「日本を愛し、日本人より日本人らしく生きた青い目の版画家」クリフトン・カーフ

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

 

「赤坂  金龍」とクリフトン・カーフ

諸事情から一度は閉店した赤坂の「料亭金龍」が
日本の伝統文化発信の「赤坂  金龍」として再出発を
するきっかけの一つとなったのは今日、御紹介する
クリフトン・カーフさんの影響だったということです。

 

彼の作品はどのようなものだろうと
検索をしてみて驚きました。

 

かなり前のことですが、彼の作品をカード
(だったか正確には忘れましたが)にした何点かを
友人から頂いたことがあったからです。

 

建物や路地、お茶室の中など、日本の美しい
風景を版画にした作者を、私は当然のように
日本人だと思い込んでいました。

 

その作者が「赤坂  金龍」と御縁のあった
版画家だったとは……。

 

 

 

料亭金龍」は2009年、「赤坂  金龍」として再出発

 

 

 

1955年に再来日

フィンランドに生まれ、後にアメリカに移住した
祖父母を持つクリフトン・カーフ( Clifton  Karhu)は
1927年にアメリカのミネソタ州ダールズで誕生しました。

 

彼が初めて日本を訪れたのは1946年、18歳の時のこと。
最初は、なんと軍人として長崎県の佐世保にいらした
そうですが、軍人といっても任務は、軍隊付きの画家。

 

家族の全てが絵を描くという環境で育った
クリフトン・カーフはその時すでに、日本の文化や
町並みに興味をもち、帰国後の1950年〜1952年
には、ミネアポリス美術学校に通います。

 

 

 

「桂離宮と月」クリフトン・カーフ

 

 

 

京都から金沢に

卒業後、23歳だった1955年に再来日し
最初は滋賀県に、そののち京都に移ります。
初めての個展が大成功を収めたのは1961年、
34歳の時でした。

 

それからは国内はもとより、香港、オーストラリア、
ヨーロッパ、アメリカで個展を次々に開催し、版画集
(「カーフ画集」「京都再見」「京都発見」)を刊行。

 

59歳になった1986年からは、生まれ故郷のアメリカ、
ミネソタ州で、2年後には当時拠点であった京都で
またその2年後には、彼のルーツともいうべき
フィンランドで、それぞれ回顧展を開催しています。

 

 

クリフトン・カーフさんと、愛猫・マイト君

 

 

京都のアトリエ兼住居を1995年、
68歳の時に金沢に移します。

 

九谷焼きの仕事で訪れた際に金沢に魅かれ
何度か通ったのちに購入した家は、内外装とも
金沢の茶屋文化の伝統的な様式に整えました。

 

金沢に移ってからも版画集を刊行し、フィンランド、
スウェーデン、アメリカでの個展を開催していた
クリフトン・カーフは、今から10年前の
2007年3月24日、80歳で永眠。

 

このようにみていきますと、「赤坂  金龍」との
繋がりはどのあたりに位置するのでしょうか?
できることならば、秋葉佳宣さんに
伺ってみたいところです。

 

 

秋葉佳宣さん「赤坂  金龍」
(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

うさぎがお出迎え「カーフこれくしょん」

金沢の浅野川沿いの主計町(かづえまち)にあった
彼の自宅兼アトリエだった茶屋を改装した建物は
現在クリフトン・カーフ作品の展示、販売
をするギャラリーになっています。

 

Yanis   Art  japan   ltd.(株式会社
ヤニスアート・ジャパン)

(代表取締役 香川寿幸
 〒920-0908 石川県金沢市主計町3-19
 Tel.076-255-3928(代)   Fax.076-255-3926
 メールアドレス       info@cw-karhu.jp)

 

金沢に移ってからもカーフは、国内はもとより
香港、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカで
個展を次々に開催し、版画集(「カーフ画集」
「京都再見」「京都発見」)を刊行。

 

会社名についている「ヤニス(Yanis)」とは
フィンランド語で「うさぎ」という意味だそうです。
カーフさんも社長さんも、卯年生まれだからとのこと。

 

 

(写真/「金沢主計町茶屋街『かーふコレクション』 」)

 

 

というわけで、ギャラリーの格子戸には
うさぎさんがいっぱい。

 

写真はギャラリーの内側から見たものですが外は
ボタン雪が降っていて、カーフさんの版画のようですね。

 

 

 

水に映る風景を版画に

クリフトン・カーフは、雨上がりの
茶屋街を好んだといいます。
雨に濡れた道路に映った電線を見ていると
一瞬、版画であるのを忘れてしまうほど。

 

 

クリフトン・カーフが雨上がりの友人宅を書いた版画
(写真/「カーフこれくしょん」

 

 

奥の蛇の目傘が、道に溜まった雨におぼろげに映り
ちょっと強めの風に煽られた暖簾が翻っている雨上がり。
がっしりとした黒の直線に添えられた
嫋やかな曲線が美しい。

 

数十年前にクリフトン・カーフの作品をプレゼント
してくれた友人に、見せてあげたい版画です。
ちなみにこちらはクリフトン・カーフ
の金沢の友人宅だそう。

 

次の写真は、3年前の赤坂サカスの「ホワイトサカス」
の様子ですが、間に水が入ることにより
風景は不思議な美しさに彩られます。

 

 

並べてごめんなさい、こちらは雨の赤坂サカスの写真

 

 

 

洒脱な筆使いの墨絵

クリフトン・カーフといえば、このような京都や金沢の
町並みや、「桂離宮と月」のような版画が最も有名だと
思われますが実は私は、カーフさんの墨絵が大々好きです。

 

 

クリフトン・カーフの版画「桂離宮と月」

 

 

大胆で生き生きとした自由な筆づかいが
生み出す線を見ていると、楽しくて、嬉しくて。
何もこわいものはないぞ!、という気になっちゃいます。

 

こちらは「二兎を追う者は一兎をも得ず」の
「二兎無兎」のうさぎさん。(逃げられてよかったね)

 

 

クリフトン・カーフの「二兎無兎」
(写真/「カーフこれくしょん」)

 

 

左に書かれているのは
「RUN  AFTER  TWO  RABBITS  AND  YOU’LL
CATCH  NONE」というアルファベットの英文ですが
なんとも絵になっている字(!)。

 

その左には「佳風」とサインがありますが
この「かーふ」のサインは、初期には「夏風」
という文字で書かれていたようです。
夏の風、も「佳風」に劣らず素敵です。

 

小説家のヘンリー・ミラーも、クリフトン・カーフ
のユーモラス墨絵を愛したようですよ。

 

 

 

 

 

鮎を売って生計を立てた頃を思い

クリフトン・カーフさんが、最後の12年間の住まいを
金沢主計町に決めたのは、再来日して岐阜にいらした頃
の郷愁に駆られたことも、理由の一つだったとか。

 

再来日して滋賀に住んでいた頃は、プロ級の
腕前をいかして趣味の釣りで得た鮎を売って
生計を立てていたこともあったのだそう。

 

金沢主計町にたゆたう浅野川を見て
その頃を思い出されたといいます。

 

常に着物を着て仕事をし、愛した金沢
の街を散策するクリフトン・カーフは
金沢の人々からも愛されていました。

 

「かーふコレクション」の香川寿幸さんは
こんな言葉を記しています。

 

「日本を愛し、日本人より
日本人らしく生きた青い目の版画家」。

 

 

「マイト」はフィンランド語で「ミルク」の意味

 

 

カーフさん御自身も、自画像を描くときは
目の色を青く描かれたそうですが、実際は
ブルーグリーンの目をおもちだったそうです。

 

上の写真でカーフさんと一緒に写っている
彼によく似たもはもはのネコちゃんの名前は
「マイト」君といいます。
これはフィンランド語で「ミルク」を意味する言葉。

 

今から10年前の2007年3月24日にカーフさんが
お亡くなりになってから、3年ほどの月日を経た
2010年4月に、マイト君は11歳で死んでいます。
マイト君の目の色は、何色だったのでしょう?

 

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赤坂 金龍 「金龍御膳」

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元は料亭の「赤坂  金龍」

赤坂の有名な料亭「 金龍」をリニューアルした
「赤坂  金龍」でお友達と一緒にお食事を頂いてきました。

 

「赤坂  金龍 」
 〒107-0052 港区赤坂3-17-2
  Tel: 03-3583-2033  )

 

昼食は、11:30~14:30(ラストオーダー14:00)で
夕食は平日が、17:30~23:00/(ストオーダー22:00)、
土日祝は、17:30~22:00(ラストオーダー21:00)

 

となっていまして、私たちが行ったのはもちろん昼食。
(本当は、夜に行きたいのですが、何しろ予算が……)
頂いたのはランチの「金龍御膳」です。

 

 

金龍御膳「赤坂  金龍」

 

 

昨年の2016年10月24日に、NHKプレミアム
「TOKYO ディープ!」という番組の
「赤坂 おもてなしの心」と題された回に
赤坂のいくつかのお店が紹介されました。

 

そのうちの一つが「赤坂  金龍」だったそう。
「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店
*  復活秘話と驚きの大改革!」
とのキャッチコピー(?)がおどっています。

 

 

 

初回は……

「赤坂  金龍」でお食事をいただいたのは今回が初めて
でしたが実は昨年、一度行ったことがありました。

 

昼食は11時半から2時半で、2時までに入らなければ
なりませんが、私が着いたのはギリギリ2。3分前で
その時に御法事か何かの予約についての話を
玄関でしている方が数人いらっしゃいました。

 

その方々のお話が終わるまで待っていると、数分で
お帰りになったので、急いで入ろうとしましたが
2時を過ぎていたようで断られたことがありました。

 

 

 

 

 

 

奥の和室

今回「赤坂  金龍」に連れて行ってくれた
人に、その時の話をしましたら
「あら、そんなうるさいこと言うの?」

 

と、ちょっと意外そうな感じで
「それでは、今度一緒に行きましょう」
ということで連れて行っていただいたのです。

 

「赤坂金龍」の玄関には、料亭だった時の名残りと
思われる履物番の男性がいて、玄関で履物を
受け取って棚に収めてくれます。
もっと、綺麗な靴を履いてくればよかった、
とちょっと後悔。

 

部屋に通されると連れて行ってくれた N子さんが
何か質問すると、すぐに奥の和室に通してもらえました。
さすがN子さん、貫禄です。

 

奥の和室は畳の部屋なのですが、テーブルと椅子が
置いてあり、お庭も綺麗、こちらで良かった!

 

 

「赤坂  金龍」の広間(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

Nさんと私は、私が以前住んでいたマンションの
住人同士という間柄です。
「赤坂  金龍」から、ほんの2、3分という所で
生まれ育ったN子さんは、本格料亭だった頃の
「金龍」も知っていらっしゃる方。

 

NHKの「TOKYO ディープ!」の「赤坂 おもてなし
の心」にも「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店、
復活秘話と驚きの大改革!」とありますが、N子さん
のお父様は議員でしたのでよくいらしていたのでしょう。

 

N子さんと私が住んでいたマンションも、やはり
国会議員の方が建てたもので、その方がお亡くなり
になるまで、御家族で住んでいらっしゃいました。

 

マンションを建てた方と、N子父親が同僚という
関係から、 N子さんの家でも買われたようです。
最も購入時は、物を置く場所として使用していたとか。

 

 

 

 

 

 

1945年東京空襲 → 襲戦後再建 → 現在の場所に

料亭「赤坂  金龍」は1928(昭和3)年に
秋葉よしさんが創業したお店ですが、その時は
現在の場所ではなく田町通りにありました。

 

1945(昭和20)年の東京空襲で、赤坂は焼け野原に。
葉山に疎開をしていて難を逃れた「料亭  金龍」の女将
秋葉よしさんは戦後、お店を再建して営業を始めました。

 

1953(昭和28)年には、現在のみすじ通りに移転。
100坪の敷地に建つ、木造の数寄屋建築でした。
「赤坂  金龍」の建物は、近代の数寄屋建築を
確立した吉田五十八さんの弟子である、
石間佳造さんの手によるものです。

 

秋葉よしさんは、84歳の1982年まで「料亭金龍」
の女将を務め、2代目は、秋葉家にお嫁入りを
した秋葉冨佐江さんに譲っています。
現在の三代目女将は、冨佐江の長女・陽子さん。

 

 

 

「赤坂  金龍」

 

 

 

2005年「料亭金龍」閉店

賑わっていた赤坂の花柳界は、1950年台後半から
次第に影を見せ始め、暖簾を下ろす料亭が相次ぎました。
そのような中、2005年「料亭金龍」も
閉店を余儀なくされます。

 

政治家、実業家というお客さんの減少に加え
建物の老朽化の問題も立ちはだかりました。

 

港区の条例により、新たに木造建築を作ることは
できない上に、改築の際も、認められるのは
建物の半分という制約がありました。

 

閉店をした年は2005年でしたが、2005年と
いいますと世の中を騒がした、例の耐震偽装問題
が起こった頃でもあります。

 

その影響により、耐震補強という名目で
築50年以上の木造建築物である、金龍の
改築の目処が立つことになりました。

 

 

 

 

 

2008年4月18日「赤坂  金龍」オープン

4年の月日を経た、2008年4月18日に「料亭  金龍」は
「赤坂  金龍」として生まれ変わります。
「赤坂  金龍」のサイトには以下のように記されています。

 

「私どもは、創業八十年の歴史を踏まえ、吉田五十八
 の流れをくむ、現代すき家建築を基礎に今まで
 高かった敷居を外し、国内外のお客様を問わず、
 気軽に、店頭芸能、日本の庭、料理、和服、
* お茶などを楽しめるスペースです。
* 金龍の暖簾をくぐった瞬間から殺伐とした都会
 では感じることのできないゆったりとした
 時間の流れを感じていただけると思います」

 

新しい「赤坂金龍」の建物は、ほぼ以前のままの
新興数寄屋造りを石間佳造が担当、庭園はホテル
ニューオータニを手がけた岩城恒太郎、
表具(ふすまなど)は向井一太郎、

 

食器類は、陶芸家の前田正博、川松弘美、
百田照、佐々木文代の作品を使用しています。

 

 

 

独特な魅力を持つ「赤坂  金龍」のバーカウンター
(といってもバーカウンターに座ったことなどほとんどないけど…)

 

 

 

いつかは、バーカウンターに!

次は、是非ここに座ってみたいと思ったのが
このバーカウンター。
でも、ここでランチ頂きたいです、というわけには
いかないでしょうから、ちょっと敷居が高いかなぁ。

 

このカウンターのみならず、「赤坂  金龍」で使われて
いるのは無垢の木のみ、全て手作りという贅沢さです。
バーカウンターを作った理由を、二代目女将
・秋葉冨佐江さんの御長男の秋葉佳宣さんは、

 

「個室が多いので、広い部屋でもお二人連れという
こともありましたが、もっと多くの方にお越しい
ただきたいと思い、気軽にお使いいただける
バーカウンターや、ランチもご用意しています」

 

「バブルの影響で、赤坂の街も昔のようなまとまりが
感じられなくなってしまいましたが、料亭というのは
日本文化の集約です。
この街で次の世代に日本文化を伝えていきたいと
思っています」 (『WELCOM港区』vol.630)
と語っていらっしゃいます。

 

 

秋葉佳宣さん「赤坂  金龍」
(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

「赤坂金龍」の復活に影響を与えた版画家

また2階の大広間を改装したライブスペースでは
日本伝統芸能の芸者さんの踊りはもちろんのこと
日本に4人しかいないという『太鼓持ち」の
芸を見ることも可能だそうです。

 

この「赤坂金龍」を復活するに際して、秋葉佳宣さん
が日本伝統文化を発信するお店にする決心をした
理由の一つには、版画家のクリフトン・カーフさん
の影響があったといいます。

 

私はこの事実には、ちょっと驚いたのですが
長くなってしまいましたので、クリフトン・カーフ
については、次回にお話ししましょうね。

 

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「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町

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「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」
メインダイニング「蒼天」

記事にするのがちょっと遅れてしまいましたが
今年のお正月は、昨年7月末にオープンした紀尾井町
ガーデンテラスにある「蒼天」に行ってきました。

 

正式名称は「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」という
ようですが、紀尾井町ガーデンテラス内にある
「ザ・ブリンスギャラリー東京紀尾井町」
の35階にあるメインダイニングです。

 

「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」
 〒102-8585 千代田区紀尾井町1-2
  03-3234-1111)

 

「ザ・ブリンスギャラリー東京紀尾井町」
のエントランスホールは36階。

 

東京ミッドタウンにある「ザ・リッツ・カールトン
東京」もそうですが、タワーホテルは
エントランスホールもかなり上にありますね。

 

 

赤坂プリンスホテル(2011年3月31日)

 

 

 

2011年3月31日 赤坂プリンスホテル閉館

「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」が
建つ前にこの場所にあった、赤坂プリンスホテルは
2011年3月31日に閉館しています。
(「『ポトマック』最後の日『赤坂プリンスホテル』」)

 

桜にけるむ赤プリ最後の日の終了時間が迫る頃、
赤坂プリンスホテルの閉館を惜しむかのように
静かな雨が少しだけ落ちてきたのが印象的でした。

 

営業終了後の赤プリは、福島の被災者受け入れ
などを経て、解体作業に入りましたが、その工法は
日本で2例目という「テコレップシステム」と
呼ばれる解体方法でした。

 

 

 

静かにゆっくりと解体した赤プリ

騒音や、粉塵を抑えることができる「テコレップ
システム」は、10日毎に2階分の高さ・6.4メートル
ずつ解体して低くなっていく方法で、毎日見ていると
赤プリが小さくなっているのがわからなかったほどです。

 

しかも、解体された廃材をクレーンで下ろす
エネルギーにより発電し、照明などの電力も
まかなっているというスグレモノでもありました。

 

赤プリがだんだん小さくなっている様子が
次の3枚写真でお分かりいただけますでしょうか。

 

 

赤坂プリンスホテルの解体(2012年8月)

赤プリ、見えなくなっちゃいました……

 

 

 

「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」建設

こうして時間をかけて解体された赤プリ跡地は
今度は、新たに生まれ変わるための工事に入りました。

 

赤プリ跡地のタウンネーミングが
「東京ガーデンテラス紀尾井町」に決定したのは
2015年4月、ホテルの名称が
「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」と
発表されたのが、2016年1月21日のこと。

 

次の写真は「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」
建設途中のもので、右に少しだけ見えるのが
赤坂エクセルホテル東急、
真ん中手前が、赤坂見附駅の出口です。

 

 

「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」建設途中
右は「赤坂エクセルホテル東急」

 

こちらの写真の左端の建物は「ホテルニューオータニ」

 

 

 

2016年7月27日「ザ・プリンスギャラリー
東京紀尾井町」オープン

そして、赤プリンスホテル解体後、5年の時を経て
完成した「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」
のオープンは昨年7月27日。

 

私は今回が初めての訪問ですが
写真を撮り忘れてしまいましたので、
「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」からの
眺めは、ホテルのサイトから拝借しましょう。

 

右上の方にちょっと高く見えるのが「六本木ヒルズ」、
そのまま左に寄ると「東京タワー」、東京タワーの左に
付くように建って見えるのは「プルデンシャルタワー」
で手前で大きく交差している付近が赤坂見附。

 

 

「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」からの眺め
「The Prince Gallery   Tokyo Kioicho」

 

 

あたりまえですが、同じ敷地に建っている
とはいえ、赤坂プリンスホテルの眺めと
はかなり違った感じに見えます。

 

 

 

スカイツリーがお出迎え

「ザ・プリンスギャラリー紀尾井町」36階の
エントランスホールから、1階だけ降りて
「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」に入った瞬間に
正面にスカイツリーが見えました。

 

赤プリからはスカイツリーは見えなかったものね、
というのは当然で、スカイツリーができたのは
2012年5月22日でしたから。

 

街がこんなにも急速に変化してしまうとは
何とも浦島たろ子状態です。

 

上の図ではちょうど切れてしまっているのですが
この左に同じような建物が3つ並んで見えたので
大きなマンションでも建ったのかな?、
と思ったら議員会館でした。
(衆議院第一、衆議院第二、参議院)

 

この3つの建物の左側に国会議事堂が見えて
初めて議員会館とわかった次第です。
いつも見上げている国会議事堂が
小さく見えたのに驚きました。

 

 

 前菜「青菜のポン酢お浸し」
「生ハムとタラの芽黄味揚げ」「トリュフムース」

 

 

 

料理長・高橋賢の思い

「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」という名前 が示す通り
「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」のメイン
ダイニングはフレンチではなく和食。
とはいえお店の雰囲気は、和食和食してはいません。

 

それもそのはず、サイトによりますとこのお店が
目指しているのは「和食でありながら、その
カテゴリーに収まり切れない、進化する“WASHOKU”」
を提供する「コンテンポラリー空間」なのです。

 

料理長の高橋賢は、従来の和食では使用しない食材や
調味料により、新しい妙なるバランスを生み出し、
「今まで味わったことのない、“初めて”の感動と心に
響く美味しさをお届けしたい」と願っているとか。

 

 

お椀 「海老芋コンソメスープ」

 

 

高橋料理長のいきごみは、このお椀でも
確かに感じられるものでした。

 

一見、普通のお椀のようにも見えますが
実はこれは「海老芋のコンソメスープ」
(鱈場蟹、菜の花、クルトン、酢立、三ッ葉)です。

 

そう、コンソメなのです。
ですがもちろんベースには、和風だしがしっかり
きいていますので、そこはそれ和風ではありますが。

 

この他にも先ほどの前菜の「トリュフムース」とか
デザートの「干し柿とチーズのタルト」等々、
随所に工夫が垣間見えます。

 

 

 

器も「和モダン」

お店の雰囲気とともに、使っている
食器もまさにそのような感じでした。

 

特にご飯とお味噌汁が入った器など「和モダン」
とでもいいたいようなおしゃれなもの。

 

(写真がなくて申し訳ありません、一緒に行った
お友達が送ってくれるはずだったのですが……、
と完全に人頼みな私)

 

素敵な食器の中に1つだけ
少々過剰かなと思った器もありました。
それが次の写真のお造りを入れたものです。

 

 

お造り「お造り3種盛り合わせ」

 

 

趣向を凝らした飾りや見立てといったものは
和食頂く時の楽しみである一方、過ぎてしまうのは
やはり及ばざるが如しという気もします。

 

フレンチ等では経験がないのですが、和食はがんばり
過ぎてしまう感じのものが、時々ありますね。

 

お造りという生もの(いえ、生ものに限らず、例えば
揚げ物でも前菜であっても同じだと思われますが)に、
このような閉じられた感じの器は、少々息苦しくも
あり、ちょっと違うような気がしないでもありません。

 

もちろん、それらの感覚は個人差がありますので
あくまでも私の感じ方に過ぎませんが。

 

 

 

次回は、じっくり味わいに

今回、残念だったことは、私自身は充分に味わった
つもりなのですが、如何せん、おしゃべりをして
いて、味の記憶はちょっとぼやけ気味なこと。

 

1年ぶりに会ったお友達が、衝撃的な
話を聞かせてくれたりしたもので……。

 

そういえば、お料理をサービスしてくれる時に
「お楽しみ中、失礼しますが」というような言葉を
毎回、耳にしてような気もします。

 

そんなに夢中で、おしゃべりをしていたかなぁ?
(↑無自覚!)

 

ということで今度こそ、高橋料理長の腕を充分に
味わうために是非、もう1度行ってみたいと思います。

 

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