「キットカット」の名前の変遷 日本は「キットカット」世界2位の消費国 

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九州の方言から?

「キットカット」は日本では受験の時
にも人気のお菓子ですね。
これについては「ネスレ」のサイトでは、

 

九州の方言で「きっと勝つどぉ(きっと勝つよ)」
が「キットカット」という言葉に似ていることから
九州を中心に受験生の間で生まれ、2002年頃から
受験生の間に口コミで広まった、

 

というような説明があります。
私自身はもっと前から、すでに大昔の
私の受験時代から、そのように囁かれていた
ような気もするのですがいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

イギリス生まれの「キットカット」

この「キットカット」の本家といえば
もちろんイギリスですが、現在はイギリス以外
の多くの国でも作られているよう。

 

次の写真は以前、シアトル在住のみぎぃさんに
送っていただいた「キットカット」たちです。

 

左の赤い四角形の大きいものがアメリカの
「キットカット」で、その右にあるの細長い2つの
ものはイギリス、下の緑色の細長いものは
ブルガリアの「キットカット」なんですって。

 

 

blog_import_515364c4f19a211赤い四角形(アメリカ)       細長い赤(イギリス)
細長いオレンジの模様付き(イギリス)
緑りの細長(ブルガリア)

 

 

送ってくれたみぎぃさんの美味しさの順位
というと、一番美味しいのは日本、
次がイギリスだとのことでした。

 

それを聞いた時に私は、同じキットカットなのに
味が違うの?、と不思議に思っていたものでしたが
今回いただいてみてようやく納得、謎が解けました。

 

 

 

「キットカット」はミートパイの名前だった?

今やイギリスのみならず、多くの国で作られている
「キットカット」ですが一体、いつ誕生したのでしょう?

 

「キットカット(Kit Kat)」という名前そのものは
すでに18世紀にはイギリスに存在してしていました。

 

とはいっても当時の「キットカット」は現在の
ようなチョコレート菓子ではなく「ミートパイ」。

 

 

当然のことながら、当時の写真ではありませんが

 

 

ロンドンのクリストファー・カット(Christopher Catt)
が経営していたレストランで出していた羊肉のパイの
名前が「キットカット」。
もちろんこれは彼の名からきています。

 

「クリストファー」という人名の当時の愛称は
「キット」だったということですから
「キットカット」といったら、まんま彼の名ですよね。

 

有名な羊肉のパイ「キットカット」がでるレストラン
で社会をよりよくするための政治的、文学的な会合
が開かれましたが、そのクラブの名前も
「キットカットクラブ(Kit  Kat  Club」でした。

 

1911年には、ヨークにあったお菓子製造のロントリー社
(Rowntree’s)が、「キットカット」を登録商標し、
1920年代に「キットカット」の名前のついたお菓子を
発売したものの、1930年代初頭には生産中止。

 

 

blog_import_515363452f412-11こちらは日本で購入した「ラズベリーキットカット」
私個人の感想としては、香りがちょっと強すぎるかな

 

 

 

社員の提案から生まれた「キットカット」

というように「キットカット」は、実態よりも
先にまず、名前が誕生していました。

 

その名にふさわしい私達にお馴染みの
「キットカット」というお菓子が生まれたのは
1935年のことでした。

 

登録商標を持っていたロントリー社の
提案箱に寄せられた社員の提案が
もとになってできたということです。

 

その提案というのはこのようなものでした。
「男性がランチバックに入れて
職場に持っていくことができるような
チョコレートーバーを作ってみては?」

 

 

140919rosenthalbourukitkatこちらはミニタイプの「キットカット」
色々な種類がありすぎて、全部を試すことはできないほど

 

 

 

「ロントリーズ」から「キットカット」へ

かくして1935年8月29日に、現在お馴染みの
「キットカット」の前身が生まれます。

 

ですが、誕生した時は「キットカット」という名前
ではなく「ロントリーズ・チョコレート・クリスプ
((Rowntree’s Chocolate Crisp))」という名でした。

 

まあ何とも現在の「キットカット」になるまでに
名前と実態がなかなか一致しない「キットカット」では
ありますが、「ロントリーズ・チョコレート・クリスプ」
はロンドンとイングランドの南部一帯で発売されました。

 

 

 

 

「ロントリーズ・チョコレート・クリスプ」は大ヒット。
その2年後の1937年5月、大ヒットを受けお菓子の名前を
より覚えやすいよう「キットカット・チョコレート・
クリスプ(Kit Kat Chocolate Crisp)」に改名。

 

と同時に「キットカット」という名前に、
「ブレイク(Break、休憩)」を組み合わせた
大々的な宣言が始まりました。

 

「ブレイク(休憩)してバーを割って食べよう」という
現在にも続いているこのコンセプトが生まれたのです。

 

 

 

 

 

 戦時中、赤  →  青に変わった「キットカット」

ところが1942年、原材料の一つである牛乳が手に入らない
ため、ロントリー社は「キットカット・チョコレート・
クリスプ」のレシピの大幅な変更を余儀なくされます。

 

1942年といえば第二次大戦真っ最中
原料の調達ができなかったのです。

 

今までの製品とは異なったお菓子となってしまった
「キットカット・チョコレート・クリスプ」の名から
「チョコレート・クリスプ」の文字をとり、

 

「キットカット」だけを残した上に
パッケージも赤から青い色に変更。
味も「ダーク」と呼ばれるものになりました。
ロントリー社は、次のような説明書をつけたといいます。

 

 

senjityukitkat香港海防博物館に展示されている戦時中に発売された
青い「キットカット」(写真/Wikipedia)

 

 

 

青ざめた悲しげな「キットカット」

「平和な時代に楽しんでいただいていたチョコレート
クリスプは
牛乳不足のため作ることができなくなりました。
この『キットカット』は、現在我々が提供できる、
最大限
味を近づけたレシピで作られた製品です」

 

ブルーは大好きな色ではありますが、そうと知って
見るからでしょうか、何とも青ざめて寂しげな
「キットカット」ではあります。

 

そして1949年、戦後になり「ダーク」味から
「ミルク」味の赤いパッケージが再び戻ってきました
が、「キットカット」という名称はそのまま
使われることになったのです。

 

 

 

抹茶味の「キットカット」

 

 

 

日本上陸は1973年

赤い「キットカット」が戻ってきてから約10年後、
「Have a break, have a Kit Kat.」という今に続く
コピーが1958年に誕生に、イギリスのTVで
大キャンペーンが打たれました。

 

そして1973年「キットカット」は日本にも上陸。
イギリスのロントリー・マッキントッシュ社と
提携した不二家から発売されることになりました。

 

その後、ロントリー・マッキントッシュがネスレに
吸収され、1989年にネスレと不二家の合弁企業
「ネスレマッキントッシュ」設立、

 

後に「ネスレコンフェクショナリー」に社名を
変更後、2010年にネスレ日本に吸収されています。
(なんともめまぐるしい!)

 

 

kitkatiroiro1左/イギリス「Pop Choc」
中/アメリカの普通サイズ
右/アメリカ「Big kat」

 

 

 

 現在、日本は世界第二位の消費国に

「キットカット」が日本に入ったのはそれほど早くは
なかったものの、現在では、「キットカット」の
本国であるイギリスの次、世界第二位の
「キットカット」消費国だそうです。

 

日本では、ホワイトチョコ、宇治抹茶、ほうじ茶、
さくら風味、ラムネ、わさび、アップルビネガー、
ずんだ、夕張メロン、マンゴー,巨峰、ヨールグ等々、
100種類以上ものキットカットが発売されているとか!

 

2010年の8月30日には、37年ぶりに
ウエハースが今まで以上にサクサクする
よう食感を改良させたということです。

 

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