忘れられないお茶碗

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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「赤楽茶碗 銘熟柿」本阿弥光悦
17世紀前半 江戸時代
(写真/「サントリー美術館」

 

 

 

忘れられないお茶碗

もう今はうちにはないのですが、以前
忘れることができないお抹茶茶碗がありました。

 

お抹茶茶碗といっても、練習用のお茶碗
ですので高価なものではありません。

 

そのお茶碗が忘れられない理由ですが、これが
なんと「好きだったから」ではなくて、反対に
「あまり好きではなくなったから」なのです。

 

 

 

 

 

気に入って買ったものなのに

自分で選んで買ったものなのですから、
購入時は気にいらなかったわけではありません。

 

クリーム色の地に、桜と紅葉が優しく
描かれている清水焼のものでした。

 

ちょっといいなぁ……このお値段だし、
普段使いに惜しげがなくていいかも
と思いながら購入しました。

 

最初のうちこそ、それなりに使用していた
のですが、時間が少し経つにつれて
勝手なことに飽きがきはじめたのです。

 

 

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「色絵桜楓文透鉢」仁阿弥道八(二代目 高橋道八)
19世紀 江戸時代(写真/「サントリー美術館」

 

 

 

始末に持て余し……

そうなったなら、奥にしまって使わないように
すればいいのかもしれませんが、私は好きでない
ものを家に置いておくことが苦手です。

 

といいながら、壊れていないものを捨てて
しまうということも罪悪感を感じますし。

 

また、どなたかに差し上げるほどの品でも
ありませんので、私はその飽きてしまった
食器の扱いに少々困っていたのです。

 

 

 

 

 

多分、割れたのでしょう 

正直なところ、私はこのお茶碗が現在
どうしてうちにないのかという
本当のことを覚えてはいません。

 

私はよく食器を壊しますので、多分
そのうちに割ってしまったのだと思います。
そしておそらくは、その時にホッとしたりして……。

 

そんな自分の感情を嫌だと思う気持ちが
あったために、今はその事実を
覚えていないのかもしれません。

 

 

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「銹絵染付松樹文茶碗」尾形乾山
18世紀 江戸時代前半
(写真/「サントリー美術館」

 

 

 

ちょっと良い程度では買わない

自分が好きで買っておきながら扱い困り
こわれてホッとするなんて、なんということ。
食器に対して申し訳ないですし、可哀想です。

 

「ちょっといい」くらいの気持ちでは
私のような人間は食器に限らず、モノを持っては
いけないのだと、現在ははっきりと自覚しました。

 

そんな風に疎まれるようになってしまう品物に対しても、
その気持ちに罪悪感を感じずにすむ私自身のためにも。

 

 

 

 

 

そして現在は……

本当に良いもの、好きなものだけと
一緒に暮らしていけたらと思っています。

 

そんな経験をしたせいか、現在は無駄のない
必要なものだけとの暮らしを楽しんでいます。

 

となればいいのですが,またやってしまいました……。
大きな声では言えませんが、実はいるんです。
……大きいお皿が一枚……。

 

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