赤坂の料亭 5軒のうち「口悦」は今月いっぱいで閉店

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最盛期は60件ほどのあった料亭が今は一桁に

昭和40年代(1965〜1974年)頃は、60軒ほどあった
赤坂の料亭も、今はわずか5軒になってしまった
という記事を読んだのは昨年の9月のことでした。

 

5つの料亭とは「浅田屋」「口悦」「つる中」「佐藤」、
そして前々回に御紹介した「赤坂金龍」
「赤坂 金龍『金龍御膳』」)。

 

その記事を読んでわずか半年も経たないうちに
その中の一つの料亭「口悦」が今月、
2017年3月で閉店が決まってしまいました。

 

昨年、首相官邸近くの赤坂2丁目にできた「ケイ・ジー3」
という会社が購入しましたが、この会社はカカクコムなどを
傘下に収める東証一部の「デジタルガレージ」という会社。

 

「口悦」のみならず外堀通りに面している9階建てのビルも
購入済みの上、隣接の駐車場の購入を考えているそうです。
もしそうなると全部で477坪という広さになりますので
大きなビルが建つのではないかとも囁かれています。

 

 

 

料亭「口悦」

 

 

 

「口悦」は3月で閉店

「口悦」の女将・渡辺純子さんは
俳優の故渡辺文雄さんの奥様です。

 

1962(昭和37年)に「口悦」をオープンして以来、
半世紀以上にわたり切り盛りをしてきましたが
体力の限界から、この度お店を閉じることになりました。

 

(「口悦」
〒107-0052 赤坂2丁目5-15     Tel. 03-3585-0321
営業時間 17:00~23:00     総席数 100 喫煙 可
定休日 土曜・日曜・祝日      予算(夜) ¥30,000~ )

 

 

 

 

歴代の総理で、訪れたことがない人はいないといわれる
ほどの名店「口悦」は、お料理の味は言うに及ばず、
女将の細やかな心配りとお店の佇まいが、訪れる人に
安らぎを与え続けてきた、赤坂の名料亭でした。

 

「もう非常に残念です。
* 僕の若き青春の血が滾っていた時代を過ごした土地ですよ」

「口悦がなくなってもまだ数件は料亭が残りますが、
* やはり『口が悦ぶ』と書く口悦は、日本の文化だった。
* 国会の先生方も、口悦の門をくぐって
* 総理大臣までのぼりつめているわけだから。
* 守りたいとも思うけれど、お母さん(女将)が膝を痛めて
* 膝を痛めてお座敷で正座が出来なくなったことも、
* 閉店の大きな要因のひとつ。
 経営が苦しくなったということではないですからね」

 

と寂しそうに語るのはみのもんたさん。
              (「週刊新潮」2016年11月17日号)

 

 

 

料亭「口悦」

 

 

 

命名は小津安二郎、表札は中川一政

「口悦」というお店の名前については、渡辺文雄さんが
生前にこのような説明をしていらっしゃいます。

 

「女房の家が、昔、料亭をやっていて。
それを女房が再開したのが、結婚して
5年後ぐらい後のことです。
店の名を改める際、映画監督の小津安二郎さんんが、
口が悦ぶと書いて『口悦』とつけてくれました」
        (「DAILY  SHINCHO」2017.3.21)

 

また表札の字は、中川一政画伯の筆によるものだそうです。
多分、このお酒の「口悦」の字も。

 

 

 

料亭「口悦」

 

 

 

最新版、赤坂の料亭マップ

現在、赤坂の料亭組合一覧に載っている5つの料亭の位置を
正確ではありませんが、大体のところを地図で示してみました。
外堀通りに平行に沿っている道に料亭があることがわかります。

 

意外だったことは、お店の前を通っていてここは料亭だろう
と思っていたお店のほとんどが、料亭ではなく「日本料理」や
「割烹」のお店として登録されていることでした。

 

お店の中に入ればまた別なのかもしれませんが
外見からですと全くわからず、夜は外に黒塗りの車が待機して
いたりするもので、てっきり料亭だと思っていたのですが。

 

 

         現在の赤坂の料亭の位置(2017年3月)

 

 

「口悦」も入れて、現在ある赤坂の料亭は
全て赤坂見附駅から溜池山王駅を結ぶ
外堀通りと並行の道にあります。

 

これはやはり、赤坂の花柳界が最も賑わったのは
軍人や政治家、財界人といったお客さんが
主だったことによるのでしょうか?

 

中でも「口悦」「つる中」「佐藤」の3つのお店は
お隣同士といってもいいほど近い場所にあり
その上、国会や首相官邸もすぐ近くですね。

 

 

 

料亭「つる中」 とても美しい写真があった
のですが、使わせてもらえないのでこちらを

 

 

 

料亭の情報は出ていない?

そこで「つる中」と「佐藤」の情報を調べてみたのですが
これが驚き、といいますか当たり前のことではありますが
いまさらのように気づいたことがありました。

 

「つる中」
〒107-0052 港区赤坂2丁目5-17 Tel.03-3583-1457
営業時間  10時00分~22時00分

 

「つる中」はこのように営業時間は記されていますが
定休日等の情報は見当たりませんでした。
それが「佐藤」になりますと、もっと顕著です。

 

「佐藤」
〒107-0052 港区赤坂2丁目8-19 Tel.03-3585-8201

 

というわけで、住所と電話番号のみで、営業時間、
定休日等は店舗へお問い合わせくださいとのこと。
当然のことながら、「つる中」「佐藤」に関しては
食べログの写真、メニュー紹介、口コミ等は一切ありません。

 

 

 

料亭「佐藤」
こちらも「つる中」同様 写真はこれしかありません

 

 

 

一見さんお断り

はじめはなぜ?、と思ったものの、
そうですよね、それが「料亭」なのでしょう。

 

一見さんお断りなのですから、メニューはもちろん、
営業時間や定休日なども、一般に知らせる必要も
ないわけでして。

 

これに対して「口悦」は、営業時間も定休日も、
予算も書かれていましたが、料金を気にするような人は
もともと料亭には行かない、行ってはいけない
ということなのかもしれません。

 

このような料亭の性質を考えれば
またこれも当然のことなのかもしれませんが
基本的に料亭にはサイトもないようです。

 

 

 

             料亭「赤坂  金龍」

 

 

 

サイトがあるのは「赤坂金龍」と「浅田屋」

ただし前々回、御紹介した「赤坂 金龍」はサイト
がありますし、また「浅田屋」も同様です。
「浅田屋」の御主人浅田松太さんは、現在の赤坂料亭組合の会長。

 

『赤坂料亭組合』は、赤坂の芸者さんの組合である
『赤坂芸妓組合』と共に『東京赤坂組合』として、
料亭の取りまとめを行うほか、伝統芸能としての
料亭と芸者の継承に日々力を注いでいます。

 

「東京赤坂組合」
〒107-0052 港区赤坂2丁目8-15
          オリエントニュー赤坂 2F
 Tel.:03-3585-1010

 

こちらの催しものとして今月、3月10日と11日に
第55回を数える「赤坂をどり」が、赤坂サカス内の
ACTシアターで開催されました。

 

私は残念ながら一度も行ったことはないのですが、
この時期には艶やかなポスターが、赤坂の街中に
目につくようになります。

 

 

 

    料亭「赤坂浅田屋」(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

「浅田屋」

そして残る一店が「浅田屋」です。
「浅田屋」の始まりはなんと今から約350年ほど前のこと。

 

「浅田屋」
 〒107-0052 港区赤坂3丁目6-4
 Tel. 03-3585-6606   Fax. 03-3585-5229

昼食  月~日 11:30~14:30(L.O.14:00)
夕食  月~土 17:30~22:30(L.O.22:00)
      土日祝日は、前日までの完全予約制

 

1659(萬治2)年に、初代・浅田屋伊兵衛が
加賀藩主・前田綱紀より飛脚を命じられ、その後200年に
わたって飛脚のまとめ役である棟取りを勤めましたが、
明治維新の前年、当時の当主が飛脚の役割を藩に返上。

 

1867(慶応3)年に、今までの経験をいかして、金沢市
十間町に旅籠「浅田」開業し、後に旅館「浅田」を創業し、
現在は料亭や中華レストランも開いています。

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」のお料理 「治部煮」と「ゴリ」
治部煮は頂いたことがありますが、ゴリって何でしょう?
煮こごりのことでしょうか。

 

 

 

そして1971(昭和46)年、現在の「赤坂  浅田屋」の
御主人であり赤坂料亭組合会長でもある浅田松太さんの
お祖父様が、加賀料理のお店を赤坂に、
料亭「赤坂浅田」として開業しました。

 

1993(平成5)年には港区北青山に加賀料理「青山浅田」を、
2004(平成16)年、名古屋駅JRセントラルタワーズに
加賀料理「名古屋浅田」をオープンしています。

 

「浅田屋」についてもっといろいろ書きたいのですが
そちらは、いつかお邪魔した後にしましょうね。

 

「浅田屋」は一見さんお断りではないようですし、サイトも
充実していて、高いけれど高過ぎる敷居のお店ではないようです。
と信じて、夜は無理でも(涙)お昼に伺ってみたいと思います。

 

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赤坂 金龍 「金龍御膳」

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元は料亭の「赤坂  金龍」

「赤坂  金龍」でお友達と一緒にお食事を頂いてきました。
ここは以前は有名な「料亭  金龍」をリニューアルしたお店です。

 

「赤坂  金龍 」
 〒107-0052 港区赤坂3-17-2  Tel: 03-3583-2033  )

 

昼食は、11:30~14:30(ラストオーダー14:00)で
夕食は平日が、17:30~23:00/(ストオーダー22:00)、
土日祝は、17:30~22:00(ラストオーダー21:00)

 

となっていまして、私たちが行ったのはもちろん昼食。
(本当は、夜に行きたいですが……)
頂いたのはランチの「金龍御膳」です。

 

 

           金龍御膳「赤坂  金龍」

 

 

昨年の2016年10月24日に、NHKプレミアム「TOKYO ディープ!」
という番組の「赤坂 おもてなしの心」と題された回に
赤坂のいくつかのお店が紹介されました。

 

そのうちの一つが「赤坂  金龍」だったそう。
「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店、復活秘話と驚きの大改革!」
とのキャッチコピー(?)がおどっています。

 

 

 

初回は……

「赤坂  金龍」でお食事をいただいたのは今回が初めて
でしたが実は昨年、一度行ったことがありました。

 

昼食は11時半から2時半で、2時までに入らなければなりませんが
私が着いたのはギリギリ2。3分前で、その時に御法事か何かの予約
についての話を、玄関でしている方が数人いらっしゃいました。

 

私は、お話が終わるまで待っていて、4、5分後にお帰りになったので
お店に入ろうとして「いいですか?」と聞いたのですが
時間が過ぎていては入れないことがあったのです。

 

 

 

 

 

 

奥の和室

今回「赤坂  金龍」に連れて行ってくれた人に、その時の話をしますと
「あら、そんなうるさいこと言うの?」と、ちょっと意外そうで
「じゃ、今度一緒に行きましょう」ということに。

 

「赤坂金龍」の玄関には、料亭だった時の名残りと思われる
履物番の男性がいて、玄関で履物を受け取って棚に収めてくれます。
もっと、綺麗な靴を履いてくればよかった、とちょっと後悔。

 

部屋に通されると連れて行ってくれた N子さんが
何か質問すると、すぐに奥の和室に通してもらえました。
畳の部屋なのですが、テーブルと椅子が置いてあり、お庭も綺麗。

 

 

   「赤坂  金龍」の広間(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

さすがN子さん、貫禄です。
Nさんと私は、私が以前住んでいたマンションの住人同士。
「赤坂  金龍」から、ほんの2、3分という所で生まれ育った
N子さんは、本格料亭だった頃の「金龍」も知っていらっしゃる方。

 

NHKの「TOKYO ディープ!」の「赤坂 おもてなしの心」にも
「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店、復活秘話と驚きの大改革!」とあり
ますがN子さんのお父様は議員でしたのでよくいらしていたのでしょう。

 

N子さんと私が住んでいたマンションも、やはり国会議員の方が建て
お亡くなりになるまで御家族で住んでいらっしゃいました。
その方が父親の同僚という関係で N子さんの家でも買われたようです。

 

 

 

 

 

 

1945年東京空襲 → 襲戦後再建 → 現在の場所に

料亭「赤坂  金龍」は1928(昭和3)年に秋葉よしさんが創業した
お店ですが、その時は現在の場所ではなく田町通りにありました。
1945(昭和20)年の東京空襲で、赤坂は焼け野原になってしまいます。

 

葉山に疎開をしていて難を逃れた「料亭  金龍」の女将
秋葉よしさんは戦後、お店を再建して営業を始めました。
1953(昭和28)年には、現在のみすじ通りに移転。

 

100坪の敷地に建つ、木造の数寄屋建築でした。
「赤坂  金龍」の建物は、近代の数寄屋建築を確立した
吉田五十八さんの弟子である、石間佳造さんの手によるものです。

 

秋葉よしさんは、84歳の1982年まで「料亭金龍」の女将を務め
2代目は、秋葉家にお嫁入りをした秋葉冨佐江さんに譲っています。
現在の三代目女将は、冨佐江の長女・陽子さんだそうです。

 

 

 

             「赤坂  金龍」

 

 

 

2005年「料亭金龍」閉店

賑わっていた赤坂の花柳界は、1950年台後半から次第に
影を見せ始め、暖簾を下ろす料亭が相次ぎました。
そのような中、2005年「料亭金龍」も閉店を余儀なくされます。

 

政治家、実業家というお客さんの減少に加え
建物の老朽化の問題も立ちはだかりました。
港区の条例により、新たに木造建築を作ることはできない上に
改築の際も、認められるのは建物の半分という制約がありました。

 

閉店をした年は2005年でしたが、2005年といいますと
世の中を騒がした、例の耐震偽装問題が起こった頃でもあります。
その影響により、耐震補強という名目で、築50年以上の
木造建築物である、金龍の改築の目処が立つことになりました。

 

 

 

 

 

2008年4月18日「赤坂  金龍」オープン

4年の月日を経た、2008年4月18日に「料亭  金龍」は
「赤坂  金龍」として生まれ変わります。
「赤坂  金龍」のサイトには以下のように記されています。

 

「私どもは、創業八十年の歴史を踏まえ、吉田五十八の流れをくむ、
* 現代すき家建築を基礎に今まで高かった敷居を外し、国内外の
* お客様を問わず、気軽に、店頭芸能、日本の庭、料理、和服、
* お茶などを楽しめるスペースです。
* 金龍の暖簾をくぐった瞬間から殺伐とした都会では感じることの
* できないゆったりとした時間の流れを感じていただけると思います」

 

新しい「赤坂金龍」の建物は、ほぼ以前のままの新興数寄屋造りを
石間佳造が担当、庭園はホテルニューオータニを手がけた岩城恒太郎、
表具(ふすまなど)は向井一太郎、

 

食器類は、陶芸家の前田正博、川松弘美、百田照、
佐々木文代の作品を使用しています。

 

 

 

独特な魅力を持つ「赤坂  金龍」のバーカウンター
(といってもバーカウンターに座ったことなどほとんどないけど…)

 

 

 

いつかは、バーカウンターに!

次は、是非ここに座ってみたいと思ったのがこのバーカウンター。
でも、ここでランチ頂きたいです、というわけにはいかない
でしょうから、ちょっと敷居が高いかなぁ。

 

このカウンターのみならず、「赤坂  金龍」で使われているのは
無垢の木のみ、全て手作りという贅沢さです。
バーカウンターを作った理由を、二代目女将・秋葉冨佐江さんの
御長男の秋葉佳宣さんは、

 

「個室が多いので、広い部屋でもお二人連れということもありましたが、
もっと多くの方にお越しいただきたいと思い、気軽にお使いいただける
バーカウンターや、ランチもご用意しています」

 

「バブルの影響で、赤坂の街も昔のようなまとまりが感じられなく
なってしまいましたが、料亭というのは日本文化の集約です。
この街で次の世代に日本文化を伝えていきたいと思っています」
と語っていらっしゃいます。(『WELCOM港区』vol.630)

 

 

秋葉佳宣さん「赤坂  金龍」
(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

「赤坂金龍」の復活に影響を与えた版画家

また2階の大広間を改装したライブスペースでは
日本伝統芸能の芸者さんの踊りはもちろんのこと、日本に
4人しかいないという『太鼓持ち」の芸を見ることも可能だとか。

 

この「赤坂金龍」を復活するに際して、秋葉佳宣さんが
日本伝統文化を発信するお店にする決心をした理由の一つには
版画家のクリフトン・カーフさんの影響があったそうです。

 

私はこの事実には、ちょっと驚いたのですが
長くなってしまいましたので、クリフトン・カーフ
については、次回にお話ししましょうね。

 

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「大豆」 デザイナーズフーズにも入っている大豆の国内自給率は6%

「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

30パーセント以上がたんぱく質

大豆といえば「畑の肉」といわれますが
この言葉が生まれたのはドイツだということです。
一方、大豆を「大地の黄金」というのはアメリカ。

 

様々な所でこのようにいわれるのは、大豆がアミノ酸バランス
のよい良質なタンパク質を多く含んだ食品だからです。
乾燥した大豆の状態の30パーセント以上がタンパク質ということ。

 

牛肉のサーロイン(約68パーセントは水分)のタンパク質の含有量は
約21パーセントですが、同じくらいの水分(約64パーセント)を
含んでいる茹でた大豆の場合のタンパク質含有量は約16パーセントです。

 

 

              乾燥「大豆」

 

 

大豆やイネ、トウモロコシ、ゴマ、ピーナッツにタンパク質、
炭水化物、脂質、水分がどの程度の割合で含まれているかを
比べてみたのが次のものです。

 

          タンパク質  炭水化物  脂質  水分
________________________________
ダイス(ゆで)       16,0     9,7      9,0    63,5(%)
イネ(生)          6,1     77,1      0,9    15,5
トウモロコシ(生)      3,6    16,8   1,7     77,1
ゴマ(むき)           19,3      18,8    54,9      4,1
ピーナッツ(乾燥)     25,4      18,8    47,5      6,0

           (田中修「クイズ 植物入門」講談社2005)

 

 

         上の乾燥大豆を水に戻したもの

 

 

 

吸収率もバツグン

人間の筋肉や内臓などの組織を作る成分であるタンパク質は、生命の
維持に欠かせない不可欠なものであり、三大栄養素の一つでもあります。
(三大栄養素=タンパク質、脂質、炭水化物)

 

たんぱく質の英語「プロテイン(Protein)」はギリシャ語の
「 Proteus)最も大事なものの意」からきています。

 

必須アミノ酸をバランスよく含んでいる良質なタンパク質の
代表的なものは肉や卵ですが、大豆は植物性食品でありながら
肉や卵にも負けないほどの良質なタンパク質を含んでいます。

 

また、摂取したタンパク質の消化吸収においても大豆はスグレモノ。
大豆のタンパク質の消化吸収率は、納豆で91パーセント、
お豆腐で95パーセントという高吸収率。

 

つまり大豆は、良質のタンパゥ室をたくさん含み
なおかつ高吸収率というわけです。

 

 

              ショウガ

 

 

 

これらの大豆の良質なタンパク質は、
・心臓病のリスクを低減させ、
・骨を丈夫にしたり、骨粗しょう症の予防、
・更年期障害を軽減させ、
・肥満予防効果があり、ダイエット効果を高める
というような働きをします。

 

 

アメリカ合衆国政府が発表した、ガンの予防に効果があると考えられる
食品「デザイナーズフーズ」の中にも大豆は含まれています。

 

アメリカ国立ガン研究所による「デザイナーズフーズ」とは
ニンニク、キャベツ、ショウガ、ニンジン、セロリ、甘草、
パースニップ、そして大豆の全部で8つです。
(「パースニップ」については次回)

 

 

              ニンジン

 

 

 

原産地は……

パースニップに思わぬ道草をしてしまいましたが
パースニップとともにガン予防に効果がある食品ベスト8に選ばれた大豆
ですが、原産地についてははっきりしたことはわかっていないようです。

 

昔は満州、シベリア説が有力だったといいますが
次第に中国河南説も多く出てきているとか。
一般的には紀元前2000年以前から、中国のかなり広い範囲で栽培されて
いてその後、朝鮮半島や東南アジアに広まっていったといわれています。

 

 

             大豆の新芽

 

 

 

日本へは弥生時代に

日本へは、弥生時代に水稲とともに入ってきたとも
あるいはそれより少し遅れて入ったともいわれていてます。

 

縄文遺跡には、ツルマメ、リョクトウなどの小さな豆は
出土していますが、大豆のような大きな豆の出土はないそうです。

 

奈良時代に中国との交流が盛んになってからは、仏教とともに味噌、
醤油などの大豆の加工品が、その加工方法とともに伝わってきました。

 

「古事記」にも「豆」という文字が記されているそうですが、
当時は大豆は貴重なもので、一般庶民には普及していませんでした。

 

 

     大豆の「実」、左下にあるのは小さなピンク色の花

 

 

 

鎌倉時代から栽培が広がる

日本で大豆を栽培するようになったのは鎌倉時代以降で、大豆の栽培が
広まるに従い加工秘術もまた発達し、味噌、醤油、納豆、豆腐、きな粉、
おから、湯葉等、大豆の加工品が作られるようになってゆきました。

 

大豆はまた、侍や農民たちの戦(いくさ)時の
保存食としても大切なものでもありました。

 

大豆を少々早めに収穫して、エダマメとして食べるようになったのも
いつの頃からかわからないそうですが、江戸時代には夏になると
エダマメ売りの姿を町で見ることができたということです。

 

陰暦の9月13日を「豆名月」と呼んで
エダマメを供える習慣もありましたしね。

 

 

           「黒豆」も大豆の仲間

 

 

 

「大いなる豆」

大豆には粒の大きさ以外に色の違うたくさんの種類があります。
黄色、白色、緑色などで、おせち料理に黒豆も大豆の仲間「黒大豆」。

 

大粒種は、煮豆などのようにそのまま調理するものに使われ、
中粒種は、豆腐、味噌、醤油などの加工品に多く使われ、
小粒種は、主に納豆になるようです。

 

また「大豆(だいず)」という名前の由来は
「大いなる」豆、立派な豆というところからきているそうです。

 

 

 

 

 

下がり続ける食料自給率

こんなにも古くから日本人の生活に深く浸透して、なくてはならない
存在の大豆ですが、自給率はかなり低いのが現状です。

 

農林水産省によりますと2013(平成25)年の大豆自給率は6パーセント。
サラダ油などの原理ょとなる油糧用を除いて、食用品に限ると
21パーセントということですが、これでもかなり低いですよね。

 

また大豆に限ったことではなく、日本の食料自給率を
見てみますと、こちらも絶望的ともいいたい低さです。

 

ちょっと古いのですが、農林水産省の1997(平成9)年の白書から。
1960年以降の穀物自給率は、1961年が76パーセントでしたが
1992年では、29パーセントと急激に下落しています。

 

 

           グラフ(「エダマメの豆知識」

 

 

1996年に発表した「fao(国連食糧農業機関)」
の資料で、1988〜1990年の穀物自給率は、

 

先進国平均で108パーセント、
開発途上国平均が92パーセントであるのに対して
日本は26パーセントとなっています。

 

fao加盟国、126カ国の中で113番目という低さ。
日本より低い国は、砂漠、赤道直下の熱帯雨林や北極圏などの国々。

 

 

 

 

ヨーロッパは特に、近年国内生産力の向上に国内生産力の向上に
努めて実績を上げているそうですが、それと対照的なのが日本です。
ちょっと想像を絶する低さに驚きました。

 

2013年の大豆生産量は国内では
1位 北海道、2位 佐賀県、3位 滋賀県、

 

世界では
1位 アメリカ、2位 ブラジル、3位 アルゼンチン
ということです。

 

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