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虎屋本店の隣りにある「弾正坂」
ここ数日続けて御紹介して来た虎屋は
青山通りに面した、赤坂4丁目にある
虎屋ビルの1階にある店舗です。
この虎屋のお店を出て、虎屋ビルをすぐ左に曲がった道、
この写真でいいますと真ん中の道は、赤坂の坂の一つで
「弾正坂(だんじょうざか)」といいます。
少し歩いて行くとすぐ山脇学園に突き当たり「弾正坂」
は、そこで終わりますが、その終点付近がこの写真です。
次の地図でいいますと
ピンク色の部分が「弾正坂」です。
青山通りから山脇学園までの、赤坂4丁目9番と
4丁目18番の間の「弾正坂」は、地図では
ピンク色の下半分。
一方、青山通りで中断されるピンク色の上の方の
「弾正坂」があるのは元赤坂1丁目と2丁目。
ピンク色の一番上の「弾正坂」が
始まる場所が次の写真。
右側一帯は、赤坂御用地です。
(地図では左側の黄緑色の部分)
高低差の少ない「弾正坂」
赤坂の坂・2回目の前回は、TBS社屋の
裏手にあたる「三分坂」を御紹介しました。
「三分坂」は、赤坂の坂の中で一番の高低差がある
坂でもあり、のぼるのはかなりきつい坂です。
下る時もちょっと、おっとっととなってしまうほど。
今日の「弾正坂」は「三分坂」とは
対照的に高低差のない坂。
「弾正坂」と書いてなければ、歩いている人は
ここが坂だと気づくことさえないのでは?、
という感じの坂です。
命名の由来
「弾正坂」の標識には次のように書かれています。
「弾正坂 だんじょうざか DANJO-ZAKA
西側に 吉井藩松平氏 の屋敷があり、代々
弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが
多かったため名づけられた。
平成七年七月 港区 1965 july」
ということは、「弾正坂」と命名されたのは
江戸時代ということになりますね。
「弾正坂」の命名のもととなった「弾正大弼
(だんじょうだいひつ)」ですが、「弾正」
とは律令制の高級官僚の役職名なのだそう。
「弾正台(だんじょうだい)」の次官を「大弼」
といい、その下を「小弼」といいました。
「弾正台」とは警察機関のこと
律令官制の一つの「弾正台(だんじょうだい)」
とは、どのようなことを司っていたのかといいますと
これがなんと警察機関のことと知って、ビックリ!
* (「コトバンク」)
先ほどお見せしたこの写真、左の建物が虎屋で
真ん中が「弾正坂」ですが、坂の右側に
建っている建物は赤坂警察署だからです。
いや〜、おもしろいですね。
「弾正坂」は江戸時代に命名されたのですから
当然のことながら、赤坂警察署よりはるかに前に
「弾正坂」という名前があったわけです。
赤坂警察署をここに建てたのは偶然なのか、あるいは
「弾正坂」にあやかってここに建設しましょう、
ということになったのでしょうか?
まあ、偶然でしょうね。
でも偶然だったとしたら、その方がかえって
おもしろいかな?、などと、どうでもいいことを
考えてしまうのでありました……。
赤坂警察署付近で誰かを待つ報道陣
そうそう「弾正坂」の写真を撮っている時に
この場所で、何人もの報道陣がカメラを
構えて何かを待っているようでした。
中程にいる人がそれなのですが……。
有名な事件に関係する人が来る
予定でもあったのでしょうか?
と何はともあれ今日は、赤坂の坂・その3
虎屋と赤坂警察署の間にある坂、
「弾正坂」の御紹介でした。