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ハチミツ
「ハチミツの歴史は人類の歴史
(The history of honey is the history of mankind. )」
こんなことわざがイギリスにはあるそうです。
1万年以上前から、人間はハチミツを
甘味料として利用してきました。
紀元前6000年頃、先史時代末期から新石器時代
にかけてできたと思われる壁画には、既に
ハチミツを採取している様子が描かれています。
スペインのイベリア半島沿いのバレンシア州の
ビコルプ村、アラーニャ洞窟の中の壁画です
(実際の壁画は劣化して見づらいため
これは模写した絵だということですが)。
紀元前6000年に描かれた壁画「ハチミツを集める女性」
写真(「ミツバチと共に90年
鈴木養蜂場 はちみつ家のブログ」)
木に登った女性が、左にあるハチの巣から
ハチミツを採取している様子を描いたもので
女性の右側に見えるいくつかのものは
ちょっと大きめですがハチのようですね。
貴重なハチミツを手に入れるには、このような危険を
冒さなければならなかったことを表しているといいます。
そして時が経ち、人々は養蜂を始めるようになりました。
紀元前2500年頃の古代エジプトの
壁画にその様子が残されています。
紀元前300年頃になると、ミツバチの巣箱を船に乗せ
ナイル川を移動する移動養蜂も始まりました。
エジプト、パバサの墓の壁画「ハチミツ採取」
(写真/「Natural food」)
エジプトのパバサの墓の壁画には、象形文字と
共に。養蜂をする人が描かれていますが
当時のエジプトではハチミツは特権階級のもの。
女王クレオパトラも肌を美しく
保つために利用していたそうです。
食用以外に傷の手当などの、治療薬としても
ハチミツは利用されていて、高い殺菌力は
ミイラ造りの防腐剤としても使われました。
ツタンカーメン王もハチミツの
壺と共に埋葬されています。
またアレキサンダー王の遺体は、ハチミツ漬けにされて
バビロンからアレキサンドリアまで運ばれました。
このようにハチミツの殺菌力は強力で、現在ピラミッド
から発掘されるハチミツも食べることが可能だとか。
ピラミッドの壁画「ミツバチ」
(写真/「L’A BEILLE」)
この写真はピラミッドに描かれた象形文字ですが
ミツバチは一目でわかりますね。
隣にある長細いものは葦だそうで
ミツバチと葦は王位のシンボルです。
紀元前3000年に始まった第一王朝の頃から
女王蜂は王座のシンボルとして使われていました。
メキシコ南東部に栄えていた古代マヤ文明
(紀元前900年頃成立)でも養蜂は行われていて
16世紀に侵入したスペイン人も、その養蜂技術
の高さには驚いたということです。
飛鳥時代に始まった日本の養蜂
一方、日本での養蜂は飛鳥時代に
始まったといわれています。
皇極天皇三年(643年)、百済の太子・余豊がf
大和三輪山(奈良県桜井市)で、養蜂をしたが
失敗したという記録が『日本書紀』に見えます。
『大日本農史』には皇極天皇二年(624年)に
養蜂が始まったとの記述や、『延喜式』には
平安時代の宮中への献上品として、ハチミツ
が贈られていたとの記録も残されています。
「蜜、甲斐国1升、相模国1升、信濃国2升、
*能登国1升5合、越後国1升5合、
*備中国1升、備後国2升」
という具合で、全部を足しても
10升ですので、かなりの貴重品扱い。
当然、庶民には縁のないもので
主に神饌用や薬用でした。
貴族が多用した、香木を混ぜて作る「練香」の
つなぎにも、ハチミツは使われました。
江戸時代には庶民にも広まる
巣箱を使う養蜂が始められるようになったのは
江戸時代に入ってからのことですが、この頃には
庶民もハチミツを楽しめるようになりました。
江戸も後期になると、ハチミツ作りの
解説書や、専門書を書く人も出現。
ハチミツは、消化器、呼吸器、循環器、眼病、皮膚病
などに効くとされ、日本に伝わっていた中国の薬学書
『本草綱目』には、「十二臓腑ノ病ニ宜カラスと
イフモノナシ」と絶賛されるほどでした。
その頃の採密技術は、当時のヨーロッパ
の方法より進んでいたといいます。
ヨーロッパではミツバチを殺してから、巣を壊して
採取していましたが、日本では、巣箱の蓋を叩いて、
ミツバチが巣の後ろ側に逃げたすきに、巣の2/3を
切り取って蜜を採取する方法をとっていました。
こうすることにより残りの1/3から、ミツバチが巣を
元通りに繕うために、何度でも採取することが可能です。
これは経済的でもあり、ミツバチも
殺さずにすむ良い方法ですね。
近代養蜂
地中海周辺から広まった養蜂は、次第に世界に広がって
いましたが人が、ミツバチの巣からハチミツを採取する
際は、上記のようにハチの巣を壊していましたので、
採取後はまた最初からということの繰り返しでした。
それを改良したのが現在行われている
巣箱(ラングストロス式)です。
1853年、アメリカ合衆国のラングストロス( L.L.
Langstrothは、著書『巣とミツバチ(The Hive and
the Honey Bee)』でこの画期的な近代養蜂を発表。
取り外しが可能な長方形の巣枠、
ミツバチが巣を作りやすいよう蜜蝋を
六角模様にプレスして作った巣礎、
蜜を巣から取り出すための遠心分離機、などです。
これは自然に作られているミツバチの巣に
近い形をしたもので、このラングストロスの
方法は、現在に至るまで基本的には変化していない
というほど優れた方法でした。
ラングストロス方式の近代養蜂が日本に入った
のは明治時代になってからのことで、欧米文化
と共に流入してきた産業として定着しました。
また、花を追って北上する
移動養蜂も盛んだったようです。
しかし戦後の高度経済成長期に
農薬の使用が増えて自然破壊が進行。
その上、安価な輸入品も増えるなどの
理由から現在では養蜂業は衰え
移動養蜂も見られなくなってしまいました。
自然からのプレゼント
フランスの養蜂は、20世紀半ばまでは仕事
というよりは、自分の土地の片隅に、巣箱を
設置してハチミツを楽しむといった趣味、あるいは
副業にとどまる範囲のものに過ぎませんでした。
しかし1960年代に巻き起こった自然回帰ムーブベント
により、ハチミツは俄然、注目されることになります。
それを機に、様々な研究が養蜂業の
発展に寄与することになりました。
とはいえ今でも何千年前と同じように
野生のハチミツを採取する人々もアフリカ、
アマゾン、アジアの各地に存在します。
それというのも、ハチミツは人が作り出す
ものではなく、基本的には自然からの賜物
だということが大きいからでしょう。
貴重なハチミツを自然から頂ける
ことに、心から感謝ですね。