「総本家 更科堀井」麻布十番 

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創業227年「総本店  更科堀井」

「エッグシェル  kaori」という卵の殻のように薄い
ぐい飲みのお店「はせがわ酒店(G)の通りを麻布
十番駅とは反対の六本木ヒルズの方に、少し行った
ところにあるのが「総本家更科堀井(H)」です。

 

(「総本家  更科堀井」
 港区元麻布3丁目11-4  03-3403-3401
 営業時間:11:30〜20:30   年中無休)

 

「総本家  更科堀井」については、少し前に
「麻布にある3つの更科そば『総本家  更科堀井』
『永坂更科布屋太兵衛』『麻布永坂更科本店』」

書きましたのでここでは簡単な御紹介にしましょう。

 

 

azabu「総本家  更科堀井」(H)

 

 

 

1875(明治8)年 「布屋」→「堀井」

二の橋の近くにあった飯野藩保科家上屋敷に逗留して
いた信州出身の布屋太兵衛の打つ蕎麦が、美味しいと
評判になり、藩主のすすめにより1789(寛政元)年、
麻布永坂に「信州更科蕎麦処  布屋太兵衛」を開店。

 

1941(昭和16)年、戦時下の金融恐慌などのあおりを
うけ、一度は休業を余儀なくされたものの1984
(昭和59)年に復活し現在に至っています。

 

現在の「総本家  更科堀井」の当主は
9代目の堀井良教さん。

 

 

 

 

「布屋」が「堀井」に変わったのは
1875(明治8)年の名字必称の令により
屋号「布屋」を「堀井」に改めたことによります。

 

こちらの本店の他に、立川伊勢丹内
に支店があるそうです。

 

私は大学が立川にありましたので、伊勢丹
には随分行きましたが、その当時(大昔)
はありませんでした。
いつ出来たのでしょうね。

 

 

sarasisnahorii明治10年頃の「永坂更科布屋太兵衛」
現在の「総本家  更科堀井」

 

 

 

脚気によいお蕎麦は江戸で人気に

そんな私のことはどうでもいいのですが
「総本家  更科堀井」が創業された江戸時代、
お蕎麦は今に劣らず人気の食べ物で、江戸市中
には、3,4百軒ものお蕎麦屋さんがあったそう。

 

ビタミンB1の不足で起こる脚気(かっけ)は
白米を主食にすることが出来た階層の人に多い
症状で、「江戸患い」とも呼ばれる病気でした。

 

そこで脚気に効くというお蕎麦が
食べられるようになったのです。

 

男性の多かった江戸では、すぐに食べることの
出来るお蕎麦は、今でいうとファーストフード
のような感じだったかもしれませんね。

 

しかも美味しくて栄養があるとなったら
流行らないわけがありません。

 

 

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白いお蕎麦「さらしな」

当時のお蕎麦はどこでも、そば粉
100パーセントで打っていましたので
お店の味の特徴といえば蕎麦つゆ。

 

どのお店でも同じような蕎麦という中で
「総本家  更科堀井」の前身「信州更科蕎麦処
永坂更科布屋太兵衛」は、そばの実の芯の粉で
打つ、白い蕎麦「さらしな」を編み出します。

 

素麺と見紛うような白さと、やさしい舌触りの
「さらしな」は、そばの実の芯(胚乳)
が割れたものを、細かくふるったさらしな粉
と小麦粉で作られたお蕎麦です。

 

 

sarasinahoriisakisai 秋菜(あきさい)「総本家  更科堀井」

 

 

 

「色変わりそば」

当時は江戸城や大名屋敷にも出入りを許されて
御前に供する名誉も賜る一方、そば好きの
江戸っ子達にも親しまれていたお店でした。

 

お蕎麦を目籠に詰めたお土産が大人気となり
同様のものがあちらこちらで売り出され
各地に「更科」が増えていったといいます。

 

また、さらしなそばに旬の素材を打ち込んで
四季折々の味を作り出した「色変わりそば」
も忘れてはならないもの。

 

9月22日から10月9日は「菊切」、
10月10日から31日までは「くこ切」と
「総本家  更科堀井」のサイトにありますが
あのお薬のような「クコ(枸杞)」が
どのようなお蕎麦に変身するのでしょう?

 

 

blog_import_515365eaa68d4お薬チックな「クコ(枸杞)」

 

 

 

江戸時代から来た人?

先月の末に「総本家  更科堀井」へ行ったときのこと。
強い雨が降りしきるわけではないのですが
一日中はっきりしないお天気の夕暮れ時でした。

 

そのような日でも「更科堀井」は
お客さんがたくさんいます。

 

私はお店で蕎麦を頂かずに持ち帰ることが
多いのですが、その日もそれをお願いして
注文のおそばが出来るのを待っていました。

 

 

広重「麻布古川、相模殿橋、広尾之原 四の橋」

 

 

お店には、普通のテーブル席の他に、中央
にはお花が飾られた大きな丸いテーブルがあり
それを取り囲む形でお客さんが座ります。

 

それぞれ一人ずつきていると思われる
お客さんの間の空席に、私はつきました。

 

二人とも男性で外国の人。
「総本家  更科堀井」には、外国のお客さんも
多いためなのでしょう、英語で書かれた
「お蕎麦の食べ方ガイド」なるものもあります。

 

 

160919sobatabekata 英語で書かれた「お蕎麦の食べ方」

 

 

私の両側の席の二人の外国人男性は、共に
スマホを片手にお蕎麦を食べていました。
驚いたのはその雰囲気です。

 

板についているといいますか、何とも自然な感じ。
思わず江戸の人ではないのかしら?、と
見紛うばかりのお蕎麦の召し上がり方でした。

 

「箸の使い方が上手ですね」などとは
冗談にも言えないほどの箸さばきで、その仕草
は日本人よりもはるかに様になっていたほど。

 

 

160919sarasinahoriisobaもりそば「総本家  更科堀井」

 

 

これは絶対、昨日今日、お蕎麦を食べた
というビギナーではありません。

 

まあ、外国人といっても日本で生まれ育った方も
いらっしゃるでしょうからで、子どもの頃から
「更科堀井」に通っていたということもありえますが。

 

右側の男性は温かいお蕎麦で、左はそうでないお蕎麦。
見ない振りを装いつつも、両方の視界に入る彼等を
見ているうちに私のお蕎麦ができあがってきました。

 

 

広重「赤坂桐畑雨中夕けい」

 

 

最初から最後まで、極々普通の蕎麦好きの
江戸っ子が、薄い鼠色になりつつある雨催いの
夕暮れ時、いつものようにおそばを食べている
といった風情の、何と様になっていたことか!

 

いうまでもなく、彼等は私より数十倍も
お蕎麦が似合っていたのです。

 

驚きが心の中で飛び跳ねている私は
来る時と違って、何とはなしに
嬉しい雨の帰り道となりました。

 




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