虎屋の5世紀 御代の春「虎屋」 

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創業500年

赤坂サカスにあった「マキシム・ド・パリ」や
「ドミニク・サブロン」が閉店してしまったのは残念
ですが、赤坂は老舗が軒を連ねている素敵な街です。

 

先日、御紹介した「相模屋」は1895(明治28)年
の創業でしたので、今年で120周年。

 

「松月」が1919(大正8)年創業で
今年は96周年でした。

 

今日、御紹介するのは「虎屋」
なんと500年の歴史を誇る老舗中の老舗です。

 

(東京都港区赤坂4-9-22
TEL.03-3408-4121(代) FAX:03-3401-6694)

 

 

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1869年、東京に進出

とはいっても京都で商う「虎屋」は
東京に店舗はなく、遷都にともなって
東京に進出したのは1869年の明治2年。

 

神田、丸の内等と店舗を移し、赤坂の地に
「虎屋東京店」を構えたのは、東京進出から
10年後の1879(明治12)年9月のことでした。

 

現在、「虎屋」の東京工場がある
元赤坂1丁目の近くだったそうです。

 

(余談ですが、そこには
「製造所にはいかなることがあっても婦人の
出入りを禁じ」と書かれていたそうな……!)

 

 

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1932年に現在の場所に移転

「虎屋」が現在の赤坂4丁目、当時の町名ですと
赤坂表町に移転したのは1932年、昭和7年のこと。

 

現在の店舗にお店を構えてからでも83年、赤坂の地に
来てからは136年の年月が流れているのですね。

 

ちなみに「虎屋」は東京遷都で1869(明治2)年
に東京に移る前の、1714(正徳4)年にも
一度、東京進出を試みています。

 

その時は、現在の港区西新橋1丁目あたりにお店を
構えたようですが、思うようにいかなかったのか
半年ほどでお店を閉めました。

 

 

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「虎屋」が赤坂に来て136年

「虎屋」が赤坂に来てからは136年ということですが
それでは「虎屋」が出来たのはいつなのかといいます
と、昔すぎて(?)正確なことはわからないそう。

 

ですが、1586(天正14)年に即位した後陽成天皇の
在位中に御所の御用をつとめていたことが
京都御所出入りの御用商人の御用開始時期を
記した文書『御出入商人中所附』からわかります。

 

中には伝説として、虎屋創業奈良時代説などもある
そうですが、残されている様々な文書の記録から
室町後期の創業から、すでに5世紀ほど経ている
という数字は確かなことです。

 

 

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御用差し止めの通知

5世紀も続いた御所の御用をつとめる老舗の「虎屋」は
どっしりとお店を構えてゆるぎなく、順風満帆に見えます。

 

ですが実際は、様々な苦難を乗り越えての今で
あったことが、現在の虎屋当主・黒川光博さんが
お書きになった「虎屋 和菓子と歩んだ500年」
(新潮新書)には記されています。

 

江戸中期、幕府の財政再建のための享保の改革があった
8代将軍・吉宗の時代に、当時の虎屋の当主(6代)は
1727(享保12)年の日記にこんなふうに記しています。

 

「昨年一年間は御用代金を頂いていない」
(黒川光博著『虎屋 和菓子と歩んだ500年』P.146)

 

 

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また、次の7代、8代当主の時も同様に

 

「実際に提出したかはわからないまでも
御所御用を辞退したい旨の願書の
下書きも残されている」(『同』)

 

ほどの状態だったようです。

 

さらに時代は下り戦後の1946(昭和21)年に「虎屋」
は、宮内庁から御用差し止めの通知を受け取ります。

 

当主の必死の嘆願書が功を奏したのでしょうか、
幸いなことに継続が認められたということでしたが。

 

500年もお店を継続するということは
やはり並大抵のことではないのですね。

 

 

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虎屋「御代の春」

今日の写真のお菓子は、虎屋の「御代の春」
という最中です。

 

原材料は、
砂糖、あずき、還元麦芽糖水飴、皮種(糯米)、
水飴、寒天。

 

栄養成分は1個(30グラム)当たり
熱量 91カロリー、たんぱく質 1.3グラム、
脂質 0.2グラム、炭水化物 21.2グラム、
ナトリウム 0.5ミリグラム。

 

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