2代目・中村梅山

「あぷりのお茶会赤坂・麻布・六本木へようこそ!

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」

前回、赤坂にある金沢料理の料亭「浅田屋」の
御紹介をした際に、金沢の料亭旅館「浅田屋」に
ついて調べていると、1枚の写真が目に入りました。

 

金沢市旅館ホテル協同組合の「金沢  おもてなし
の宿」というサイトに載っていた「浅田屋」で
供されるお料理を紹介した写真。

 

手前が「治部煮」で、向こう側が
「ゴリ」との説明がありました。

 

治部煮は頂いたことがあるのですが
「ゴリ」は初耳です。
調べてみましたら、こちらも治部煮と
同様、金沢の郷土料理だとか。

 

 

 

金沢の料亭旅館「浅田屋」のお料理
手前が「治部煮」で、向こう側が「ゴリ」
(写真/「金沢おもてなしの宿」)

 

 

 

「ゴリ」とは魚(鰍、カジカ)のこと

「ゴリ」というのは魚の名前で、「鰍(カジカ)」
のことだそうで、ゴリで作ったお料理を
ゴリ料理、ゴリと呼ぶのだそう。

 

金沢を流れる犀川や、先日、御紹介したクリフトン・
カーフギャラリーのそばを流れる浅野川の上流の川底に
へばりつくように生息している魚だということです。

 

ちなみに「ゴリ」という名前は、とる時に川底を削る
ようにしないと、捕獲できないため、その様子を「
ゴリ押し」といい、そこから「ゴリ押しをする」
などと使われるようになったそうですよ。

 

 

こちらは我が家の中村梅山のお皿
乗っているのは「塩瀬」の薯蕷饅頭

 

 

ゴリが載っている金沢の料亭旅館「浅田屋」の
写真を見て驚いたのは、使われていたお皿が
うちのものと同じだったからです。

 

同じ中村梅山のものというだけではなく
お皿の形そのものも一緒。

 

そういえばこのお皿の作家・中村梅山は
金沢の陶芸家でした。
うちにある梅山の器も、金沢に
行った時に買い求めてきたものです。

 

手前の治部煮が入っているのは、輪島塗だと思われます
ので、二つとも石川県の器を使用しているのでしょう。
このお椀も、とっても素敵ですね。

 

お皿の作者である2代目・中村梅山は、1907
(明治40)年生まれの昭和を代表する金沢の陶芸家
で、1997(平成9)年に90歳で亡くなっています。

 

 

 

 

 

初代・中村梅山

初代・梅山は大正の初期に、道楽が嵩じて陶芸家に
なってしまったというユニークな経歴を持っている方。

 

陶芸一筋にひたすら修行を重ねた人生、というのも
もちろん、素晴らしいものではありますが、他の
お仕事で成功しているにもかかわらず、止むに
止まれぬ作陶への思いを、遂に実現してしまう、

 

そんな一生もまた、勝るとも劣らない
魅力的な生き方ですね。

 

骨董品などを見るにつけ、自分ならばこんな風に
表現したい、などと思っていらしたのでしょうか。

 

彼は京都から京焼きの職方を招き
屋敷の庭に登窯を築きます。

 

庭にたくさんの梅の木があったことから「梅山窯」と
呼ばれるようになり、梅山を名乗るようになりました。

 

 

 

 

 

2代目・中村梅山

自らの夢を実現させた初代梅山の子が
2代目、中村梅山です。

 

彼は、梅山窯があった屋敷の庭の梅の花が咲く
情景や、熟れた梅の実の味と香りについての
鮮やかな記憶を、晩年近くに語っています。

 

2代目・梅山は、独創性と技術を思う存分展開した作家
で作風は、仁清風・南蛮手・象嵌と多岐にわたります。
「浅田屋」と我が家のお揃いの
長方形のお皿は、象嵌の作品です。

 

「象嵌(ぞうがん)」とは、工芸技法の一つで
「象」は「象(かたどる)る」、
「嵌」は「嵌(は)める」の意味。
ある素材に、別の素材を嵌め込んだものを指します。

 

 

 

 

 

陶器と磁器が奏でるハーモニィ

黒い漆に光る貝殻をはめ込んだものなどは
よく見かけますが、中村梅山の象嵌のように
陶器(茶色い部分)に、磁器(模様のある部分)
を嵌め込んだ器は、初めて見るものでした。

 

既成観念にとらわれることのない
何という自由な作陶なのでしょう。

 

対照的とも思われる、土ものの荒々しいまでの力強さに
繊細で嫋やかな模様と色使いの磁器を合わせた匠さ。

 

しかも、実験的過ぎる専門家向けの難解な作品では
なく、私のような素人にもわかる、この上ない美しさ。

 

 

中村梅山の器 象嵌の部分をアップしたもの

 

 

梅山自身は、「火は魔物 土は曲者なり」
とおっしゃったようですが、私には、その両者を
巧みに操る猛獣の使い手のようにも見えます。

 

また「兎にも角にも土を練り、技を練り
心を練って、火心に挑んだ果てに、たまたまの
品が自分の予想の埒をこえて、しかも情熱
との融合を見つけた時の醍醐味は無上です」

 

との言葉には、作陶をしない私でさえ思わず共感し
その感動が伝わってくるような気がするほど。

 

 

2代目・中村梅山「ぐい呑」

 

 

本当は、茶陶の名手といわれた中村梅山のお抹茶
茶碗が欲しかったのですが、それは桁が一つ上なので
はなから諦め、お皿とぐい呑を金沢から連れて
帰ったのは、もうかれこれ20年以上前のことでした。

 

2代目・中村梅山には錦平・廉平・卓夫と3人の
御子息がおありで、3人とも陶芸家として
それぞれ大活躍をしていらっしゃいます。

 

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