柿右衛門窯 東京店(赤坂)

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「酒井田柿右衛門窯  東京店」(赤坂)

前々回(「柿右衛門と柿右衛門様式」)と
前回(「柿右衛門の濁手」)と酒井田柿右衛門のお話
でしたが、その柿右衛門の直営店が赤坂にあります。

 

柿右衛門窯はもちろん佐賀県にあるのですが
直営店は大阪と東京にあり、その東京店が赤坂の店舗。

 

(「柿右衛門窯 町営店
 107-0052  東京都港区赤坂6丁目 19-44
  03-3586-3841
 営業時間 平日 9:30~18:00 土曜日9:30~17:00
 日、祭日はお休み)

 

 

左下の緑色の部分が「東京ミッドタウン」
その意義側の「M」のあたりが「柿右衛門窯  東京店」

 

 

 

「檜坂」沿いにあるお店

場所は、東京ミッドタウンの正面ではなく反対側の
お庭や港区立檜町公園がある静かな方にあります。

 

上の地図で右上に見える緑色の塊が赤坂サカスで
左下が「東京ミッドタウン」ですが、その左に「M」と
書いてあるあたりが「柿右衛門窯  東京店」のある場所。

 

M」から東京ミッドタウンを見るとこんな風です。

 

 

 

聳えている建物物は東京ミッドタウンのタワー

 

 

 

石垣の上は檜町公園で、その先が東京ミットタウン。
石垣があるこの道は「檜坂」と呼ばれる坂ですが
石垣と檜坂を一緒に撮った写真がこちら。

 

 

 

石垣のある道は「檜坂」です

 

 

 

1階か2階か?

写真の左側に「檜坂」の標識が見えますね。
この標識を入れて、石垣側から反対の方を撮ると
こんな感じで、こちらが柿右衛門窯東京店になります。

 

 

 

檜町公園と檜坂に面している「柿右衛門窯  東京店」

 

 

 

マンションの1階というか2階というべきなのか
ちょっと迷うところではありますが、おそらく
「柿右衛門窯  東京店」は1階なのだと思います。

 

何といっても坂の多い赤坂のことですので、写真の
手前と向こう側ではかなり高低差がありますからね。

 

7月10日:追記
 柿右衛門東京店は、1階ではなく2階だそうです。
 この記事を書いた7月1日のグーグルの表示では番地
 のみでマンション名と所在階数の表示はなかったの
 ですが、今日見たら「2階」となっていました!
 まさかこのブログを見て建物名と所在階数を加え
 てくれたとは思えないのですが、何とも不思議です。
 グーグルのみではなく「柿右衛門」のサイトでも同様
 にマンション名の記載がなかったので、オフィスビル
 ではなくほとんどが住居用の建物ですので、あえて
 記載しないのかと思い、私もマンション名を書かな
 かったのですが……。
 ちなみに「柿右衛門」のサイトの方は、現在でも
 建物名の記載はありません。)

 

 

 

 

まあそれは置いておいて、東京ミッドタウンの正面玄関の方は
車や人通りの多い外苑東通りで賑やかな六本木すが、反対側の
こちらは檜町公園の真ん前でもあり緑の多い静かな場所です。

 

檜町公園では春には桜、そのあとには藤の花が続きます。
柿右衛門の濁手に描かれた花々たちといずれも劣らぬ
美の競演がこの界隈では繰り広げられているようです。

 

窓の形もアーチ状でモダンな感じがします。
最初は日本のやきもののお店風でないようにも思いました。

 

ですが考えてみれば、柿右衛門はヨーロッパ
の王侯貴族に愛された焼物でしたものね。

 

 

「色絵花鳥文皿」柿右衛門様式

 

 

 

「柿右衛門窯」(佐賀県)

柿右衛門窯東京店はうちから数分で行くことができ、よく前を
通っているのですが、実はお邪魔をしたことはありません。
佐賀県にある柿右衛門窯には行ったことがあるのですが。

 

(「柿右衛門窯
 佐賀県西松浦郡有田町南山丁352
 Tel. 0955-43-2267)

 

以前、お話しした中里太郎衛門窯に行った時に一緒に
参りましたが、先ず最初に訪れたのが柿右衛門窯でした。

 

 

柿右衛門窯(写真/「PREMIST SALON  プレミストサロン」)

 

 

遠い佐賀県の柿右衛門窯には行ったことがあるのに
赤坂にある近くの柿右衛門窯  東京店に未入店
というのもおかしな話。

 

実は佐賀県の柿右衛門窯にはお供で行ったのです。
連れて行ってくださった方は、14代・柿右衛門の香炉を
お求めになり旅行後、それは和室に飾られていました。

 

本当は赤坂の柿右衛門窯  東京店にもお邪魔したい
のですが、7桁の香炉はもとよりそれ以外であっても
私にはちょっと敷居が高く躊躇しているのが現状です。

 

 

 

 

白いアーチ状の窓から、飾られている壺か花入と
思われる作品がうっすらと見えることがあります。
是非、一度訪れてあのアーチの中に消えてみたいなぁ。

 

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赤坂の料亭 5軒のうち「口悦」は今月いっぱいで閉店

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最盛期は60件ほどのあった料亭が今は一桁に

昭和40年代(1965〜1974年)頃は、60軒ほどあった
赤坂の料亭も、今はわずか5軒になってしまった
という記事を読んだのは昨年の9月のことでした。

 

5つの料亭とは「浅田屋」「口悦」「つる中」「佐藤」、
そして前々回に御紹介した「赤坂金龍」。

 

その記事を読んでわずか半年も経たないうちに、その中の一つの
料亭「口悦」が今月、2017年3月で閉店が決まりました。

 

昨年、首相官邸近くの赤坂2丁目にできた「ケイ・ジー3」という
会社が購入しましたが、この会社はカカクコムなどを傘下に収める
東証一部の「デジタルガレージ」という会社だそう。

 

「口悦」のみならず外堀通りに面している9階建てのビルも購入済みで
その上、隣接の駐車場もと考えているそうですので、そうなると477坪に
もなりますので、大きなビルが建つのではないかとも囁かれています。

 

 

 

              料亭「口悦」

 

 

 

「口悦」は3月で閉店

「口悦」の女将・渡辺純子さんは、俳優の故渡辺文雄さんの奥様。
1962(昭和37年)に「口悦」をオープンして以来、半世紀以上にわたり
切り盛りをしてきましたが体力の限界から、この度お店を閉じることに。

 

(「口悦」
〒107-0052 赤坂2丁目5-15     Tel. 03-3585-0321
営業時間 17:00~23:00     総席数 100 喫煙 可
定休日 土曜・日曜・祝日     予算(夜) ¥30,000~ )

 

歴代の総理で、訪れたことがない人はいないといわれるほどの名店
「口悦」は、お料理の味は言うに及ばず、女将の細やかな心配りとお店
の佇まいが訪れる人に安らぎを与え続けてきた、赤坂の名料亭でした。

 

「もう非常に残念です。
* 僕の若き青春の血が滾っていた時代を過ごした土地ですよ」

「口悦がなくなってもまだ数件は料亭が残りますが、
* やはり『口が悦ぶ』と書く口悦は、日本の文化だった。
* 国会の先生方も、口悦の門をくぐって
* 総理大臣までのぼりつめているわけだから。
* 守りたいとも思うけれど、お母さん(女将)が膝を痛めてお座敷で
* 正座が出来なくなったことも、閉店の大きな要因のひとつ。
* 経営が苦しくなったということではないですからね」

 

と寂しそうに語るのはみのもんたさん。
              (「週刊新潮」2016年11月17日号)

 

 

 

              料亭「口悦」

 

 

 

命名は小津安二郎、表札は中川一政

「口悦」というお店の名前については、渡辺文雄さんが
生前にこのような説明をしていらっしゃいます。

 

「女房の家が、昔、料亭をやっていて。
それを女房が再開したのが、結婚して5年後ぐらい後のことです。
店の名を改める際、映画監督の小津安二郎さんんが、口が悦ぶ
と書いて『口悦』とつけてくれました」
            (「DAILY  SHINCHO」2017.3.21)

 

また表札の字は、中川一政画伯の筆によるものだそうです。
多分、このお酒の「口悦」の字も。

 

 

 

              料亭「口悦」

 

 

 

最新版、赤坂の料亭マップ

現在、赤坂の料亭組合一覧に載っている5つの料亭の位置を
正確ではありませんが、大体のところを地図で示してみました。
外堀通りに平行に沿っている道に料亭があることがわかります。

 

意外だったことは、お店の前を通っていてここは料亭だろう
と思っていたお店のほとんどが、料亭ではなく「日本料理」や
「割烹」のお店として登録されていることでした。

 

お店の中に入ればまた別なのかもしれませんが
外見からですと全くわからず、夜は外に黒塗りの車が待機して
いたりするもので、てっきり料亭だと思っていたのですが。

 

 

         現在の赤坂の料亭の位置(2017年3月)

 

 

「口悦」も入れて、現在ある赤坂の料亭は全て
赤坂見附駅から溜池山王駅を結ぶ外堀通りと並行の道にあります。

 

これはやはり、赤坂の花柳界が最も賑わったのは軍人や政治家、
財界人といったお客さんが主だったことによるのでしょうか?

 

中でも「口悦」「つる中」「佐藤」の3つのお店は
お隣同士といってもいいほど、近い場所にあり
その上、国会や首相官邸もすぐ近くですね。

 

 

 

料亭「つる中」 とても美しい写真があった
のですが、使わせてもらえないのでこちらを

 

 

 

料亭の情報は出ていない?

そこで「つる中」と「佐藤」の情報を調べてみたのですが
これが驚き、といいますか当たり前のことではありますが
今更のように気づいたことがありました。

 

「つる中」
〒107-0052 港区赤坂2丁目5-17  Tel.03-3583-1457
営業時間  10時00分~22時00分

 

「つる中」はこのように営業時間は記されていますが
定休日等の情報は見当たりませんでした。
それが「佐藤」になりますと、もっと顕著です。

 

「佐藤」
〒107-0052  港区赤坂2丁目8-19  Tel.03-3585-8201

 

というわけで、住所と電話番号のみで、営業時間、
定休日等は店舗へお問い合わせくださいとのことでした。
当然のことながら、「つる中」「佐藤」に関しては
食べログの写真、メニュー紹介、口コミ等は一切ありません。

 

 

 

料亭「佐藤」
こちらも「つる中」同様 写真はこれしかありません

 

 

 

一見さんお断り

始めは?と思ったものの、そうですね、それが料亭なのですね。
一見さんお断りなのですから、メニューはもちろん、営業時間や
定休日なども、一般に知らせる必要もないわけでして。

 

これに対して「口悦」は、営業時間も定休日も、予算も書かれて
いましたが、料金を気にするような人は、もともと料亭には行かない、
行ってはいけないということなのかもしれません。

 

このような料亭の性質を考えれば、またこれも当然のこと
なのでしょうが、基本的には料亭にはサイトもないようです。

 

 

 

             料亭「赤坂  金龍」

 

 

 

サイトがあるのは「赤坂金龍」と「浅田屋」

ただし前々回、御紹介した「赤坂金龍」はサイト
がありますし、また「浅田屋」も同様です。
「浅田屋」の御主人浅田松太さんは、現在の赤坂料亭組合の会長です。

 

『赤坂料亭組合』は、赤坂の芸者さんの組合である『赤坂芸妓組合』
と共に『東京赤坂組合』として、料亭の取りまとめを行うほか
伝統芸能としての料亭と芸者の継承に日々力を注いでいます。

 

「東京赤坂組合」
〒107-0052 港区赤坂2丁目8-15 オリエントニュー赤坂 2F
 Tel.:03-3585-1010

 

こちらの催しものとして今月、3月10日と11日に第55回を数える
「赤坂をどり」が、赤坂サカス内のACTシアターで開催されました。
私は残念ながら一度も行ったことはないのですが、この時期には
赤坂の街に艶やかなポスターが目につくようになります。

 

 

 

    料亭「赤坂浅田屋」(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

「浅田屋」

そして残る一店が「浅田屋」です。
「浅田屋」の始まりはなんと今から約350年ほど前のこと。

 

「浅田屋」
 〒107-0052 港区赤坂3丁目6-4     Tel. 03-3585-6606
                    Fax. 03-3585-5229
昼食  月~日 11:30~14:30(L.O.14:00)
夕食  月~土 17:30~22:30(L.O.22:00)
              土日祝日は、前日までの完全予約制

 

1659(萬治2)年に、初代・浅田屋伊兵衛が、加賀藩主・前田綱紀より
飛脚を命じられその後、200年にわたって飛脚のまとめ役である棟取り
を勤めましたが、明治維新の前年、当時の当主が飛脚の役割を藩に返上。

 

1867(慶応3)年に、今までの経験をいかして、金沢市十間町に
旅籠「浅田」開業し、後に旅館「浅田」を創業し、料亭や
中華レストランも開いています。

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」のお料理 「治部煮」と「ゴリ」
治部煮は頂いたことがありますが、ゴリって何でしょう?
煮こごりのことでしょうか。

 

 

 

そして1971(昭和46)年、現在の「赤坂  浅田屋」の御主人であり
赤坂料亭組合会長でもある浅田松太さんのお祖父様が、加賀料理の
お店を赤坂に、料亭「赤坂浅田」として開業しました。

 

1993(平成5)年には港区北青山に、加賀料理「青山浅田」を、
2004(平成16)年、名古屋駅JRセントラルタワーズに加賀料理
「名古屋浅田」をオープンしています。

 

「浅田屋」についてもっといろいろ書きたいのですが
そちらは、いつかお邪魔した後にしましょうね。

 

「浅田屋」は一見さんお断りではないようですし、サイトも
充実していて、高いけれど高過ぎる敷居のお店ではないようです。
と信じて、夜は無理でも(涙)お昼に伺ってみたいと思います。

 

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「日本を愛し、日本人より日本人らしく生きた青い目の版画家」クリフトン・カーフ

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「赤坂  金龍」とクリフトン・カーフ

諸事情から一度は閉店した赤坂の「料亭金龍」が、日本の伝統文化発信の
「赤坂  金龍」として再出発をするきっかけの一つとなったのは
今日、御紹介するクリフトン・カーフさんの影響だったということです。

 

彼の作品はどのようなものだろうと、検索をしてみて驚きました。
かなり前のことですが、彼の作品をカード(だったか正確には忘れ
ましたが)にした何点かを、友人から頂いたことがあったからです。

 

建物や路地、お茶室の中など、日本の美しい風景を版画にした
作者を、私は当然のように日本人だと思い込んでいました。
その作者が「赤坂  金龍」と御縁のあった版画家だったとは……。

 

 

 

      「料亭金龍」は2009年、「赤坂  金龍」として再出発

 

 

 

1955年に再来日

フィンランドに生まれ、後にアメリカに移住した祖父母を持つ
クリフトン・カーフ( Clifton  Karhu)は、1927年に
アメリカのミネソタ州ダールズで誕生しました。

 

彼が初めて日本を訪れたのは1946年、18歳の時のこと。
最初は、なんと軍人として長崎県の佐世保にいらしたそうです。
軍人といっても任務は、軍隊付きの画家として。

 

家族の全てが絵を描くという環境で育ったクリフトン・
カーフはその時すでに、日本の文化や町並みに興味をもち
帰国後の1950年〜1952年には、ミネアポリス美術学校に通います。

 

 

 

        「桂離宮と月」クリフトン・カーフ

 

 

 

京都から金沢に

卒業後、23歳だった1955年に再来日し
最初は滋賀県に、そののち京都に移ります。
初めての個展が大成功を収めたのは1961年、34歳の時でした。

 

それからは国内はもとより、香港、オーストラリア、
ヨーロッパ、アメリカで個展を次々に開催し、
版画集(「カーフ画集」「京都再見」「京都発見」)を刊行。

 

59歳になった1986年からは、生まれ故郷のアメリカ、ミネソタ州で、
2年後には当時拠点であった京都で、またその2年後には、彼のルーツ
ともいうべきフィンランドで、それぞれ回顧展を開催しています。

 

 

       クリフトン・カーフさんと、愛猫・マイト君

 

 

京都のアトリエ兼住居を1995年、68歳の時に金沢に移します。
九谷焼きの仕事で訪れた際に金沢に魅かれ、何度か通ったのちに購入
した家は、内外装とも金沢の茶屋文化の伝統的な様式に整えました。

 

金沢に移ってからも版画集を刊行し、フィンランド、スウェーデン、
アメリカでの個展を開催していたクリフトン・カーフは
今から10年前の2007年3月24日、80歳で永眠。

 

このようにみていきますと、「赤坂  金龍」との
繋がりはどのあたりに位置するのでしょうか?
できることならば、秋葉佳宣さんに伺ってみたいところです。

 

 

秋葉佳宣さん「赤坂  金龍」
(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

うさぎがお出迎え「カーフこれくしょん」

金沢の浅野川沿いの主計町(かづえまち)にあった、彼の自宅兼
アトリエだった茶屋を改装した建物は、現在クリフトン・カーフ
作品の展示、販売をするギャラリーになっています。

 

Yanis   Art  japan   ltd.(株式会社 ヤニスアート・ジャパン)
(代表取締役 香川寿幸
 〒920-0908 石川県金沢市主計町3-19
 Tel.076-255-3928(代)   Fax.076-255-3926
 メールアドレス       info@cw-karhu.jp)

 

金沢に移ってからもカーフは、国内はもとより、香港、
オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカで個展を次々に開催し、
版画集(「カーフ画集」「京都再見」「京都発見」)を刊行。

 

会社名についている「ヤニス(Yanis)」とは
フィンランド語で「うさぎ」という意味だそうです。
カーフさんも社長さんも、卯年生まれだからとのこと。

 

 

    (写真/「金沢主計町茶屋街『かーふコレクション』 」)

 

 

というわけで、ギャラリーの格子戸には、うさぎさんがいっぱい。
写真はギャラリーの内側から見たものですが外は
ボタン雪が降っていて、カーフさんの版画のようですね。

 

 

 

水に映る風景を版画に

クリフトン・カーフは、雨上がりの茶屋街を好んだといいます。
雨に濡れた道路に映った電線を見ていると
一瞬、版画であるのを忘れてしまうほど。

 

 

クリフトン・カーフが雨上がりの友人宅を書いた版画
(写真/「カーフこれくしょん」

 

 

奥の蛇の目傘が、道に溜まった雨におぼろげに映り
ちょっと強めの風に煽られた暖簾が翻っている雨上がり。
がっしりとした黒の直線に添えられた、嫋やかな曲線が美しい。

 

数十年前にクリフトン・カーフの作品をプレゼント
してくれた友人に、見せてあげたい版画です。
ちなみにこちらはクリフトン・カーフの金沢の友人宅だそう。

 

次の写真は、3年前の赤坂サカスの「ホワイトサカス」の様子ですが
間に水が入ることにより、風景は不思議な美しさに彩られます。

 

 

    並べてごめんなさい、こちらは雨の赤坂サカスの写真

 

 

 

洒脱な筆使いの墨絵

クリフトン・カーフといえば、このような京都や金沢の町並みや、
「桂離宮と月」のような版画が最も有名だと思われますが
実は私は、カーフさんの墨絵が大々好きです。

 

 

       クリフトン・カーフの版画「桂離宮と月」

 

 

大胆で生き生きとした自由な筆づかいが
生み出す線を見ていると、楽しくて、嬉しくて。
何もこわいものはないぞ!、という気になっちゃいます。

 

こちらは「二兎を追う者は一兎をも得ず」の「二兎無兎」のうさぎさん。
(逃げられてよかったね)

 

 

 

クリフトン・カーフの「二兎無兎」
(写真/「カーフこれくしょん」)

 

 

左に書かれているのは
「RUN  AFTER  TWO  RABBITS  AND  YOU’LL CATCH  NONE」
というアルファベットの英文ですが、なんとも絵になっている字(!)。

 

その左には「佳風」とサインがありますが、この「かーふ」のサインは
初期には「夏風」という文字で書かれていたようです。
夏の風、も「佳風」に劣らず素敵です。

 

小説家のヘンリー・ミラーも、クリフトン・カーフ
のユーモラス墨絵を愛したようですよ。

 

 

 

 

 

鮎を売って生計を立てた頃を思い

クリフトン・カーフさんが、最後の12年間の住まいを
金沢主計町に決めたのは、再来日して岐阜にいらした頃
の郷愁に駆られたことも、理由の一つだったとか。

 

再来日して滋賀に住んでいた頃は、プロ級の腕前をいかして趣味の
釣りで得た鮎を売って、生計を立てていたこともあったのだそう。
金沢主計町にたゆたう浅野川を見て、その頃を思い出されたといいます。

 

常に着物を着て仕事をし、愛した金沢の街を散策する
クリフトン・カーフは、金沢の人々からも愛されていました。

 

「かーふコレクション」の香川寿幸さんは、こんな言葉を記しています。
「日本を愛し、日本人より日本人らしく生きた青い目の版画家」。

 

 

     「マイト」はフィンランド語で「ミルク」の意味

 

 

カーフさん御自身も、自画像を描くときは
目の色を青く描かれたそうですが、実際は
ブルーグリーンの目をおもちだったそうです。

 

上の写真でカーフさんと一緒に写っている、彼によく似た
もはもはのネコちゃんの名前は、「マイト」君といいます。
これはフィンランド語で「ミルク」を意味する言葉。

 

今から10年前の2007年3月24日にカーフさんがお亡くなりになってから
3年ほどの月日を経た2010年4月に、マイト君は11歳で死んでいます。
マイト君の目の色は、何色だったのでしょう?

 

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