「赤い靴」 麻布十番

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 
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これは麻布十番にある、きみちゃんの像です。
「赤い靴はいてた女の子」の歌の、モデルになった少女。

 

きみちゃんは3歳の時に、
アメリカ人夫妻の養子になりました。

 

彼らは、きみちゃんが6歳の時に
アメリカに帰ることになりました。

 

ですがその時きみちゃんは、船旅には耐えられないほどの
病気でした。

 

やむをえず、彼らはアメリカに帰り、
きみちゃんは孤児院に行くことに。
麻布十番にあった孤児院です。

 

その後、きみちゃんはその孤児院で亡くなりました。
9歳でした。

 

赤い靴を履いてた女の子、きみちゃんは
アメリカには行っていなかったのです。

 

ただ母親の岩崎かよさんは、きみちゃんが
「アメリカに渡り、幸せに暮らしている」
と思いながら一生を終えたそうです。

 

岩崎かよさんの再婚相手は、
北海道の小さな新聞社で働いていました。

 

その新聞社で同僚だったのが、野口雨情。
彼が、かよさんの話から作った曲が、「赤い靴」なのです。

 

このきみちゃんの像は、とても小さいものです。
知らなければ、うっかり見過ごしてしまうほど。

 

この写真のきみちゃんの後ろの方で、
「東京タワー 麻布十番」の写真を撮りました。

 

また「手縫い絹糸のあるお店」は、
きみちゃんの右側にあるお店。

 

よく行くお花屋さん「だんだん畑」は、
この写真の右斜め前といったところでしょうか。

 

そして左側はブログではまだ登場していませんが
「ラ・ボエーム」。

 

左手前が「リタティ―ノ」……と、
きりがないのでやめますが、ここは私にって
麻布十番の中心かもしれませんね。

 




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2 thoughts on “「赤い靴」 麻布十番

  1. SECRET: 0
    PASS:
    赤い靴はいてた女の子の話、初めて知りました!(横浜に実家があるにも関わらず…)
    アメリカには行ってなかったのかぁ…
    さらに9歳で亡くなっていたなんて…
    そして母親とのそういう繋がりで雨情が作詞していたとは。
    背景を知ると、同じ歌でも違って聞こえてきますねぇ…

  2. SECRET: 0
    PASS:
    そうなんですよ、たった一曲の歌の背景にこんなドラマがあるなんて……。
    実母の思い、養父母の気持ち、野口雨情のやさしさ、そして何よりきみちゃんの心を思うとき、胸がいっぱいになりますよね。
    このきみちゃんの像には多くの寄付金が寄せられて、ユニセフにあずけて子どもたちのために使われているそうです。
    ご本人たちが知らないうちに、一つの動きがつくられていく……。
    それがせめてもかな、って思います。

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