ベルガモ「ジャン=ポール・エヴァン」 チョコレートのお話 2

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スペインに渡っていったカカオ豆
〜最初はコロンブスが〜

一時は貨幣のかわりとしても使われた
カカオ豆ですが、このカカオ豆はやがて
スペインに渡っていくことになります。

 

1502年、コロンブスがホンジュラス付近
を航海している時のことでした。

 

コロンブスはマヤ人の交易商人と出会います。
この交易品の中に、カカオ豆もあったのです。

 

 

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クリストファー・コロンブス
(写真/「Christopher Columbus」)

 

 

そのカカオ豆をコロンブスはスペイン、アラゴン
の王様、フェルディナンド2世に献上しました。

 

しかし驚くべきことに、なんとコロンブス
をはじめ、誰もがカカオ豆に興味を
示さなかったのだそうです。

 

 

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カカオ豆に興味を示さなかった
アラゴン王・フェルディナンド2世

 

 

 

〜次にエルナン・コルテスが〜

それから約20年後の1519年、
スペイン人のエルナン・コルテスは、

 

数百人の兵隊とともにアステカに上陸し
国王のモンテスマに会います。

 

 

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「Moctezuma AZTEC RULER」
(写真/「大英博物館」)

 

 

その時、コルテスは
「金の杯で冷たいチョコレートの飲物を
ふるまわれた」と記述しています。

 

 

 

 金の杯のチョコレートの飲物

金の杯に入っていたチョコレートの飲物である
「ショコラトル」ですが、これは現在の
チョコレートの飲物とはかなり違っていたよう。

 

まず、カカオ豆を発酵させた後に乾燥させ
煎ったものをすり潰してペースト状にします。

 

それに、バニラやコショウなどのスパイス、
薬草、時には飲み口をマイルドにするために
トウモロコシの粉も加え、冷やして
固めたものを保存しておきます。

 

 

 

 

これを細かく削ったり、砕いたりして
お湯や水に溶かした後に激しくかき混ぜて
泡立てたものが「ショコラトル」だったのです。

 

お砂糖は一切使用していませんので
甘味は全くありませんでした。

 

その「ショコラトル」の原料であるカカオを
コルテスはスペインに持ち帰りました。
そして1528年に、国王カルロス1世に献上。

 

 

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スペイン国王・カルロス1世
(写真/「歴代のスペイン国王」)

 

 

ここで初めて、カカオの飲物に
お砂糖やバニラ、シナモンなども加えて作った
甘い飲物「チョコレート」が誕生します。

 

とはいっても、この「チョコレート」も
一般の人が飲めるものではなく、一部の上層階級
の人が飲むことができるだけだったようです。

 

 

 

 

 

 

スペインからオランダやベルギー、フランス宮廷へ

スペインの一部の階級の特別なものだった
チョコレートは、のちにスペイン領であった
現在のオランダ南部や、ベルギー西部に
あたるフランドル地方に広まっていきます。

 

1609年には、フランスへも
チョコレートは伝わっていきました。
その頃スペインの王女アンヌ・ドートリッシュは
1615年、フランス国王ルイ13世と結婚しました。

 

 

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「アンヌ王妃」
ピーテル・パウル・ルーベンス画
( Peter Paul Rubens)

 

 

アンヌ・ドートリッシュはチョコレートが
大好きだったようで、チョコレートコックを
連れてフランスに嫁いだほどだったといいます。

 

そしてチョコレートはたちまち
フランス宮廷貴族の間で評判になりました。

 

 

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「鏡の間」ヴェルサイユ宮殿
(写真/「ヴェルサイユ宮殿」)

 

 

ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの間に
次の国王である、ルイ14世が生まれたのは
二人が結婚してから23年目のことでした。

 

 

 

4歳で国王になったルイ14世

ルイ13世が1643年に亡くなった時
ルイ14世はまだわずかに4歳。
4歳のルイ14世が国王になります。

 

しかし、当然のことながら実際の政務をとった
のは母親のアンヌ・ドートリッシュと、彼女に
絶対的な信頼を得ていたマザラン枢機卿でした。

 

マザラン枢機卿はイタリア人であり、国民から
愛されているとはいいがたく、彼がルイ14世の
実際の父親ではないかとの噂さえあったほど。

 

 

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4歳の国王、ルイ14世は名ばかりの国王。

 

スペイン人のアンヌ・ドートリッシュと
イタリア人のマザラン枢機卿が政権を
とっていたことに、フランス国民は
少なからず不満を抱いていたともいいます。

 

しかしマザラン枢機卿は、ルイ13世の
遺志を引き継いでルイ14世に、絶対王政主義
を貫いた政治教育をしています。

 

その結果ともいえるルイ14世の有名な言葉に
「朕は国家なり」がありますね。

 

 

 

ルイ14世の妃もチョコレート好きなスペイン王女

そのルイ14世もまた、スペイン王女を妃にしました。
マリー・テレーズ・ドートリッシュです。
この絵はベラスケスの描いた
マリー・テレーズ・ドートリッシュ。

 

 

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マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
ディエゴ・ベラスケス (Diego Velazquez)画
(写真/「ハプスプルグ家」)

 

 

1660年にフランス国王ルイ14世に嫁いだ
マリー・テレーズ・ドートリッシュも
チョコレートにはめがなかったといいます。

 

1682年のベルサイユ宮殿の園遊会で、カカオ
の飲みものが供された記録も残っているとか。

 

 

 

ルイ13世の妃の姪が、ルイ14世の妃

このマリー・テレーズ・ドートリッシュ
は、ルイ13世の妃となったアンヌ・
ドートリッシュの姪にあたります。

 

 

 

 

アンヌ・ドートリッシュは
ルイ13世の妃で、ルイ14世の母。
そのルイ14世の妃が
マリー・テレーズ・ドートリッシュ。

 

つまりルイ14世から見ますと
自分の「母の姪」が、自分の「妃」ということですね。

 

この絵は「アンヌ・ドートリッシュ」と
「マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
の二人を描いたもの。

 

 

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「アンヌ・ドートリッシュと
マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
(写真/「Life Style」)

 

 

 

孤独な妃、マリー・テレーズ・ドートリッシュ

フランスに嫁いだものの、マリー・テレーズ
・ドートリッシュは、フランス語が上手に
話すことができずに、スペイン語訛りの
フランス語を話していたといいます。

 

私は長い間、外国に行って暮らせば、その国の
言葉はあたりまえのように話せるものだと思って
いたのですがそういうものでもないのですね。

 

マリー・テレーズ・ドートリッシュ、かわいそう……。
語学が超苦手な私は、日本で一生を
終えるこことできて(?)よかったです。

 

 

 

 

それもあってかどうかマリー・テレーズ・
ドートリッシュは、政治や文学に興味をもたずに
ルイ14世の母、夫の母である、アンヌ・
ドートリッシュと仲が良かったそうです。

 

二人で心おきなくスペイン語での
会話を楽しんだのでしょうね。

 

またマリー・テレーズ・ドートリッシュは
夫であるルイ14世との間も親密ではなく
ルイ14世には愛人が多くいたといいます。

 

1666年にアンヌ・ドートリッシュが亡くなった後の
宮廷での孤独感は如何ばかりかと察せられます。

 

 

 

 

 

チョコレートは世界へ

思わず、ルイ14世夫妻のお話が続いて
しまいましたが、ここでまたチョコレート
のお話に戻りましょうね。

 

マリー・テレーズ・ドートリッシュと
ルイ14世の結婚にさかのぼること20年、

 

1640年にはチョコレートはイタリアや
オーストリアへ、翌1641年には
ドイツへも広まっていきました。

 

 

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その後、1656年チョコレート
はイギリスへ伝わります。

 

1728年頃から、スイス、イギリス、
ドイツ、オランダ、スペインなどに次々と
チョコレート工場ができていきます。
(スイスへ伝わったのは1750年という説も)

 

その後、チョコレートは
アメリカへも渡っていきました。

 

と、ここのあたりはかなりの駆け足の説明に
なってしまいましたが、こうして現在はどこでも
チョコレートが食べられるようになったのです。

 

でも、最初に書きましたがが本当のチョコレートかな?
という気も私はするのですが……。

 

 

 

 

 

ココアの語源はアステカの「カカウ」から

ちなみにココアの語源ですが、これは
スペインがアステカを征服した頃に、原住民が
「カカウ」と呼んでいたことによるのだそうです。

 

これがヨーロッパに伝わって
カカオ、ココアになったといいます。

 

 

 

 

「ショコラトル」→「チョコレート」へ

また、前に出てきた、カカウから作った
飲みのもは「ショコラトル(chocolati)」
という名前でしたね。

 

この「ショコラトル(chocolati)」
という言葉が「チョコレート(chocolate)」
になったそうですよ。

 

チョコレートについての小さいお話でした。
チョコレートのほんの一かけら
にも満たないものなのですけれど。

 

 

 

 

長くなってしまいましたので
ここで一旦終わりにしましょうね。
読んでくださって、ありがとうございました!

 

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アンヴィ「ジャン=ポール・エヴァン」

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「アンヴィ」

ジャン=ポール・エヴァンのルネサンスシリーズ
から「アンヴィ」。2010年のビッシュ ド ノエル。

 

2010年のジャン=ポール・エヴァンのテーマは
「アンヴィ(願望)」でした。
何かを欲しい、何かをかなえたい……。

 

ショコラレのムースでパッションフルーツ、
マンゴー、バナナ、ライム、イチゴを
あわせたジュレを包み込んでいます。

 

 

130317janporueban「アンヴィ」ジャン=ポール・エヴァン

 

 

 

最近、写真が増えた理由

この2枚目の写真も同じジャン=ポール
・エヴァンの「アンヴィ」です。

 

背景が変わると、ちょっと別の
ケーキのように感じられますね。
ところで最近、このブログ、
写真が増えたように思えませんか?

 

私はブログに使う写真を用意する時に、例えば
今日のジャン=ポール・エヴァンのケーキのように
バックを変えたり、器を別のものにしたりと
何パターンかの写真を撮ることがあります。

 

 

 

 

ブログを始めて一年半ほどの間は、たとえ
写真を何枚も撮っても、1日のブログで使う
写真は、その中の1枚と決めていました。

 

ですから今日のブログでいいますと、最初の
写真か2枚目の写真、どちらかをブログに
のせて他のものはボツにしていたわけです。

 

この1枚に心を込めて…..、などという
大それた理由があったわけではありません。
という以前に、だいたいピントすら
あっていない写真の数々ですから。

 

 

「バロック」ジャン=ポール・エヴァン

 

 

 

文字も増えました

また、増えたのは写真だけではなく、字の数もです。
原因はわからないのですが、私はグーグルから
ペナルティを科せられているようなのです。

 

その対策のためというわけでもありませんが
グーグルの評価の仕方を最近、調べてみました。

 

グーグルはどのような基準によって
検索順位を決定しているのかを発表は
してはいませんので、ああだこうだと
いってもそれらは結局、推測に過ぎません。

 

 

「ランコントル」ジャン=ポール・エヴァン

 

 

そんなことを考えているよりは、記事を着実
に増やすのが一番のSEO対策だ、とおっしゃる
方がいて、もっともだと思った次第。

 

ただ一般的に言われていることは
字数が少ないものは評価されないということ。
これはある程度、事実だと思われます。

 

字数が多い=情報量が多い、ということなのでしょう。
2、3行のブログより千字も書いてあるブログ
の方が情報量は多いのは当然ですからね。

 

 

「アンヴィ」ジャン=ポール・エヴァン

 

 

 

後世に残る俳句でも17文字扱い

ただ、もし俳人が後世に残るような
すばらしい俳句を書いたとしても
それはたった「17字」に過ぎません。

 

ですからそれは当然、評価されないこと
になってしまうというのは、ちょっと
納得しかねなくもありませんが……。

 

まあ、それは仕方ないことですね。
数や量ではかれることもあれば
そうでないものもあります。

 

しかし、何らかの基準を作る場合、やはり
量というのはそれなりの基準になるのでしょう。

 

というわけで写真も、どうでもいい文章
も増えていますがどうぞ、これからも
御贔屓のほど、よろしくお願い奉ります。

 

これが「あぷりのお茶会」の
「アンヴィ(願望)」です!

 

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マカロン ショコラ ア ラシエンヌ「ジャン=ポール・エヴァン」東京ミッドダウン

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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バレンタインデーの夕方

先月のバレンタインデーのことでした。
もうあたりは暗くなった、午後7時頃のことだったと思います。

 

東京ミッドタウンの「ジャン=ポール・エヴァン」のお店の前で
女の人が行列を作っていました。

 

バレンタインデーはもう終わったというのに
この行列は一体何なんだろう?

 

しかし「バレンタインは終わっているのに……」と思ったのは
実は私一人で、当日の夜7時は、まだまだバレンタイン真っ最中
ということだったのでしょう。

 

ふ~う、すごいですね、色々な意味で……。
しかし、実はここで終わらなかったのです。

 

 

 

それからしばらくして

先日の3月14 日、夜8時過ぎ。
同じ東京ミッドダウン、「ジャン=ポール・エヴァン」の
お店の前に行列が……。

 

今度は、男の人でした!!

 

このようなことに全く縁のない私には、言葉もありません。

 

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