅頭」ですが、読み方はひらがな、
かたかな、ローマ字の全てで、「じょうよう」と読んでいます。

 

これからの時代は書くのも読むこともできない「薯蕷」という小難しい字
は使わずこちらで統一していこうではないかということなのでしょうか?
私は「薯蕷饅頭」の字は残って欲しいなぁ、「薯蕷」は書けないけど。

 

本当は塩瀬総本店のことで、もっと書きたいことがあったの
ですが、長くなってしまいましたので次回にします、また見てね。

 

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