モーツァルトのお墓

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

 

 

モーツァルトの埋葬されていないお墓

ローゼンタール〈魔笛〉専門店「 Apri(アプリ)」
で扱っている食器は、モーツァルトのオペラ
「魔笛」を題材にした食器です。

 

今回はそのモーツァルトのお墓についてのお話。
現在、モーツァルトのお墓といわれるものは
ウィーンの中央墓地とセント・マルクス墓地にあります。

 

ですが両者とも、墓地とはいうものの実態は
いわゆる記念碑のようなもので、そこに
モーツァルトが埋葬されているわけではありません。

 

その2カ所に埋葬されていないとなれば、モーツァルト
は一体どこに埋葬されているのかとの疑問が湧きますが
実際のところ、わかってはいないというのが答えです。

 

 

500_21492940ウィーン中央墓地(写真/「ウィーン旅行」
中央はモーツァルトの記念碑
左はベートーベン、右はシューベルトのお墓

 

 

 

おそらく共同墓地のどこか

当時はペストによる死者が多かったため
共同墓穴の中に遺体を投げ入れるようなかたちで
葬られた人が多かったといいます。

 

おそらくモーツァルトも、そのように葬られた
のではないかと考えられています。

 

それでも当初は、大体の位置くらいは
わかっていたのかもしれませんが
現在では全くわかっていないのが実情。

 

 

 

 

 

ウィーン中央墓地

私の外国旅行は、大学の恩師に連れていって
いただいた、ヨーロッパ旅行が最初でした。

 

出発の3ヶ月前になって母が亡くなったこともあり
一度は飛行機をキャンセルしてものの
結局、連れて行っていただくことになりました。

 

その時に、ウィーンの中央墓地にも行ったのです。
M田先生が花束を買ってくださり、私たち
3人がそのお花をお墓に手向けました。

 

一人2つずつのお墓にお花を供えましたが、私は
シューベルトともう一人は誰のお墓だったでしょうか?
モーツァルトでなかったことは覚えていますが。

 

 

 

 

 

 

 

一緒に行った友達が奏でるブラームス

それが誰だったかなど全く思い出そうともして
いませんでしたが今日、突然それを思い出しました!
ブラームスでした。

 

今日、ブラームスを聴いていてふっと思い浮かびました。
私がお花を手向けたシューベルトともう一人の
作曲家は、ブラームスだったのです。

 

あれから何度もブラームスを聴いているはずなのに今回
突然思い出したというのは、今日のブラームスが一緒に
旅行に行った人の演奏によるものだったからでしょうか。

 

演奏中に、その時のことが頭によぎりました。
彼女は旅行の後にドイツに留学し、今はオーストラリアの
オーケストラに所属して現在、日本公演で来日しています。

 

 

 

 

 

卒業後に初めて会ったのは師のお葬式

彼女とは、私のその最初の海外旅行の時に初めて
知り合ったのですが、その旅行が終わった後には
彼女は私の大切な友人になっていました。

 

M田先生は私を海外旅行に連れて行ってくださった
だけではなく、生涯の友に引き合わせてもらえた
幸運を考えると感謝してもしきれないほど。

 

しかし、そのことの有り難さを実感する前の、
旅行からわずか半年後、恩師はガンで
お亡くなりになってしまったのです。

 

母の死から一年も経っていない真冬のM田先生の
お葬式で、沢山の知り合いと会いました。
皮肉な悲しい再会でした。

 

 

 

 

 

「君を連れて行くことはできない」

旅行はヨーロッパで仕事をしているM田先生の
お弟子さんを訪ねる旅でもありました。
連れて行っていただいたのは、私を含め3人。

 

ですが、最初は3人ではなく、出発時は4人でした。
しかし、出発してまだそんなに日も経っていない頃、
先生はそのうちの一人を帰らせることにしたのです。

 

私たちから見ると、途中で帰されるほどのことが
あったとは思えなかったのですが。

 

 

 

 

「君はもう連れて行くことはできない」との言葉が
彼女に伝えられた時、私たち3人は息を飲みました。
初めて見る厳しい先生の顔でした。

 

一ヶ月以上に渡る旅行の中で
「ここからは自由行動。
◯日後、パリのあのホテルに集合」
というようなことが2、3度あったでしょうか。

 

一緒に行った二人はともかく、私は全く
どこの国の言葉も話せないので、今考えると
結構無謀なことをとも思うのですが。

 

 

 

 

 

ゲネプロ、そして本番

演奏会の本番直前のリハーサルを
「ゲネプロ(ゲネラルプローベ)」といいます。

 

人生によく旅に例えられます。
私は今になって考えてみますと、あの旅行を江戸っ子の
M先生はこんな風に思っていらしたのかもしれません。

 

「お前さんはこれから一人で生きていくんだよ。
この旅行はそのためのゲネプロなんだからね」と。

 

 

 

 

私はあれから、そして現在、あのゲネプロを
いかした生き方が出来ているだろうか?
とふっと思ったりもするのです。

 

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