紀ノ川柿(お日様が作り出す柿色)「プレッセプレミアム」東京ミッドタウン

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「紀ノ川柿」発見

ブルーボトルコーヒーの帰りに東京ミッドタウンの24時間営業の
スーパーマーケット、プレッセプレミアムで見つけた「紀ノ川柿」。
名前を見た瞬間に「コレはアレではないか?」と思い買ってきました。

 

2年ほどまえのブログ「柿は本来、渋柿が基本で甘柿は突然変異種
(!)」
に出てきた「紀ノ川柿」って、これだったのですね。

 

外見は普通の柿ですが、あえていうならば少し大振りで
私が普段買っている柿よりも、ちょっと色が濃いでしょうか?

 

 

121123kaki  「平核無柿(ひらたねなしがき)」で作った柿のうさぎさん切り

 

 

 

甘柿、渋柿

私がよく買う柿は「富有柿」と「次郎柿」ですが、この2つは
完全甘柿といわれる柿で、1000種以上ある柿の品種の中で
完全甘柿といわれるものは、たった17しかありません。

 

完全甘柿に対して、不完全甘柿と呼ばれる柿もあります。
これはタネが作られるとその周辺に褐班(いわゆる「ゴマ」と
よばれるもの)ができて甘柿となるもののことです。

 

また、不完全渋柿という柿もあり、タネの近くは不完全甘柿のように
ゴマが入って甘くなるのですが、それ以外の部分が渋い柿をいいます。

 

その他には完全渋柿といって、種子の有無に
かかわらずにゴマが生じない渋柿があります。

 

 

141125kaki           不完全渋柿の「筆柿」

 

 

 

甘さ、渋みに関する柿の4つの分類

1 完全甘柿  「富有柿」「次郎柿」「伊豆」「太秋(たいしゅう)」
       「松本早生富有(まつもとわせふゆう)」「前川次郎」

 

2 不完全甘柿 「西村早生(にしむらわせ)」「赤柿(あかがき)」
       「久保(くぼ)」「甘百目(あまひゃくめ)」

 

3 不完全渋柿 「平核無(ひらたねなし)」「刀根早生(とねわせ)」
       「会津身不知(あいづみしらず)」
       「筆柿(ふでがき)」

 

4 完全渋柿  「愛宕(あたご)」「西条」等

 

 

141125hudegaki               「筆柿」

 

 

 

「紀川柿」は「平核無柿(ひらたねなしがき)」を加工したもの

甘みや渋さを基準にした柿の4つの分類の3つ目にでてきた
「不完全渋柿」の中の「平核無(ひらたねなし)柿」を
独自の栽培をしたものが、今日の「紀ノ川柿」。

 

「紀ノ川柿」という名前は、柿の種類ではなく、「平核無柿(ひらたね
なしがき)」を木に成った状態で渋を抜く方法で作ったものを指します。

 

「平核無柿(ひらたねなしがき)」は名前の通りに
もともとタネがない柿で、新潟県が原産。
原木は1962(昭和37)年、新潟県文化財に指定されています。

 

ただし名前は「平核無柿」ではなく「八珍柿」という名。
これは「越後七不思議」の次の八番目に珍しいこと
という意味合いから「八珍柿」と名づけられたそう。

 

 

kaki131116         本物の柿と、赤坂「青野」の柿

 

 

 

様々な名前で広まっていった「平核無柿」

明治時代に山形県鶴岡市の農家が、新潟から仕入れた苗に
「平核無柿」が混じって入っていたことから、この品種は
次第に「庄内柿」の名で広がっていきます。

 

この他にも新潟県佐渡島では、「平核無柿(ひらたねなしがき)」
を「おけさ柿」と呼ぶなど、「平核無柿」はそれぞれの地で
名づけられたくさん作られています。

 

現在は、甘柿生産量の約80パーセントは「富有柿」が占めていますが
渋柿生産量の約80パーセントは「平核無柿(ひらたねなしがき)」
が占めているということです。

 

 

141209aogaki            熟す前の「青柿」

 

 

 

青いうちに1つ1つビニール袋に被せる

「平核無柿(ひらたねなしがき)」はタネがなく不完全渋柿ですので
そのままでは出荷できず、炭酸ガスなどを用いて渋みを抜きます。
この渋抜きをした柿は「合わせ柿」、「さわし柿」と呼ばれます。

 

一方「紀ノ川柿」は、柿の実が木に成っている状態で渋を抜きます。
「平核無柿(ひらたねなしがき)」がまだ青いうちに
固形アルコールを入れたビニール袋を、柿の実一つ一つに被せます。

 

右が普通の「平核無柿(ひらたねなしがき)」。
左が、固形アルコールを入れた袋を被せて栽培した「紀ノ川柿」。

 

 

w18b   「紀川柿」(左)と「平核無柿」(右)(写真/「近畿農政局」)

 

 

 

「平核無柿」→「紀ノ川柿」に変身

ビニール袋を被せてから、ほぼ1日経つと渋は抜けていきますので
袋の底を切り開いて柿が熟して色づくまで、その状態でおいておきます。

 

このように手間がかかり、和歌山県北部の紀ノ川流域が主な生産地と
なっていることから、「平核無柿(ひらたねなしがき)」ではなく
「紀ノ川柿」という名前で呼ばれ、お値段も少々高く設定。

 

私が普段買っている柿の3倍から4倍位といったところでした。
だから、お仏壇のお供え用に1つしか買えなかったの。

 

「紀ノ川柿」は普通の「平核無柿(ひらたねなしがき)」
よりも完熟させる時間が必要なために、出荷は遅くなり
10月下旬から、11月半ば頃までが店頭に並ぶ時期となります。

 

 

161113kinokawagaki       プレッセプレミアムで買った「紀ノ川柿」

 

 

今回私が「紀ノ川柿」を見つけたのは、以前ブログで書いたことが
頭のどこかにあったからかもしれませんが、そうであったにしろない
にしろ「紀ノ川柿」に出会ったのは初めてではないかと思います。

 

見た瞬間、色が濃いと感じましたが、それは木に成ったまま熟成
させているが故の、こっくりとしたオレンジ色だったのですね。
見慣れている普通の柿が、何となく色あせたような感じがしたほど。

 

ただ、この濃い色ですと今までの経験では、かなり熟し
過ぎで、とろとろと柔らかくなっているはずですが
「紀ノ川柿」はしっかりとした食感が残っていました。

 

未熟なうちに採ってしまわずに、樹上で熟成させる
ということはこういうことなのだと納得した次第。
また木に成ったまま熟成させているのでその分、大きいようです。

 

 

161113kikawagaki         「紀ノ川柿」を切ったところ

 

 

外見だけではなく、切ってみた内面もまた普通の「平核無柿(ひら
たねなしがき)」よりはずっと色が深く、黒いゴマが入っています。
このゴマは、渋みの成分であるタンニンが固まったもの。

 

糖度は16〜18度といわれて、かなり甘いのが特徴の「紀ノ川柿」
ですが、私は糖度に関しては、それほどとは思いませんでした。
むしろ、この色でありながらしっかりした実の歯触りの方に驚きました。

 

最初に「紀ノ川柿」を見た時に、色が濃いと思いましたが
それは単に色が濃い、というだけではないものも感じていたのです。
ちょっと違った趣のある柿色は、太陽光が作り出した色だったのですね。

 

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旬菜弁当「淡悦」東京ミッドタウン 5つの基本味

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東京ミッドタウン初のテラス席

前回の「カフェ  ラ・ボエム」に行く前にランチをしたのがこちら
東京ミッドタウン・ガーデンテラスの3階にある「淡悦」です。

 

「淡悦」
107-0052  港区赤坂9丁目7-4  東京ミッドタウン
ガーデンテラス3F 03-5413-8668
営業時間 平日・土 昼  11:00〜16:00 夜  17:00〜23:00
     日・祝  11:00〜22:00    定休日 なし)

 

店内はかなり広く、個室も2つあるよう。
テラス席は寒い冬や、あまりに暑い夏、雨の日など結構難しいのですが
お天気もよく爽やかなテラス日和でしたので迷わずテラス席にしました。

 

 

130312midki今回撮った写真ではないので季節がちょっと違いますが
こんな風に檜町公園が見えます(中央の白い高い建物はANAホテル)

 

 

 

「淡悦」の意味

「辛・苦・酸・甘・鹹(しおからい)」は、中国の五行思想に
基づく味の基本といわれるものですが、実はこの5つの味のあとに
6番目があるそうで、それが「淡(真味是唯淡)」なのだとか。

 

素材の持ち味を活かすための「淡味」ということの他に、お年を
召した方には淡い味付けを心がけ、若い人にはそれよりはやや濃いめ
との意味合いが「淡味」という言葉には含まれているのだそうです。

 

作る人は食べる人の気持ちを思い、食べる人は作ってくれた人を思う、
双方の心がお料理を一層美味しくし、そこに喜び「悦」が生まれる
——これがお店の名前「淡悦」の由来ということです。

 

 

160608shunsaibento    旬菜弁当・お刺身付き「淡悦」東京ミッドタウン

 

 

 

お刺身付き、天ぷら付きが選べる

こちらの「淡悦」は日本酒もおすすめなのですが
この日は少々暑かったこともあってビールにしました。

 

旬菜弁当は好みによって、これにお刺身をプラスすることや
天ぷらをつけるというように、選べるのもうれしいところ。

 

お友達はお刺身付きにしましたが、お刺身の苦手な私はなしで。
すぐに先付の生湯葉のたれかけがきて、まずはビールで乾杯です。

 

 

160608beer       旬菜弁当の先付 生湯葉のたれかけ

 

 

 

麩まんじゅう「麩」はお麩なんだよ

旬菜弁当にはこの他にお味噌汁と御飯がついてきます。
またお刺身付きにしたお友達のN子ちゃんには、デザートとして
生麩のおまんじゅうがついていました(半分もらいました!)。

 

1月に春帆楼でお食事をした後に、今はない赤坂プリの跡地で話して
いた時、赤プリを知らないと言って私を驚かせたN子ちゃんが
今回は麩まんじゅうを知らないといって私を楽しませてくれました。

 

「この麩の乾燥したものは、池の鯉にあげるあのお麩だよ」と私。
大学を出てすぐ外国へ行ったN子ちゃんは、時には外国人のような
面白いことを言って私を和ませてくれることがあるのです。

 

英語、ドイツ語、オランダ語等の中で暮らしている
N子ちゃんは今、日本語を再勉強(?)しているとか。
この写真はN子ちゃんが撮ってくれたものですが、雲がいいですね。

 

 

160608tentanN子ちゃん撮影の旬菜弁当の写真
雲もビールの泡と一緒にいただいてしまいましょう

 

 

 

二つの「辛い」

このお店の「淡悦」という名称は、五行思想の五味の次にくる
「淡」からきているとのことでしたがこの五味は、現在の味覚の
分類でいわれているものとはちょっと違うようです。

 

五行思想からのものは、次の5つ。
1 辛(からい)
2 苦(にがい)
3 酸(すっぱい)
4 甘(あまい)
5 鹹(しおからい)

 

それに対して現在、生理学的に味の成分と考えられているのはこちら。
① 甘(あまい)    砂糖、人工甘味料
② 酸味(すっぱい)  酢酸、クエン酸等から生じる水素イオン
③ 塩味(しおからい) ナトリウムイオン等、金属系陽イオン
④ 苦味(にがみ)   カフェイン、キニーネ等、アルカロイド系物質
⑤ 旨味(うまみ)   グルタミン酸ナトリウム,イノシン酸ナトリウム

 

五行思想のほうは、1と5の両方が「からい」という言葉を使用して
いますが、5「鹹(しおからい)」は、⑤「塩味」と同じく塩っぱい
ということで、もう一つの1「辛い」は芥子等のからいを指します。

 

 

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味覚受容体細胞からの信号——味覚

味覚とは、動物がもつ五感
「視覚・聴覚・嗅覚(きゅうかく)・味覚・触覚」の一つです。

 

味覚は、特定の化学物質の刺激に反応する味覚受容体(人の場合は主に
舌にある「味蕾・みらい」)の信号が、神経細胞「ニューロン」を通し
脳に送られることによって識別されるもの。

 

(舌以外には、口の奥の上面「軟口蓋」、「咽頭蓋」、「食道上部内面」
といわば喉を含めて口中で味わっているというわけですね)

 

味覚受容体が舌以外にある蝶々やハエなどの昆虫は、味覚受容体
のある前肢で食物に触れることにより味見をしているそうです。

 

またナマズは体表全域に味覚受容体細胞が分布しているということ
ですが、これはいつも何かの味を感じながら生きているということ
なのでしょうか?、ちょっと嬉しいような大変なような。

 

 

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視覚、嗅覚、記憶等がプラス——風味

それに加えて、視覚や嗅覚、または記憶などによって
拡張された知覚心理学的な感覚としての味は「風味(flavour)」
と呼ばれいて、それを認識することを「味わう」と表現します。

 

確かに舌からの信号だけで味覚、味の全てが伝わり把握できる
ということは私自身は大いに疑問ですので、視覚、嗅覚、記憶
などが関わっているとの説明には納得です。

 

よくいわれることですが、鼻をつまんで単体の果物の果汁で作った
フルーツジュースを飲むと、何のジュースだかわからず、色や香り
などを手がかりにすることにより初めて識別が可能になるとか。

 

 

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特に香りが命の松茸やコーヒーなども、香りがなかったら
全く何だかわからないのではないかとさえ思えるほどです。

 

舌にある味覚受容体が味の信号を脳に送って識別していることは
間違いのないことではありますが、それが私たちの感じる「味」の
うちの、どの程度の割合を占めているのかが気になるところ。

 

私の感覚としては、舌の味覚受容体で捉える味以外のものが「味」
のかなり大きな要素を占めているのではないかと思えるのですが。

 

 

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先ほどの五行思想の芥子等で感じる「1  辛い」は、味覚受容体の
反応ではなく、皮膚に対する直接の刺激「体表感覚」と考えられて
いるので「辛味」は味の成分には含まれていないということです。

 

また、現在の生理学的に味の成分と考えられている「旨味」
ですが、これが加わったのは20世紀になってからのことで
それまでは、味は4基本味説が支持されていました。

 

現在でも、味覚刺激が神経に伝達されるまでの機構の全てがわかって
いるわけではないそうですので、もっと様々なことが解明されると
同時に、人体の不思議にますます驚くことになるのかもしれませんね。

 

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「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」「抱屋敷」「蔵屋敷」

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大名の江戸藩邸

今日は江戸切絵図に、マークのように記された
「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」についてのお話を少々。

 

各大名がこのようなお屋敷を江戸に置くようになったのは
徳川3代将軍・家光によって参勤交代が制度化されてからのことです。

 

それらのお屋敷は幕府から命を受ける、いわば事務所のような役目も
もち、また人質として大名の妻子を住まわせるための家でもありました。

 

大きい藩になりますと、上屋敷、中屋敷、下屋敷以外にも別邸を
もっていたり、抱屋敷(かかえやしき)、蔵屋敷(くらやしき)
などが、それぞれの必要に応じて用意されたようです。

 

 

140609akasakasacas         赤坂サカス「広島藩浅野家中屋敷」

 

 

 

上屋敷(かみやしき)
江戸切絵図では「家紋」+「大名の名」で表示

江戸切絵図で「家紋  + 大名の名」が書いてあるものは、その大名家の
「上屋敷」ということで、家紋の上がその屋敷の表門の位置になります。

 

本宅にあたる一番重要なお屋敷で、藩主が江戸滞在中に正妻などと
暮らす場所であり、公式な行事をする場所でもありました。

 

敷地は各大名の地位、譜代、外様の別、石高などを考慮して
場所や大きさが決められたものを、各大名が幕府から拝領しました。

 

江戸城に登城する際に便利なように、上屋敷は比較的
江戸城に近い場所にあることが特徴です。

 

御三家をはじめ大きな藩ですと、一つのお屋敷だけでは事足りず
中屋敷、下屋敷等が作られるようになっていきます。

 

 

12 10 5 roppongihiruzu mouri        六本木ヒルズ「長府藩毛利家上屋敷」

 

 

 

「長府藩毛利家上屋敷」—— 六本木ヒルズ

上の写真は六本木ヒルズ( 〒106-6108 港区六本木6丁目11-1)の
毛利庭園ですが、こちらは長府藩毛利家の上屋敷でした。
TV朝日の報道ステーションの天気予報でもお馴染みですね。

 

近くの東京ミッドタウンも毛利家のお屋敷でしたが
あちらは長州藩の毛利家で、こちらはその支藩になります。

 

長州藩毛利家上屋敷の侍屋敷では、明治時代の陸軍大将となった
乃木希典が、乃木稀次の三男として1849(嘉永12)年に生まれています。

 

 

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またこれは仙台藩の『江戸御屋敷定』に記されていることですので他の
藩もそうかはわかりませんが、上屋敷の大手門近くの長屋に住む藩士は、
小唄、三味線、謡、鼓、太鼓、笛などの演奏を禁じられていたそうです。
                   (「江戸に仙台を見る」)

 

一方、他の長屋では謡、鼓、太鼓、笛は許されていたということです
ので、やはり上屋敷は公的な要素が大きいための制約なのでしょうか。

 

それにしても「小唄、三味線」は禁じられて、「謡、鼓、太鼓、笛」
は可ということは、歌舞伎はだめで、能楽はOKということ。

 

そういえば昔、お能の先生に
「江戸時代は謡を習うことは共通語を知ることでもあった」
という冗談が本当かわからないことを聞いたこともありましたが。

 

 

121220ki        六本木ヒルズ「長府藩毛利家上屋敷」

 

 

 

中屋敷(なかやしき)
江戸切絵図では「  ■   」+「大名の名  」で表示

中屋敷は嫡子や隠居、側室などが住む家です。
大藩の大名は中屋敷をもっていましたが、中屋敷をもたずに
上屋敷と下屋敷のみを江戸藩邸としていた大名も数多くいます。

 

ここで「江戸藩邸」と書きましたが
藩邸という言葉は当時使わなかったようです。

 

◯◯藩として幕府から拝領するのではなく、あくまでもその時点で
◯◯藩主である、△△家に対して与えられるものだからです。

 

ですから△△家が、◯◯藩から××藩へと転封(領地替え)を
した場合でも、江戸屋敷をかわることはありませんでした。

 

 

140401miharutakisakura         赤坂サカス「広島藩浅野家中屋敷」

 

 

 

「広島藩浅野家中屋敷」—— 赤坂サカス

広島藩浅野家(松平安芸守)の上屋敷は、霞ヶ関の国土交通省庁舎
のあるあたりにありましたが、中屋敷は2つありました。

 

国会議事堂がある場所と赤坂サカス( 〒107-0052 港区赤坂5丁目3-6)。
下屋敷は表参道ヒルズのあたりです。

 

前回、松平姓を賜った外様大名の中に、広島藩浅野家の名前が
ありましたが、中屋敷を2つもつ大藩であったことがわかります。

 

 

141126akasakasacaskouyou        赤坂サカス「広島藩浅野家の中屋敷」

 

 

 

下屋敷(しもやしき)
江戸切絵図では「  ●  」+「 大名の名」で表示

下屋敷は、別荘や別邸ともいうべきお屋敷で
立派な庭園が造られたり、側室の住まいにもなったようです。

 

江戸は火事が多かったので、その際の避難所としても使われました。
また不運にも上屋敷が焼失したような場合は、一時的に中屋敷、
あるいは下屋敷が上屋敷の代わりの役目も果たしました。

 

前にお話ししたように明暦の大火(振袖火事)では多くの屋敷が
焼失しましたが、それを機に他の場所に移った大名家もあります。

 

浅野内匠頭の赤穂浅野家は、最初は外桜田門に上屋敷が
ありましたが、明暦の大火後は鉄砲洲に土地を賜っています。

 

 

130426hujisiro       東京ミッドタウン「長州藩毛利家下屋敷」

 

 

 

「長州藩毛利家下屋敷」——東京ミッドタウン

先ほどの六本木ヒルズの長府藩毛利家の本家にあたるのが
東京ミッドタウン(〒107-0052 港区赤坂9丁目7−1)に
下屋敷を構えていた長州藩毛利家です。

 

長州藩毛利家の上屋敷は、日比谷御門外にあり、
中屋敷は最初は青山にあったものが外桜田へと移りました。

 

下屋敷はこの東京ミッドタウン以外に渋谷にも
ありましたので、下屋敷は2つあったことになります。

 

 

130317mouri       東京ミッドタウン「長州藩毛利家下屋敷」

 

 

東京ミッドタウンの下屋敷は「麻布屋敷」とも、檜の木が多かったこと
から「檜屋敷」ともいわれ、2000人もの人が暮らしていたといいます

 

江戸の屋敷は参勤交代があるため出入りも多く、正確な人数は
わからなかったようですが、それだけではなく江戸藩邸内というのは
幕府の統治外であったため、正確な数が出なかったともいわれます。

 

万一、藩邸内に犯罪者が逃げ込んだとしても
幕府は捜査をすることはできなかったということです。

 

 

151212nanbuzakaue          赤坂6丁目にある「南部坂」

 

 

 

土地の交換「相対替え」

これらの屋敷は、幕府の命令によって変えられることもありました。
また幕府の許可を得た上であれば、大名同士で屋敷を
交換する(相対替え)ことも可能でした。

 

有栖川公園の時に書きましたが、赤坂6丁目にあった赤穂浅野家下屋敷と
有栖川公園にあった盛岡藩南部家下屋敷は、相対替えをしています。

 

その両方に場所付近には「南部坂」という名前の
坂があり現在でも残っています。

 

 

160602arisugawakoenhanashobu   赤穂浅野家→盛岡藩南部家の屋敷になった「有栖川公園」

 

 

 

「抱屋敷(かかえやしき)」

今まで見てきた土地は、すべて幕府から拝領した「拝領屋敷」
でしたが、それとは別に大名が必要に応じて土地を購入し
屋敷をつくったものを「抱屋敷(かかえやしき)」といいました。

 

購入資金はもちろんのことですが、土地にかかる年貢なども大名の
負担となり、下屋敷やその他の用途に使われたということです。

 

抱屋敷を下屋敷と呼んでいる家もあるようですので、下屋敷と
いっても、拝領屋敷と抱屋敷の両方があるということですね。

 

 

       麻布にある「南部坂」 左は有栖川公園

 

 

 

「蔵屋敷(くらやしき)」

その他には、江戸よりも大坂に多かったというのが、年貢米や
領内の特産物をしまっておく倉庫のような役目をした蔵屋敷。
荷を船で運搬するために、江戸湾や隅田川沿岸部に建てられました。

 

豊臣秀吉の時代からあったという蔵屋敷は、有力な商人たちがいた
大坂・堺にありましたが、江戸幕府の成立により政治は江戸に移っても
商業は依然として大坂が中心であり、蔵屋敷は増える一方だったとか。

 

儒教思想の影響からか商売を厭う大名は、自分の蔵屋敷を表向き
「有力商人のものを借り受けている」と装っていたといいます。

 

 

hyugazakasendaizaka     (・・・)で囲ったところが「仙台藩伊達家下屋敷」

 

 

大坂では多い時には600を数えたという蔵屋敷ですが、それを所有
していると公言したのは、安濃津藩(あのつはん、三重県津市)と
前回登場した伊代松山藩(桜井松平家)の2つだけだったそうです。

 

南麻布に下屋敷のあった仙台藩伊達家の蔵屋敷は
大坂と深川(江東区清澄1丁目)にありました。

 

仙台から送られてきた米等を貯蔵し、また江戸で暮らす
仙台藩士の食用のためのお米もここで保存されていたそうです。

 

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