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「二つとない存在」
不二家の創業は1910年、明治43年
といいますから百年以上前ですね。
2010年は百周年記念でした。
1910年に横浜の元町の外国人居留地に
25歳の藤井林右衛門(ふじい りんえもん)
がお店を作ったのが始まりです。
「不二家」の「不二」には、名前の藤井の
ふじと、外国人にも有名な富士山(不二山)
にちなみ、「二つとない存在でありたい」
との思いが込められていたそうです。
不二家「カントリーマーム(抹茶ラテ)」
渡米して帰国後、2号店をオープン
毎日お菓子を作って家族とともに店先に
たち、仕入れや配達と忙しい毎日を過ごし
てはいたものの、お菓子が売れない日々が
続きました。
開店から2年が過ぎた1912年、大正元年に
洋菓子の技術習得のために藤井林右衛門
はアメリカへ渡ることを決意。
その成果が実り、林右衛門さんが帰国後の
不二家には、外国人だけではなく日本人
の客も増えてゆき、1922年、大正11年には
伊勢佐木町に2号店を構えるまでになります。
不二家「ルック(極み抹茶)」
林右衛門さんが考案した「ショートケーキ」
「シュークリーム」や「ショートケーキ」が
名物になりましたが、なんとこのショート
ケーキ、林右衛門さんが考案したのだとか!
「1つ8銭」だったということですが、
今でいうといくら位なんでしょうね。
破竹の勢いの不二家は、伊勢佐木町店を
開店した翌年の1923年、大正12年に
銀座6丁目店も開店します。
8月のことでした。
不二家「ルック(極み抹茶)」
全店舗壊滅状態
とここまででお気づきになった方
はいらっしゃるでしょうか?
1923年、大正12年、といえば関東大震災が
あった年。(当然、私は気づきませんでした)
しかも、不二家がオープンしたのが8月で
関東大震災がおきたのは9月ですから
開店した翌月、多分実際は一ヵ月もたた
ないうちに関東大震災に……。
銀座店が全焼しただけではなく、横浜の
元町店、伊勢佐木町店全てが壊滅します。
不二家「ホームパイ」
そして戦争……、ミルキー誕生
翌年にはバラック建てで営業を始めましたが
その後、戦争が起こったことはご存知の通り。
多くの店舗や工場、そして従業員を失いました
が、戦後焼け残ったボイラーで沼津にあった
工場を再開します。
そこで生まれたのが「ミルキー」でした。
(イラスト/「不二家」)
1950年ぺこちゃん誕生
幾多の試練を乗り越えた不二家に
「ペコちゃん」が生まれたのは、1950年、
昭和25年、第二次世界大戦が終わって
5年目のこと。
2代目社長の「戦後の街に潤いを与えるもの
を提供したい」との思いから、ペコちゃん
が店頭人形としてデビューしました。
翌年には、「ペコちゃん」のボーイ
フレンド「ポコちゃん」も登場します。
ちなみに「ペコちゃん」は永遠の6歳で
「ポコちゃん」は7歳なんだそう。
(でも1950年生まれだから、本当は
70歳ですよね、ナイショだけど)
というわけで、現在不二家では
「PEKO 70 Anniversary」やってま〜す!
夏サカス(赤坂サカス)の「ソフトクリーム」
1952年には国産第一号のソフトクリーム
そして個人的に激しく興味のある
ことをみつけてしまいました!
「ペコちゃん」が1950年、
「ポコちゃん」が1951年。
その翌年1952年,昭和でいいますと
27年に、不二家はソフトクリームの
販売を開始しています。
これは「ソフトクリーム国産第一号」で
ソフトクリーム大大々好きな私としては
ちょっとした興奮もの。
千年こうじや(麻布十番)の「ソフトクリーム」
今までも不二家は好きでしたけど
何か、もっと好きになっちゃいました!
そして、1885年に誕生し、1910年の11月16日
の25歳の誕生日に、不二家を開業した藤井
林右衛門さんは、1968年(昭和43)に永眠
しています。