麻布にある3つの更科そば   「総本家 更科堀井」「永坂更科布屋太兵衛」「麻布永坂更科本店」

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創業1789(寛政元)年「永坂更科」

飯野藩の麻布屋敷内に逗留していた布屋の清右衛門は
蕎麦打ち上手、藩主・保科正率(まさのり)の
すすめによりお蕎麦屋さんになりました。

 

そして、そのお店が現在も麻布にあるという
ことまでが、前回のお話でした「もう一つの
『保科家』は麻布のお蕎麦屋さんの生みの親?」

 

清右衛門がお店を持ったのは1789(寛政元)年
のことで、清右衛門は布屋太兵衛と名を改め
麻布永坂の「永坂更科」の初代となります。
(布屋の清右衛門  →  布屋太兵衛・永坂更科初代)

 

「更級(さらしな)」とは、信濃国にあった
郡の名前で、現在の長野市の一部と千曲市の
一部にあたり、ソバの産地として有名な土地。
『更級日記』の更級ですね
(更級日記は更級が舞台ではありませんが)。

 

「さらしな蕎麦」という名前は、清右衛門が
蕎麦屋を始める以前からあったようですが、
布屋太兵衛のお店の名前は、

 

級(さらしな)」の「更」の字に、
「しな」は保科家の「」の一字を賜って
更科」としました。

 

飯野藩保科家の藩邸に近い、麻布永坂にお店を
構え「信州更科蕎麦処  永坂更科布屋太兵衛」
の看板を掲げました。

 

 

sarashinahoriiiA「総本家  更科堀井」106-0046   元麻布3丁目11-4    03-3403-3401
B「永坂更科布屋太兵衛」106-0046   麻布十番1丁目8-7    03-3585-1676
C「麻布永坂更科本店」106-0046   麻布十番1丁目-2-7    03-3584-9410

 

 

 

3つの「更科蕎麦」

今年、創業227年にもなるお蕎麦屋さんですが、
麻布には「更科」と名乗るお蕎麦屋さんが
徒歩5分程の範囲のなかに3つもあります。

 

 

  店名        創業     現在の当主
_________________________

「更科堀井」A      1789(寛政元)年
                9代目・堀井良教

「永坂更科布屋太兵衛」B 1959(昭和34)年
                3代目・小林正兒

「麻布永坂更科本店」C  1950(昭和25)年
                2代目・馬場繁二

 

 

3つとも「更科」が入っていて名前を見た
だけでは、どのお店が本当の創業227年、
布屋太兵衛のお蕎麦屋さんかわかりませんが
創業を見て頂ければ一目瞭然ですね。

 

 

sarasisnahorii 明治10年頃の「永坂更科布屋太兵衛」

 

 

 

戦時下の大恐慌の中、一時は廃業

200年以上の年月の間には、様々なことも
あったようですが、結論をいいますと
「更科  堀井」が清右衛門の流れを汲むお店です。
ということで「総本家  更科  堀井」とも称します。

 

1875(明治8)年に「布屋」という屋号を改め、
「堀井」と名乗り、5代目からは布屋ではなく
堀井太兵衛となり、現在は9代目堀井太兵衛
(堀井良教)が当主。

 

1941(昭和16)年、六代目の店主・堀井保の時、
戦時下で国内外は大変な金融恐慌が起こり
堀井家が出資していた麻布銀行が倒産するなどの
なか、お店は廃業の憂き目に遭うことになります。

 

 

160629nagasakasarasina生粉打蕎麦(きこうちそば)「永坂更科布屋太兵衛」

 

 

 

戦後の混乱期に現・「永坂更科本店」開業

1947(昭和22)年、戦後の混乱期に
料理屋だった馬場繁太郎が
「永坂更科製麺部新開亭」を開業。

 

19450年には「永坂更科」商標を取得し
麻布十番一の橋に「麻布永坂更科本店
(現・永坂更科本店)」を開業。

 

実は私はこの事実を知る以前から、
「永坂更科本店」の雰囲気はお蕎麦屋さん
というよりはお料理屋さん、という気が
していましたがやはりそうだったのですね。

 

サイトを見た印象もお料理屋さんのそれ
ですし「お蕎麦も美味しいお料理屋さん」
という位置づけのような気がします。

 

「創業寛政元年」とあるのは、ちょっと行き過ぎ。
まるで家系図をお金で手にして、◯◯の子孫と
名乗っているような悲しさを感じます。

 

 

sarasinahoriisakisai季節のおすすめ種物「秋菜(あきさい)」は
栗、インゲン、百合根、、銀杏、甘長唐辛子等
の冷たい更科そば「更科堀井」

 

 

 

「永坂更科布屋太兵衛」設立

一方、1949(昭和24)年、7代目・堀井松之助夫妻、
麻布商店街組合長・木村政吉、小林玩具店の小林勇に
より、本来の伝統の暖簾を再開したいとの思いから
合資会社「永坂更科布屋太兵衛」が設立されます。

 

その後、1959(昭和34)年には、
小林勇が「株式会社永坂更科布屋太兵衛」を
設立し、この会社に大学卒業後の
8代目・堀井良造が入社しています。

 

ちなみにこちらの「永坂更科布屋太兵衛」のサイト
にも創業寛政元年の文字が見えますが……。

 

 

160919sarasinahoriisobaもりそば「総本家  更科堀井」

 

 

 

「総本家  更科堀井」の復活

1984(昭和59)年12月には、江戸時代創業
の血筋である、8代目・堀井良造が
総本家を開店することになりました。

 

本来はこちらが布屋太兵衛の子孫である
にもかかわらず、様々な事情で商標登録は
他の2店が持っていたため、「布屋太兵衛」
をお店の名前には使用できず、

 

姓の堀井を冠した「総本家  更科堀井」
になりましたが、こちらが正真正銘、
創業寛政元年の布屋太兵衛のお店です。

 

 

 

 




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4 thoughts on “麻布にある3つの更科そば   「総本家 更科堀井」「永坂更科布屋太兵衛」「麻布永坂更科本店」

  1. はじめてコメント失礼します。
    麻布の更科を調べていてたどり着きました。

    大変参考になる記事だったのでブログでリンク貼らせていただきます。
    ご迷惑なようでしたら即外すのでご連絡下さい。

    聖流(セシル)

    • 聖流さま

      コメントをありがとうございます。
      また丁寧にお知らせをいただきましてありがたく存じます。
      そのように言っていただけて、本当に嬉しいです!

      ブログを拝見しましたが、すごいですね。
      麻布十番や赤羽橋のお店が紹介されていましたが
      私は一つも行ったことがなくて……。
      こちらを参考にして今度行ってみたいと思います。

  2. 今日(2024/1/7)麻布十番でお蕎麦を食べようとしたところ、3つ似たような(失礼!)お店があり、どう違うのだろう?と検索。
    こちらに辿り着きました。
    とてもわかりやすく参考になりました。
    結果、「麻布永坂更科本店」に行ってきました^^。
    せっかくなので残りの2店舗のお蕎麦も食べてみたいです。

    • インディアン加齢 様

      コメントありがとうございます!

      そうなんですよね、同じような
      名前のところがわけわかめで。

      今日は「麻布永坂更科本店」
      に行らしたとのこと。
      是非、他の2店舗を食べ比べを
      して、インディアン加齢さんの
      お好みのお店を見つけてくださ
      いね。

      ちょっと関係ないのですが、
      「インディアン加齢」さんの
      お名前を最初に見た時に、
      「インディアン加藤」さんに
      見えてしまいました。

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