むかしの赤坂2 弥生時代

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弥生時代

一ツ木貝塚と呼ばれる貝塚があります
が場所は、一ツ木通りそのものでは
なく、少々離れた場所で、千代田区
麹町平河町1丁目付近です。

 

次の写真の右端に、建物の一部分
が写っているのは「赤坂エクセル
ホテル東急」です。

 

そして建設中の建物が、現在は完成
していますが、赤プリ跡地に建った
「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」
と「東京ガーデンテラス」です。

 

その左後ろあたりが、一ツ木貝塚
のあった場所でしょうか。

 

 

 

 

一ツ木貝塚以外には、青山墓地貝塚、
伊皿子貝塚(三田)、本村町貝塚
(南麻布)があります。

 

伊皿子貝塚は、港区三田4丁目19
(旧三井家邸宅敷地、現在のNTTデータ
三田ビルの敷地)にあった縄文時代後期
の貝塚です。

 

 

松月の「一ツ木まんじゅう」
一ツ木通りにあった「松月」、今は
ちょっとだけ奥に入ってしまいました

 

 

 

伊皿子(いさらご)貝塚は日本有数の貝塚

規模はさほどではないものの、貝の
種類の豊富さや、貝層密度の濃さでは
日本有数の貝塚だといわれています。

 

1978(昭和53)年の夏に開始されて
約1年半に渡った発掘調査により、

 

縄文時代後期の敷石住居跡1軒と貝塚、
弥生時代中期の方形周溝墓2基、
古墳時代後期の住居跡3軒、
奈良・平安時代の住居跡1軒、

 

が検出され、これに伴って
1万2千点もの遺物も出土しました。
ということはこの辺りには、ずっ〜と
人が住んでいたということですね。

 

 

三田にあ三田 イタリア大使館

 

 

 

伊皿子貝塚はゴミ捨て場ではなく貝の加工処理場?

伊皿子貝塚遺跡の主体は、今から
約4000年前の縄文時代後期の貝塚で
貝層は351mの範囲に広がり、最も厚い
ところでは1.8mも堆積していました。

 

貝層からは、食用と思われるマガキや
ハイガイなどの貝殻が大量に出土。

 

しかし、貝以外の食べかすである魚
や獣の骨、土器や石器はあまりあり
ませんでした。

 

ということから、伊良子貝塚は単なる
ゴミ捨て場ではなく、主に貝の加工処理
を行う場であったのではないかと考え
られています。

 

港区の弥生時代の遺物は少なく
赤坂、港区という以前に、関東自体が
まだ文化のはずれにあったということ
なのでしょう。

 

 

 

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むかしの赤坂1 昔すぎるけど石器時代 

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今から30000年前の赤坂

港区で人々が暮らしていた足跡をさかのぼ
れるのは、今から約28000年から30000年
前の旧石器時代後期になります。

 

その頃の赤坂で、といっても勿論「赤坂」
という地名すらなかった頃ではありますが、

 

人は溜池湾、渋谷川支流の入江に沿った
大地に居住し、狩猟、狩漁生活を営んで
いたといいます。

 

 

一ツ木通り

 

 

現在、赤坂で一番有名な通りかも
しれない(?)「一ツ木通り」の
あたりまでは海だったそうです。

 

江戸城の和田倉門付近も同様で、
日比谷は入江の海で、これが
溜池まで繋がっていました。

 

次の図は、江戸時代のものですので
地形が異なりますが、これでもまだ
日比谷入江は見えますね。

 

 

江戸湊 埋立て前の江戸(上)
後の江戸(下)
(江戸東京探訪シリーズ)

 

 

この写真の手前側が一ツ木通りで、写真の
奥の方にかけて上り坂になっているのが
お分かりでしょうか?

 

 

 

 

この坂は「円通寺坂」ですが
一ツ木通りから坂を登った上の方
は、その当時も陸地でした。

 

 

 

赤坂サカスも海だった??

この写真の左側が、赤坂サカスです。
次の図では、ピンク色の線が「円通寺坂」で
一ツ木通り付近から、円通寺坂の上の方に
向かって写真を撮っています。

 

 

 

 

図の水色の部分が、赤坂サカスの敷地。
この敷地も全て同じ高さというわけでは
なく円通寺坂と同様、一ツ木通りの方は
低く、濃い青色の「TBS放送センター」
の方に向かって高くなっています。

 

次の写真は、TBS放送センターの玄関です。

 

 

 

この写真のもう少し左側の部分が
下の写真。
正面にコンクリートの壁が見えますが
この壁の上が、道路になっています。

 

 

 

 

ちょっとぼやけていて(かつ小さくて)
申し訳ないのですが、次の写真の下の部分
が、上の写真のコンクリート部分です。

 

 

 

 

ここにエレベーターがあるのですが
乗る時の表示が「1階」で、上の道路
で降りる時のそれは「4階」となっています。

 

もちろん、2階、3階があるわけでは
なく、1階の次は4階なのですが。

 

下の写真の右側がコンクリートの壁部分
ですが、TBS放送センターの玄関前(左)
から続いているこの道路は、コンクリート
壁に沿って上昇しています。

 

 

 

つまりこの円通寺坂の写真(↓)の
下から上までは建物で言うと4階相当
ということなのかもしれませんね。

 

 

 

 

ということは、赤坂サカスの敷地も
石器時代は、TBS放送センターあたり
を除き、ほとんどが海だったという
ことなのでしょうか?

 

 

 

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