食器の買取依頼をしました(アフェリエイト等の広告ではない実体験)

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

アフェリエイト等はあまり信用しない方が……

今回、終活の一環として食器の
買取を依頼してみました。

 

和服等は、それぞれが千差万別で直接、
見ないとお値段が不明なものと違い
食器は「ブランド」と「種類」で特定され
大体の相場もわかるのが便利です。

 

ネットで、食器の買取に関して調べると
多くの業者があり、私が連絡をとったのは
ほんの一部にすぎませんが、そこで感じた
ことを、少しだけシェアーできたらと思います。

 

一言で言ってしまいますと、買取依頼の
アドバイス風なサイトも、実はほとんどが
アフェリエイト等の宣伝で、実際の体験を
綴ったものは見当たらないからです。

 

 

 

 

 

3通りの買取方法

一般的に買取のかたちは、

 

1 利用者がお店に現物を持っていく
2 お店に郵送する
3 利用者宅に来てくれる

 

の3つがあるところが多く、2の郵送、3の出張
であっても、提示してくれたお値段に納得できな
ければキャンセルしても構わないというものです。

 

 

 

 

 

一番高く売るには

PRではないと思われる数少ないサイトの一つ
に、買取依頼の賢い方法のアドバイスとして、

 

1 いくつかのお店で写真査定を依頼する
2 そこから3つほど業者を選び出張を依頼
3 出張査定の中で、一番高い値段をつけた
 業者に決定

 

と書いてありました。
まあ、確かにその方法がお値段的には
一番有利なのは確かですし、買取が成立
しなくても料金は発生しないのですから。

 

しかし私としては、出張に来てもらう
以上は、その業者にお願いしたいですね。
写真査定とは、かなり話が違って
悪質だと感じない限りは。

 

 

 

 

そこで、まず3つの業者にネット上で
査定依頼をしたのですが、今から思えば
この選定にすでに、多くのPRサイトの
影響がありましたね。

 

それらの宣伝サイトでは、もっとも高額
買取と書かれてあった「福ちゃん」、
「買取プレミアム(株式会社Buy Sell
Technologies)」を選んでいるのですから。

 

最初にいってしまいますと、「福ちゃん」は
高くなかったというのが正直なところです。
もう1つ選んだお店は「ライフバケーション」
でした。

 

 

 

 

 

今回、依頼した食器

「ロイヤルコペンハーゲン 」と「マイセン」
で、超レア製品ではなく、ごく普通の
一般的なものです。

 

まず最初にロイヤルコペンハーゲン ですが
5のシュガーボウルと、8のクレセントは
これ1つですが、他のものは複数あります。

 

 

ロイヤルコペンハーゲンの
「ブルーフルーテッド (フルレース)」
奥から
1 ティーカップ&ソーサー
2 コーヒーカップ&ソーサー
3 プレート
4 プレート
5 シュガーボウル
7 リーフディッシュ
8 クレセント
7と8のみ(プレーン)

 

 

 

「ロイヤルコペンハーゲン   ブルーフルーテッド」

「ブルーフルーテッド 」はロイヤルコペンハーゲン
ができた時、1775年からある伝統的なシリーズで
(プレーン)(ハーフレース)(フルレース)
の3種類があります。

 

こちらが(プレーン)のコーヒーカップ&ソーサー。
シンプルで可愛いですね。

ロイヤルコペンハーゲン
「ブルーフルーテッド (プレイン)」
コーヒーカップ&ソーサー
16,200円

 

 

次が、(ハーフレース)のコヒーカップ&ソーサー
ですが、カップやお皿の淵にレースの縁取りが
してあるものです。

ロイヤルコペンハーゲン
「ブルーフルーテッド (ハーフレース)」
コーヒーカップ&ソーサー
21,600円

 

 

そして(フルレース)のコーヒーカップ&ソーサー。
レースがフルで、お皿の形も丸ではなく六角形です。

 

取っ手の下の部分(カップに接している)が
人の顔になっていて、一般に「顔付き」と
呼ばれるものです。

 

 

ロイヤルコペンハーゲン
「ブルーフルーテッド (フルレース)」
コーヒーカップ&ソーサー
54,000円

 

 

「ブルーフルーテッド」 の(フルレース)で
あっても顔のないカップもあるので、こちらを
「顔付き」といって区別しているようです。

 

 

 

ロイヤルコペンハーゲンの各店の査定価格

この7点の現在の価格は、約25万円ほどです。
なお、この記事はアフリエイト等ではないので
リンクは一切つけないことにします。

 

 

 

 

「買取プレミアム
(株式会社Buy SellTechnologies)」
一括で、〜33,000円前後

 

「福ちゃん」
一括で、未使用で箱がある場合は、
24,000円

 

「ライフバケーション」
(写真を送らず、電話で伝えたのみ)
31,500円

 

 

ということで「ライフバケーション」を
選びました。
「買取プレミアム」は33,000円ですが
「〜」がついていましたので。

 

実は、「ライフバケーション」のお値段は
1つずつの価格は教えてもらっていましたが
正確な合計額は今、初めて確認しました。

 

というのは、「ライフバケーション」にした
のはお値段だけの問題ではなかったからです。

 

 

 

マイセンの各店の査定価格

 

 

マイセンの「真夏の夜の夢」のコーヒーカップ。
シェークスピア戯曲 ミッド・サマー・ナイト
・ドリーム」をテーマにしたものです。

 

お値段は現在、388,800円。
箱ありです。

 

 

「買取プレミアム
(株式会社Buy SellTechnologies)」
〜40,000円前後

 

「福ちゃん」
未使用で箱がある場合
60,000円〜100,000円

 

「ライフバケーション」
(写真を送らず、電話で伝えたのみ)
70,000円

 

 

ということでこちらも「ライフバケーション」
が一番、高額買取ですね。

 

「福ちゃん」は、未使用で箱がある場合の
お値段で、最高10万円までとありますが
「福ちゃん」のサイトにはこのように出ています。

 

 

 

 

私のものと同じ「マイセン  サマーナイトドリーム」
の6客セットで、美品と書かれています。
6客で310,000円とは、1客では51,666円。

 

綺麗な品物でこのお値段ということは
私のマイセンに10万円の値段がつく
とは思えないのが正直なところです。

 

「マイセン、バカラなどブランド食器は、
圧倒的高価格でお買取する自信がございます」
と記載されてはいますが。

 

 

 

「ローゼンタール  魔笛」の各店査定値段

 

実はこれは結局、買取に出さなかったのですが
ショップも閉店したことから(ミラーショップ
はまだありますが)、未使用の在庫品を出そう
かなと思って一応、聞いてみました。

 

写真はブログで使っているものを何枚か送り
ましたので、ここでは省略して、品名のみを
記載します。

 

コーヒーポット
ティーポット
コーヒーカップ&ソーサー
ティーカップ&ソーサー
ボウル(17cm 下の写真のもの)

 

 

 

 

「買取プレミアム
(株式会社Buy SellTechnologies)」
〜23,000円前後

 

「福ちゃん」
未使用で箱がある場合
30,000円〜50,000円

 

「ライフバケーション」
(写真を送らず、電話で伝えたのみ)
45,000円

 

 

 

 

ローゼンタール〈魔笛〉の
「福ちゃん」の買取値段は、

 

コーヒーポット
ティーポット
コーヒーカップ&ソーサー
ティーカップ&ソーサー
ボウル(17cm)

 

未使用で箱ありの場合で
3万〜5万でしたね。

 

ところが、「福ちゃん」のサイト
には、2019年9月18日現在で
このように掲載されています。

 

 

(「福ちゃん」)

 

小さいので一部、書いてみますと
ローゼンタール 魔笛のカップ&ソーサー
のお値段について、

 

A社      10,000円
B社        8,000円
C社      11,000円
福ちゃん   17,000円

 

と記載されているのです。
私の場合、「福ちゃん」は魔笛は一括で、未使用
箱入りの場合に、3万〜5万の査定額でした。

 

今回、依頼したものの中では、コーヒーカップ
&ソーサーが一番お値段的には安く、ボウルや
ポット等は、1点がコーヒーカップ&ソーサー
の2倍以上はするものです。

 

「福ちゃん」の自社サイトで、わざわざローゼン
タール 魔笛のお値段を強調している割には
一括の査定価格があまりに低すぎる気もします。

 

 

 

 

 

「ライフバケーション」を選んだ理由

私は和服も同時に買い取ってもらいたいと
思っていましたので、できることなら両方を
扱っている「福ちゃん」にお願いしたかった
のですが。

 

サイトで食器買取を検索していて、自社サイト
以外で一番目にしたのは「福ちゃん」でした。

 

それらのサイトでは、「買取額が一番高い」と
皆、一様に書いてあり、その影響で私も
「福ちゃん」を候補にしたのですが、これは
アフェリエイト等の広告サイトだったようです。

 

広告の効果って、すごいものですね。
とはいえ、私が依頼したのは今月のこと
ですからもしかしたら、先月までは
もっと高額査定だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

何事も人と人のふれあい

「ライフバケーション」の査定では、まだ写真を
取っていない段階で電話で問い合わせたのですが
意外にも、いいですよと気軽に答えてくれました。

 

ブランド名等を伝え、調べた後で電話を
もらいましたが、話す内容に過不足のない、
とても感じのよい女性でした。

 

 

 

 

写真を送付していないのですから、どのような
状態かはわからない状態にもかかわらず
お値段を告げてくれる前に、

 

「綺麗にしていらっしゃるのでしょうから……」
とさりげなく流した言葉も好感がもてました。

 

また出張の際に実際に見て、難があったら
これより安くなります等のことは、一切
口にしなかったのもちょっと驚きでした。

 

言う必要があるといえなくもありませんが
難があったら安くなるというのは当然の
ことです。

 

それをあえて言わないところにオーバーな
言い方ですが、彼女の品性というか教養を
感じさせました。

 

現に、マイセンの「真夏の夜の夢」は7万円
の査定額でしたが、実際は67,000円でした。
ですが、説明には納得しています。

 

「ライフバケーション」の出張に来てくれた人
も、買取価格というのは同じようなものですよ
と言っていましたが、本当にそうだと思います。

 

 

 

 

ただ、今回感じたことは、「福ちゃん」は広告
に中尾彬・池波志乃夫妻を、「買取プレミアム」
は坂上忍を起用しています。

 

また「福ちゃん」はネット上の広告サイトも
かなりの数にのぼっていますので、広告費が
かかるのかな?、でもその分たくさん扱うの
で関係ないのかも、と思ったりしていますが。

 

いずれにせよ、お値段もさることながら
単に食器を買い取ってもらう、ということで
あっても、気持ちのいい、後味のよい記憶
が残った方がいいなぁと思った、食器買取
経験でした。

 

皆さんの食器買取依頼も、素敵な
思い出となりますように!

 

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モーツァルトと「魔笛」

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

 

 

 

 

モーツァルトの一生

モーツァルトは、1756年1月27日
ザルツブルグに生まれました。

 

生誕250年の様々な記念行事が、2006年に行われた
のは、まだ皆さんの記憶に新しいのではないでしょうか。

 

ザルツブルクの宮廷作曲家でヴァイオリニスト
であった父・レオポルト・モーツァルトと、
母・アンナ・マリーア・ペルトルの七番目の
末っ子として生まれたヴォルフガング。

 

 

 

 

他の6人のきょうだいのうち成長したのは、マリーア・
アンナという五歳上のお姉さんだけでした。

 

「神童」といえばモーツァルトというくらい
彼の神童ぶりは有名ですが、3歳の時からチェンバロ
を弾き始め、5歳の時には最初の作曲をしたといいます。

 

幼くして父とともに、音楽家として宮廷に仕えながら
親子はウィーン、パリ、ロンドン等 に演奏旅行に行き
より良い就職先を探しました。

 

 

 

 

残念ながら、それは成功しませんでしたが、そんな旅行
の一つ、1762年10月13日、ウィーンのシェーンブルン
宮殿で、
マリア・テレジアの御前演奏の時のこと。

 

転んでしまったモーツァルトに手を差し出した7歳の
マリー・アントワネット(当時はマリア・アントニア)に
プロポーズをしたというのは、あまりに有名なエピソード。

 

25歳になったモーツァルトは1781年、ウィーンに
定住してフリーの音楽家となり、翌年 に
コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚をしています。

 

 

 

 

1786年5月1日、オペラ『フィガロの結婚』K.492を
ブルク劇場で初演し、翌年10月には、オペラ
『ドン・ジョヴァンニ』K.527を作曲します。

 

そして、プラハエステート劇場で初演と
大活躍をしながらも、この頃からモーツァルトは
借金の依頼を頻繁にするようになりました。

 

翌1788年には「3大交響曲」(交響曲第39番、
第40番、第41番)を作曲しています。

 

 

 

 

当時はやり出した、数曲を一緒にまとめた楽譜の
出版をしたのも、経済的な理由のためのでした。

 

ちなみにこの3曲は、たった3ヶ月間で
作曲したということです(!)。

 

晩年も近くに、借金依頼の手紙が残されて
いる事実には心が痛みます。

 

 

 

 

彼の収入の激減の理由は、彼の品行の悪さが原因とも、
彼の才能を怖れたサリエリ等の影響ともいわれています
が、両方が相まってのことだったかもしれませんね。

 

彼に問題があったことは事実でしょうし、
そして相手がサリエリかどうかは別としても
彼のような才能のある人間に対しての嫉妬、
妬みが渦巻くのも常のこと。

 

それらの渦巻きを、かたちとして現れやすく
してしまったのが、彼の品行の悪さだった
ような気がするのです。

 

 

 

 

1790年1月、オペラ『コジ・ファン・トゥッテ
(女はみなこうしたもの)』K.588を初演。

 

1791年9月30日、シカネーダーの一座のために
ジングシュピール『魔笛』K.620を作曲・初演。

 

9月にはすでに体調を崩し、薬を服用しながらも、
モーツァルトは自分の残り時間の少なさを
知っていたかのように、これ以外にも精力的に
仕事をこなしています。

 

 

 

 

そして……12月5日、死去35歳。

 

死の床でも、その日の「魔笛」上演の進行時間を
気にしていたといい、もう一度「魔笛が聞きたい」
と言ったということです。

 

6人の子のうち2人の男の子が成人しましたが、
彼らに子どもがいないので、直系の子孫はいません。

 

 

ウィーンの中央墓地にあるモーツァルトのお墓

 

 

その上、モーツァルトの本当の埋葬場所
も現在のところ、わかってはいません。

 

現在ウィーンの中央墓地にある彼のお墓は
あとから作られたものだからです。

 

 

 

 

 

ローゼンタール〈魔笛〉に遊ぶ人々

   ~天衣無縫な永遠の子どもたち~

ここではモーツァルトのオペラを中心にみてみま
したが、〈魔笛〉は本当に最後の作品なんですね。

 

しかし死の2ヶ月前に初演されたとは思えないほど
オペラ「魔笛」は明るく、軽快です。

 

というより死の間近だったからこその
透明感のある明るさなのかもしれませんが。

 

 

 

屈託のない突き抜けた明るさ、軽みこそ
モーツァルトの本質だったのではないか
と私には思われます。

 

自ら指揮をした「魔笛」の初演では
シカネーダーと舞台の上でふざけあうという
やんちゃぶりも見せたといいます。

 

時にはふざけすぎる子どものような天才モーツァルト、
彼の側には支えてマネージメントをしてあげる
大人が必要だったのでしょう。

 

 

 

 

幼い頃からヴァイオリンの音高の、ほんの僅かな
違いを指摘したり、一度聴いた曲の再現性など
彼の天才ぶりは枚挙にいとまがありません。

 

彼にとっては、音楽と、音楽の才能、
それが全てだったのです。

 

本当のお墓の場所がわからないことを
もし今モーツァルトに聞いたとしたら、

「そんなことはどっちでもいいことさ。
 僕の曲が残っていることのほうが
 ずっと重要だよ。」

と言いそうな気さえします。

 

 

 

 

私は、ローゼンタール〈魔笛〉の金箔で飾られた、
レリーフの楽しげな人物を見るたびに思うのです。

 

森の中での楽しいさざめきを……。
小鳥の歌と音楽と、終止絶えることのない笑い声を。

 

子どもではないけれど、さりとて大人でもない人々。
清らかな天使たちというわけでもなく、
品行方正な人格者でもない
…..「天衣無縫な永遠の子どもたち」。

 

まるでモーツァルト、その人のようだと。

 

そしてそれは、ローゼンタール〈魔笛〉を
つくりだした、ビョルン・ビンブラッド自身
でもあるのかもしれませんね。

 

 

 

 

ローゼンタール〈魔笛〉ならではの、おしゃれな
プレートの裏にゴールドで美しく描かれたドイツ語の
歌詞は、「魔笛」第2幕、24場と29場の台詞です。

 

 

(画像は準備中です、ごめんなさい)

 

24. Auftritt:

Weib: Und wenn du mir versprichst, mir ewig treu

zu bleiben  dann sollst du sehen, wie zärtlich

dein Weib dich lieben wird.

Papageno: Ei, du zaertliches Naerrchen!

Weib: O, wie will ich dich umarmen, dich liebkosen,

dich an mein Herz druecken!

2. Aufzug 29. Auftritt:

Papageno: Nun, so sei mein liebes Weibchen!

Pagagena: Nun, so sei mein Herzenstaeubchen!

 

お皿のまわりにぐるっと、ビョルン・ビンブラッド
の筆で書かれた歌詞です。

 

そして中央の真ん中が、ローゼンタール社のマーク。
上が〈魔笛〉のドイツ語「Die Zauberflore」。
一番下はビョルン・ビンブラッドのサインです。

 

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「古九谷」 前田家と鍋島家の繋がり

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

次郎左衛門雛 加賀藩前田家「成巽閣」

 

 

 

古九谷と鍋島家の関係

今回は、前回の古九谷論争に関して
触れられなかった部分をご紹介します。
「古九谷論争『古九谷の真実に迫る』から」

 

九谷焼は、加賀藩とその支藩である大聖寺藩の
二つの前田家なくして語ることはできませんが、
実はそれに加えてもう一つの家が関わっていました。

 

それは日本初の磁器、有田焼をつくりだした
ともいうべき佐賀(肥前)藩の「鍋島家」です。

 

 

 

伊万里焼「色絵蓮池翡翠文皿」
江戸時代 17世紀中葉 径36.4㎝ 日本民藝館

 

 

 

「鍋島焼」「伊万里焼」「有田焼」

この3つの名称について、混乱があるといけません
ので、最初に言葉の説明を簡単にしてみましょう。
九州の有田で焼かれているものは有田焼と呼ばれます。

 

江戸時代、有田焼は伊万里津(港のこと)から出荷
されたので「伊万里焼」ともいうようになりました。
ということで「有田焼」=「伊万里焼」ですね。

 

また有田焼の中でも、鍋島藩が商品としてではなく
将軍家へ献上等のために、藩窯で独自に焼かせた
ものを指して「鍋島焼」といいます。

 

(ただし「鍋島焼」の名称は大正時代以降にできたもの
で当時、鍋島藩内では「大河内焼(おおかわちやき)」
「大河内御磁器」といわれていたといいます)

 

現在は鍋島藩窯はありませんが
鍋島焼という名称は残り焼かれています。
今回のお話は勿論、鍋島藩窯の鍋島焼のこと。

 

 

 

鍋島焼「色絵宝尽文皿 」
ロサンジェルス・カウンティ美術館

 

 

 

磁器づくりのきっかけは鍋島直茂から

日本で初めて焼かれた磁器の有田焼は、鍋島直茂が
1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、捕虜として
連れてきた朝鮮人陶工・李参平(鐘ケ江三平)
がつくりました。

 

佐賀藩の鍋島藩窯は、1652〜1654年(承応年間)に
有田の岩谷河内(いわやごうち)に御用窯を作り、
1661〜1672年(寛文年間)に伊万里の
大川内山(おおかわちやま)に移転しています。

 

1651(慶安4)年6月に、徳川家光の内覧を受けた後、
鍋島焼が正式に献上されていますので、その時点では
もう実質、鍋島藩窯はできていたことになります。

 

 

 

鍋島焼「青磁染付桃文皿」
元禄(1688-1704年)
口径14.7cm 高3.7cm 高台径7.4cm

 

 

 

佐賀藩 初代・勝茂、2代・光茂

朝鮮出兵の際に朝鮮人陶工を連れ帰った鍋島直茂は
肥前佐賀の領主として鍋島家の基礎を築いた「藩祖」
とされており、初代藩主は、直茂の子・勝茂。
勝茂の正室は秀吉の養女で、側室は家康の養女です。

 

勝茂の子・忠直は20代の前半に亡くなったこと
から、2代藩主は、忠直の子・光茂が継ぎました。
光茂の正室は米沢藩2代藩主・上杉定勝娘の虎姫。

 

鍋島直茂(1538-1618) 朝鮮人陶工を連れてきた
1勝茂(1580-1657) 鍋島藩窯を作った
* 忠直(1613-1635)
2光茂(1632-1700)

 

 


鍋島焼「色絵野菜文皿」
江戸時代前期 出光美術館蔵

 

 

 

初代・勝茂の娘の子「虎」が、2代藩主・光茂の妻

佐賀藩初代藩主・勝茂の娘「市」は
出羽米沢藩・2代藩主の上杉定勝に嫁ぎ
「徳」と「虎」という娘をもうけます。

また定勝には、市が母親ではない
「亀」という娘もいました。

 

 

鍋島直茂(1538-1618)
    |
1勝茂(1580-1657)
    |
     _______
    |      |   米沢藩2代藩主
 忠直(1613-1635) 市ーーーー上杉定勝ーー◯
    |        | |     |
    |              
    |
    |
2光茂(1632-1700)ーー
           |
           |
      3綱茂(1652-1707)

 

 

市の娘「虎」は、2代藩主となった光茂とは
いとこにあたりますが、光茂に嫁いでいます。
鍋島家からきた母の実家へ戻ったかたちになりますね。

 

ここまででは前田家は登場していませんが
虎の姉・徳と、妹・亀の二人が
前田家に輿入れをしているのです。

 

しかも、大聖寺藩の初代と2代藩主という兄弟に、
徳と亀の姉妹が嫁いだということになります。
それでは次に、前田家をみてみましょう。

 

 

九谷焼「百合図平鉢」
石川県九谷焼美術館蔵

 

 

 

九谷焼の窯を作った前田家

加賀藩前田家の4代藩主までの系図は以下の
通りで、前田利家の子・利長が2代藩主です。

 

3代藩主は2代藩主の弟・利常が継いでいます。
別の弟の利孝は、支藩の七日市藩の初代藩主。

 

加賀藩3代藩主の子、光高が4代で、
その弟・利次が、支藩である富山藩初代、
別の弟・利治も、支藩の大聖寺藩の初代となっています。

 

 

      1前田利家加賀
          |
          |
  ________________________________________________ 
* |   |   |    |   |   |
2利長  利政  知好  3利常  1利孝 利貞
加賀)          (加賀) 七日市
             |
             |
      _______________
     |    |    |    |
    4光高  1利次  1利治  2利明
     (加賀)    富山  (大聖寺)(大聖寺
                    |
                   3利直
                  (大聖寺

 

 

濃いブルーで表示をした、「利治」が藩主の
大聖寺藩が、古九谷を焼いた窯を作りました。

 

この大聖寺藩は、1871(明治4)年の廃藩置県で
大聖寺県となるまで(後に金沢県に編入され、
石川県と改称)14代にわたり前田家が治めています。

 

上の図から、七日市藩と富山藩を除いて、
九谷焼に関わる大聖寺藩と加賀藩のみ
を抜き出してみると下のようになります。

 

 

     1前田利家
       |
     ___________________
   |       |
   2利長    3利常 
           |
       __________
     |    |    |
    4光高  1利治  2利明
               |
              3利直

 

 

加賀藩の3代藩主・利常の子・利治が大聖寺藩の
初代となり、利治に子どもがなかったことから
2代は、利治の弟・利明が継ぎました。

 

 

 

九谷焼「莢豆図甲鉢(さやまめずかぶとばち)」
口径 18.9cm 底径 7.9cm 高さ 10.2cm
石川県九谷美術館蔵

 

 

 

加賀藩・利常の支援により大聖寺藩がつくった九谷焼

九谷焼の初期の作品、現在「古九谷」と呼ばれ
ているものが焼かれていたのは、大聖寺藩の
初代・利治と、2代・利明の兄弟の時代にあたります。

 

父である加賀3代藩主・利常の支援によって
利治、利明兄弟が関わったことになりますが
50年後に突然、窯は閉鎖。

 

その理由は不明ですが、大聖寺藩・2代藩主の利明の
死が影響したともいわれるほどで、加賀藩主の父と、
子の大聖寺藩主の利治、利明の強い関わりが伺えます。

 

 

 

「雛人形」次郎左衛門雛 佐賀藩鍋島家「徴古館」

 

 

 

「鍋島家」の二人の孫娘は「前田家」へ

古九谷の窯をつくった大聖寺藩の二人の
藩主に嫁いだのが、上杉定勝の娘でした。

 

初代藩主・利治の妻には「徳」、
2代藩主・利明には「亀」と。

 

家系図というのは、なんとも分かりづらいもの
ではありますが、前田家と鍋島家を並べて
書いてみました(余計、わからない?)。

 

 

 1前田利家
    |
    _______________
  * |      |
  2利長   3利常   
*        |
    ____________________________
*  |   |(大聖寺藩) |(大聖寺藩)
* 4光高  1利治ーー  2利明ーー
 

           
                          

 鍋島直茂             
  |                 
 1勝茂              
  |               
  忠直ーーー 市ーーーーーー上杉定勝ーー◯
  |         |  |       |
  |                  
** 
  |         
 2光茂ーー虎    

 

 

 


「雛人形」次郎左衛門雛  預玄院所縁(よげんいん)「成巽閣」
上の写真は「鍋島家」の、こちらは「前田家」のお雛様です

 

 

 

3姉妹の2人は「前田家」、1人は「鍋島家」へ

これを上杉定勝からみてみますと、娘の
徳の夫が、前田利治(大聖寺藩・初代藩主)
虎の夫が、鍋島光茂(佐賀藩・2代藩主)
亀の夫が、前田利明(大聖寺藩・2代藩主)となります。

 

 

* 鍋島勝茂の娘
  市ーーーーーーーー上杉定勝ーーーーーー◯
   |      |      |
   徳ー前田利治 虎ー鍋島光茂 亀ー前田利明

 

 

鍋島光茂からいいますと
前田利治(大聖寺藩・初代藩主)は、妻の姉の夫、
前田利明(大聖寺藩・2代藩主)は、妻の妹の夫、
ということ。

 

上杉家を間に挟んで、鍋島家と前田家の
深い繋がりが生まれることになったのです。

 

 

佐賀藩鍋島家の家紋「杏葉」

 

 

 

鍋島家と前田家と、それぞれの焼物

もっとも両家の親しい関係は、この婚姻によって
生じたというよりは、それ以前からの近い関係がこれら
の婚姻を成り立たせたという方が正確かもしれません。

 

加賀藩・2代藩主の利長の後を、利常が継ぎ
徳川秀忠の娘・珠姫を迎える際にも、前田利長は
慶事に必要な唐物を、鍋島勝茂に依頼しています。

 

前田利長とその子・利常が、鍋島勝茂と親交があった
事実に加え、複数の婚姻によって結ばれた両家の繋がり。
それは、それぞれの焼物にも影響を与えたと
考える方が、むしろ自然に思えます。

 

 

 

古九谷「青手桜花散文平鉢」
石川県立美術館所蔵

 

 

 

スタートについた「古九谷論争」

これについて中矢進一(石川県九谷焼美術館副館長)氏
は「古九谷の真実に迫る」の中でこのように述べています。
多くの方も同じお考えと思われますので
これをご紹介して終わりましょう。

 

「それぞれを領する大名同士が姻戚関係にあった
 という歴史的事実、背景といったものを踏まえた
 上での論考というものが、必ずこれから以降は
 必要になってくるんだろうというふうに
 考えております」

「この問題は短兵急に結論を出す問題ではなくして
 両産地の、いわゆる交流のもとにそういった
 ものが生まれたんではないか、そしてこの加賀
 前田家という加賀文化を育んだ前田家を抜きに
 して、最高級品である古九谷の百花手だとかは
 (略)生まれてこなかったのではないかという
 指摘もされております。
 真の意味での古九谷、それは一体何か、
 これを探る作業が色々スタートしたんだ
 というふうにいえるのではないでしょうか」

 

     (参考 /「古九谷の真実に迫る」)

 

 

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