日本には雄株だけしかない「キンモクセイ」 

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香りで気づいて花を探す

今年はキンモクセイが早いような気がしますが
今日の写真はm東京ミッドタウンのお庭の
キンモクセイを撮ったものです。

 

キンモクセイは香り強さに比べて
橙色のお花は小ちゃくて控えめ。

 

歩いていて「?」と、香りに気づいてあたりを見回すと
キンモクセイが咲いているということが多いですね。

 

 

isindouyasudakan東京ミッドタウンにある「意心帰」(安田侃)

 

 

キンモクセイの学名は「Osmanthus fragrans var.
aurantiacus」で、モクセイ科モクセイ属。
英名は「 fragrant orange-colored olive」。

 

学名の「Osmanthus 」はギリシャ語の
「香り」を意味する「osme」と
「花」の意の「anthos」に由来します。

 

また「fragrans」は「香しい香り」、
「aurantiacus」は「橙色の」意。

 

原産地は中国中国南部で、中国では「丹桂(たんけい)」
や「桂花(けいか)」と呼ばれていて、お茶やワイン、
また漢方薬としても親しまれているそうです。

 

 

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日本にはキンモクセイの雄株しかない?

この季節はあちらこちらで香っているキンモクセイ。
中国が原産のキンモクセイが、日本にきたのは
江戸時代ですが、日本にある全てのキンモクセイは
雄株のみで雌株はないのだそうです。

 

秋のキンモクセイに対して、春はジンチョウゲと
対になるほど、両者は香り高い植物として有名ですが
ジンチョウゲもまた日本には雄株しかないとか。

 

 

130801myoumutoukyoumiddotaun東京ミッドタウンにある「妙夢」(安田侃)

 

 

 

雄株、雌株、雌雄同株(両性花、単性花)

植物には、同一の株にめしべとおしべをつける雌雄同株
のものと、めしべだけの雌花しかつけない株と、
おしべだけの雄花だけしかつけない株が別に
なっている雌雄異株のものとがあります。

 

ということは、以下の3種類があるということですね。
1 雄株
2 雌株
3 雌雄同株

 

ただし、ここでちょっとややこしいのは「3」の
雌雄同株で、雌雄同株にも実は、2種類あるのです。

 

3 雌雄同株のうち

A  一つの花に、おしべとめしべの両方が
   ある両性花を咲かせるもの

B  おしべだけの花(単性花)、めしべだけの花
  (単性花)を同株につける雌雄異花

のものがあるということです。

 

 

120902sujikumo夕暮れの東京ミッドタウン

 

 

 

誰も持ち込もうとしなかったのか?

と全部で4種類なのですが、日本のキンモクセイは
このうちの「1」、雄株のみということになります。

 

したがって、日本にあるキンモクセイも
ジンチョウゲも実を結ぶことはありません。

 

その代わりといってはなんですが
両者とも挿し木で簡単に増えます。

 

私も小学生の時に、我が家の庭にあったジンチョウゲ
を挿し木にして、簡単に増やしたことがあります。

 

 

 

 

確かに、植物を勝手に国外から持ち込んでは
いけないという決まりがあるそうです。

 

ですが勝手にではなく、きちんと申告(?)した上で、
雌株を日本に持ってきたいと思う人は、江戸時代から
現在に至るまで一人もいなかったのでしょうか?

 

まあ、実といっても特別なものでもなく、挿し木で
増やすことも容易なので、その必要がなかった
ということかもしれませんけど。
とはいえ、私にはやはり不思議な気もするのです。

 

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ルーブルの光・白「虎屋」東京ミッドタウン

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「ルーブル美術館展」を記念してのお菓子

前回はサントリー美術館での「若冲と蕪村展」
で求めた
おせんべいを御紹介しましたが
今日は「ルーブル美術館展」関連の
お菓子を御覧いただきましょう。

 

東京ミッドタウンの近くにある国立新美術館では
現在、「ルーブル美術館展 日常を描く
風俗画に見るヨーロッパ絵画の神髄」
が開催されています。

 

(国立新美術館 港区六本木7−22−2
03-5777-8600)

 

そこで東京ミッドタウンのいくつかのお店が
この展覧会に因んだお菓子を発表しました。

 

 

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「虎屋」の『ルーブルの光・白』

その一つが今日の写真のお菓子。
名前は『ルーブルの光・白』、作ったのは「虎屋」。

 

「白」とあるのは、もう一種類赤いものがあるから
でして、そちらの名前は『ルーブルの光・紅』。
フランスのボルドーワインを使った
琥珀羹(こはくかん)です。

 

『ルーブルの光・白』を口にした時に、想像
していた単に甘いお菓子ではなく外見同様、
お洒落な味が広がったことに驚きました。

 

いかにもワインという味はしませんが
ワインが『ルーブルの光・白』の味を数段
引き上げていることは間違いありません。

 

そしていうまでもなく『ルーブルの光・白』は
ルーブル美術館のピラミッドから着想を得たお菓子です。
とらやパリ店が2005年に25周年を
迎えたことを記念して誕生したもの。

 

 

piramiddoルーブル美術館のピラミッド

 

 

 

シンプルだから美しい

ピラミッドを模したお菓子を作ったのは「虎屋」と
「リッツカールトン デリ&カフェ」の2つ。

 

「リッツカールトン デリ&カフェ」の方は
白いチーズケーキのようで、これはこれで素敵
なのですが、私は琥珀羹の「虎屋」の
『ルーブルの光・白』に惹かれました。

 

別にこのようなものは、似ていた方がいいという
ものでもありませんが、私は透明なものに生来弱い、
という超個人的な理由からの選択です。
そして「紅」の方ではなく透明な『ルーブルの光・白』。

 

 

形が違っている?

こちらの『ルーブルの光・白』の写真を御覧になって、

 

 

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今日、最初につけた写真の『ルーブルの光・白』
(  ↓  )と見比べると、ピラミッドの形が
ちょっと違うように見えませんか?

 

 

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オークの葉っぱと一緒に写っている
『ルーブルの光・白』は、実は買って
きてから一日置いてしまったもの。

 

何となくお天気がすぐれず、思うように
撮れなかったため翌日、再挑戦してみたのですが
御覧の通り前日と同じどんよりしたお天気。

 

時間をおいてしまったせいで、ちょっと寒天が
ゆるくなった感じで、ピラミッドのキリッとした
四角錐が、富士山のような裾広がり風に
なってしまったのは残念なかぎり。

 

ガラスや金属の醸し出すシャープな感じが
薄れてしまい、虎屋には申しわけありませぬ、
こんな写真をブログに載せてしまって。

 

 

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「ジャン=ポール・エヴァン」の『ピラミッド』

そういえば、今回の「ルーブル美術館展」を記念
したお菓子ではないのですが、東京ミッドタウンの
「ジャン=ポール・エヴァン」には、定番ケーキの中
に『ピラミッド』という名前を持つものがあります。

 

 

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こちらはルーブル美術館のピラミッド
ではなく、エジプトにある本家(?)の
ピラミッドのことかもしれませんね。

 

なお虎屋を始め、「ルーブル美術館展」を記念して
発表したお菓子は、期間限定の発売となります。

 

国立新美術館での「ルーブル美術館展」の開催は
6月1日までですので、そのあたりまででしょうか。

 

今日は長くなってしまいましたので、お菓子
ではない、本物のルーブル美術館のピラミッド
については明日ね〜!
「『ピラミッド』と『逆ピラミッド』
ルーブル美術館」

 

 

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「若冲と蕪村」サントリー美術館 東京ミッドタウン

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「蕪村庵」のおせんべい

昨日、お話しした若冲と蕪村に関する
意外なグッズとはこの写真のおせんべい。

 

サントリー美術館のショップで食品が
置いてあったのは初めて見ました。
(勿論、併設されているカフェ「不室屋」
以外では、という意味ですが)

 

ただしこのおせんべい、ただの
おせんべいではありませんよ。
「六角醤油せんべい」という名前で
作っているのは、その名も「蕪村庵」!

 

蕪村庵の本店は、京都六角堂にある
いかにも京都という感じの町家作りのお店です。

 

 

 

honten03蕪村庵本店 京都六角堂(写真/「蕪村庵」)

 

 

 

40歳頃から京都に定住

蕪村は享保元年(1718年)に摂津の国(大坂)
の農家に生まれ、20歳前に江戸に行き夜半亭宋阿
(やはんていそうあ)に俳句を学びます。

 

27歳の時に師匠の宋阿が亡くなり、芭蕉の
足跡をたどる如くに東北、宇都宮等を遊歴。

 

35歳頃に京に上った後、丹波に3年ほど
過ごしてから京都に戻り、俳諧と絵画の分野で
活躍し、天明3年(1783年)、68歳で没。

 

京都市下京区に「与謝蕪村宅跡」
という石碑があるそうです。

 

 

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蕪村って絵も描くの?

中学生までの私は、蕪村は俳人だと思っていました。

 

「菜の花や 月は東に 日は西に」
「春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな」
は有名ですね。

 

 

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45歳で妻を娶り、55歳で宗匠となり
師の夜半亭宋阿の跡を継ぎ夜半亭二世を襲名。
そんな遅咲きの蕪村が60歳、
還暦の年に作った句がこちら。

 

 

「遅き日の つもりて遠き むかしかな」

 

「遅き日」は春の季語で、日の入りが遅くなる春の描写。
日の遅くなる春を、何度も経てきたことを感慨深く
詠んでいる句だそうです。(「蕪村庵『蕪村浪漫』」)

 

 

dlineimgl2_7重要文化財 鳶・鴉図 与謝蕪村筆 双幅 18世紀
北村美術館蔵(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

故郷へ帰らなかった蕪村

40過ぎて京都に定住する以前は江戸、東北等を
長い年月放浪していたようですが、蕪村は
その間、故郷へ帰っていないともいわれています。

 

以前、テレビ東京の「美の巨人達」で
与謝蕪村を取り上げた時に、蕪村は婚外子
だとの説明を聞いた覚えがあります。

 

蕪村が故郷に帰らなかったということが事実
だとしたら、そんなことも影響しているのかな、
と勝手な想像をしたりして。

 

 

 

「黒」と「白」

今回の「若冲と蕪村」のポスターはこちらですが
右半分が若冲で、左が上にあげた蕪村の絵の一部です。

 

 

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ということで私は蕪村は絵画より、文字の方が
印象が強くて、絵はそれほど引き込まれなかった
のですがこのカラスの絵は凄い!

 

一方、お隣りの若冲はカラス
の黒とは対照的に白い象。
いかにもじゃくちゅう〜、という
感じでこちらも面白いです。

 

 

 

若冲の墨絵が素敵

私が初めて若冲の絵を知ったのは、色鮮やかな鶏の絵。
う〜ん、凄い絵なんでしょうけど、ちょっと恐い
と鶏が苦手な私は、正直ちょっと
引き気味だったことを思い出します。

 

若冲といえば極彩色、というイメージが私の中に
ありましたが、今回の「若冲と蕪村」で見た
インゲン豆とトウモロコシの墨絵は驚き!

 

いや〜、素敵でした。
若冲って上手!(って、怒られるよ!)

 

伊藤若冲は、1716年に京都錦小路の青物問屋
「桝屋(ますや)」の長子として生まれ
1800年に85歳で亡くなっています。

 

 

 

dlineimgl1_7象と鯨図屏風 伊藤若冲筆六曲一双 寛政9年(1797)
MIHO MUSEUM蔵(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

若冲も、40歳で隠居をし画業に専念

長男だったため、23歳の時には家業の青物問屋
を継ぎますが、40歳で次弟に家督を譲り
自身は隠居をして、絵を描くことに専念。

 

今回の展覧会には、若冲の弟(これが家業
を譲った弟かは定かではありませんが)
の描いた絵も出品されていました。

 

カメを描いたちょっとおどけた可愛らしい絵
でしたが雅号が面白いです、その名も「白歳」。

 

青物問屋ですので「白菜(はくさい)」
の音を持つ「白歳」、などとつけて、
兄弟で戯れていた様子が目に浮かびますね。

 

 

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そうそう、蕪村庵のおせんべいがあったショップに
「蕪村さんも大好き六角せんべい」と
サントリー美術館らしからぬ
お茶目な言葉が添えられていました。

 

そこでわたくしめも、めちゃくちゃな関西弁で
「ほんまかいな!」と心の中で返しておきましたよ。

 

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