「ガラスの天井」

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「ガラスの天井」

最近、吉村洋文大阪府知事が話の中で
使った「ガラスの天井」という言葉が
ツイッター上で話題になっています。

 

1月8日、新型コロナウイルスの対策本部
会議で、感染の急拡大を受け、政府に
緊急事態宣言の発令を要請することを
正式決定した際の会見でのことです。

 

4日の時点では、
「要請する段階にないと思っている」
としていたことから、記者から質問が出ました。
「いつ発令用にと考えが変わったのか?」と。

 

それに対して吉村知事は、
「一つは560名の、一挙にガラスの天井
が突き抜けた瞬間と、それが次の日も
600名を超えると報告を受けたこと。
もう一つは東京で2400人を超えると
報道があった時」と答えたのです。

 

 

 

 

この吉村大阪府知事の発言に
関して、私が見た最初のツイート
は以下のものでした。

 

「西田三郎 2021年1月9日

恥ずかしすぎる表現の誤用なので
誰かちゃんと突っ込むか、うしろから
石油缶で殴るがしてあげて(嘲) 」

 

私といえば、吉村大阪府知事の言葉
の意味がわからず「?」となった
というのが正直なところでした。

 

あまりにも「ガラスの天井」の
使い方とはかけ離れていますので。

 

ガラスの天井といえば、4年前の
アメリカ大統領選挙でのヒラリー・
クリントン氏の敗北宣言が有名ですね。

 

 

 

 

 

ヒラリー・ローダム・クリントンの大統領選の敗北宣言(一部)

「全ての女性、取分け今回の選挙キャンペーン
と私に信頼をおいてくださった若い女性の方々
へ、ぜひ知っておいていただきたいのは、皆さ
んの声を代弁できたことは、これ以上ないほど
の私の誇りです。
私たちは、今であの最も高い『ガラスの天井』
を打ち破るに至っていません。
それは認めざるを得ない。
しかしいつの日か、誰かがきっと、叶うならば
私たちが考えるよりも早く、成し遂げてくれる
でしょう」

 

 

ヒラリーの敗因は「ガラスの天井」による
ものではないと私自身は思っていますが、
この際、それはおいておきましょう。

 

当然のことながら、今回の敗因がガラスの
天井故だとも明言していませんが、一般論
として社会にはまだ残念ながらガラスの
天井があることを示唆している文章です。

 

「ガラスの天井」という言葉の使い方の
例文としてはふさわしいと思います。

 

 

ルーブル美術館のピラミッド

 

 

 

ウィキペディアの説明

「ガラスの天井とは、脂質または成果
にかかわらずマイノリティ及び女性の
組織内での昇進を妨げる見えないが
打ち破れない障壁である。
当初は、企業や組織、政治の世界など
における女性キャリアを阻む障壁の
メタファーであったが、現在は男女を
問わずマイノリティの地位向上を阻む
壁としても用いられるようになった」

 

 

 

吉村大阪府知事の弁明

そうこうしているうちに、吉村大阪
府知事が弁明を出しました。

 

「吉村洋文(大阪府知事) 2021年1月10日

蓮舫議員や太田議員が、『吉村が「ガラス
の天井」を間違って使ってる!』と一生懸
命だが、僕が役所内の『ガラスの天井』を
打ち破る為に何をしてるのかも知らないん
だろうな。
その意味で使ってない。
記者会見では、いつ割れてもおかしくない
状態を『ガラス』に喩えただけ。
会見の中身を見たら明らか。
なので、同じ記者会見で『ガラス』の比喩
を使わず『天井』とだけ言ってるシーンも
あり、記事にしたらこうなるのが普通。
勿論、僕の言葉なので、僕に責任。
ただ、引用されたスポーツ記事さんの内容
を見ても国会議員なら分かるだろう。
『ガラスの天井』を打ち破る政策には賛成」

 

 

ルーブル美術館の逆ピラミッド

 

 

 

私の素朴な感想

吉村大阪府知事の弁明に対するツイッター
上の様々な意見は最後につけておきますが
私が感じた素朴な疑問を少しだけ。

 

「ガラスの天井」というのは、本来は
「ない」と思っていたものが実は
「あった」ということです。

 

木や鉄の天井ならば、その存在はすぐ
わかるはずですが、ないと思っていたと
いうことからガラスと言っているのです。

 

ですから最初から「ある」と思っている
対象(コロナの感染者数等)をガラスの
天井というのはそもそもおかしな話。

 

しかも現在は、残念ながらそれを破る
ことが困難な状況にある、というのが
ガラスの天井の捉え方です。

 

しかし吉村大阪府知事は、反対に
ガラスの天井を突き抜けていっては
困る、と危惧しているということ。

 

 

 

 

つまり、ガラスの天井という言葉は、
「ないと思っていたのにあった」
「それを突破するのは困難
(であるがいつかは突破したい)」
というように使用します。

 

 

」    ↑      !! 👏
 _______________________ ガラスの天井
      ↑
      ↑

 

 

それが吉村大阪府知事の使い方では、
「ある値をガラスの天井と定め」
「それを突破しないで欲しい」
と真反対に使用しているわけですね。

 

 

「✖️」     ↑
 _______________________ ガラスの天井
      ↑
      ↑

 

 

吉村大阪府知事が、「ガラスの天井」
という言葉を全く知らずに使っていた
ならばいざ知らず、

 

知っていながらあえて反対の意味
で使ったのだとしたら、それは
不適切であり、不親切。

 

そういう意味で使うのであれば、あえて
既にある「ガラスの天井」などという紛
らわしい言葉を使わずに、他の言い回し
を使用した方がよかったと思います。

 

誰でも間違いはあるのですから、潔く
間違いを認めた方が好感がもてますね。

 

間違えたことよりも、その時にどの
ような対処をするか、態度をとるかの
方が、より重要だと私は思います。

 

 

 

 

 

吉村大阪府知事の弁明に対して

「metalmaniax69 2021年1月10日

ガラスの天井の使い方が間違っていますね。
女性が社会進出しても、それでも女性である
が故に超えられない出世の限界をガラスの
天井と言うのに」

 

 

「平野啓一郎 2021年1月10日

『ガラスの天井』の誤用、教養の有無というより
、この間、散々、社会で議論されてきた女性差別
の問題などに、ほとんどまったく関心がなかった
のだろう」

 

 

「ミャゴス Miagos 2021年1月10日

橋下徹もそうだったけど、この人は文化
に対する意識が極めて低い。
松井一郎に至っては論外。
真の文化的なものに対しては予算を渋る
のに、吉本興業や在阪テレビ局には金を
ばら撒き、プロパガンダに最大限利用する。
維新のせいで近年の大阪のディストピア感
が凄まじい」

 

 

「sanpoud 2021年1月10日

ほー。
あんたはコロナ感染者数の上限を
打ち破る努力でもしてたんか?
ガラスの天井が『いつ割れてもおかしくない』
やったら、梅田のスカイビルのエレベーター
とかえらいこっちゃな?」

 

 

 

 

「tukiyoridango 2021年1月10日

ガラスの天井をいつ割れてもおかしくない
状態の比喩に使ってはいけませんよね。
温室のガラスの天井は、天から
雹が降ってきても割れないのに。
大阪の知事さんは、温室の会社に謝らなあかん。
営業妨害や」

 

 

「南条 2021年1月10日

正直何かと言い間違えたんだと思うけど、
この言い訳によって、言い間違いよりも悪質な、
マジョリティによる言葉の簒奪であると確定した」

 

 

「釜山行きの続編を観たチグリス 2021年1月10日

男性からも何人も誤用を指摘されてんのに
女性だけ名指しで非難し、さも女だけが
つまらないことで騒いでいるかのような
印象を作ることがガラスの天井を作り出
しているんですよ」

 

 

「・ω・ぴこ 2021年1月10日

維新だった橋下は慰安所が必要だったと
女性差別を堂々と発言しています
維新の伝統かと」

 

 

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「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」瀧瓢水

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「手に取るな  やはり野に置け  蓮華草」

少し前に「レンゲ」を御紹介した時に
この句をのせましたが、これは播磨
(兵庫県)の俳人、瀧瓢水の句です。

 

「滝野瓢水(たきのひょうすい)」と
書かれることが多いようですが、これ
は誤りで「瀧瓢水(たきひょうすい)」
が正しいそうです。

 

「蓮華草は野に咲くから美しく見えるので
あって、それを積んで家の中に飾っても
調和せず美しく見えないことから、播磨
の俳人瀧瓢水が遊女を身請けしようと
した友人を諌めた句。
自然の中で咲く蓮華草が美しいのと同じ
ように遊女は色町にいてこそ美しく見える」

 

との意味だそうですが、知りませんでした。
のんびりした素朴な句だと思っていたの
ですが、遊女の身請けをとめる句だった
のですね。

 

「此の里に  来らざるこそ  粋なるべし」
との花魁の発句に応えたものだとか。

 

教えていただいたのは「レファレンス
共同データベース」で、提供館は
「私立牛久中央図書館」です。

 

 

 

 

 

この【例文】は正しいのでしょうか?

その記載のなかに事典等の書籍ではなくネット
上の「故事ことわざ辞典」が紹介されていた
のですが、少々気になることがありました。

 

「やはり野におけ蓮華草」の
【類義】として「花は山人は里」
とあり、これはふむふむと納得ですが
気になったのは【例文】の方。

 

「やはり野に置け蓮華草で、金になるからと
いって無理をして違う業種に手を出してみて
も、まったく自分の能力が発揮できなかった」

 

と記載されているのですが、これは
例文として適しているでしょうか?
(2020年6月16日現在)

 

 

 

 

勿論、私は国語の専門家ではありま
せんが、この使い方にはすっきりと
しないすわりの悪さを感じます。

 

少々、無理やり例文を考えてみました感
も否めないような気もするのですよね、
この事例、

 

「金になるからといって無理をして
違う業種に手を出してみても、まったく
自分の能力が発揮できなかった」

 

でしたら「餅屋は餅屋」の方が
ふさわしいような気もします。

 

残念んがら私には適した例文
が思い浮かびませんが。

 

 

 

 

 

また、蓮華に戻りまして……

瀧瓢水がこの蓮華の句を詠んだ気持ちは、

 

「蓮華(遊女)は、野に咲いている(自分
のものではない)から美しいので、自分の
ものにしてはその美しさは失われてしまう」

 

はまことにもっともで、どこからも
反対意見は出なそうな正論です。

 

ですがこの出来事、私には森鴎外の
『舞姫』の最後の文を思い出させもします。

 

「ああ、相沢謙吉がごとき良友は
世にまた得がたるべし。
されどわが脳裏に一点の彼を憎む
心今日まで残りけり。」
        森鴎外『舞姫』

 

 

 

 

『舞姫』では別れさせたのが友人の
相沢謙吉であり、「蓮華草」の句では
瓢水が身請けを止めた方という違いは
ありますが。

 

_____________________________________________________________
         (とめた人)
作者・鴎外ーエリス  友人・ 相沢謙吉

(とめた人)
作者・瓢水      友人ー遊女

 

 

蓮華草を手に取ることのなかった
瓢水の御友人は後になって、このことを
どのように回想していたのでしょう。

 

 

 

 

最後に、森鴎外の蓮華(ゲンゲ)
の句を御紹介します。

 

「うらゝかや  げんげ菜の花  笠の人」

 

 

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うさぎの生存権は?

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

うさ友さんに感謝!

うさぎさんつながりのお友達を
「うさ友」さんといいますが、うさ友さん
には本当に良い方が多いんですよ。

 

うちのうさぎのあぷりが病気の時も
うさ友さんたちに支えていただき
本当にありがたく思いました。

 

mちゃん、シュウママさん、
ちっぷママさん、くう姫さん等々。

 

あぷりのおかげで、素晴らしい獣医の
先生方にも出会え、得難きお友達にも
会うことができました!

 

 

 

 

なかには、知り合った時はうさぎを
飼ってはいませんでしたが、その後うさぎと
暮らすようになったという人がいました。

 

その人は、女の子を二人育てている方で
当時は離婚して実家でご両親と暮らして
いるということでした。

 

下の女の子が、とても動物が好きで将来
獣医さんになりたいというほどだったそう。

 

うさぎを2匹(本当は「2羽」)飼い始めた
と彼女から聞いた時、彼女の家には鳥と、
もう一種類動物がいたように記憶しています。

 

 

 

 

 

世話をする母親が難色を示し

彼女は弁護士と大学教授の仕事が忙しく、
家に帰るのが遅くなることも度々でした。

 

それどころか、タクシーで帰るより
安いからと、カプセルホテル
に泊まることもあったようです。

 

ですから彼女自身は、うさぎの世話を
するどころではなかったのでしょう。

 

うさぎを飼い始めたと聞いてから
しばらく経った時のことです。
彼女が困ったように言いました。

 

「母がうさぎの排泄物の臭いが
イヤだって言うのよね」と。
彼女の家の家事は、主に彼女の
母親が担っていたのでしょう。

 

 

 

 

 

家の中から外へ

うさぎは家の中から、外に出されました。
外の小さな箱の中にいて、
「かわいそうなの、まるで動物虐待」
とも彼女は言っていました。

 

たまたま彼女のご近所のでも、うさぎを
飼い始めた人がいて、そのおうちのうさぎ
はソファーが大好きだということでした。

 

彼女は、
「うちのうさぎたちだったら考えられ
ないわ、オシッコをしちゃうから」
と言ったので、

 

「人間だって、生まれてから、随分
長い間、おむつをしているじゃない、
うさぎさんだって少し時間が
必要なんじゃないかなぁ……」
と私はいいましたが。

 

 

 

 

 

家の外から山へ

それから数ヶ月後のことでした。
彼女と何かの場所で、ほんの少し一緒に
なった時に、彼女が私に聞きました。

 

「まだ、うさぎさん飼っているの?」
私は内心「?」と思いながら頷きました。

 

すると彼女は言ったのです。
「偉いわね。
うちは山へ返してきたわ」と。

 

 

 

 

耳を疑う言葉でした。
確かに昔は、そして現在でも山で自然
の中で暮らしているうさぎはいます。

 

ですが現在、彼女や私が飼っている
うさぎはペットショップにいたうさぎで
あり、山で暮らした経験など全くありません。

 

「捨ててきた」という言葉を使わずに
あたかも元に戻しただけというニュアンス
の、「山に返す」と表現したのです。

 

 

 

 

私は言葉を失いました。
力が抜けました。

 

そして十年以上たった現在まで、共通の
友人に、この話をしたことはありません。
何故なのか、その理由は自分でも
わからないのですが。

 

このことがあったからというわけ
ではありませんが、その後彼女とは
ほとんど話しをしなくなりました。

 

 

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