「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
外堀沿いにある坂
今日、御紹介する赤坂の坂は「紀国坂」です。
以前もブログに書きましたが(「『赤坂サカス』
と『赤坂』の名前の由来」)、赤坂という
地名の由来となった坂といわれています。
「紀ノ国坂」「紀之国坂」とも書き、
住所は港区元赤坂1丁目7-22。
そんなに急な坂ではなく、全体の距離が231メートル
で、高低差は12.88メートルほどです。
下の地図で中央あたりを左下から斜め上に走って
いるのが青山通りで、その通りと首都高速4号
新宿線と交わるように見える場所が赤坂見附。
紀州藩の御屋敷から命名
赤坂見附の交差点から、高架線の首都高速沿い
に、外堀通りを迎賓館の入口の方に向かって
いく途中に「紀国坂」があります。
「紀国坂」の始まりの場所がこの写真。
右上の方に見えるのが首都高速4号新宿線です。
左側は、現在は赤坂御用地です。
江戸時代はここに紀州(和歌山)徳川家の上屋敷が
あったので「紀国坂」という名前がつきました。
こちらは江戸時代の地図です。
こうして並べてみますと、基本的な地形は
江戸時代とほぼ同じでなのですね。
次の写真は山王の高台から赤坂を見た古い写真です。
写真の右手前が現在の山王の高台。
山王高台から赤坂を臨む
(写真/「大江戸歴史散歩を楽しむ会」)
中央に大きな川が横たわっているように
見えるのは、なんと溜池です。
これが「溜池山王」の名前の由来でもあり、
今はなくなってしまった溜池です。
そして右端に緑が一群見えて、その上
あたりに見えるのが「紀国坂」です。
「紀国坂」の左の方にあるのが
赤坂仮皇居、現在の迎賓館。
「紀国坂(茜坂・赤坂)」→地名の「赤坂」へ
「紀国坂」の標識の場所から坂を上っていくと
元紀州家の御屋敷だった左手は
こんな感じで続いていきます。
このあたりには染料や生薬として知られる茜(赤根)の
生えている、赤根山と呼ばれる山がありました。
その赤根山へ登る坂ということで、この坂が
「赤根坂(茜坂)」と呼ばれるようになり
「あかねざか」が「あかさか」へと変化します。
その後、赤坂という名前は、坂のみならず
このあたり一帯の地名としても
使われるようになったのです。
赤坂という地名は、江戸以前にはなかった
そうですので、まさに赤根山が赤坂という
名称のもととなったのですね。
赤坂御用地のお隣は迎賓館
紀州徳川家の上屋敷、現在の赤坂御用地
を通り過ぎますと、旧赤坂離宮、現在の
赤坂迎賓館の敷地に入ります。
こちらの門は、赤坂迎賓館の東門。
迎賓館の入口付近は、もう「紀国坂」ではありませんが
来てみますと、「釣瓶(つるべ)落とし」といわれる
秋の空は、既に茜色に染まっていました。
「紀国坂」といえばラフカディオ・ハーン
(小泉八雲)の「狢(MUJINA)」ですよね。
「のっぺらぼう」に出会わないうちに
帰ることにしましょう。
(小泉八雲(Lafcadio Hearn)の「狢」)
「紀国坂」→「弾正坂」→虎屋の前
帰りは来た時の赤坂見附方面ではなく
以前、御紹介した「弾正坂」を通って
青山通りに出ることにしました。
次の写真は、地図でいいますと「弾正坂」の上半分
(赤坂御所沿いに青山通りまで)のものです。
青山通りに出て、すぐ目の前にあった虎屋の本店は
以前お知らせしたように(「ビル立て替えのため
3年間お休み」)、もう営業を休止しています。
写真は休業前の虎屋、まだ
「とらや」ののれんが見えます。
虎屋と右の赤坂警察署の間の道が
「弾正坂」の、先ほどの続きの部分。
ひ左「虎屋」、中「弾正坂(の半分)」、右「赤坂警察署」
いつもこの場所にあったお店が見えなく
なくなってしまうのは、ちょっと寂しいですね。