やなせたかし「ぼくらはみんな生きている」  ―秋のサクラ—

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

秋の桜便り

先日、用があって西日本新聞を送ってもらった
のですが、そこに今月の初めに福岡市でソメイヨシノ
の花が咲いたとのニュースが報じられていました。

 

今年の秋、サクラが咲いたという報道
はこの福岡市以外にも、東京など
数カ所でもあったようです。

 

秋に2度目の開花をするサクラと
いうのは、何らかの理由で葉が既に
落ちてしまっているサクラだそう。

 

サクラは夏の間に、翌年の春に咲く花芽
をつくり、それから休眠状態に入ります。

 

休眠状態は、成長抑制ホルモンによって
サクラが開くことを待たされている状態で
そのホルモンは葉っぱから出されます。

 

 

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本来は、秋になり紅葉した後に葉が落ちて
冬の寒さを越した後、再び春の暖かさを感じ
た時に、サクラのつぼみが開くのが普通です。

 

ところが、秋を待たずに葉っぱが落ちてしま
っているサクラの木では、葉っぱから出る休眠
ホルモンが充分に花芽に届けられません。

 

そこへ、秋の涼しさを冬と間違え
その後、今年のようにあたたかな日
が続くと、サクラは春が来たのかと
勘違いして花を開いてしまうのだそう。

 

 

091128sakura           (写真/「ニコルミラーが行く」)

 

 

 

同じ日の西日本新聞のアンパンマンの記事

また、福岡市の秋のサクラの開花を報じた同じ日
の西日本新聞には、博多区にアンパンマン施設が
できることもとりあげられていました。

 

福岡市博多区に「福岡アンパンマン
こどもミュージアムinモール」
が4月18日に開業するそうです。

 

アンパンマン施設は横浜など
すでに4カ所にあるようですが
九州進出はこれが最初のものだそう。

 

これが報じられた2013年10月8日、そのわずか
5日後の10月13日、アンパンマンの生みの親で
ある、やなせたかしさんが亡くなりました。
94歳でした。

 

 

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『虫になったアンパンマン』
(「アンパンマンとやなせたかし展」)
(写真/「ホテルレビュー」)

 

 

 

「ぼくらはみんな生きている」

やなせたかしさんといえば,勿論アンパン
マンなのですが実は、誰もが知っている
有名な歌の作詞者でもあります。

 

それは「手のひらを太陽に」。
「♪ぼくらはみんな生きている〜♫」
で始まる歌ですね。

 

この歌の詩を作ったのは
やなせたかしさんが42歳の時でした。

 

その頃,やなせたかしさんは漫画がちっとも
売れずに、自信を失いかけていたといいます。

 

そんなある日、何気なくあかりに
手のひらをかざすと、そこには
赤く流れる血潮が透けて見えました。

 

その美しさに勇気づけられたやなせたかしさん
は、みんなを元気にしたいと作った歌が
「手のひらを太陽に」だったそうです。
(NHK「クローズアップ現代」2011年7月12日放送)

 

そしてその後の活躍は、皆さん既にご存知の通りです。

 

 

 

「決し強くはない人が……」

やなせたかしさんは人生の前半、春の
サクラは咲かずに、秋になって万朶の花
を咲かせたような方だったのですね。

 

そのやなせたかしさん、実は晩年に数々の
病気、体調不良があり90歳を過ぎた時に
一度、引退を考えたのだそうです。

 

生前葬や、編集をしている雑誌では
追悼号まで考えていたそうですが
その直後に、東日本大震災が起きました。

 

「被災者のことを考えれば
自分が引退なんて言っていられない。

命ある限り全力を尽くしてやろうと、
そう決めたんだ」

 

とやなせたかしさんは語っています。
また「本当の正義は何か」については
このようにおっしゃっています。

 

「そこにひもじい人がいれば一切れの
パンをあげる、

そこにおぼれそうな人がいれば
助けてあげるということ。(略)

決して強くはない人が、自分が傷つく
ことも覚悟して、それでもやらずには
いられない、それこそが正義だと思う」

       (dot.「週刊朝日」)

 

最後まで若々しい精神をお持ちだった
やなせたかしさんに、合掌。

 

 

sakura                 (写真/「blog.フォト」)

 

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