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「モンブラン」
「モンブラン」といえば、日本では
ケーキの名前として有名ですね。
ですがもう一つ有名なものがあります。
そう、ペンなどの筆記用具の会社のモンブラン。
おっと、いけない、その前に
本当のモンブランがありましたね。
ごめん、モンブラン。
モンブラン(写真/「Alternativgeschichte-Wiki」)
筆記具の方の、ドイツのモンブラン
が出来たのは1908年。
そして2年後の1910年には「montblanc
(モンブラン)」を商標登録したそうです。
その3年後には、あの有名なマーク
「ホワイトスター」が誕生し
ブランドロゴ、および商標となりました。
これはヨーロッパ最高峰である、モンブランの
山頂を覆う万年雪を表しているそうです。
黄色いモンブラン「モンブラン」
万年筆のてっぺんに表されたモンブランの
ホワイトスター、この万年雪は、ケーキの
「モンブラン」の場合ですと白砂糖ですね。
マロンクリームを、山のかたちに絞り出した
ところに、雪(白砂糖)をぱふぱふっ
と散らしてあります。
これはジャン=ポール・エヴァンの「モンブラン」
ですが、以前の日本の「モンブラン」は
こんな感じものが主流だったそう。
こちらは不二家の「モンブラン」。
マロンクリームを絞り出してある
ところまでは一緒ですが、上には栗が
おいてあり、白い万年雪はありません。
このパターンの「モンブラン」は、
黄色い「モンブラン」ともいわれて
長い間日本人に愛されてきたものです。
「モンブラン」の始まりは?
そもそもの「モンブラン」の始まりは
いろいろな説があるようです。
中で最有力なのは、アルプス山脈を
臨む場所で作られていた郷土菓子説。
フランスのサヴォア地方の「モンブラン」と
イタリアのピエモンテ州の「モンテビアンコ」
というお菓子です。
これらはともにマロンペーストに
ホイップをした生クリームを添えた
ものだったそうです。
日本で初めて「モンブラン」を売り出したお店
それでは日本で初めて「モンブラン」
を売り出したお店はといいますと東京、
自由が丘のその名も《モンブラン》というお店。
山好きだった《モンブラン》の店主
迫田千万億(さこたちまお)がヨーロッパに
行った際に、秀峰モンブランを見て感動した
ことからつけられた名前だといいます。
迫田千万億は1933年に、現在の学芸大駅の近く
にお店を開きましたが、戦後すぐの1945年に
自由が丘駅付近に駅付近にお店を移しました。
こちらが自由が丘の《モンブラン》、
という名前のお店の「モンブラン」です。
「モンブラン」の商標登録をしない理由
この迫田千万億オリジナルの黄色い
「モンブラン」が何時頃から、《モンブラン》
のお店に置いてあったのかははっきりしないそう。
ただ、広く知られるようになった
のは戦後だといわれています。
《モンブラン》の店主、迫田千万億は
お店の名前の《モンブラン》は、商標登録を
していますが、オリジナケーキの方の
「モンブラン」のそれはしていません。
その理由は、
「日本洋菓子界の発展を願い、広く一般に
この洋菓子の銘柄を解放することを選んだから」
ということです。
* (「黄色いモンブランは日本の発明」)