「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
大使館の多い街
前々回に「ドイツ大使館」「フランス大使館」
「ヨーロッパハウス」を御紹介しましたが
これらは全て南麻布4丁目にある建物です。
東京には全部で120以上の大使館がありますが
そのうち半数の68カ国の大使館は港区にあり、
南麻布一帯には40以上もあるとか。
当然、外国人居住者も多く住民の
10パーセント近くを占めています。
特に麻布台、元麻布、六本木などは20パーセントを
超えるそうで、国籍は多い順に、アメリカ、中国、
オーストラリア、イギリス、フィリピンとなっています。
ということから「ナショナル麻布スーパーマーケット」
や「日進ワールドデリカテッセン」の需要が
あるというわけですね。
麻布近辺の大使館
そこで、麻布周辺の大使館マップを作ってみました。
地図の左から右上に向かっている線が
「首都高速3号渋谷線」で、ほぼ中央に上から
下へ走る線は「首都高速都心環状線」です。
地図を大体、四区分して地図の上下に大使館名を書いて
みたのですが、とても見づらいですね、ごめんなさい。
◉ガーナ大使館
◉エクアドル大使館
◉ギリシャ大使館 ◉スペイン大使館
◉ラオス大使館 ◉スウェーデン大使館
◉ルーマニア大使館 ◉サウジアラビア大使館
◉ウクライナ大使館 ◉ナイジェリア大館
◉リトアニア共和国大使館 ◉オランダ大使館
◉サンマリノ大使館 ◉カザフスタン共和国大使館
◉中華人民共和国大使館領事部 ◉ロシア連邦大使館
◉フィリピンフィリピン共和国大使館 ◉フィジー大使館
◉シンガポール大使館 ◉アフガニスタン大使館
◉オーストリア大使館 ◉キューバ共和国大使館
◉スイス大使館 ◉チリ大使館
◉ノルウェー王国大使館 ◉オーストラリア大使館
◉中華人民共和国大使館商務部 ◉イタリア大使館
◉カタール大使館 ◉ハンガリー大使館
◉スロバキア共和国大使館
◉マダガスカル共和国大使館
◉アルゼンチン大使館
◉韓国大使館
◉ドイツ連邦共和国大使館
◉中華人民共和国大使館別館
◉パキスタン・イスラム共和国大使館
◉フィンランド大使館
◉フランス大使館
◉イランイスラム共和国大使館
いや〜、労多くして益少なしとなって
しまったのが悲しいです。
何となく「色付きのポチポチが全部大使館なんだな〜」
「いっぱいあるな〜」と思って頂けたら嬉しいです。
駐日欧州連合代表部・ヨーロッパハウス(南麻布4丁目6-28)
大使館以外の外国関連施設
今数えてみましたら、ちょうど40ですね。
ただ、書き落としたものもありますし、中華人民
共和国大使館などは1つではなく複数ありました。
大使館マップには載っていませんが、ヨーロッパハウス
と呼ばれる駐日欧州連合代表部(南麻布4丁目6-28)
も南麻布にはありますし、
アルジェリア民主人民共和国大使館大使公邸
(港区南麻布4丁目6-15)もアルジェリアの雰囲気
を漂わせながら建っていたりします。
アルジェリア人民共和国大使館大使公邸(南麻布4丁目6-15)
アルジェリア大使館は港区ではなく、目黒区の三田にある
のですが大使公邸が南麻布にあり、フィンランド大使館と
道路を挟んだ向かい側のパキスタン・イスラム共和国
大使館のお隣にあたる場所にあります。
日本の法律は適応されないニュー山王ホテル
マップの左下角の部分はフランス大使館
(南麻布4丁目6-28 ◉)です。
マップには載っていませんが、その左側には
「ニュー山王ホテル(THE NEW SANNO)」
(南麻布4丁目12)があります。
この場所は日本初のテレビジョン放送機を制作して
いたアンリツ株式会社(当時は安立電気)の本社
があったところです(現在は神奈川県厚木)。
今は、在日アメリカ海軍が管轄している宿泊施設で
他の米軍施設と同様、施設内では日本法は適応されず,
米連邦法と管轄する部隊の本部がある州の
法律が適応されています。
原則として民間人は立ち入ることは出来ない場所。
軍関係者の招待で入った方によりますと、入るには
I.D.が必要で、英語と米ドルが使われますが
レストランは驚くほどリーズナブルだったとか。
外見に比べて中はとってもきれいで
「完全にアメリカ」とのことでした。
現在は飯倉公園となっている赤羽接遇所(東麻布1丁目21-8)
1859年、麻布に赤羽説遇所ができる
港区に大使館や関連施設が多い理由としては
幕末に日本に来た外国人の滞在施設として
港区の大きな寺院が使われたことがあげられます。
1859年7月7日(安政6年6月8日)、元麻布の
善福寺(元麻布1丁目6-21)にアメリカ公使館が
置かれたのをはじめとして、由緒ある寺社に
各国の使節団の宿泊所が作られるようになります。
ほぼ時を同じくして、現在は飯倉公園となっている
場所に外国人の宿泊施設である赤羽接遇所
(東麻布1丁目21-8)も完成しました。
新庄藩・戸澤家の下屋敷だった「フランス大使館」
(南麻布4丁目11-44)
1859年、麻布にアメリカ公使館ができる
アメリカの初代駐日領事であったタウンゼント・ハリス
は1856年8月21日(安政3年7月21日)に通訳の
ヒュースケンとともに下田に入港し
下田の玉泉寺に領事館を構えます。
1858(安政5)年、日米修好通商条約が締結され
初代駐日公使となったハリスは、1859年7月7日
(安政6年6月8日)下田の玉泉寺から江戸に移りました。
1862年5月10日(文久2年2年4月12日)に日本を去るまで
ハリスは最初のアメリカ公使館となった元麻布の
善福寺で過しています。(「外務省 ハリス信任状」)
赤穂藩・浅野家→盛岡藩・南部家の屋敷にだった有栖川公園」
(南麻布5丁目7-29)
幕末期-——大名家は提供者がなかった
アメリカ以外でも、イギリス、プロシア、ポルトガル、
オランダ、スイス等の外交代表団の宿泊所や
公使館にもこの辺りのお寺が用いられました。
なぜお寺なのかといえば、当時日本で広い場所と
いえば神社仏閣に大名屋敷位しかなかったからです。
ですが大名屋敷は攘夷の風潮が盛んなこともあって
提供者がなく、また神社も同様に避けられ
結局、寺院にということになったよう。
広島藩・浅野家中屋敷だった「赤坂サカス」
(赤坂5丁目3-6)
明治維新後——大名屋敷の跡地を利用
そして明治になりますと、麻布や赤坂に
多くできた大名屋敷の跡地を、明治政府は
大使館として活用するようになったのです。
日本に滞在することになった各国の人々にとっても
港区は母国と行き来をする横浜に近くて好都合でした。
また政府としても、大使館がまとまっているほうが
警備上や監視の面でも都合が良かったともいわれています。
長州藩・毛利家下屋敷だった「港区立檜町公園」(東京ミッドタウンの隣)
(赤坂9丁目7-1)
現在、大使館は高台に建っているものも
多いのですが、これは欧米人が日本特有の湿気を
避けるため、日当りがよく眺めの良い山手の
高台を好んだからということ。
それに対して当時の日本人は、水の便が良くない
高台ではなく、低い土地を好む傾向があった
というのもおもしろいですね。