備前岡山藩主・池田光政が生みの親? ばら寿司(岡山県)

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いただきもののちらし寿司

「ちらしずし」と一口にいっても、日本全国には
さまざまなちらし寿司があるのでしょうね。

 

日本全国どころか、各家ごとにちらし寿司の具
や酢飯に好みと工夫があるのかもしれません。

 

私の高校時代のお友だちの家では、酢飯を
作る時の調味料は、お酢とお塩のみで
お砂糖は入れないと言っていました。

 

その理由は、ちらし寿司の具は、お砂糖を
入れて甘辛く煮たものが多いので、御飯の方
には一切、甘味を入れたくないのだそうです。

 

 

中谷本舗の「手まり寿司」

 

 

 

岡山県の「ばら寿司」

日本中にはおそらく、様々なちらし寿司がある
と思われますが今日は、岡山県の「ばら寿司」を。

 

「ばら寿司」という名前のお寿司は
大阪やその他の関西地方にもあるようです。

 

ですが、それらと比べて岡山県の「ばら寿司」は
具の品数や大きさがはるかに多いのが特徴です。

 

 

0_00006033_GAZOU1_n(写真/「岡山観光総合サイト」)

 

 

 

江戸時代の岡山城下で誕生

この「ばら寿司」ができたのは
江戸時代の岡山城下だといわれています。

 

岡山の中でも地方によって内容は異なるそうです
が、基本的には、まずかんぴょうや椎茸の煮た
ものを小さく切った具を混ぜた酢飯を作ります。

 

その上に錦糸卵を敷いて、またその上にゆでた
ニンジンや酢蓮、えんどう、ちくわ、かまぼこ、
味を付けた高野豆腐、煮穴子、鰆、たこ、いか、
海老、ママカリなどを大きめに切って敷きつめます。

 

地方によって異なりますが、あまり生ものは
使わないようですが、とても豪華ですね。

 

 

「柿の葉寿司」

 

 

 

「ばら寿司」のできた由来

質素倹約を旨として、庶民の贅沢をしばしば
禁じてきた、備前岡山藩主の池田光政が
「一汁一菜令」を布告したことが始まりだそう。

 

つまり「一汁一菜」ならばいいわけです
ので、その「一菜」を思い切り贅沢に
しようということですね。

 

先ほど、あらましの作り方を説明しました
が、「大きめに切った」メインの具を
まずは、寿司桶の底に敷きつめます。

 

そしてその上を、細かい具の入った酢飯で
覆いますので、一見するとそんなに豪華に
見えません。

 

食べる時に、寿司桶を引っくり返すと
先ほどの寿司桶の底に敷いたゴーカな具
があらわれると仕組み。

 

こんな工夫をしたばら寿司は、ハレの
日の食べ物として楽しまれたようです。

 

 

800px-Okayama_Korakuen_Garden01           後楽園より岡山城を臨む(写真「Wikipedia」)

 

 

 

備前岡山藩主、池田光政の命日は

「ちらし寿司の日」 

とはいえ、実際にこんなに豪華になった
のは、明治以降だともいわれています。

 

お寿司の食品素材を販売している広島の
「株式会社あじかん」は、備前岡山藩主の
池田光政の命日である6月27日を「ちらし寿司
の日」として日本記念日協会に申請しました。

 

そして2004年4月1日に、めでたく(!)登録。

 

 

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江戸の三名君といわれた池田光政

なお備前岡山藩主・池田光政は
 水戸藩主・徳川光圀
 会津藩主・保科正之
と並び、江戸初期の三名君と称されています。

 

その光政の子、2代藩主の綱政は1700年に
「後楽園」を完成させています。

 

この岡山の「後楽園」は
 水戸の「偕楽園」
 金沢の「兼六園」
と並んで日本三名園の一つです。

 

 

 

 

三名君の一人とされた藩主の子が
三名園の一つを作ったということですね。

 

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