むかしの赤坂1 昔すぎるけど石器時代 

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

今から30000年前の赤坂

港区で人々が暮らしていた足跡をさかのぼ
れるのは、今から約28000年から30000年
前の旧石器時代後期になります。

 

その頃の赤坂で、といっても勿論「赤坂」
という地名すらなかった頃ではありますが、

 

人は溜池湾、渋谷川支流の入江に沿った
大地に居住し、狩猟、狩漁生活を営んで
いたといいます。

 

 

一ツ木通り

 

 

現在、赤坂で一番有名な通りかも
しれない(?)「一ツ木通り」の
あたりまでは海だったそうです。

 

江戸城の和田倉門付近も同様で、
日比谷は入江の海で、これが
溜池まで繋がっていました。

 

次の図は、江戸時代のものですので
地形が異なりますが、これでもまだ
日比谷入江は見えますね。

 

 

江戸湊 埋立て前の江戸(上)
後の江戸(下)
(江戸東京探訪シリーズ)

 

 

この写真の手前側が一ツ木通りで、写真の
奥の方にかけて上り坂になっているのが
お分かりでしょうか?

 

 

 

 

この坂は「円通寺坂」ですが
一ツ木通りから坂を登った上の方
は、その当時も陸地でした。

 

 

 

赤坂サカスも海だった??

この写真の左側が、赤坂サカスです。
次の図では、ピンク色の線が「円通寺坂」で
一ツ木通り付近から、円通寺坂の上の方に
向かって写真を撮っています。

 

 

 

 

図の水色の部分が、赤坂サカスの敷地。
この敷地も全て同じ高さというわけでは
なく円通寺坂と同様、一ツ木通りの方は
低く、濃い青色の「TBS放送センター」
の方に向かって高くなっています。

 

次の写真は、TBS放送センターの玄関です。

 

 

 

この写真のもう少し左側の部分が
下の写真。
正面にコンクリートの壁が見えますが
この壁の上が、道路になっています。

 

 

 

 

ちょっとぼやけていて(かつ小さくて)
申し訳ないのですが、次の写真の下の部分
が、上の写真のコンクリート部分です。

 

 

 

 

ここにエレベーターがあるのですが
乗る時の表示が「1階」で、上の道路
で降りる時のそれは「4階」となっています。

 

もちろん、2階、3階があるわけでは
なく、1階の次は4階なのですが。

 

下の写真の右側がコンクリートの壁部分
ですが、TBS放送センターの玄関前(左)
から続いているこの道路は、コンクリート
壁に沿って上昇しています。

 

 

 

つまりこの円通寺坂の写真(↓)の
下から上までは建物で言うと4階相当
ということなのかもしれませんね。

 

 

 

 

ということは、赤坂サカスの敷地も
石器時代は、TBS放送センターあたり
を除き、ほとんどが海だったという
ことなのでしょうか?

 

 

 




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