「調香師」 

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国家資格ではありませんが

1996年に始まった「臭気判定士」
に比べると、調香師という仕事は
多くの方に知られていると思います。

 

調香師は国家資格ではありませんが
民間の「日本調香技術師検定」という
検定が、2010年から始まりました。

 

調香師といえばすぐフランスを思い浮か
べますが、フランス南東部のグラースは
「香水の聖地」として知られた街です。

 

 

 

 

フランスの香水の3分の2以上が作られて
いるグラースは、「ル・ネ(le nez)」、
「ネ(nez)」いう「称号」をもつ人が
最も多い地域だといいます。

 

フランス語で「鼻」を意味する「ル・ネ」は
約6000種類の香りを嗅ぎ分けることができ
る嗅覚をもった調香師に与えられる称号。

 

こちらも制度としての資格ではありません
が、世界で400人ほどしかもたない「ル・ネ」
の称号は、調香師にとっての名誉ある称号
といえるでしょう。

 

 

 

 

 

「パフューマー」と「フレーバリスト」

8000種類以上に及ぶ香料の組み
合わせで香りをつくる調香師には
科学的な知識も必須です。

 

大学の理系学部か、調香師養成コースの
ある専門学校を卒業した後、香料会社等
の研究開発部門で働くのが一般的です。

 

といっても日本では、香水やフレグ
ランスを作る「パフューマー」の
仕事の求人はとても少ないのが現実。

 

 

 

 

それでも香水づくりに携わりたいと
思う人は、外国にいくという道を
選ぶこともあるそうです。

 

それに対して求人が多いのは、食品会社
や香料会社で口に入るものの香りを調合
する「フレーバリスト」と呼ばれる職種。

 

口に入るものといっても、食品という
だけではなく歯磨き粉や薬、タバコなど
の香りもその仕事に入っています。

 

 

 

 

 

嗅覚に影響しないようコンディションを整える

一人前の調香師になるには10年
ほどの期間が必要といわれます。

 

調香師にとって最も重要な嗅覚に
影響を与えないよう、風邪や寝不足等
に注意する体調管理は当然のこと。

 

その上、タバコも吸わず、辛いもの
や味の濃い食事にも注意するという
日々の弛まぬ努力が必要のようです。

 

 

 

 

 

狭き門の「ジボダン香水学校」

1946年に創立し、パリ郊外のArgenteuil
(アルジャントゥイユ)にある「Givaudan
Perfumery School(ジボダン香水学校)」
は調香師を育てる名門校です。

 

入学応募者は3000名、そのうち許可
されるのはたった3名、卒業時にはさら
に少なくなってしまうという狭き門。

 

1人も入学者がいない年もあるという
ことで本当の少数精鋭ですが、2015年
にはシンガポール校もできました。

 

ジボダンのパフューマリースクールの
学生は毎日、1つの成分を一嗅ぎし、
500余りの原材料の中から識別できる
ように自分の鼻を鍛えているといいます。

 

そして同時に、シチリア島の果樹園や
アンダルシアの農園で自然の中に身を置き
パリの美術品や近代建築の探求もします。

 

 

タッセル邸
ビクトール・オルタ設計

 

 

 

天然香料  →  合成香料

現在、売られている香水のほとんどは
科学的に合成した合成香料で作られた
ものです。

 

それ以前の香水は、自然界に存在する
植物や動物から抽出した天然香料で
作られていました。

 

天然のものですので生産量も品質も
毎年、一定というわけにはいきません。

 

ほとんどがオートクチュール社製で
フランスの貴族たちという特権階級のみが
楽しむことができたものだったようです。

 

原料が合成香料に変わってからは
品質が安定した香水を、誰もが手に
することができるようになりました。

 

 

 

 

 

フランソワ・コティ


香水を誰の手にも届くように

伝統にこだわる調香師たちが、それまで使お
うとしなかった合成香料を積極的に使ったの
が、「香水の帝王」といわれたフランソワ・
コティ(1874年〜1934年)です。

 

「シブレー調」という新しい香調を作り
だした彼は、合成香料を使うことで価格を
抑え、誰にでも手が届くものにしました。

 

また、装飾芸術家であるルネ・ラリックに
ボトルのデザインを依頼し、香水瓶を芸術
の域まで高めたことも特筆すべきでしょう。

 

 

ルネ・ラリックの香水瓶「シダ」
こちらはコティの香水ではないよう

 

 

1909年に、ラリックがデザインしたボトル
で世に出た香水「ロリガン」は、ハーブの
オレガノをにおいを効かせた東洋調の香り
で人気になりました。

 

「ロリガン」は、幕末の日本の上流階級
の女性たちにも愛されたということです。

 

 

 

エドモン・ルドニツカ


(センスは)誰にも教えることが

できないし、学ぶことはできない

 

「香水は、人に衝撃を与え、感情を
揺さぶるものでなくてはならない」

 

と言ったのは、20世紀最高の天才調香師
といわれた「偉大な調香師」エドモン・
ルドニツカ(1905年〜1996年)です。

 

1966年に発表された、ディオールの
「オーソバージュ(EAU SAUVAGE)」
は、男性用フレグランスの最高峰と
賞賛されています。

 

日本における昭和のメンズコスメの
ほとんどが、オーソバージュの影響
を受けているということです。

 

庭のスズランからインスピレーションを
得たといわれている「ディオリッシモ」
は1956年の作品。

 

 

 

 

エドモン・ルドニツカのあげる
調香師としての要件

 

1 技術的な知識
2 イマジネーション
3 芸術的な審美眼
4 才能

 

彼の息子、ミシェル・ルドニツカも現在
調香師として活躍していますが、彼は父
がよく言っていた言葉を覚えています。

 

「調香師にとって最も大切なのはそれぞれ
のもつセンスであり、それは誰にも教える
ことができないし、学ぶことはできない」
(「BRUTUS」)

 

という厳しい言葉ですが
まさにそれが真実なのでしょう。

 

 

 

調香師   ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード
(写真/「Pinterest」)

 

〜現代に生きる調香師たち〜

 ジャック・キャヴァリエ・ベルトリュード

「香料を調合する以上の技を
習得しないと調香師にはなれない」

 

「ルイ・ヴィトン」のマスターパフューマー
を務める彼は、「匂いが見える男」といわれ
調香界のモーツァルトと称される名匠です。

 

父親、祖父、曽祖父までもがパフューマー
という彼は、すでに8歳の時に「調香師に
なりたい」と言っていたといいます。

 

父から、一つの匂いに一つのイメージを
記憶するよう教えられた彼のラヴェンダー
のイメージは「おばあちゃん」だそう。

 

 

 

 

毎晩、父から香料を浸した試験紙を渡され
その香りの描写をノートに書き留めるのが
日課だった彼には、一つの匂いが、ある
特定の像や観念と結びついているのです。

 

「香りにルールはなく、その人の持つ
雰囲気、体温によっても変化していく。
香りはジェンダーレスであり、全てが
ユニセックスと考えることもできる」
          (「WWD」)

 

「香料を調合する以上の技を
習得しないと調香師にはなれない」

 

という父の言葉を心に刻み、技を磨いた
キャヴァリエは世界3大調香師の一人
「香りのマエストロ」と称されています。

 

 

 

調香師   クエンティン・ビスク
(写真/「VICTORINOX」)

 

クエンティン・ビスク


自分と香りしか存在しない

洞窟のような暮らしを経て……

 

劇団の運営者を経て、全てを捨てて
ジボダン調香学校へ入学し、2011年に
ジボダン社に入ったクエンティン・ビスク。

 

クロエ、イヴ・サンローラン、ミュグレー、
ミッソーニの香水を手がけて一躍有名に
なりました。

 

新作「クロエ  アブソリュ  ドゥ  パルファム」
が今年2月に発売されています。

 

彼はたくさんの香りを覚えるために
6か月間、孤独に過ごしたといいます。

 

 

 

 

「それぞれの香りを心に浮かぶイメージや
ストーリー、感覚と結びつけました。
例えば、雲の滴る緑を思い起こさせる香り、
祖母の家の庭とつながる香り、といった
具合です」(「VICTORINOX」)

 

自分と香りしか存在しない、そんな洞窟
に住んでいるかのような日々を送りなが
ら学んだクエンティン・ビスクは、今
その才能を思う存分花開かせています。

 

 

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