マニマニ君のこと

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

12.9.24.nasi

 

 

梨のワイン

梨の季節も、もうそろそろ終わりですね。
随分前のことですが、梨のワインを
いただいたことがあります。

 

以前、マニマニ君という小学生にピアノを教えていた
ことがあったのですがその後、成長した彼がうちに
遊びに来てくれるときに持ってきてくれたのです。

 

私はその時、梨のワインがあることを初めて知りました。
たしかにマニマニ君のおうちの周辺は
梨の栽培で有名なところでした。

 

 

 

 

マニマニ君が大学受験に失敗したということで
お母様からこんな電話をいただいたのです。
「突然ですが、伺っても良いでしょうか?」と。

 

もちろん、大歓迎!
電話をいただいた時点では、マニマニ君の
御家族の方とはずいぶん御無沙汰の状態でした。

 

十年は経っていなかったと思いますが
五年以上は会っていなかったと思います。

 

 

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5人家族の4人が生徒

大学を卒業したすぐの頃、私はマニマニ君の
お兄さんにピアノを教える機会に恵まれました。

 

その後、マニマニ君、妹のYちゃん、そしてお母さんと
いうように、5人の御家族のうちお父さん以外の4人
の方のレッスンをさせていただくことになったのです。

 

最初はお教室でしたが、途中から出稽古という形を
とり、マニマニ君のおうちに伺うようになりました。

 

 

 

 

御家族4人のレッスンが終わると、次は唯一ピアノの
お稽古をしていないお父様も参加してくださり、皆で
お茶を頂きながらいろいろなおしゃべりをしたものです。

 

今考えると教えるとは名ばかりで、本当は私が
みなさんからいろいろと教えて頂きながら
楽しい時を与えてもらっていたのです。

 

あのかけがえのない楽しい日々を思う時
本当に心から感謝の念が湧いてきます。

 

 

 

 

 

「教える」ではなく「教えられ」

そういえばある夏の日、マニマニ君のお家の
ある駅に着く直前、私は気分が悪くなって
しまったことがありました。

 

駅のお部屋(あの場所は何ていうのでしょうか?)で
休ませていただいているところを、マニマニ君のお母様
に迎えにきていただいたりと、御迷惑をおかけしたり。

 

マニマニ君のお母様は、真夏の暑い日はいつも
冷凍庫で冷やして半分凍らせたようなおしぼりを
用意してくださったことなど懐かしく思い出されます。

 

 

 

 

時には、NHKの「きょうの料理」のテキスト
に掲載されているお菓子の作り方を
教えていただいたりもしたもしました。

 

私が大好きな「求肥(ぎゅうひ)」を
初めてをつくったのも、マニマニ君の
お母様に教えていただいたレシピ。

 

一方、お父様は高校の国語の先生で様々な事柄を
教えていただきましたが、マニマニ君のお兄さんや
マニマニ君も私にいろいろと教えてくれました。

 

 

 

 

例えば、京都の龍安寺の読み方が「りゅうあん」
ではなく「りょうあん」だとか、鹿脅しは
「ししおどし」と読むんだよとか……。

 

お父様が国語の先生だけあって
マニマニ君のお兄さんはもちろんのこと
マニマニ君もいろいろ詳しいのです。

 

修学旅行で龍安寺に行っていながら読み方も
わからない私も私ですが、しかも二十歳過ぎて
いたのに、ということは置いておくとしても、

 

そんなことさえ知らずに小学生のマニマニ君から
教えてもらっても、私は恥ずかしいというよりは
ただただ楽しかった記憶しか残っていません。

 

 

 

 

 

あだ名の由来

ところで、マニマニ君という、ちょっとおかしい
あだ名ですが、実はこれも百人一首からきたもの。

 

「このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに 」
の「まにまに」からなのです。

 

といっても、私の中だけに存在しているあだ名であり
彼をそう呼んでいることは、彼自身はもちろんのこと
御家族のどなたも知らない秘密のあだななのですが。

 

 

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梨のワインを持ってきてくれたマニマニ君と
数年ぶりにあったその日、私たちは
かなり遅くまでおしゃべりをしていました。

 

受験の失敗についてはさほど苦にしている
ようには、私には見えませんでした。

 

「恋人ではないけどガールフレンドがいるんだよ」
などと楽しそうに話してくれたりして。

 

 

 

私が用意したおつまみは全く手をつけてくれなかった
マニマニ君が帰った後、私はふっと思ったのです。

 

久しぶりに訪ねてきてくれたマニマニ君は
本当は私に、何を言いたかったのだろうと。

 

別に何でもないおしゃべりだけをしにきてくれたという
ことでしたら、それはもちろん嬉しいことではありますが
私にはなぜか、そうとは思えませんでした。

 

 

 

 

 

もしかしたら……

彼は、何か私に言いたいことがあったのに、それを
伝えることができずに、あたりさわりのない話だけして
帰ってしまったのではないか?、という気がしたのです。

 

その後、マニマニ君からは何の連絡も
ありませんでしたが、私は心のどこかに
そのことがずっと気にかかっていました。

 

その答えは、数十年経った今でもわかりません。
ただ、もしかしたらと思うことに
その数年後、思いあたったのです。

 

 

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もちろんそれがあたっているか否かも
全くわかりません。
ただ私の心の中でだけの確信です。

 

マニマニ君のお兄さんは、現在に至るまで、
毎年、欠かさずに年お年賀状を送ってくれています。
今では結婚して女の子が二人いるお父さん。

 

ですがマニマニ君からは、
あれから何の音沙汰もありません。

 

 

 

 

マニマニ君、元気ですか?
あの時、何が言いたかったのかなぁ……。
わかってあげられなくて、本当にごめんね。

 

マニマニ君とこの先、一度でも会う機会は
私の人生には用意されているのでしょうか?

 

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