カルガモの親子を見ながら…「ORIGAMI」キャピトル東急ホテル

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

CapitolTokyuHotel       キャピトル東急ホテル(写真/「Wikipedia」

 

 

 

お母さんと一緒に……

今日のお話は、昨日のカルガモのシュークリーム
キャピトル東急ホテルのオリガミ(「ORIGAMI」)の
メニューにあった頃のこと。

 

最初の写真は、ザ・キャピトルホテル東急になる前の
キャピトル東急ホテルの、営業最終日の写真だそうです。

 

キャピトル東急ホテルのORIGAMIからは
親ガモの後ろについて泳いだり歩いたりしている
それはそれは愛らしいカルガモ親子の姿が見えました。

 

泳いでいる時はともかく、お母さんカモのあとを
ぴょこぴょこついて歩いている様は、

 

ちっちゃな足を地面におろすや否や、静電気が発生して
ピョッと飛び上がるような歩き方に見えます。

 

その飛ぶような歩き方で、全員が一生懸命に
お母さんガモのあとをひらすらついていく……。

 

 

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 驚くほどの優しい口調で

そんなキャピトル東急ホテルのオリガミで
間にコーヒ−をはさんで話をしている時に
相手の方がおっしゃいました。

 

「ほら、カルガモが泳いでいる、かわいいね」

 

初めて一対一でお話をすることになっ方から思いがけないことを
知らされ、私は少々、衝撃を受けていた時のことです。

 

カルガモを見るように私に促した
その方の口調は、驚くほどの優しさでした。

 

 

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なぜ、反対するのでしょうか?

私は、家族に関する法律の改正を目指している
市民運動をしていました。

 

その法改正に賛成、反対、それぞれの立場の
国会議員のコメントが、当時の新聞にを載りました。

 

賛成の立場でコメントをしていたのは
当時、新党さきがけに所属していた(と思う)
枝野幸男衆議院議員。

 

彼の最初の言葉は、
「(法改正は)言わずもがな」
と、当然のこととして賛成していらっしゃいました。

 

反対の立場で新聞に登場したのが
カルガモがかわいいね、とおっしゃったS議員でした。

 

その頃私は、法改正に反対の立場の議員や、そもそも
その問題にあまり関心がない議員に働きかけていたのです。

 

新聞で反対という立場でコメントをしていたS議員。
なぜS議員は反対なのだろう、と私は少々不思議な感じも。

 

S議員のそれ以外の問題についての意見を考え合わせると
この法改正に反対する理由はないように思われたからです。

 

そこで私は、その市民運動の中心者となっている弁護士に
頼んで、S議員と話す機会をつくってもらうことにしました。

 

 

 

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一応、約束は果たしました

約束の日、S議員はなかなか現れませんでした。

 

かなり時間がたってから現れたS議員は、遅くなったことを
詫び、自身の反対理由を簡単に述べた後、去って行きました。

 

「これから本会議ですので」
という言葉に、逆らえるはずはありません。

 

御自分の主張を説明した後に、少々世間話をし、弁護士さんと私に
議員食堂で幕の内弁当をすすめ、本会議場に向かったのです。

 

つまり弁護士さんの顔をたてて、約束に応じて現れ、御自分の考えを
さっと説明したあとに、幕の内弁当をふるまって本会議場に消えたと。

 

 

 

origami      ORIGAMI(写真/「キャピトル東急ホテル」)

 

 

 

 再び現れたS議員

あとに残された二人で幕の内弁当を
食べている時に、弁護士さんが言いました。

 

「逃げられちゃったね」と。

 

「うん」と私は答えたものの
それは当然、予想できたこと。

 

私は、S議員が去る直前に
用意して来た手紙を渡していました。

 

二人が幕の内弁当を食べ初めて
まだいくらも時間がたっていない頃のことです。

 

S議員があわてて、といった感じで
議員食堂に再び現れました。

 

私たちがいるのを見ると、ちょっとホッと
したような表情をして言いました。

 

「本会議が始まってから
あなたからいただいた手紙を読みました。
話したいことがあるので、今度……」と。

 

 

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誰にも口外しないで欲しい 

そして数日後に会ったのが、カルガモ親子のいる
キャピトル東急ホテルのラウンジ、ORIGAMIでした。

 

そこでS議員は、幼い時に母親を亡くし
祖母に育てられたこと等を静かに話しだしました。

 

なぜ、S議員がその話を私にしたのかといえば、若くして亡くなった
彼の母親は、まさに今回の法改正にかかわる人でもあったからです。

 

その上、それだけではなく、彼の父親も
同時に提出されている法改正の当事者でもありました。

 

つまり、S議員は今回のいくつか取り上げられている
法改正の、いわば申し子のような人だったのです。

 

そうであるのに、なぜ法改正に反対するのか……。
私は言葉が少なくなっていきました。

 

「この話は、誰にも口外しないで欲しい。◯◯さんにも」

 

と、アポイントメントを取り付けてくれた
弁護士さんにも話さないで欲しいと
S議員は言いました。

 

そして当然のことながら、私は今まで
誰にも話すことはありませんでした。

 

 

 

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        (写真/「キャピトル東急ホテル」)

 

 

 

 カルガモ親子に思いを重ねて……

その日の話の中でも充分感じられたことですが
その後に知ったことも考え合わせてみますと
S議員の母親への思いはたとえようもなく大きなものでした。

 

カルガモ親子を私に教えてくれた時のS議員の表情が
私には今でも鮮やかに浮かび上がってきます。

 

お母さんガモについてチョコチョコ歩いているカルガモ親子を
「見てごらん、かわいいね」と私に促した時の表情が。

 

実はその時私は、あまりの優しい口調に
ちょっと驚いてもいたのです。

 

母ガモと子ガモの姿に、S議員は自らの願望や思いを
重ねていたのではないだろうか……。

 

そんなことを私が思うようになったのは
それから随分、時が経ってからのことでした。

 

 

BlobServer20        (写真/「キャピトル東急ホテル」)

 

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ザ・キャピトルホテル東急(The Capitol Hotel Tokyu) 赤坂にある東急ホテル その2

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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 3年程前にできたホテル

今日、御紹介する「ザ・キャピトルホテル東急
(The Capitol Hotel Tokyu)」は
2010年の10月22日に出来たばかりのホテルです。

 

写真の左側の建物です。
(ちなみに右側は、以前「聘珍楼」の時に
御紹介した「山王パークタワー)

 

この写真の建物は新しく建て直したものであり
それ以前にも「キャピトル東急ホテル」がありました。

 

そしてもっと前には「東京ヒルトンホテル」と
呼ばれるホテルが建っていたのです。

 

 

happa        (写真/「The  Capitol  Hotel  Tokyu」

 

 

 

星の美しく見える丘

「ザ・キャピトル東急ホテル」が建っている場所は
国会議事堂にも近い、小高い丘です。

 

ここは昔から、星の眺めが美しい景勝の地として
「星丘」と呼ばれていたそうです。

 

大正の終わり頃から、昭和にかけての
稀代の美食家であった北大路魯山人(きたおおじろさんじん)
が料亭をもっていた場所でもあります。

 

この会員制の料亭は「星丘茶寮(ほしがおかさりょう)」
と呼ばれ、多くの政界人や財界人の交換の場所でもありました。

 

次の写真は、北大路魯山人の作品で「伊賀釉四方平鉢」。
私はこのお皿が好きです。

 

 

rosanjin北大路魯山人作「伊賀釉四方平鉢」
(写真/「ギャラリー無境」

 

 

「東京ヒルトンホテル」誕生

1963年6月20日、といえば東京オリンピックを控えた年ですが
この星丘に、日本で初めての外資系ホテルが生まれました。

 

「東京ヒルトンホテル」です。

 

「東京ヒルトンホテル」が誕生する数年前の、1958年12月
東京急行電鉄株式会社は、ヒルトンホテルズ・インターナショナルズと
業務委託提携を締結し、東京ヒルトンホテル株式会社が設立されました。

 

1966年の6月から7月にかけて、日本に来たビートルズが
宿泊したことでも有名になりました。

 

ビートルズは最上階、10階にあるプレジデンシャル・スイート
(Presidentyal Suite)1005号室に宿泊したといわれています。

 

 

kyutoukyukyapitoru        (写真/「The  Capitol  Hotel  Tokyu」)

 

 

 

「キャピトル東急ホテル」に変更

このように外国人にも人気のホテルでしたが
1967年4月、東急とヒルトンとの間で
ホテル運営受託契約を巡ってトラブルが起きました。

 

一時は、「ホテルジャパン東急(Hotel Japan Tokyu)」
への改称という事態に……。

 

しかし、ヒルトン側が東京地裁へ仮処分を申請したため
改称からわずか3週間ほどで、改称は差し止められ
「東京ヒルトンホテル」に戻ることになりました。

 

その後も両者の間は改善されずに、20年と定められていた
契約を更新することはなく、1983年12月31日をもって
「東京ヒルトンホテル」は閉館となりました。

 

そして翌日であり、翌年でもある1984年の元日から
「東京ヒルトンホテル」は
「キャピトル東急ホテル」と名前を変更。

 

「キャピトル東急ホテル」は東急ホテルチェーンの
フラッグシップ・ホテルとして運営されることになりました。

 

 

toukyapitoruhoteru        (写真/「The  Capitol  Hotel  Tokyu」)

 

 

 

「行く人」「残る人」

一方、ヒルトン側は同じ年、1984年の9月1日に、西新宿に
「東京ヒルトン インターナショナル(現在は、ヒルトン東京)」
を開業しています。

 

運営する側の、このような分裂により、働いていた人は
「東京ヒルトン インターナショナル」へ転職する人と
「キャピトル東急ホテル」に残る人とがいたそうです。

 

1980年以降の「キャピトル東急ホテル」には
マイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイ、
世界三大テノール等々が宿泊しています。

 

しかしそんな「キャピトル東急ホテル」も
老朽化したためと、この地の再開発もあり
2006年11月30日をもって、営業を終了しました。

 

 

zakyapitoruhoterutoukyu131121       ザ・キャピトルホテル東急

 

 

 

「ザ・キャピトル東急ホテル」として 

「東京ヒルトンホテル」としては20年間、
「キャピトル東急ホテル」としては23年間、
合計で43年間の営業でした。

 

そして、約3年半の月日の後に、この地は
地上29階地下4階建ての高層複合ビル
「東急キャピトルタワー」として生まれ変わりました。

 

「東急キャピトルタワー」には「キャピトル東急ホテル」
を継ぐ「ザ・キャピトルホテル東急」がメインとして入り
2010年10月22日に開業したのです。

 

 

 

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